東京に逃げ、ホームレスになった親子。母は時々デパートに行って「ある作品」を作っていた
ニューズウィーク日本版 / 2024年10月9日 17時50分
文・写真:趙海成
<自作したその小さな巾着袋を、買いたいと言う人もいたという――。在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、荒川河畔の女性ホームレスの過酷な境遇を聞いて、彼女のためにできることを探した。連載ルポ第7話>
※ルポ第6話:ホームレスたちと河川敷で寿司パーティー、そして「お母さん」と感動の再会をした より続く
私は2回目の「お母さん」(編集部注:荒川に住むホームレスの老婦人のこと)との出会いがとてもうれしかった。彼女のテントの前に座って、お母さんが出してくれた焼酎を飲みながら話し合った。
お母さんはまた、自分の人生経験をたくさん話してくれた。その話の中には、彼女と息子がどのようにホームレスの道を歩んできたのかも含まれていた。
お母さんの故郷は日本の東北地方で、車があり、家があり、平凡な生活だった。しかし、息子は不注意が原因である事件に巻き込まれ、後を追われた。お母さんはそれを知って、思い切って息子を連れ、住んでいる所を離れて「避難」することにした。
当時、結婚して別の地方に住んでいた娘は「ママは私の家に来て一緒に暮らせばいい」と言ってくれたという。
しかし、その弟である息子は「いいから、お母さんの面倒は俺が見てあげるから」と言って、取り合わなかった。
お母さん自身も嫁に行った娘に迷惑をかけたくないと思っており、結局、息子と2人で、自家用車で東京に逃げた。
上京後は駐車場に車を停め、親子で野宿生活を送り始めた。
だが、長い間駐車料金を払わなかったため、その後、車は持って行かれてしまった。車と同時に失われたのは、車両の中に置いてあった彼女の免許証だった。
つまり、お母さんは息子のために家を捨て、車を捨て、故郷を離れ、放浪者に転落したのだ。
デパートですることは、買い物ではなく「巾着袋を作ること」
お母さんはもともと若い時からとても活動的で、運動や恋愛、時代の潮流を積極的に追求する女性だった。
バレーボールが好きで、50代の時にクラブの試合に出場した。60歳の時にはダンスに夢中になり、10年間社交ダンスをした経験がある。
80歳の高齢になった今も、彼女はとても元気で、腰がたまに痛いこと以外、大病がなく、耳と目と手足に不自由はなく、思考ははっきりしている。ホームレスになってから7〜8年が経ち、今ではこのような生活に慣れたようだ。それを聞いた私は、神様が彼女に元気な体を与えてくれていることに感謝している。
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