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東京に逃げ、ホームレスになった親子。母は時々デパートに行って「ある作品」を作っていた

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月9日 17時50分

日本の台風が多発する時期は、6月から9月の間である。被害を未然に防ぐために、私は昨年の秋からテントやキャンプ用のランタン、防寒下着などを含むアウトドア用品を次々と桂さんと斉藤さん(共に仮名)に贈った。

今年に入ってお母さんと再会した後も、雨の日用の長靴やキャンプ用のランタン、防寒用のカシミアソックスなど、防災グッズを贈った。

これらのものは、2023年5月末から6月頭にかけて台風2号が襲来したときに役に立った。

特に、私が中古店から1000円で手に入れた大きなテントは、桂さんと仲間たちが堤防で台風の最初の夜を無事にやり過ごすときに役目を果たした。それを聞いてとても嬉しかった。

しかし、私のしたことすべてが効果があったわけではない。

台風2号が襲ってきたあの日、お母さんの過酷な境遇に対して、悲しくも私は何も助けてあげることができなかった。

台風が近づき、私は息子に期待していたのだが

5月中旬、日本では台風2号が上陸するとの予報が出て、住民に防災準備の注意喚起がなされた。当時私はお母さんの状況を考えたが、特に心配はしていなかった。彼女の話では、もう息子と相談して、近いうちに新しいテントを買って、川から少し離れた空き地に移るつもりがあるとのことだった。

私はお母さんに「あなたが引っ越すとき、手伝ってあげましょう」と言った。

彼女は「息子と二人でできることなので、人に迷惑をかけたくない」と言ってくれた。

そう言われても、私は彼女に携帯電話の番号を残して、用事があるときに公衆電話で私に連絡するように言った。

5月24日、その日はお母さんの80歳の誕生日で、私は果物とケーキを持って彼女のためにお祝いに行った。

その時、お母さんは私に、息子が近いうちにテントを選んで購入し、ここに建てに来るのだと言った。

私はそれを聞いて安心した。そして、何か実用的なものを母さんの引っ越し祝いとしてあげたいと思った。

5月30日の夕方、東京では雨が降り始め、31日は一日中降った。6月1日になると、雨はますます激しくなった。

私の住んでいる家のドアや窓は、嵐に打たれてパタパタと音を立てた。窓が閉まっていないので、窓側の床が濡れていた。

この景色を見て、私は自問自答した。

「お母さんの所は大丈夫だろうか。彼女の息子は事前にこの台風の予報を聞いていたはずだし、早めにお母さんのために適切な準備をしていたはずだ」

しかし、その後の実際の状況は私をがっかりさせた。

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