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東京に逃げ、ホームレスになった親子。母は時々デパートに行って「ある作品」を作っていた

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月9日 17時50分

私の「べき」はすべて「思い込み」にすぎない。良く言えば自己慰め、悪く言えば自己欺瞞だ。

実は私は知っている。お母さんは携帯電話を持っていない。息子は携帯電話を持っているとはいえ、他の人に貸してもらっているそうだ。

お母さんと息子にとって、連絡を取り合うのは骨が折れることだ。荒川の近くに公衆電話ボックスはない。お母さんが息子に電話するには、3キロ先の赤羽商店街まで行かなければならない。

そして電話をかけても、息子が出るとは限らない。電話に出ても、彼を呼んですぐ来られるわけではない。

息子が来ることができても、交通手段は自転車だけで、お母さんの所までは少なくとも1時間半かかる。だから、嵐が襲ってきたとき、この息子が戻ってきて自分のお母さんを救うことを期待するのは、中国語で言う「痴人说梦」、まるで愚かな人が語る夢物語だ。

お母さんのテントから少し離れた場所に住んでいるホームレスの桂さんは、4年前に恐ろしい洪水を経験した。

当時まだ若くて体力のあった桂さんも、逃げるのが早くなかったら命を失っていたかもしれない。ましてや、80歳を過ぎて腰や脚に痛みを抱える老人なら、そのような状況では十中八九命を落としていただろう。

大雨の後、荒川沿いの砂利道は「小川」に、ゴルフ練習場は「池」になった

不幸中の幸いで、この台風2号は猛威を振るっていたが、荒川の水を氾濫させるほどではなかった。

豪雨は6月3日の朝にやっと止んだ。気象庁によると、6月3日13時の24時間降水量は、静岡県御殿場市で435ミリ、神奈川県相模原市で242.5ミリ、東京都心は218ミリで、いずれも6月の最高を更新した。東京以外の県や市では死者も出ている。

この台風2号がお母さんの生活にどんな影響を与えたのか、彼女のその後の状況はどうなったのかは、次回(第8話)に語る。

※ルポ第8話(10月16日公開予定)に続く
※ルポ第6話はこちら:ホームレスたちと河川敷で寿司パーティー、そして「お母さん」と感動の再会をした

(編集協力:中川弘子)

[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した――在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。

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