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B29の発進地「原爆の島」が再び動き出す...米軍が太平洋で進める、新たな「対中国戦略ミッション」とは?

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月23日 16時16分

1945年8月6日、広島への原爆投下を終えてテニアン島に帰還したばかりのエノラ・ゲイ号 PHOTOQUEST/GETTY IMAGES

ライアン・チャン(在香港ライター)
<東京から2400キロ──太平洋戦争中に日本本土爆撃の拠点だったテニアン島は「中国との戦い」に備えるための新たな重要拠点に>

緑が生い茂る平地に見える人工的な直線。太平洋に浮かぶこの小さな島は、かつて第2次大戦に終止符を打つ上で重要な役割を果たした。その後、長い間忘れられていたが、ここへきて、急ピッチで再建が進んでいる。その念頭にあるのは、将来の中国との戦いだ。

サイパン島のすぐ南に位置するテニアン島は面積が100平方キロほどの小さな島で、さらに約160キロ南に位置するグアム島と共に、アメリカ最西端の辺境をなす。東京から2400キロ程度であるため、太平洋戦争中は米軍による日本本土爆撃の拠点となった。そして今、米国防総省は約5億ドルをかけて、テニアンを中国抑止の拠点にしようとしている。

第1次大戦後に日本の委任統治領となっていたテニアンは、1944年に連合国側に陥落。米海軍は、小ぶりな日本の戦闘機向けに造られた飛行場を、当時としては世界最大級の航空基地に改造した。

それがノースフィールド飛行場だ。2500メートルの滑走路が4本あり、B29爆撃機が最大で265機配備された。

ILLUSTRATION BY DIMITRIOS KARAMITROS/ISTOCK

45年8月には、ノースフィールドから発進したエノラ・ゲイ号とボックスカー号が、それぞれ広島と長崎に人類初の核兵器を投下した。これが太平洋戦争の終結をもたらし、アメリカは、本土決戦で膨大な犠牲を出さずに大日本帝国を降伏させるシナリオを実行することができた。

1945年当時のノースフィールド飛行場 PHOTOQUEST/GETTY IMAGES

戦後、テニアンにあった2つの飛行場は、対照的な運命をたどった。島の中央部に位置し、3本の滑走路があったウエストフィールド飛行場は、拡張されてテニアン国際空港になった。

一方、ノースフィールドは、原爆を積んだB29の発進地という史跡として記憶されるのみで、半世紀以上にわたり使用されることも、修繕されることもなかった。それが今、米空軍の新戦略「機敏な戦力展開(ACE)」の一環として、再建されようとしている。

米国防総省は、中国のマルチドメイン(多領域)脅威を阻止する「太平洋抑止イニシアチブ(PDI)」を国防計画の中心に据えており、テニアンではインド太平洋地域における作戦を支援するべく、飛行場に離着陸のほか給油や駐機の機能を追加するプロジェクト3件を進めている。

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