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新たな大谷翔平伝説が始まる...「ますますリスペクトされる選手に」

ニューズウィーク日本版 / 2024年11月13日 18時40分

チームを救った機敏な走塁

肩の負傷はドジャースが公表した以上に深刻だった(優勝から6日後、左肩の関節唇損傷の修復手術を受けた)が、大谷はヤンキー・スタジアムでの3試合に、いつものように1番指名打者でスタメン出場。それは印象的で、感動的で、まさに大谷らしい光景だった。

10月26日、大谷は盗塁に失敗し左肩を負傷 GINA FERAZZIーLOS ANGELES TIMES/GETTY IMAGES

大谷にとってMLB初のポストシーズンは大成功だった。サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、そしてニューヨーク・ヤンキースとの対戦を通じて3本塁打、10打点を記録し、四球で13回出塁。ドジャースをフルシーズンとしては1988年以来初となるワールドシリーズ優勝に導いた(チームはコロナ禍でシーズンが短縮された2020年にも優勝している)。

ポストシーズンの初戦となった地区シリーズのパドレス戦では2回裏に同点3ランホームランを放って、7対5で逆転勝利するきっかけをつくった。続いて、ナショナルリーグの頂点を決めるメッツ戦では、6試合で打率3割6分4厘(22打数8安打)、2本塁打、6打点、出塁率5割4分8厘を記録して、メッツを圧倒した。

ワールドシリーズでは珍しく振るわなかったが(打率1割5厘、長打は5試合で二塁打1本のみ)、存在感は変わらず、ドジャースの優勝に大いに貢献した。

ワールドシリーズ第1戦は、大谷の機敏な走塁がなければおそらくドジャースが負けていただろう。8回裏1アウト、2対1で負けていた場面で、大谷は二塁打を放ち、送球がそれる間に三塁に進塁。続くムーキー・ベッツの犠牲フライで同点のホームを踏んだ。

大谷が機転を利かせて三塁に進んでいなかったら、このイニングもヤンキースがリードしたまま終わっていたかもしれない。そうなれば、その時点の勝率から考えて、ヤンキースが初戦を制した可能性が高かった。

10月25日、フレディ・フリーマンが逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ MICHAEL OWENSーMLB PHOTOS/GETTY IMAGES

「彼は全く動じない」と、ドジャースの二塁手ギャビン・ラックスは初のポストシーズンを戦う大谷について語った。「あの二塁打もあと6インチ(15センチ)でホームランだった。しかも、あの抜け目ないプレーで1点をもぎ取ってくれた」

さらに、大谷は肩を負傷した後も先発出場を続けた。最後の3試合は11打数1安打に終わったが、フォアボールとデッドボールで2度出塁し、ドジャースの切り札であり続けた。

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