「ホームレスになることが夢だった」日本人男性が、本当にホームレスになった
ニューズウィーク日本版 / 2025年1月24日 6時30分
文・写真:趙海成
<幼い頃に「ホームレスになる」という驚くべき夢を持っていた少年。バンド活動や暴走族を経て、知らず知らずのうちにその「憧れ」が現実になっていく。在日中国人ジャーナリスト趙海成氏による連載ルポ第19話>
70年代生まれの日本人男性、征一郎さんは、幼い頃に3つの夢を持っていた。
1つ目は歌手として芸能界に入り、明るい舞台で自分を輝かせること。2つ目は、刺激を求めて、バイクや自動車で道路を猛スピードで走り回って威勢を示すこと。この2つの夢はそれほど驚くようなものではない。
しかし、3つ目の夢はひと味違う。それを聞けば驚愕する人が多いだろう。彼が憧れていたのは、長い髪とひげを伸ばし、汚れた服を着て、毎日ゴミの中で食べ物を探しているホームレスだったのだ。
「僕は小学校6年生の時にホームレスに夢中になりました。池袋駅の近くで、長い髪を腰まで垂らし、服がかび臭いホームレスのおじさんをよく見た覚えがあります。
彼はいつも決まった場所に座って休んでいて、他の人は彼から距離を置いて歩いて通りますが、僕だけ彼に近づいて、何度か話しかけたこともありました。当時、このホームレスのおじさんが世俗離れした様子でのんびり座っている姿を見て、うらやましく思ったのです。大人になったら、彼のようになりたいと考えていました」
中学校ではバンド活動に夢中、暴走族の仲間入りも
ホームレスになること――これが征一郎さんが小学校6年生の時に立てた「壮大な志」だったという。
とはいえ、そのような志があっても、他のことへの興味を妨げるわけではない。
中学校に進学した征一郎さんは、まず歌とギターを弾くのに夢中になった。その時の彼は、歌声がよくて、女の子から人気があったという。中学2年生の時には音楽好きの仲間とバンドを結成し、街や広場で歌い、同年代の小さなファンたちを魅了した。
80年代の日本社会は少年犯罪が横行し、不良グループが幅を利かせていた。征一郎さんもこの時代の渦に巻き込まれた。彼がその時の話をしてくれた。
「最初は赤羽地区の暴走族のメンバーになったけど、みんな暗くてクールすぎて、明るくて陽気な僕には合わなかった。だからその暴走族を離れ、自分の名前を冠した100人近くのチームを作りました。
ケンカ好きで、強気で攻撃的な姿勢を持つ『タカ派』チームと比べて、僕のチームは仲間たちがみんな明るくて自由が好きで、わいわい楽しく遊んでいる若者向けサロン(社交や娯楽の場)のような雰囲気でした」
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