33歳で脳梗塞を発症、「娘がいると不思議とめまいはしない」父親の内側から湧き出す小さな力
ORICON NEWS / 2024年4月30日 6時0分
若くして脳梗塞と糖尿病、腎不全を発症。片目の視力も失い、医師から余命5年の宣告を受けたラッパー・ダースレイダーが、人生をつづった書籍『イル・コミュニケーション ─余命5年のラッパーが病気を哲学する─』(ライフサイエンス出版)を刊行した。「病気とは、生きるとは何か?」を問う内容で、「自分自身について、人生について、社会について、世界について。僕は病気をしていなかったらこんなに考えることはなかっただろう」と振り返る。同書から、33歳で脳梗塞を発症した当時の状況についてつづった内容を、一部抜粋して紹介する。
【写真】余命5年と宣告されたラッパー・ダースレイダー
■脳梗塞発症の瞬間
脳梗塞。なんらかの原因で脳の動脈が詰まり、血流が途絶えることで、脳にダメージが生じ、様々な障害が起こる病気だ。字面がすでに威圧的で、なかなか大層な病名である。
この病気は、脳のどの部分にダメージが起きたかで症状が変わる。僕の場合は小脳への血流が途絶え、平衡覚の感覚中枢に障害が起きていた。さらに、三半規管にも機能障害が起きていたようで、それに伴う回転性のめまいがずっと続いていた。
実は一口に脳梗塞と言っても、言語障害、記憶障害、半身麻痺など、症状や重症度は様々だ。つまり、脳のどの部位にダメージが生じ、どんな症状が出るかは運だと言える。そんなことを青いおじさんはゆっくりと解説してくれた。
「和田さん〜、三半規管にダメージが出ていましてね。しばらくはめまいが続くと思います〜。まずは〜リハビリも含めて3ヵ月がんばりましょう。まだお若いので、きっとよくなっていきますよ〜」
僕はこの時、33歳。誕生日を迎えてレコードの33回転に合わせ、ライブで「いよいよ人生、回り始めました!」などと調子に乗っていたら、人生自体は急停止。その代わりに目がぐるぐると回り続ける羽目になったわけだ。山口百恵の「しなやかに歌って」の歌詞のごとく、33の回転扉をくぐって、しなやかに歌い始めるつもりだったのに……。
青いおじさんによれば、三半規管は両耳の後ろにあって、大体利き腕と逆が使われているそうだ。人間の身体はよくできたもので、片方の三半規管が故障すると、もう片方に機能を移行する。PCのデータをハードディスクに移行する際に、少しずつ進行度を示すバーが進むようなイメージだ。今、30%みたいに。僕の三半規管のデータ移行はまだ始まったばかりで、それが完了するまでめまいが続くという。この時、僕は脳梗塞ではあるものの、少なくとも説明を理解できていることを確認した。こうなったら、自分にできることとできないことを一つずつ確認していくしかない。
青いおじさんはNと名乗り、「自分は脳神経外科医である」と自己紹介してくれた。そして、「僕が今いる場所が脳神経外科病棟だ」と教えてくれた。まずは現在位置を確認。少しずつ状況を確認していく中で、まだできていないことが一つあった。それは妻との連絡だ。病院に運ばれてから僕は何度か「妻に連絡をしてほしい」と頼んだつもりだったが、その時は口から泡を吹くだけで何も言えなかったようだ。そんな状況でも、ベッドに横になりながらN医師の話を聞くことはできていた。めまいも落ち着いてきている。果たして僕は話せるのだろうか?
「はあ」
N医師の話を理解したという意味合いも含め、発声してみたが声はちゃんと出た。でも、少し話そうとすると、まためまいでぐるぐると回り始める予感がした。そして、左腕を見ると点滴の管がつながれている。
「今、吐き気止めなどを点滴で流しています〜。栄養も点滴で補給していますが〜、すぐに食事も出ますから〜、それもがんばって食べてください〜」
「は……い」、一言ずつならなんとかめまいが起きずに話せた。続けて、N医師は「ご家族に連絡してください〜。しばらく入院になります〜。身の回りのものも必要ですし〜、手続きもありますから〜」と言う。枕元に小さな棚があり、そこにスマートフォンが置いてあった。右腕を伸ばしてなんとか手に取った。スマートフォンを開くと、メッセージボックスに妻からのメールがずらりと並んでいた。そもそも「イベントの司会に出掛ける」と言ったきり、家に帰っていないのだ。水曜日の夜に倒れて、今は金曜日の朝だった。音楽の仕事仲間には、妻の連絡先は伝えておらず、当日の現場には僕と妻の共通の知人もいなかった。
「何時くらいに帰ってくるの?」
「どうした? ちょっと心配です」
「連絡ください」
電話も何度かもらっていたようだ。メールで返事をしようと思ったが、文字を打つのもなかなかしんどいことが分かった。あまり指に力が入らない。発声練習は済ませたと思い、電話するとすぐに妻が出た。
「今、どこ?」
僕はなんとか自分が脳梗塞になり、病院にいることを伝えた。
「ええ? 分かった。今からそっち行くよ」
この短い電話の会話だけで僕はどっと疲れてしまい、電話を終えると同時にまた眠ってしまった。しばらくすると看護師に起こされた。
「和田さん、体温測りますね」
ああ、これが入院というものか。そこで枕から起き上がってみると……。グワングワンと目が回り始めた。一気に吐き気がやってきて思わず手で口を押さえる。すると、横にいた看護師がさっと小さなプラスチックのバケツにビニールを敷いたものを手渡してくれた。
「気持ち悪くなったら、これに吐いてくださいね」
僕は耐え切れずにブワ〜っとバケツに吐いた。一通り吐き切ると、看護師が慣れた手つきで飛び散った汚物を拭きながら、ビニールをさっと丸めて取り替えてくれた。なんとも機械的な看護師の動きは、僕の嘔吐という生物的な反応を際立たせた。「きっと入院している患者は皆吐きまくってるのだろう」と思ったが、同じ病室でゲーゲーやってたのは僕だけだった。吐いてもめまいはなかなか治まらない。ちょっと頭を動かすとすぐにひどくなり、吐き気がする。この時から僕は片時もバケツを手放すことができなくなった。バケツは友達、バケツは恩人。
「また吐きそうになったら呼んでくださいね」
看護師は枕元のナースコールの使い方を教えてくれた。これを押せば誰かが来る。不思議なもので助けが来る、と言われると、「なるべく押さないぞ!」というゲームが始まってしまう。これはプライドなのだろうか? 「バスに乗っている人たちが、誰も自分からは『止まりますボタン』を押したがらず、結果全員乗せたままバスが終点まで行ってしまう」という中崎タツヤの漫画の『じみへん』を思い出した。フロイト、ラカン風に言えば抑圧に対する反応とも言える。こうした反応も僕の生命力を駆動させてくれている気がした。起き上がるとめまいがするし、吐くのも疲れるので、僕はまた寝てしまった。すると、昼過ぎに妻が1歳の娘を連れて現れた。妻は育休を取っていて、娘と二人で家にいた。
「今、先生の話を聞いてきたよ。しばらくはお休みだね。しょうがないよ」
妻は本当にサバサバした性格だ。このさっぱりとした語り口のおかげで、僕が急に背負うことになった脳梗塞というヘビーな看板が少し軽くなった気がした。
「ほい」
妻は寝ている僕の上に1歳の娘を置いた。娘はニコニコしながら、ハイハイで動き回る。僕は慌てて娘がベッドから転げ落ちないように手で支えた。娘はコロコロ転がりながら、「アハハ」と笑っている。娘がいると不思議とめまいはしない。
「この子いるんだし。早くよくなろう」
「そうだね」
自分の今後についてなんら具体的なイメージが湧かなかったが、目の前でコロコロしている娘の存在が、僕の内側から小さな力を引き出してくれているのを感じた。
■プロフィール
ダースレイダー/1977年、フランス・パリ生まれ。ロンドン育ち、東京大学中退。ミュージシャン、ラッパー。吉田正樹事務所所属。2010年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明。以後は眼帯がトレードマークに。バンド、ベーソンズのボーカル。オリジナル眼帯ブランドO.G.Kを手がけ、自身のYouTubeチャンネルから宮台真司、神保哲生、プチ鹿島、町山智浩らを迎えたトーク番組を配信している。著書『武器としてのヒップホップ』(幻冬舎)『MCバトル史から読み解く日本語ラップ入門』(KADOKAWA)など。2023年、映画「劇場版センキョナンデス」「シン・ちむどんどん」(プチ鹿島と共同監督)公開。
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