石田三成「熱狂的なファン」もいれば「アンチ」も多数! 賛否分かれる嫌われ者に学ぶ「等身大の生き方」とは
OTONA SALONE / 2023年9月6日 10時0分
歴史上のえらい人たちって、みんな、天才に生まれついた上にものすごく努力をしたんでしょ、そんなの私が同じようにできるわけがない。何の参考にもならない……と普通は思いますよね。
よくよく人物を研究すると、意外にそうでもないんです。「結果的に成功した」人が後世に伝わっているのであり、ひとりひとりがやってることを見ていくと「意外と普通の人なんだね…」と思うようなことも多々。
たとえば、豊臣秀吉の腹心の部下だった石田三成もその一人。
軍事指揮官と官僚、両方の能力が求められる難しい立場を生きた三成、その真髄はどこにあったのでしょうか……? 『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三・監修、ねこまき・画)から抜粋編集してご紹介します。
「秀吉様にとり入っている」と嫌われた三成。その構造は社内での揉め事にそっくり
1600年、〝天下分け目〟の戦いといわれる関ヶ原の戦いは、東軍の徳川家康と西軍の石田三成が激突。結果、家康が勝利し、徳川の力をゆるぎないものにしました。
敗戦した石田三成は、徳川の天下の前、豊臣秀吉政権の五奉行のひとりでした。五奉行とは、政治の実務面を担う秀吉の家臣のこと。それに対して、五大老という制度もありました。こちらは豊臣家中の人間ではなく有力大名がメンバーで、豊臣政権の運営を合議で決める制度でした。
秀吉が没すると、次の天下をうかがっていた五大老筆頭の家康は、勝手に大名家同士の縁談を進めるなど、秀吉存命中の禁止事項を破って大名たちの懐柔工作を始めます。とくに秀吉の側近であった石田三成は、家康の勝手な動きが許せず、豊臣家のために何とか抑えようとします。
ところが当時、豊臣家臣団のなかには深刻な対立がありました。朝鮮出兵(*)で現地で苦しい戦いを続けた「尾張衆」と主に「近江衆」から選ばれた五奉行との確執が深まっていたのです。尾張衆は秀吉が木下藤吉郎秀吉と名のっていた若い頃からの武将たち、近江衆は秀吉が長浜城主に就任して以降の家臣です。尾張衆を「武断派」、近江衆を「文治派」ともいいます。
*秀吉の最晩年に行なった、二度にわたる朝鮮へ進軍のこと。秀吉の死により頓挫する。
文治派だった三成は、朝鮮出兵での諸将の働きを秀吉に過小に報告したとされており、武断派から憎まれていました。実際、関ヶ原の戦い前年に福島正則、加藤清正ら武断派の7人の武将が結託して、三成を討とうとする事件も起こっています。
五奉行のなかでも、とくに秀吉に近かった三成は、合戦の現場で修羅場をくぐった武断からすれば、「太閤殿下にとり入って、うまいことやっている」ように見えたのです。
会社にたとえるなら、現場たたき上げの営業チームと社長秘書室などの内勤チームの軋轢のようなもの。三成は、本当ならその調整役であるべきでした。しかし秀吉から信頼され、自負心の強い三成は、自分から進んで武断派にコミュニケーションを求めることはしませんでした。
▶しかし、友人がいない訳ではなかったのです。むしろ…
嫌われ者のイメージが強いけど…実は友人がいなかったわけではないのです
一方で、三成は秀吉の一家臣でありながら、当時の名だたる大名に人脈を持っていました。
たとえば五大老・上杉景勝の重臣・直江兼続です。関ヶ原の戦いのきっかけとなった会津征伐(*)では、「会津(現・福島県西部)の上杉が挙兵すれば、家康はそちらの討伐に向かう。その間に西国の諸将をまとめるので挟み討ちにしよう」といったように、兼続と三成が事前に打ち合わせていたと推察されています。
*家康が命令に従わない上杉を討つため会津へ進軍。途中で三成の挙兵を知り、関ヶ原へ。
有名なのは、同じ近江衆である大谷吉継との友情です。家康が上杉討伐のために諸将を動員したので、吉継は三成のもとに立ち寄り「ともに上杉討伐に従おう」と誘いました。しかし三成はすでに上杉と話がまとまっており、吉継には逆に自分についてくれと説得します。驚愕した吉継でしたが、友情のために三成に味方する決断を下します。
そして吉継はわずかな手勢で、裏切りの噂があった武将・小早川秀秋の陣の近くに、わざわざ陣取りました。開戦後、小早川は噂通り裏切りますが、吉継の陣取りはそうした小早川の動きを、いち早く見極めるためのものだったといわれています。吉継は危険を承知で、三成のために動いたのです。
ほかにも五大老の一人で西軍の副将だった宇喜多秀家は、備前岡山57万石の大名ですが、一貫して三成支持で行動していました。こうして見ると、三成に協力する大名もたくさんいたのです。自分を嫌う連中を味方にしようとまではしませんでしたが、心が通じ合う仲間もたくさんいました。自分を誤解したり恨んだりする人間への説明や対応には横着だった三成ですが、当代一流の人物たちに支持されていたのもまた事実だったのです。
▶実はいい人!? 三成の意外な一面
実は、善政を敷いたこともあると言われています。
ほかにも、三成に心酔した武将がいました。有名なのは、猛将として名高い島左近です。左近は多くの大名からの出仕の誘いを断っており、三成の誘いも最初は辞退しました。ところがわずか4万石だった当時の三成は、自分の知行の半分の2万石を条件に提示。感動した左近は三成を主人に選び、「殿のためなら、一命を捧げます!」と誓います。
三成は、こうと見込んだ人物には徹底した誠実さと真心で接しました。左近はそれに応え、世間では「三成にすぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」とうたわれたそうです。後年、三成が左近に加増しようとすると、「もう禄はいりません。兵を養うのにお使いください」と断られたといいます。一度惚れ込まれたら、とことん忠義を尽くされるところが、三成にはあったようです。
1590年、三成が31歳のときに近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山城に20万石弱で入ります。このときの三成は善政を敷いたとされ、領民からも慕われました。とくに農民に向けた掟のなかで、「困ったことがあったら直接、三成に直訴せよ」という内容は画期的です。支配者でありながら、年貢に苦しむ農民への優しさがにじみ出ています。
▶でもやっぱり、敵に対しては…
敵には特別厳しくなってしまうことも…。三成から学ぶ処世術とは
三成は、対立する人間、意見が異なる人間には、しばしば厳しい態度をとることがありました。朝鮮出兵の際、武断派の加藤清正と、文治派の小西行長が互いに先陣を争いました。三成と行長は朝鮮側との早期講和を模索、一方、清正は朝鮮やその先の明国(中国の王朝)からの領土獲得を唱えており、意見が対立していたのです。
三成が秀吉に戦況を報告した際、清正について悪く報告したとされ、清正は秀吉の怒りを買って日本に戻され蟄居させられています。これを機に、清正と三成の関係には亀裂が入ったともいわれます。
三成の行動は、豊臣政権の財政面や兵力の疲弊などを、総合的に考えてのものでした。それを清正に伝え、話し合う道もあったかもしれませんが、「話してもどうせわからない」とばかりに、三成は強硬姿勢に出てしまったのです。「武断派」「文治派」の対立は、三成の融通が利かない振る舞いが古参の諸将の悪感情を必要以上に刺激してしまったところに原因があります。
しかし、関ヶ原の戦いで西軍の総大将を引き受けた毛利輝元は、五大老では家康に次ぐ石高の大大名ですし、領国会津で「反徳川」を掲げて挙兵した上杉景勝も五大老です。宇喜多秀家を含め、五大老のうち3人が西軍についたのです。結果的に三成は合戦に敗れたものの、家康の楽勝だったわけではなく、わずか20万石弱の三成が家康と互角の勢力を集められたことは驚くべきことです。
三成は豊臣家臣団を円滑に回すことには力を注ぎませんでしたが、思いを同じくする仲間たちと、徳川家康という大大名と真っ向勝負を演じたのです。実直に心から通じ合った仲間と連携プレーができれば、自分ひとりではとてもなし得なかった大きな仕事ができることを、三成の戦いは教えてくれています。
誰にでもいい顔をしようとがんばりすぎている、そこのあなた。それよりも三成のように、全力で信じ合える仲間を探すほうが、人生ラクになるかもしれませんよ。
文中イラストは実際の色と異なることがあります
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