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食の作家がアスリートに訊く「筋肉と脂肪」の真実

パラサポWEB / 2023年8月10日 7時0分

食を巡る作家と言えば、真っ先に名が上がるのが平松洋子氏だ。著書多数、いくつかの文学賞を受賞し、雑誌などの連載も多い。そんな平松氏が5年の歳月をかけて取材しまとめたのが『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』。作家の目を通して見えてきた、アスリートの“筋肉と脂肪”の真実とはどんなものだったのか。取材と執筆、この本を作る作業を通じて掴んだことについて、平松氏に伺った。

驚きと発見と学びがぎっしりと詰まっているアスリートの地平

“パセリカレー”、“いわしバター”に“おあげさん”と、美味しそうな食べ物がタイトルに並ぶ平松氏の著書の数々。そこに“筋肉と脂肪”というものが登場した。垂涎の思いで氏の著書を愛読していた筆者は、“なぜ筋肉なのだろう?”と少々違和感を覚えたのだが、平松氏にとってそれは決して新しいテーマではなかったのだと言う。

「人の体を作るのは食べ物です。人間は食べなければ生きていけません。食べるというのは人間にとって欠かせない営みなのですが、それをより先鋭化させた人たちがいます。プロのアスリートたちがそうで、記録が自分の生き方とプロとしての仕事に直結するという意味では最も厳しいところで取り組んでいる人たちと言えるでしょう。そんな彼らについて書いてみたいという強い気持ちがありました。書き手としての欲望と言って良いかもしれません。私にとって“筋肉と脂肪”は、食べものと人間の体との関係を考える上では地続きにある重要なテーマでした」(平松氏。以下同)

1964年、平松氏が6歳の時に東京オリンピックが開催された。ちょうど同じ頃、子どもたちの間で流行った路上のゴム跳び遊びで、なかなか思うように跳べなかった体験は、テレビ画面に目を釘付けにされたオリンピックの熱戦とともに、運動を巡る自分への満たされない思いや焦燥の原点になったそうだ。以降、さまざまなスポーツを観戦し、「もしスポーツが得意だったら、自分の人生も少しは違っていたのかもしれない」と夢想し、アスリートへの憧憬を持ち続ける中で、次第に自問するようになる。

アスリートの体と精神の内側に、私なりに分け入ることはできるだろうか。

生きる者すべての身体は食べたものでできているのは厳然たる事実だが、身体そのものを磨いて記録に挑み、目標を達成しようとするアスリートにとって、なにを食べるか、どのように食べるか、なにを食べないか、食べものをめぐる行為自体も重要な技術のひとつであり、そこにトレーニングと休息の質量が大きく関わってくる。そう考えれば、生身がもつ筋肉が、脂肪が、身体が、ひとりひとりのアスリートによってなされる表現に見えてきて、その厳しさに戦慄さえおぼえ、想像もつかない道の地平について知りたい、追ってみたい、書きたいという思いに突き動かされた。そして、虚心坦懐を心がけて取材を重ねていくと、スポーツの世界とそれぞれのアスリートの立つ地平には、驚きと発見と学びがぎっしりと詰まっていることに圧倒された。

(平松洋子著『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』新潮社刊 より)

力士の身体の「戦える大きさ」を維持するのは、デリケートな体重管理

平松氏はこの著書で、さまざまなスポーツの現場を訪れ、自分の肉体に対峙して鍛錬するアスリートはもちろんのこと、彼らをサポートする人々のたゆみない努力にも光を当てる。たとえば、早朝から稽古の始まる相撲部屋に足を運ぶと、四股、鉄砲、股割り、摺り足という相撲の伝統的な稽古の基本を目の当たりにし、「相撲は、身体全体を連動させる柔らかな筋肉を求める競技なのだ」と気づかされる。

鍛錬によって必要な筋肉をつけ、さらに食事によって筋肉や脂肪を上乗せしてゆく。とかく「相撲取りはたくさん食べて身体を大きくする」というイメージが先行しがちだけれど、それは違う。相撲をはじめ、レスリング、ボクシング、柔道など格闘技系のフルコンタクトの競技では、体格の大きさも実力の一部なのだから、デリケートな体重管理ができなければ、力士の身体は「戦える大きさ」を獲得できない。いっぽう、体重過多になれば、体脂肪量や内臓脂肪量が必要以上に増えすぎ、心血管代謝リスクを招く可能性が高くなることもわかっている。

(平松洋子著『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』新潮社刊 より)

そんな力士の食生活を支える“ちゃんこ”。もちろん平松氏は“食のエッセイスト”であるので、鋭い視点でちゃんこ番の力士にも取材をした。味見程度と思っていたら、「お客様から最初に食べるのがしきたり」だと聞いて、十分に味わった感想もつぶさに記されている。

ちゃんこは、椀によそって供された。ひと椀に盛られた素材の豊かさにまた驚く。

キャベツ、にら、レタス、玉ねぎ、えのき茸、ごぼう、鶏肉。

この日は塩ちゃんこ。あっさりとした味付けだが、だしが利いているうえ、野菜や鶏肉のうまみが混じり合った風味になんとも言えない奥行きがあり、うまい。塩気がちょっと強めだな、と感じたのだが、すぐに思い直した。汗の噴き出す激しい稽古をしたあとなのだから、塩分の補給も大切なのだ。

(平松洋子著『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』新潮社刊 より)

力士といえば身体の大きな人というイメージだが、何の努力もなく大きくなっているわけではない。平松氏が取材した押尾川親方(元関脇豪風、取材当時は尾車部屋付き)は、現役時代はたくさん食べられる方ではなく、体重の維持に苦労したそうだ。本場所15日間を過ごすと、初日と千秋楽では体重が10kgぐらい違うこともあるということから、その期間の過酷さがわかる。

「アスリートは、スポーツのジャンルにもよりますが、表に出て注目を集める時間というのはとても限られていると思います。たとえば力士の場合は、10代で部屋に入って大変な稽古を積み上げ、絶頂期とされるのは20代の凝縮された短い時間です。この取材を通じて、多くのアスリートや彼らをサポートする人々に接しながら、耳目を集める数年間の短さ、背後に隠れて語られない物語の大きさを知るようになりました。スポーツを観戦したり、勝敗の報道に一喜一憂したりするのは、華やかだけれど、アスリートのわずかな一部分に触れているのに過ぎないんですよ」

食べる行為の難しさは、思考や体調、気分などが複雑に重なり合うこと

“ちゃんこ”は、相撲だけのものと思いきや、プロレスの世界でも大きな存在感を放っている。平松氏は新日本プロレスリングの通称“道場(寮と練習場を併設)”も訪ねている。選手たちは朝8時に起床。掃除洗濯、午前午後のトレーニング、午後11時の就寝まで規則正しいスケジュールの中心にあるのが昼食に供される“ちゃんこ”だ。朝食と夕食は選手個人に任されているが、一日の食事の柱となる昼食は、選手が毎日交代で“ちゃんこ”を作っている。

昼食の基本は鍋と決まっているものの、飽きないようにバリエーションが工夫されている。

冷蔵庫の扉に、「基本鍋」と書かれたメモ書きが貼ってあった。

豚ちり

豚しゃぶ

キムチ鍋

(中略)

盛り込み方にも、こまかく気を配る。最後に散らしたにらのざく切りの緑、豆腐の白のあざやかなコントラストも完璧だ。

「加熱しすぎると野菜が崩れますから」

時計をちらちら気にしながら、コンロの火加減をいったん弱める。

「寮に入ったとき、先輩からちゃんこの作り方を教わったのですが、そのとき教えられたのがちょっと濃い味付けだったので、自分で薄めに調整するようになりました。(中略)食卓でめんつゆやポン酢を足したりして、それぞれ自分の好みの味で食べたい。だったら、最初は薄味にしておいた方が良いかなと」

(平松洋子著『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』新潮社刊 より)

「アスリートは、何をどう食べて、何を食べないかとか、いつ食べて、いつこれは食べないなど、常に取捨選択の連続です。食べるという行為に複雑さがつきまとうのは、思考や体調、そのときの気分などの主観が複雑に絡み合うところ。パフォーマンスのために有効だから摂取する、という実利的な側面との兼ね合いが生じます。しかし、プロのアスリートは自分で自分をコントロールしながら、誰かにやらされているという意識ではなく、かつストレスも感じないように、自分は何をどれだけ食べるのかということを自分で設計していく。そんなアスリートの精神力と、パフォーマンスと身体を直結させる能力には圧倒されます。弱肉強食の世界に生きるプロは、それが仕事だとはいえ、精神性と身体性を合致させていくのは、単に意思だけの力ではできないことですし、生き方も関わってきます。取材を通じて出会った方々には、知れば知るほど畏敬の念を覚えるようになりました」

平松氏が、新日本プロレスリングの道場にいたある日の昼、ふらりと食堂に入ってきた男性と鉢合わせになった。それは新日本プロレスを背負って立つ“100年に1人の逸材”棚橋弘至選手だった。「道場は安心するんですよ。いつ来ても、かならずちゃんこがあるから」と語る棚橋選手のある行動を、平松氏は見逃さなかった。

棚橋選手が自分の丼によそうのは、野菜と鶏肉だけ。最初からご飯の丼はない。

大根、しいたけ、ねぎ、にんじん、豆腐、選り好みをせずにまんべんなくよそうのだが、お玉を底の方に差し入れ、鶏肉をたくさんよそっている。鶏肉は良質のたんぱく質だ。(中略)

「皮や脂肪もいっしょに食べちゃうと、三十分よけいに練習しなくちゃいけなくなるから、効率が悪いんですよ。食べ物のカロリーはだいたい頭に入ってます。摂取した脂質やたんぱく質も把握してます。今日の昼飯は一グラム(脂質)九キロカロリー。全部で二〇〇キロカロリーぐらいだと思います。かっこいい身体になりたかったから、ずっとこういうふうにしてきました」

(平松洋子著『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』新潮社刊 より)

棚橋選手が何をどのように食べているかは、試合を見ているだけではわからない。平松氏のように取材をし、密に話を聞くことによって見えてきたものがあるということだろう。

「この新日本プロレスリングの道場のほか、駅伝の強豪として有名な駒澤大学陸上競技部の寮にも行って食事の様子を見ましたが、どのようにテーブルを拭いて、どう食器を並べるか、どんな細かいことも見逃せません。すべてに意味があるからなんです。お皿や箸の置き方、人と料理を分け合って、器を置くときの置き方でも伝わってくるものがありました。棚橋選手は、お鍋に入れるお玉が深かったんですよ。あれ? 深いな、何故だろう。訊いてみると、お玉の差し入れ方が深いのは、鍋の底にある鶏肉をよそうためだった。本人も無意識に行っている動作のなかに重要な示唆があったりするんですよね。大事なのは、アスリートは自分の身体の作り方をどのように位置づけ、どのように考えて実践しているのかということ。その姿のなかに本質的な答えが存在しているように思います。それがないと、いつまでもご飯を何グラムとか、数字を追いかかるだけになってしまって、本質的なことにはアプローチできません」

身体を作っていく上で見逃すことのできない指導者との関係性

『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』を書くに当たって、平松氏が取材したのは、アスリートだけではない。効率的にたんぱく質を摂取するのに使われる“プロテイン”などのサプリメントの開発者、体脂肪計を作ったメーカー、スポーツ栄養士などの食のプロフェッショナルたち。多角的な視点で“筋肉と脂肪”に迫っていることで、幅広い読者層を得ているようだ。近頃、更年期を始めとする女性の生理についてマスコミなどでも取り上げられることが多いが、女性アスリートにとって、生理の問題は避けては通れない。競技によっては体重を減らすことが求められ、結果無月経状態になって健康を害することが問題視されている。この問題についても平松氏は著書で言及した。

「野球の落合博満さんが、“〈心技体〉ではなく〈体技心〉だ”と言ってますが、日本ではスポーツというと精神論に力点が置かれ、もてはやされてきた現状があります。人間の生理、身体についての深い理解がないまま、とにかくがむしゃらに頑張っていれば結果につながる、というような、昭和的な根性論に支配されてきました。そのような環境下では、どうしても選手と指導者はクローズドな関係、つまり指導者が選手を支配する関係になりがちで、選手は指導者に何か言いたくても、本音を言えばレギュラーを外されるんじゃないか、信頼関係を損なうんじゃないか、とフリーズしてしまう。その結果、どんなことが引き起こされるかは本にも書きましたが、アスリートが抑圧される側になってしまいます」

しかし今、アスリートの中にきちんと自分から発信し、スポーツ界を変えよう、変わろうとしている人が増えていることも事実だ。平松氏はそんなアスリートや、支える医師たちにも目を向けている。

「スポーツのそういう支配・被支配の関係は、実は日本の社会ともつながっていると思います。性被害の問題についても、声をあげる当事者の方々が増えていますが、それぞれが声に出して発言することで、状況を少しずつ動かすことができる。スポーツにおいても、この本の主題でもある“筋肉と脂肪”は重要なファクターですが、さらに、スポーツの現場で起こっている現実を注視する必要もあります。なぜなら、その現実の数々は、アスリートおよび私たちの身体や認識に、ダイレクトに作用するからです」

このように『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』には、平松氏の作家としての矜持、誰にも見えないものを見て、誰にも書けないものを書こうという意欲が満ちている。自分の身体、そして食べるということはどういうことなのかについて見直したい人は必読の1冊だ。


今日本中の誰もが動向を見守っているアメリカ大リーグ・エンゼルスで活躍中の大谷翔平選手を持ち出すまでもなく、アスリートといえば一見ストイックに自分の身体、食べる行為を律していると思いがちだ。しかし、実際はストイックに律しているという自覚はアスリートにはない。「ストイックにやらなければいけないと思う人は、むしろ脱落していく世界です。自分は何をしたいのか、何のために今、このような生活をしているのかが明快なのが一流のアスリート」という平松氏の言葉が印象に残った。

text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)

photo by Saeka Oguro,Shutterstock

<参考図書>『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』

平松洋子著/新潮社

身体表現の究極を生きるアスリートたちには、自分だけが知る身体の声がある。食と暮らしを巡るエッセイの第一人者である著者が、誰もが身にまとう「筋肉と脂肪」をテーマに大相撲の親方、新日本プロレスの逸材、箱根駅伝常勝チームの寮母、サッカー日本代表の料理人、東京五輪でメダルをもたらした栄養士らにインタビューし、筋トレや体脂肪、腸内環境などのメカニズムを探る。この著者だから探り得た唯一無二のルポルタージュ。


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