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【竹原慎二の元ライバル】「止められる悔しさ」を知るレフェリーはなぜ「ストップ」が早いのか トップ選手だから見抜ける「ボクサーのダメージ」とは

NEWSポストセブン / 2024年7月5日 11時15分

WBAスーパーフライ級王者の井岡一翔。2団体統一王者なるか(写真は2023年大晦日の防衛戦。時事通信フォト)

 ボクシングのWBA世界スーパーフライ級王者の井岡一翔が、2団体(WBA・IBF)統一王者を目指すタイトル戦が7月7日に開催される。井岡が勝てば、スーパーバンタム級主要4団体統一王者の井上尚弥、ライトフライ級2団体統一王者の寺地拳四朗に次ぐ3人目の現役統一王者の誕生となる。

 その勝負の帰趨に大きく関わるのが選手と同じリング上で試合をさばくレフェリーだ。「選手の命を守る最後の砦」という重責を担うレフェリーは、時にはパンチを交わす2人の間に割って入り、試合を止めることもある。日本のボクシングジム所属として初めてJBC(日本ボックシングコミッション)の外国人レフェリーとなったビニー・マーチン氏(元日本チャンピオン)に、スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全3回シリーズの第2回。文中敬称略)

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 JBCの外国人レフェリー、ビニー・マーチンは元プロボクサーで、27戦18勝(7KO)7敗2分の戦績を持つスーパーウェルター、ミドル両級の元日本王者でもある。

 デビューはミドル級で、同時期に同じ階級でデビューしたのが竹原慎二。のちに無敗のまま世界チャンピオンになった天才ボクサーとの初対戦はデビューした1989年の暮れ、東日本新人王決定戦だった。マーチンは判定負けを喫した。3年後の1992年8月に日本ミドル級タイトルマッチの挑戦者として竹原に挑むが、またしても判定負け。竹原は3度目の王座防衛を果たした。

 竹原が4度目の防衛後に王座を返上したことで、日本ミドル級王者の挑戦権を手にしたマーチンは、1993年4月に日本ミドル級王座決定戦でKO勝ち。日本ボクシング界初のガーナ人王者となった。この快挙は母国の新聞にも大きく載った。

 だが、4か月後の初防衛戦に敗れて王座陥落。直後に交通事故でむち打ちになってしばらくリングに上がれなかったが、マーチンは諦めなかった。ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)に階級を下げて復帰すると、交通事故から3年後の1996年6月に日本ジュニアミドル級の王座決定戦で判定勝ちし、2階級を制した。竹原がWBA世界ミドル級の初防衛戦前の公開スパーリング相手にマーチンを指名したことも話題になった。

 1998年に現役を引退後、彼が次に選んだのがレフェリーとしてのボクシング人生だった。

「ストップが早いレフェリー」の矜持

 今やJBCを代表する審判員であるマーチンのレフェリーデビューは、四半世紀前の1999年6月5日。ボクシングの聖地・後楽園ホールで14歳の選手同士の対戦だった。

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