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【逆説の日本史】清朝皇族と大陸浪人の交流から生まれた「満蒙独立運動」

NEWSポストセブン / 2024年7月24日 16時15分

 しかし、こんなことはいまでこそ常識だが当時の人々は知らないし、モンゴル人は農耕民では無いものの、顔かたちは日本人とよく似ている。また言語も中国語と違ってモンゴル語は助詞などを使って主語と述語を「くっつける」膠着語に属する。日本語も朝鮮語も膠着語だ。難しいことでは無い。

 中国語だと「我愛你(ウォアイニー)」で済むが、日本語だと「私(は)あなた(を)愛し(ます)」のように「膠着」させる言葉が必要になるということだ。当然ながら日本語とモンゴル語は(朝鮮語も)語順や文法が同じになるから、中国語よりは覚えやすいことにもなる。ちなみに中国語は、言語学の分類では孤立語という。助詞などを必要とせず「孤立」した単語の配置によって文章を綴れるからだ。

 いずれにせよ、同じ外国語でも日本人にとってはモンゴル語のほうが学びやすい。逆に、モンゴル人にとっても漢民族より日本人のほうが親しみやすいということになる。そこで、農耕民の漢民族とは相容れないモンゴル人と満洲族を日本の力で団結させて中国と対抗させよう、という動きが日本人のなかから出てくることになる。それを満洲族の「満」と蒙古族の「蒙」とを併せて満蒙独立運動と呼ぶ。

 具体的には満洲(中国東北部)および中国領の内モンゴルを中国から分離独立させる計画になる。「内」モンゴルとは、モンゴル人の本拠である大草原地帯(外モンゴル)の南側で中国本土に近い一帯を指す。元の時代には英雄チンギス・ハンが基礎を築いた、外モンゴル、内モンゴル、中原(万里の長城の内側)すべてにまたがる大帝国があったのだが、元が漢民族の明によって滅ぼされると漢民族が草原地帯の南側を支配する形となった。「外」から見れば、本来は遊牧民のテリトリーである草原地帯が農耕民に奪われ、同胞が屈辱の支配を受けている、という認識になる。

独立運動は「満洲族主体」

 ところで、第一次世界大戦の拡大の背景に「大セルビア主義」があったことを覚えておられるだろうか? 世界大戦のきっかけはオーストリア・ハンガリー帝国とセルビア王国の二か国間の限定戦争のはずだった。日本は幸いにして島国なので、民族の一部がほかの帝国に支配されてしまうなどというケースは無かった。しかし、大陸においては珍しく無い。ヨーロッパでもユーラシアでも事情は同じである。

 セルビア人はセルビア王国という独立した国家を持っていたが、少なからずの同胞がオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった。それを分離・独立させセルビア人は同じ国家でまとまろう、というのが大セルビア主義である。ちなみに、帝国というのは国王では無く皇帝が統治する、複数の民族を一つの理念のもとに統合した国家のことだ。

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