1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

【逆説の日本史】清朝皇族と大陸浪人の交流から生まれた「満蒙独立運動」

NEWSポストセブン / 2024年7月24日 16時15分

〈粛親王善耆
しゅくしんのうぜんき/スーチンワンシャンチー
[1866-1922]
中国、清(しん)朝の皇族。1898年、父の後を継いで粛親王となり、翌年護軍統領となった。1900年の義和団事件では御前大臣として、西安(せいあん/シーアン)へ避難する西太后と光緒帝(こうしょてい)に従った。07年から5年間、民政部尚書として警察行政の改善に務め、首都北京(ペキン)の治安維持に功績をあげた。その間、日本側と親しくなり、とくにいわゆる大陸浪人の一人である川島浪速(なにわ)とは義兄弟の交わりを結んだ。11年の辛亥(しんがい)革命に際しては宣統帝退位に反対する強硬論を唱えた。中華民国成立後は日本の支配下にある旅順に隠棲(いんせい)し、同地で没した。(以下略)〉


(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館刊 項目執筆者倉橋正直)

 満蒙独立運動は、モンゴルでは無く清朝の廃止に反対する粛親王善耆と、大陸浪人川島浪速との交流によって生まれたものだということだ。あくまで満洲族主体のものだった。だから満蒙独立運動は「大モンゴル主義」とは呼ばれない。もちろん、その要素を含むモンゴル独立運動でもあるのだが、これを推進した人々がもっとも重要視したのは、モンゴルでは無く満洲のほうだった。

 このあたり、同じ大陸浪人でも漢民族のリーダー孫文を援助することによって、漢民族主体の新しい中国を作ろうとした宮崎滔天とはまったく違う方向性である。一口に大陸浪人と言っても、めざすものはそれぞれ違ったということだ。もちろん彼らは方法論の違いこそあれ、最終的には「東洋平和」をめざすという点では一致していた。欧米列強の干渉を排除して民族自決の形を作る、ということだ。

 だから川島は、やむを得ない事情もあったものの満洲族を「駆除」するなどというスローガンを出した孫文を援助するのは間違っている、と感じたに違いない。逆に、その川島の行動に対し「孫文応援団」の人々は、「清朝を廃してこそ中国は近代化できる」と反発したのだ。

(第1425回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年8月2日号

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください