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村木厚子が指摘"役所の不祥事が続く理由"

プレジデントオンライン / 2018年8月27日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/microgen)

財務省の決裁文書改竄、事務次官のセクハラ辞任、東京医科大学への子息の裏口入学……。役所の不祥事が止まらない。元厚労次官で、「郵便不正事件」に巻き込まれた経験を持つ村木厚子氏は「改竄は私の経験でも聞いたことがない。前代未聞で信じられないこと」と驚く。さらに、「日本型の組織、特に役所は世間との自分たちとの“物差しのずれ”に気づけない」と指摘する――。

※本稿は、村木厚子『日本型組織の病を考える』(角川新書)を再編集したものです。

■冤罪事件後、検事総長は「ありがとう」と言った

2009年、私は大阪地検特捜部による冤罪(えんざい)に巻き込まれ、半年間の拘置所生活を経験しました。その後、検事による証拠改竄などが発覚して無罪判決を勝ち取り、2010年に職場に復帰。いわゆる「郵便不正事件」について、ご記憶の方も多いかと思います。2013年から2年間は、官僚のトップである厚生労働事務次官も務めました。

この冤罪を受けて「特捜解体論」まで出る中、検察のあり方が検討され、その後の刑事司法制度改革につながりました。事件の後、何代かの検事総長にお目にかかりました。その方々は、一様に私に「ありがとう」と言いました。

どういうことかというと、検察としては、失敗は許されない、間違いも許されない、だから無理な取り調べをして過ちに気づいても引き返せない。そういう組織のいわば「病理」に気づいていても、中からは変えられなかった。私の事件があって、その抱えている病理がセンセーショナルな形で露見して、やっと組織が変わるきっかけができた。だから「ありがとう」だというのです。

もしかしたら、日本の他の組織も何かしら、このような内側からは変えられない病理を抱えているのかもしれません。実際、最近は信じられないような不祥事が相次いでいます。

2018年になって、財務省の決裁文書の改竄が明らかになりました。改竄は昔からあったと言う人もいます。でも少なくとも、多くの人の決裁印が押された決裁文書を組織的に改竄するということは信じられないし、聞いたこともありません。

■「建前」と「本音」から不祥事を読み解く

役所の仕事の中で、記録はとても大事なもの。公の仕事なのですから、客観性が大事で、記録はきちんと残しておかなければいけません。後に続く仕事の土台になるものだし、仕事の検証にも欠かせません。後からなぜその判断をしたのか、なぜその事業にお金をつけたのか、あの判断は本当に正しかったのかなどが問われた時に、記録は正当性や、政策を見直す根拠となるのです。それが結果的に、自分や自分の組織を守ることにもつながります。

公文書の改竄や廃棄、セクハラによる辞任など、一連の事件を見ていてキーワードの1つになると思うのが、「建前」と「本音」です。

問題を起こした組織の中では、建前と本音があまりにも乖離(かいり)していたのではないでしょうか。例えば、「忖度(そんたく)はいけないよね」というのは建前。でも、「総理のお友達がいたら忖度せざるを得ないし、それができないのはだめな役人だよね」というのが本音。「セクハラは、やっちゃだめだよね」というのが建前。「そうはいっても、そんなに杓子(しゃくし)定規にやっていたら、ぎくしゃくしちゃうよね。これぐらいは許してもらわないと、うっかり口もきけなくなっちゃう」というのが本音。

■必要なのは「コンプライ・オア・エクスプレイン」

問題は、堂々と「その建前は無理」「それは現実的ではない」とは言わず、建前は建前で祀(まつ)っておいて、実際はこっそりと本音ベースで対応しようとしたことではないでしょうか。

この点、民間企業はかなり変わってきています。民間企業では、近年、コンプライアンス(法令遵守)が厳しく問われるようになりました。その際、「コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)」、すなわち、「遵守せよ、さもなくば説明せよ」ということが基本ルールとなっています。

ガバナンス、環境、労働分野など、国際基準の新しいルールができたけれど、現実問題として、日本企業としてそれを遵守するのが厳しい時にどうするか。「やっています」と表向きは言っておいて、こっそりルール違反をするのではなく、「これはできません。なぜならこういう事情があるからです」とエクスプレイン(説明)します。そして、そのルールが守れるようになったら、コンプライ(遵守)します。こうすれば、「やっています」とうそをつかなくて済むし、どのくらいの企業が遵守できているのか、どのくらいの企業が説明しているのかも見ることができます。

■自分たちの物差しの「世間とのずれ」に気づかない

これを建前と本音の使い分け方式でやっていると、なぜできないのかを説明せずに済むので、なぜできないのか、どうしたらできるようになるのかを自らに問うチャンスを逸します。また、外には遵守しているとうそをついているので、外からしかってもらうチャンスも逃します。ほかの組織も建前と本音を使い分けているに違いないと思って油断しているうちに、自分以外はみんな遵守できる状況になっていたということにもなりかねません。

役所、大学、そして民間組織で起きた最近の不祥事は、彼らが建前でしかないと思っていたことが、世間では本音、あるいは本音に近づいているのに、それに気づかず、「(自分たちの)本音は許される」と思い込んでいたこと、そして、自分たちの物差しがいかに世間とずれているかに当人たちが気づいていなかった点に問題があるように思えます。

自分たちが「ずれた」状況に陥っていないかどうかを点検するのに、いい言葉があります。「必要悪」という言葉です。冷静に見れば「悪」なのに、「これは仕方なかった」とか「このためにはこうする必要があった」など、自分たちの行為を正当化しようとする時に使われやすいこの言葉や考え方が出てきたら、要注意です。

■間違いを軌道修正できない組織の共有点

もう1つ、私が体験した事件、そして最近のいくつかの不祥事を見ていて強く感じることがあります。それは、「間違い」を軌道修正することができにくい組織には、共通点があるということです。

「権力や権限がある」
「正義のため、公のために仕事をしているとのプライドがある」
「機密情報や個人情報を扱うなど情報開示が少ないため、外からのチェックが入りにくい」

村木厚子『日本型組織の病を考える』(角川新書)

財務省、防衛省、検察、警察などが典型です。マスコミや大学、病院など「先生」と呼ばれる職種も危ない。

こうした組織は、性格上、「建前は守らなければならない」「失敗や間違いは許されない」という意識になりがちです。世間もそれを期待します。

検察はその典型でしょう。正義の味方であり、世間の期待も大きいから、失敗や間違うことはできない。起訴したからには絶対に有罪を取らなければいけないと思う。だから無理を重ねる。「取り調べは常に適正に行われている」という建前に固執して、後で間違ったとわかっても引き返せない。そして失敗や間違いを組織ぐるみで隠し、かばう。失敗を認めようとしないから教訓が共有されず、同じような不祥事が繰り返される。

また、失敗や間違いが起きてしまった時、「なかったことにする」「見なかったことにする」というようなことが行われ、それがまたコトを大きくします。財務省や防衛省の文書の隠蔽、廃棄がそうですし、事後対応のまずさは日大アメフト部の会見などにも見られました。

人間は間違うものだし、弱いものでもあるから、現実社会では「あってはならないこと」が起こります。間違いは避けられない。それが起こった時にどうやり直しをするか、傷を広げないか、同じ間違いを再び犯さないかが重要なのだと思います。

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村木厚子(むらき・あつこ)
津田塾大学 客員教授。1955年高知県生まれ。高知大学卒業後、78年、労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。2009年、郵便不正事件で逮捕。10年、無罪が確定し、復職。13年、厚労事務次官。15年、退官。困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」呼びかけ人。累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」顧問。伊藤忠商事社外取締役。津田塾大学客員教授。著書に、『あきらめない 働くあなたに贈る真実のメッセージ』(日経BP社)、『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)などがある。

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(津田塾大学 客員教授 村木 厚子 写真=iStock.com)

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