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丸紅退職し280の学校建てた74歳の懐

プレジデントオンライン / 2019年2月3日 11時15分

70歳を超えても精力的にアジアへ行く。

現役時代の職業によって、定年後の経済力、生き方はどう変わるのだろうか。職業別に「リアルな老後」を紹介しよう。1人目は「丸紅→NPO設立」の谷川洋さんの場合――。(全5回)

※本稿は、「プレジデント」(2018年11月12日号)の掲載記事を再編集したものです。

【丸紅→NPO設立】

総合商社退職後、夢の実現を志した谷川洋さん。アジアの貧困地帯を駆け巡り280超の学校を建設

■50歳で出世と訣別。世のため人のため、何ができるか――

谷川洋さんのサラリーマン人生の転機は50歳のとき。総合商社の丸紅に入社後、国際業務部門、鉄鋼部門、営業推進室長を経て、経営企画全般を担う業務部長に上りつめた。その直後に妻が乳ガンを発症し、手術後に、出世コースである海外支配人の内示を受けた。

だが、谷川さんは赴任先を聞かずに妻の看病を理由に断った。「妻の状態がこれからどうなるかわからないので、どこでもいいから日本にいさせてほしいと断りました。末っ子の大学生を含めて3人の子供がいましたし、今まで子供を育ててくれた妻に付き添い、家族のために尽くすべきだと考えたのです。その時点で出世街道はおしまいにすると自分で腹を決めました」。

それから闘病生活4年半を経て妻が亡くなり、さらに妻の母の介護を2年やり、看取ったときは57歳。当時、子会社の専務をしていたが、早くから「中2階の人生は歩かない」と決めていた。中2階とは“現役”を退いても会社にしがみつくこと。谷川さんは「会社に頼めば次のポストを探してくれるかもしれない。でも中途半端に会社生活を延命したくなかった。子供たちは社会人として自立していましたし、私1人なら企業年金と公的年金で何とか暮らせますし、60歳からの第2の人生は別の生き方をしたかった」と語る。

漠然と考えていたのは、幼少期に経験した出身地の福井県の大地震で奇跡的に助かったとき、兄と誓い合った「いつか世のため、人のためになることをしたい」という夢の実現だった。何をやるかは決まっていなかったが、偶然、日本財団に勤務する会社の元部下から「海外の貧しい地域での学校建設のあり方を一緒に考えてくれる人はいないか」と相談を受けた。谷川さんは即座に「俺がやるよ」と手を挙げた。

日本財団に助成申請の計画書を提出する前に子会社の専務を任期途中の60歳で辞め、自宅を事務所に「アジア教育友好協会」(AEFA)を2004年6月に立ち上げた。とはいっても具体的な活動理念が浮かばない。とにかく現場を見ようと商社流の現場主義でラオスなどの山岳地帯に単身で乗り込んだ。そこで少数民族が暮らすアジアの貧しい山岳地帯に絞り、学校建設だけではなく、学校に通う子供たちの親や村人が建設に参加することと、現地の学校と日本の学校との交流を実現させるアイデアが閃いた。

「学校を単なる箱物の校舎にしてはいけないと思いました。生徒や先生、保護者、その周りの村人が学校づくりに参加することで学校を中心に村が1つにまとまることができます。また、現地の子供たちが家の仕事を手伝い、能動的に動かなければご飯さえ食べられない厳しい現実を、手紙や作品を通じて知ることで日本の子供たちも刺激や様々な気づきを与えられています」

手探りから始まった学校づくりは18年で280校、日本の交流校も100校を超える。交流の一環として谷川さんたちボランティアが現地の子供たちの生活ぶりを伝える「出前授業」も680回を超えた。今では財団の資金支援もなくなり、学校づくり以外に寄付金集めにも奔走している。

建設費用は1校600万円と決して大金持ちでなくても出せる金額だが、人生最後の生き甲斐や記念にと寄付を申し出てくる高齢者もいる。支援者が単にお金を出すだけではなく、建設前や開校式に案内し、村人と交流する支援者参加型の活動もしている。「案内の際、支援者がビジネスクラスなどの航空券を希望しそうな場合は、相手の方に気を使わせないように、自分の飛行機はネットで格安航空のエコノミーチケットを購入し、先に行って現地でお迎えするようにしています」。

経費を少しでも抑えたいからだ。他のNPOと違って現地に駐在員を置かず、倹約に努めている。谷川さん自身も贅沢とは無縁の生活を送っている。

「妻の母を看取って以来、17年間、朝昼晩コンビニ弁当です。コンビニはいろんな種類の弁当を売っていますし、今日は野菜がたくさん入っているのにしようとか、肉系、魚系にしようとか、贅沢しても一食500~600円。たまに今日はいい日だからと缶ビールを1つ買うこともありますが、家では一缶以上は飲まないようにしています」

月の生活費は15万~20万円。収入は公的年金と企業年金。それでもお釣りがくるが、子供を抱える息子たちを時折支援している。74歳の今も月に10日から2週間は現地に出張するなど多忙だ。

谷川さんにとって生きがいとは何か。

「我々熟年世代は、戦後の経済発展の中で結果として幸せな人生を送りました。でも、それは自分1人の力ではなく、社会のおかげなのです。生きがいとは、簡単に言えば朝起きる理由があること、その理由とは、何か人のために活動することです。自分のためだけではないほうが喜びも大きいのです」

生涯現役として、社会に恩返ししたい――。周囲に「あんたは邪魔だ」と言われない限りは続けたいと笑う。

(ジャーナリスト 溝上 憲文 撮影=プレジデント編集部)

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