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なぜ「ひろゆき」はネット民から見放されたのか

プレジデントオンライン / 2019年9月13日 11時15分

2011年、モヒカン刈りで出頭した堀江貴文受刑者の隣に立つ西村博之氏 - 写真=アフロ

匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設者・西村博之(ひろゆき)氏は、ネットの表舞台から姿を消しつつある。社会学者の鈴木洋仁氏は「〈ひろゆき〉は、他人が考えたアイディアに乗るだけという『暇つぶし』の人。このため徐々に従来の支持者からすら見放されつつある」と指摘する——。

※本稿は、鈴木洋仁『「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■50件以上訴えられても賠償金は未払いのまま

「2ちゃんねる」(現在は5ちゃんねる)と「ニコニコ動画」、という「平成」日本を代表するネットコンテンツの生みの親・西村博之氏(以下、〈ひろゆき〉)は、これまで幾度となく「逮捕」や「摘発」が取り沙汰されてきました。

実際、平成24年(2012年)12月20日には、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助の疑いで、警視庁から東京地方検察庁に書類送検されています(その後、不起訴処分)(*1)。また、翌平成25年(2013年)8月には、2ちゃんねるの広告収入約3.5億円を受け取り、うち約1億円について申告漏れを東京国税局から指摘されたと報道されています(*2)

週刊誌の見出しで言えば、「警視庁がたくらむ『2ちゃんねる撲滅作戦』」(『週刊朝日』2011年12月16日号)のような煽(あお)り文句が躍ったことも1度や2度ではありません。

また、平成19年(2007年)3月の時点で、2ちゃんねるへの誹謗中傷の書き込みへの民事責任を問われた名誉毀損訴訟を全国で50件以上提起されています。そのほとんどに一度も出廷せず、ほぼ自動的に敗訴判決が確定しています。にもかかわらず、賠償金は未払いのままでした。それに対する制裁金が少なくとも合計5億円にのぼる、と報じられています(*3)

刑事面では捜査当局からの追及を受け、民事の面では多くの損害賠償請求訴訟を起こされています。しかも、それぞれについて、法律による規制の「網を掻い潜る(かいくぐる)」知能犯と見られるような発言をしています。

(*1)読売新聞2012年12月21日朝刊
(*2)読売新聞2013年8月24日朝刊
(*3)読売新聞2007年3月20日朝刊

■「小者でニュースバリューがない」存在

現実の話として、僕はこれまで刑法に触れるようなことをしたことはないです。ライブドアの堀江(貴文)さんみたいに、敵を作ったこともない。だいたい僕は、東京地検とか警視庁の捜査対象の人としては、小者すぎます。ネットをやらない人は、僕のことを知らないんじゃないですか。(中略)マスメディアが取材するほどのことも別にやってないし、ニュースバリューがないっていうところに落ち着くと思うんですけどね(*4)

当局を牽制する意味も込められているのでしょう。

けれども、こうした発言をしてしまえば、小馬鹿にされたと感じた捜査側の対抗心をあおる結果にもなりかねません。ただ、〈ひろゆき〉という存在を、あくまでもロジックに基づいてとらえれば、「小者」であり、「ニュースバリューがないっていうところに落ち着く」ほかありません。ここで触れた報道については、堀江貴文の逮捕時のような盛り上がりは皆無だったと言えます。

加えて、「『2ちゃんねるは、アメリカのサーバーでアメリカのサービスです』と言い張った途端、日本の法律が何も通用しないという現実がある」(*5)。である以上、〈ひろゆき〉や2ちゃんねるを「まだまだコントロールできる存在だから逮捕していないだけ(*6)」でしょう。

〈ひろゆき〉という日本人が運営しており、捜査協力も行っているからこそ、息の根を止められません。この認識は、少なくとも現在までのところロジックが通っています。

■他人のアイデアに乗る「暇つぶし」に生きてきた

また、民事訴訟についても、「処理できない量の訴訟を起こしてしまえば、自動的に賠償金が認められてしまう」。この点についても、「賠償金に関しては支払わなくても刑事罰が発生することはない」という点も、ともに「変なルールだと思う」としながらも、次のように開き直っています。

ルールとしては問題があると思うのですが、悪法も法という言葉があるように、とりあえずは決められたルールの中で、対処するしかないのです。(*7)

こうして〈ひろゆき〉の発言を並べてみると、確かに、法律や倫理をあざわらうようにも読めます。しかしながら、〈ひろゆき〉の個性は、「ロジカルに生きる」スタイルへのこだわりにあります。

それは、昭和51年(1976年)に生まれ、数々のIT起業家が生まれた「ナナロク世代」のエンジニアだからのみならず、何かをゼロから作るのではない、他人が考えたアイディアに乗るだけという「暇つぶし」のロジックです。

(*4)ひろゆき「世界の仕組みを解き明かしたい」『本人』vol.09、太田出版、2009年、17p
(*5)ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? 巨大掲示板管理人のインターネット裏入門』扶桑社新書、2007年、11p
(*6)ひろゆき、同上、13p
(*7)ひろゆき、同上、133p

自らの逮捕や摘発という「ニュースバリュー」や、民事訴訟における「変なルール」といった、他人が考えたアイディアがあります。これに対して、それぞれ、「小者」や「とりあえずは決められたルールの中で、対処するしかない」と述べています。その理由は、ロジカルに考えた結果にすぎません。

「ロジックって考えるための材料があるんで、勝ち負けじゃなく、誰しもが同じレベルに立てる理論。なのに、世の中ロジックを使わない人が多いんですよ」(*8)と、〈ひろゆき〉は訝(いぶか)しんでいます。

■ロジックが通じる“活字”の世界へ

つけ加えると、単なる愉快犯でもありません。2ちゃんねるやニコニコ動画を、「もう少し社会的に価値のある情報を主体に、いろいろな情報が流通している場所をつくりたかった」(*9)と位置づけています。社会的な出来事への関心は、常に高いものがあります。

ですから、たとえば、ネットの流行や、事件、事故、とりわけ、発言等に批判が殺到する「炎上」については、『日刊SPA!』誌上での連載「ネット炎上観察記」を平成20年(2008年)から令和元年=2019年まで11年間にわたって続けました。現在(8月22日時点)では、「僕が親ならこうするね」と題した教育論に変えたものの、連載自体は続けています。

そして、ウェブサービスの考案者であるにもかかわらず、まとまった発言を、ネット上ではなく、活字で展開しています。メインステージは活字です。それはこれまでの引用からも明らかです。実際、現在も「僕が親ならこうするね」と、堀江貴文との対談連載(「帰ってきた! なんかヘンだよね…」『週刊プレイボーイ』)の2本の週刊誌連載を抱えています。

しかも、近年では、『無敵の思考 誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21』(大和書房、2017年)をはじめ、矢継ぎ早に本を出版しています。そして、そのメッセージは、あくまでも活字読者に向けられています。ネット上での自らの発言を、「暇つぶしのネタ」として、「何かちょっとでも自分が絡める話題があれば一言言いたい」人たちの燃料として提供するのではありません。

活字を追いかけてくれているロジックの通じる相手を見ています。「ある程度年齢がいっていないと、文字を読んで面白いと感じない」(*10)からです。

(*8)ひろゆき『僕が2ちゃんねるを捨てた理由 ネットビジネス現実論』扶桑社新書、2009年、223p
(*9)西村博之×前田邦宏「オンラインコミュニティの現在 もうひとつのコミュニケーションチャンネルを探る」『Human Studies』29 電通総研、2002年、9~10p
(*10)ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? 巨大掲示板管理人のインターネット裏入門』扶桑社新書、2007年、160p

■平成は「昭和の遺産」を食いつぶした時代

ここで注目するのは、〈ひろゆき〉の活字へのこだわりではありません。それよりも、なぜ、〈ひろゆき〉が、「平成」において、徐々に支持者からすら見放されつつあるのか、という状況に注目したいのです。

その状況を端的にあらわすのが、「昭和の遺産」と「暇つぶし」の違いです。

「昭和の遺産」と「暇つぶし」は、同じく食いつぶす対象です。そうでありながらも、しかし、両者は違います。前者がリジッドで権威的なものであったり、あるいは、レガシーであったりします。これに対して、後者は享楽の対象であったり、レジャーであったりします。こうした点において、両者はキャラクターを異にしています。

言い換えると、「昭和の遺産」を食いつぶして延命を図ることに汲々(きゅうきゅう)とする「平成」にあって、「暇つぶし」に興じる〈ひろゆき〉は、途中までは適合しながらも、結局のところ不調和を起こしているのではないでしょうか。

より具体的に言えば、〈ひろゆき〉は「敵を作りやすい」と自覚しながらも、2ちゃんねるからもニコニコ動画からも、追い出されてしまいました。ここにこそ、「昭和の遺産」と「暇つぶし」の差異があるのではないでしょうか。

■なぜ、ネットの世界から姿を消しつつあるのか

平成21年(2009年)1月2日付の自らのブログで、2ちゃんねるをシンガポールのパケットモンスター社に譲渡し、自身は、「管理人」ではなく、「単なる1ユーザー」になったと明かし「2ちゃんねるを捨てた」とすら述べました(*11)。しかしながら、平成25年(2013年)に至っても、2ちゃんねるの広告収入を得ていました。

ところが、平成26年(2014年)、金銭トラブルから、内部分裂が表面化し、〈ひろゆき〉は元々の「2ch.net」からは追い出されてしまいます。そして、独自に「2ch.sc」という類似サイトを立ち上げます。平成27年(2015年)9月には、この「2ch.net」ドメインの所有権をめぐって訴訟を提起したことを明かしています(*12)。また、英語圏最大の匿名掲示板4chanの管理人にも就任しています(*13)

平成21年(2009年)時点では、裁判回避のために表舞台から姿を消していたにすぎませんでした。けれども、その後は、訴訟を起こして取り戻さなければならないほど、〈ひろゆき〉は、2ちゃんねるから離れてしまっています。

さらに、ニコニコ動画との関係も切れています。

〈ひろゆき〉は、務めていたニコニコ動画を運営する株式会社ニワンゴの取締役を、平成25年(2013年)2月18日付で、「一身上の都合」を理由に辞任しています(*14)。この前年平成24年(2012年)末に、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助の疑いで、警視庁から東京地方検察庁に書類送検されたことから、企業イメージの低下を嫌ったニワンゴの親会社・ドワンゴ創業者の川上量生との話し合いの結果であると言われています。

(*11)ひろゆき『僕が2ちゃんねるを捨てた理由 ネットビジネス現実論』2009年
(*12)「ひろゆき氏、2ちゃんねるの現管理人ジム・ワトキンス氏を訴えたと明かす」
(*13)「ひろゆき、英語圏巨大匿名掲示板4chan管理人になる」
(*14)http://pdf.irpocket.com/C3715/qzIz/otm4/WgO0.pdf

■「よく分からない文化」が社会のインフラに変貌した

数少ない〈ひろゆき〉論を2015年に書いた山本一郎は、こうした現状について、「普通の人たちもネットを使うようになった」からだと喝破しています。山本は、〈ひろゆき〉とともに2ちゃんねるの営業のための法人を一緒に設立したため、いまだに周囲から「元2ちゃんねるの山本さん」と言われる、と愚痴ってます。

ただ、その周囲から山本への反応に象徴されるように、2ちゃんねる設立からの15年間に、ネットが、「よく分からない若者の文化のひとつ」から「リアル社会にもかかわりの深い大事なインフラ」へと変貌したこと。それゆえに、「その場凌ぎとお茶を濁したような対応では逃げられるはずもなく」なった〈ひろゆき〉が時流から取り残されるのは、当然だと述べます(*15)

〈ひろゆき〉は、「ロジカルに生きる」スタイルへこだわる「ナナロク世代」のエンジニアとして、他人のアイディアを「暇つぶし」として食いつぶしてきたのです。

加えて、「とりあえずは決められたルールの中で、対処するしかない」とのたまい、のらりくらりとネットの海を自由に泳いできました。「周りに敵を作りやすい」点を自覚しつつ、「2ちゃんねるを捨てた」等と、巧妙に言い逃れをしてきました。まさしく愉快犯的に、しかし、活字上での社会的発言をしながら、生き延びてきました。

■成功体験は良くも悪くも人を変える

その〈ひろゆき〉が、2ちゃんねるにもニコニコ動画にも居場所を失います。自らが被告人となっていた時分は出廷すらしなかった民事訴訟を自分から起こします。しかも、「もともと暇だから、面白そうだからと作ったものが、2ちゃんねるであって、それ以外の動機は存在しません」とうそぶいていた2ちゃんねるを取り戻そうと訴訟を起こします。

鈴木洋仁『「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学』(光文社新書)

訴訟の動機は明らかにされていません。ただ、山本一郎は、「成功体験は良くも悪くも、人間を変える」から「カネが惜しい」と思ったのではないか、と推測しています(*16)。「カネを儲けて幸せになった人を見たことがないんですよ。逆にカネはなくても楽しそうな人はいっぱいいるけど」(*17)とあざわらっていた以上、よもや金銭面が理由ではないでしょう。

「年収は日本の人口よりちょっと多いくらい」(*18)と言い放ち、「そもそもお金を使わないから困らない」(*19)と豪語していた以上、もし山本が言うように「カネが惜しい」と思ったのだとすれば、〈ひろゆき〉は変わってしまったのかもしれません。

(*15)山本一郎「偉大なるワンマン 西村博之」『WiLL』2015年3月号、308p
(*16)山本一郎、同上、307p
(*17)「『30歳からのドリカムプラン』構築術」『SPA!』2001年10月3日号、51p
(*18)『FLASH』2007年2月13日号、30p
(*19)ひろゆき『僕が2ちゃんねるを捨てた理由 ネットビジネス現実論』扶桑社新書、2009年、243p

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
社会学者
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て、東洋大学研究助手。専門は歴史社会学。著書に『「平成」論』(青弓社)、『「元号」と戦後日本』(青土社)、共著に『映像文化の社会学』(有斐閣)など。

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(社会学者 鈴木 洋仁)

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