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橋下徹「すぐ文書廃棄に走る日本政府の大問題」

プレジデントオンライン / 2019年12月18日 11時15分

※写真はイメージです。 - 写真=iStock.com/Sportactive

森友・加計学園問題、そして「桜を見る会問題」でも繰り返された「文書は廃棄した」「データは消去した」「復元できない」という政府答弁。形式的にルールに従ってさえいれば問題ない、とする政府の考えはおかしくないか。橋下徹氏の見解は? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月17日配信)から抜粋記事をお届けします。

(略)

■間違ったルールならルール自体を改めるべき

安倍晋三首相は臨時国会が閉幕した12月9日の記者会見で、「桜を見る会」問題については反省の弁を述べ、国民に謝罪した。「桜を見る会」の在り方を検討し直し、招待者名簿の保存期間も現在の1年未満から1年以上に変更することを示唆した。

ただ反省の弁は、「桜を見る会」のことよりも、このことで重要な国会審議の時間が使われてしまったことを焦点にした感じもして、それは野党批判のニュアンスが漂っていた。野党が「桜を見る会」のことばかりを取り上げるので、重要な国家課題を審議できなかったというニュアンス。安倍さんのこの言い方には、当然野党が反発した。そして、前夜祭のお金の流れが安倍さんの政治団体の政治資金収支報告書に記載されていない点や、招待者名簿のバックアップデータが存在したのにそれを国会に提供しなかった点については特段触れなかった。

僕は、成熟した民主国家においては、国家の活動についての「記録」を「残す・開示する」ことは必要不可欠であって、この点が不十分な現在の日本政府の体質を抜本的に改めなければならないと強く思う。安倍さんがそのようなアクションをとらないのであれば、与野党含めた国会議員に是非、それに取り組んで欲しいと思っている。

国家(政府)権力の行使は、常にチェックを受けなければならない。成熟した民主国家において、このチェックは、国会、裁判所、メディア(国民)が行う構造になっているが、そのチェックを行うには権力行使についての「記録」の「保存と開示」が必要不可欠である。国家権力の行動が記録されず、開示されなければ、チェックのやりようがないからね。

(略)

ゆえに独裁国家は権力活動の記録を残さず、開示もしない。場合によっては政府の都合のいいように記録を改ざんすることすらある。

だからこそ森友・加計学園問題のときから繰り返された、何かあったときに「記録は存在しない」「記録は廃棄した」「記録は復元できない」という日本政府の姿勢を抜本的に改めさせなければならないんだ。

そして、これまで日本政府は「ルールに基づいて適切に処理した」という答弁の一点張りだが、そもそもこのルール自体が間違っている。

(略)

では、今の文書廃棄に関するルールをどう変えるべきか。

この点を議論するのが国会であり、文書廃棄に関する新ルールやその根本思想について野党が的確に問題提起できれば、国民の強い支持を得られると思う。

だが、安倍さんの不正をなんとか明らかにすることに固執している今の野党のやり方では国民の支持を得られないだろう。必死になって安倍さんの不正を指摘するが、どれもこれも明確な裏付けがなく、国民にとっては不正の雰囲気を醸し出そうとしているだけのように見えるからだ。

(略)

■公文書管理についての2つの思想

記録を残すことに関しては、大きく2つの考え方がある。「とにかく全て残す」というところから出発する考え方と、「原則残したくない」というところから出発する考え方だ。

アメリカは前者、日本は後者だ。

僕は前者に賛成で、ゆえに、「原則残したくない」という今の日本の思想を、「とにかく全部残す」という思想に切り替える必要があり、それをやるのが政治家の仕事だと思っている。

(略)

もちろん、アメリカのように「とにかく全ての記録は保存する」という考えに立つとしても、あらゆる記録を完全に保存するには莫大な費用と人員がかかってしまう。

だから保存期間というものを設定する。保存期間内は必ず保存するようにするが、しかし保存期間を過ぎた場合には、仮に紛失したり、劣化したりしても責任は問いませんよというように免責を与えるものだ。

(略)

このような考えに立つと、保存期間を過ぎたとしても、「積極的に」廃棄・消去する必要もなければ、そのような動機も生まれない。

他方日本のように「できる限り保存はしたくない」という考えに立つと、保存期間とは、その期間だけは「やむを得ず」「渋々」文書・記録を残さなければならない期間だということになる。ゆえに保存期間が過ぎれば、できる限り早く廃棄・消去したい動機が生まれる。

■日本は「原則すべての記録は保存する」考えへの大転換を

この2つの考え方の違いは、公文書管理法を制定するときやそれを運用する際に重要な違いとして現れる。

橋下 徹『トランプに学ぶ 現状打破の鉄則』(プレジデント社)

アメリカ的な考え方なら、とにかく全部残すことが基本。保存期間を過ぎたところで、必死になって廃棄・消去するようなことはしない。保存期間を過ぎれば紛失・劣化の責任を問われなくなるだけで、あえて消す作業まではしない。残っていればそれでいい。

だから文書・記録の種類分けを詳細に行って、保存期間を詳細に分類する必要はない。しょうもないメモや記録類であっても、金や人を使ってどうしても残しておかなければならない最低限の期間を保存期間として、あとの文書・記録はすべてを残すことにすればいいだけ。保存期間の種類は実にシンプルなものになる。職員の意識も、原則すべてを残すということで徹底される。

ところが日本の考え方の場合には、保存期間を過ぎれば「消す作業」をすることになる。とにかく早く消したいので、文書・記録の種類によって詳細に保存期間を定め、できる限り早く消去できるようにする。保存期間はできる限り短くし、特に重要な文書・記録だけ保存期間が長くなるようにする。

確かにアメリカ的な考え方だと、文書・記録の保管場所が莫大に必要になるし、保存するための人員とお金も必要になる。

では日本的な考え方のほうが効率的なのかと言えば、必ずしもそうではない。保存期間が文書・記録の種類によって複雑に区分けされるので、その文書・記録がどの保存期間にあたるのかをいちいち判断しなければならないし、なんといっても保存期間を過ぎた後にいちいち消去する手間暇がかかる。

(略)

桜を見る会の招待客名簿のバックアップデータの復元については、役人の報告を鵜呑みにするのではなく、懸賞金を出してでも、日本に存在する優秀な技術者たちに、復元の挑戦をさせるべきだと思う。一度挑戦してみて、それでも復元が無理なら、政権の主張もやっと国民は渋々受け入れてくれると思う。

ただし、成熟した民主国家を成り立たたせるためには、現在の文書・記録の廃棄ルールを抜本的に変える必要がある。「原則すべての記録は保存する」という思想に大転換するためには憲法を活用することが有効である。

(略)

(ここまでリード文を除き約2600字、メールマガジン全文は約1万2200字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.180(12月17日配信)の本論を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【桜を見る会問題(4)】積極的に文書廃棄を進める日本政府はおかしい! 「原則保存」を徹底する新ルールの制定を》特集です。

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橋下 徹(はしもと・とおる)
元大阪市長・元大阪府知事
1969年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大阪弁護士会に弁護士登録。98年「橋下綜合法律事務所」を設立。TV番組などに出演して有名に。2008年大阪府知事に就任し、3年9カ月務める。11年12月、大阪市長。

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(元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹)

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