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「1543年種子島に漂着し鉄砲を伝えた」のはポルトガル人ではない

プレジデントオンライン / 2020年4月19日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DusanManic

歴史を勉強しようと思って本を読んでも、次の日には何を学んだのかを忘れてしまっていることはありませんか。誰でも簡単に勉強したことが記憶に残り、使える知識としてアウトプットできるようになる歴史学習法をご紹介します。

■忘れない勉強法「脱・教養コンプレックス! 記憶にはコツがある」

最初にクイズです。「明治維新の立役者として思い浮かぶ人物を1人あげてください」――。

すると、「坂本龍馬」と答える人がけっこう多いのではないでしょうか。しかし、維新において龍馬がどんな役割を果たしたのか、その功績はほとんどわかっていないのが、現在の歴史学者の共通認識です。実際、あらゆる史料を調べても、「維新の三傑」と呼ばれる西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人の誰ひとりとして、明治政府樹立後に坂本龍馬に言及していません。

龍馬が薩長同盟の仲立ちをし、明治維新を成功に導いた功績者であれば、ひと言くらいコメントしていてもいいはず。三傑は薩長出身だから、土佐出身の龍馬を褒めたくなかったという説もありますが、それならば同じ土佐出身の板垣退助が何か言葉を残しているはずですが、こちらも記録がないのです。

さらにいうと、「維新の十傑」と呼ばれる10人の中にも龍馬の名前は入っていません。これはつまり何を意味するのか。坂本龍馬は明治維新ではたいした役割を果たしていなかったということです。ではなぜ龍馬がこれほど有名なのかといえば、司馬遼太郎さんが小説『竜馬がゆく』を書いたからです。

歴史の常識に対して「なぜ」をつなげて学んでいくと、1つの物語になり、記憶に定着しやすくなります。具体的な実践法は、週刊文春の連載「0から学ぶ『日本史』講義」や、下記の著書を参考にしてください。
歴史の常識に対して「なぜ」をつなげて学んでいくと、1つの物語になり、記憶に定着しやすくなります。具体的な実践法は、週刊文春の連載「0から学ぶ『日本史』講義」や、下記の著書を参考にしてください。

歴史を学ぶうえで、ここが最も重要なポイントです。歴史はファクト(事実)とフィクション(作り事)を峻別しなければ、何の意味もありません。ある有名な時代小説家も「ファクトを描いても本が売れない」とおっしゃっていました。時代小説はエンターテインメントですから、売れるためにおもしろおかしく書かれている。それを読んで歴史を学んだ気になってはいけません。歴史に興味を持つ入り口としてはいいのですが、本当の歴史ではありません。

そもそも歴史を学ぶ意義は何か。理由は非常にシンプルです。未来に備えるためです。過去の教訓に学び、未来に備える。悲しいことに、人間にとって教材は過去の歴史しかないのです。これが歴史を学ぶすべての意味です。たとえば、南海トラフなど巨大地震の発生が懸念されていますが、東日本大震災のことを勉強した人と、勉強しなかった人では、大地震が起こったときに、どちらが助かりやすいか。自明ですよね。

■なぜ仏教が伝来したか なぜ黒船が来航したか

とはいえ、歴史学者の本をただ読めばいいというものではありません。歴史には学び方があります。これは歴史に限りませんが、知識だけを蓄積しても、本当の力にはならない。自分自身で考えて応用できる力が何より大事です。だから本を読むときには、考えながら、自分のものとして腹落ちさせること。腹に落ちたら、その情報を生きたものとして使えるわけです。腹落ちさせるためには、読んで、納得できないことは自分で文献などを調べるしかありません。

たとえば、仏教の伝来。教科書では538年に百済から伝わったと習います。この知識だけがあっても何の役にも立たない。なぜ百済は仏教を日本に伝えたのかと疑問を持つことが大事です。実は仏教というのは当時、最新の「技術体系」だったのです。仏教を広めるには寺院の建築や法具、お経、衣服などをつくり、僧侶も育成しなければならない。百済がそのような貴重なものをなぜわざわざ日本に教えてくれたのか。

当時の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の3国が争っていました。百済は両国に激しく攻められていた。538年は新羅に侵攻されて、まさに国が存続の危機にあり、日本に兵士の支援を求めたのです。その見返りとして最先端の技術体系を教えた。ここまで踏み込むことで、仏教伝来の意味が理解でき、納得できるのです。

■アウトプットできるような歴史の学び方がある

この「なぜ?」を突きつめていく。腹落ちするまで「なぜ・なぜ・なぜ?」と芋づる式につなげていく。そうすると1つの物語になります。ストーリーになれば記憶に定着し、忘れません。年号を漫然と覚えるだけでは、何も頭に入ってこないし、使える知識にならない。アウトプットできるような歴史の学び方があるのです。

仏教伝来もそうですが、「日本史」というのは単独では存在しません。必ず「世界」とのつながりがあります。ですから、日本史を学ぶには同時に世界史もセットで勉強するのが大切なポイントです。

米国人のペリーが黒船で日本に来航したのは1853年です。教科書では捕鯨船の燃料や食料などの補給がその目的だったと習います。しかし、その頃の日本は江戸時代で200年超も鎖国をしていた。そこになぜ突然やって来たのか。当時の米国は中国市場をめぐって英国と争っていました。自国の商品を売るためです。競争力を高めるために米国は大西洋・インド洋経由ではなく、中国に最短距離で行くために太平洋航路を開く必要があった。日本に立ち寄って物資を補給し、上海や広東に行くのが最も便利で早かったので、日本に開国を迫ったわけです。

このように世界史の中で日本を見るときのキーワードになるのが「交易」です。人と人とが交流するのは、商売やバーター取引が基本だからです。交易の観点で考えると、歴史の疑問はほとんど答えが見つかります。

たとえば、鉄砲の伝来です。鉄砲は1543年に種子島に漂着したポルトガル人が伝えたと教科書で習いますが、そのポルトガル人が乗っていた船は倭寇(海民の共和国)の頭領、王直の所有する船だったことがわかっています。「なぜポルトガル人が倭寇の船に?」と不思議に思いますよね。彼らはキリスト教の宣教師や商人たちで、船でアジアにやって来て、倭寇と遭遇した。

倭寇はポルトガル人が持っていた鉄砲に目をつけ、日本に売り込もうと目論んだのです。当時の日本は戦国時代ですから、最新の武器を喜んで買うはずだと。そこでポルトガル人に話を持ちかけ、日本に連れて行った。ポルトガル人には日本に鉄砲を売る理由がそれほどなかったし、日本への海路など知りません。鉄砲を伝えたのは、実は倭寇なのです。

いかがですか。日本史と世界史を一緒に、そして「なぜ?」と考えながら学ぶことで腹に落ち、理解が深まることが実感できたのではないでしょうか。歴史の入門書としておすすめの本を別掲しました。参考にしてください。

フィクションではなくファクトから学びなさい

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出口 治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命に入社。2006年、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立、社長に就任。同社は12年に上場。18年から現職。

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(立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口 治明 構成=田之上 信)

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