「寝耳に水だ」菅政権の"脱炭素宣言"で鉄鋼業界が熱望する唯一の解決策

プレジデントオンライン / 2020年11月19日 11時15分

今年改修される日本製鉄室蘭製鉄所の高炉(中央)。AIが導入されるなど最新鋭の高炉になる。 - 写真=北海道新聞社/時事通信フォト

鉄鋼業界には大逆風だ。だが、世界の趨勢は「グリーン製鉄」に方向転換している。環境技術先進国とおごる時代は過ぎ去った。欧州勢が中国企業とも提携し、巨額投資で低炭素技術の開発に取り組む一方、日本の鉄鋼業界はこの試練を乗り越えられるのか——。

■経団連・中西宏明会長も「達成が極めて困難な挑戦」と述べた

「寝耳に水だ。唐突すぎる」——。

菅義偉首相が所信表明演説で2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする「脱炭素宣言」をするとの情報に触れた直後、日本製鉄の橋本英二社長は周囲にこう漏らした。

その直後、橋本社長は政権の真意を探るため、渉外担当の幹部たちを経済産業省に向かわせた。

経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)も菅首相の所信表明を受けての声明の中で、「達成が極めて困難な挑戦」だと述べるなど、経済界には厳しい宣言となっている。

鉄鋼業界は長く、新日鐵住金(現・日本製鉄)が歴代、会長を輩出するなど、財界の中でも別格の存在とされてきた。だが、環境問題となると旗色が悪い。

地球温暖化問題の議論が世界的に盛り上がった2010年初頭のことだ。当時、新日鉄会長だった三村明氏は経団連会長の座を虎視眈々と狙っていた。しかし、「二酸化炭素(CO2)の排出権取引など環境問題に消極的だ」(経団連会長OB)などの批判からその夢は打ち砕かれた経緯がある。

■「排出量で産業界の5割弱」鉄鋼業界との調整は避けられない

鉄鋼や石油、化学といった「重厚長大」産業の企業が要職に就く経団連にとって「2050年温室効果ガス排出ゼロ」の問題は利害が直接ぶつかり合う難題だ。

経団連事務局幹部も「経団連としては総論賛成だが各論になると意見が対立して調整が難航する。CO2の排出量が日本の産業部門全体の5割弱を占める鉄鋼業界との調整は頭の痛い問題だ」と打ち明ける。

特に、新型コロナウイルスの世界的な感染で鉄鋼業界を取り巻く環境は「過去最悪の状態だ」(日本製鉄幹部)というのが実情。日本製鉄の2021年3月期の連結最終損益(国際会計基準)は1700億円の赤字になる見通しだ。過去最大の赤字だった前期の4315億円よりは改善するが、リストラ費用に加え、環境対策投資がのしかかると財務をさらに毀損(きそん)する。

JFEホールディングスにしても同様で、今期1000億円の赤字見通しだ。

大手証券アナリストは「まさに世界の鉄鋼業界はパワーゲームの状態に入った。資金力の差がそのまま生き残りの条件になる」と分析する。

■欧州勢ミタルの低炭素投資は年間1700億円と巨額

日本勢の窮状を尻目に欧州の鉄鋼業ではCO2排出削減の取り組みを加速させている。

欧州勢は水素を使った製鉄法の実用化にも力を入れる。石炭の代わりに水素で鉄鉱石を還元すればCO2は実質ゼロにできる。

主流の石炭を使わない製鉄技術の確立を目指し、欧州アルセロール・ミタルは天然ガスや水素を使う技術に最大400億ユーロ(約5兆円)を投じる。独ティッセン・クルップも水素還元方式に参入する。

ミタルが新設するのは一般的な製鉄法で使う「高炉」に代わるプラントだ。天然ガスを使って鉄鉱石(酸化鉄)を還元し鉄をつくるもので「DRI(直接還元鉄)」と呼ばれる。

高炉はコークスなど石炭由来の原料で還元し、その工程で大量のCO2が出るが、DRIは製鉄工程のCO2排出量を現行に比べ2~4割減らせるメリットがある。

ミタルはCO2回収技術などと組み合わせ2030年に、CO2排出量の3割削減を目指す。同社が2050年までに計画するDRI関連設備の新設など低炭素投資は1年あたり約1700億円にも上る。同社の2019年の設備投資の4割強を占める額だ。

■日本の鉄鋼業界の「CO2排出ゼロ目標」は半世紀遅れ

ティッセンも高炉の置き換えでDRIを新設する。

今年8月末に、ドイツ西部にある主力のデュースブルク製鉄所で鉄の半製品をつくる工程を刷新すると発表している。水素還元方式の鉄鋼生産プラントの建設に着手し、2025年までに工場の主要部分を完成させる計画で、それに向けてまず年産40万トンで始め、2030年に同300万トンに引き上げる。

廃墟となった高炉の一部、ドイツ・デュイスブルグ。
写真=iStock.com/acilo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/acilo

ミタルも独北部ハンブルクで水素を使った実証プラントを2021年から稼働する。CO2の回収技術などを総合的に組み合わせ、2050年までに全世界でCO2排出を実質的にゼロにする目標を示している。

一方、日本の鉄鋼業界が掲げるCO2排出のゼロ目標の時期は「2100年」。世界とは半世紀も遅れる。

日本では大量生産に向く高炉一貫製鉄所で先行したことなどからDRIは定着しなかった。日本国内で生産量の8割を高炉が占め、鉄スクラップの蓄積が少ない新興国でも高炉が普及する。小型で電極を使って鉄スクラップを溶かす電炉は高炉に比べ電気料金やスクラップの調達などコストがかかることも高炉が長く続いた理由だ。

■自動車メーカーが高品質を求めるため、電炉は敬遠されたが…

さらにトヨタ自動車など高品質の鋼板を要求する日本の自動車メーカーにとって、品質が安定しない電炉は敬遠された。しかし、電炉は1回あたりの製造時に排出されるCO2が高炉の半分で、高炉のコークス炉のような大型の付帯設備が不要だ。日本製鉄は当面は電炉技術の向上を目指し、高炉からの置き換えで難局を乗り切る考えだ。

自動車製造の自動化工場の組立ラインでの産業用溶接ロボット。
写真=iStock.com/imaginima
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/imaginima

JFEスチールも2021年度までに国内全製鉄所で環境負荷の少ない新型設備を導入し、鉄の成分調整にリサイクル原料の鉄スクラップを多く使用できるようにする。

2030年度までに環境分野に1000億円超を投資し、CO2排出量を2割以上減らす。製鉄所の中核設備の一つである「転炉」を一新、エネルギー効率の高い最新型に転換して原料として鉄スクラップを多く利用できるようにする。

これにより石炭を使用して製造する鉄鉱石由来の鉄の割合を減らすことができ、CO2排出を抑制することができる。

だが、この程度の対応策では脱炭素に向かう欧州勢にはとても及ばない。

■「国として水素戦略を強化できない限り厳しい状況は続く」

日本勢もCO2削減に最も効果的とされる「水素還元法」による新たな技術を導入したいのはやまやまだ。ところが、「安価で大量の水素供給が(可能となる環境が)整わない限り、水素還元製鉄は実現できない」(橋本英二日本製鉄社長)という。

欧州ではすでに風力発電が普及しており、その風力発電で生じる安価な電気を使って水素を製造する計画が各所で動き始めている。

これに対して日本では、「民間だけでなく水素戦略を国としてもっと強化できない限り厳しい状況は続く」(大手証券アナリスト)というのが現状。

さらに日本勢にとってやっかいなのが世界最大の鉄鋼生産国、中国の存在だ。

中国勢は環境対策としては電炉への転換を軸に据える。国全体の生産量に占める電炉比率は1割弱から2割前後に高まるとみられる。

宝武鋼鉄集団を中心に国有企業の再編が進み、宝武は2020年にミタルを抜き粗鋼生産量で世界トップになる見通しだ。

これにより1社あたりの投資余力が高まり、電炉技術で主導権を握る可能性がある。

■中国勢に海外市場を抑えられてしまっては生き残れない

高炉が主体の日本はこれまで、高炉から出るガスの回収などの省エネ技術で先行してきた自負がある。製鉄所のエネルギー効率は欧米などより優れ、インドなど新興国での環境技術の導入も支援してきた。

しかし、電炉で出遅れれば「技術輸出などで中国に先を越されてしまう。国内市場が伸びない中で投資余力がある中国勢に海外市場を抑えられてしまっては生き残れない」(大手証券アナリスト)というのが実情だ。

豪英資源大手のBHPグループは11月9日、中国勢の台頭をにらんで、製鉄時に出る温室効果ガスの排出削減に向けた技術開発で、宝武鋼鉄集団と覚書を結んだ。BHPが今後5年間で3500万ドル(約36億円)を投じる。

BHPの競合、英豪資源大手のリオ・ティントも2019年に低炭素技術の開発で宝武との協力を決めている。

■環境問題への対応を避けてきた「ツケ」が回ってきた

本来なら、日本勢は得意の環境技術を、市況の撹乱要因となる中国製の安価な製品の流入を締め出す手だてにしたいところだ。しかし、EUは中国製品を念頭に炭素税の導入を探っている。それだけに「中国勢が欧米各社と手を組んで環境技術でも先行するようだと日本にとっては致命的だ」(JFEホールディングス幹部)との声も上がる。

長年、経団連の主要ポストに居たこともあって環境問題への対応を避けてきたことの「ツケ」が回ってきた日本の鉄鋼業界。

MSCI(モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル社)によると、日本製鉄の約2倍の鉄を生産する欧州大手アルセロール・ミタルの2018年度CO2排出量は1億8803万トンと日鉄(同9700万トン)の約2倍に相当する。

それでも、「国を巻き込んで挽回すれば、まだ勝機はある」(大手証券アナリスト)。目先の利益にとらわれずに、環境問題をクリアするための開発投資やイノベーションを引き出せるか。菅首相の所信表明を「死刑宣告」にしないためには、日本の製鉄業界の底力が試されている。

(経済ジャーナリスト 矢吹 丈二)

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