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「400万円は要らない」眞子さまと小室さんの結婚を阻むA氏の爆弾発言

プレジデントオンライン / 2020年12月8日 17時15分

55歳の誕生日を前に記者会見をされる秋篠宮さま=2020年11月20日、東京・元赤坂の赤坂東邸 - 写真=時事通信フォト

■「結婚は既定路線」週刊誌も白旗を掲げたが…

「結婚と婚約は違いますから」

この秋篠宮発言が波紋を呼んでいる。

秋篠宮眞子さんが11月13日に出した「私、圭さんと結婚します」宣言の1週間後、秋篠宮の誕生日会見が行われた。

この内容が公にされるのは秋篠宮の誕生日の11月30日だが、そこで秋篠宮が「(2人が=筆者注)結婚することを認める」という重大発言をしたことは、翌週発売の週刊新潮(12/3日号)「未公開『お誕生日会見』で激震! 『秋篠宮さま』ついに完敗で『眞子の結婚を認めます』」、週刊文春(12/3日号)「父の悔恨『婚約内定前に止めるべきだった』眞子さま小室圭さんオリンピック駆け落ち婚計画」でそれぞれ報じられた。

両誌とも、小室圭の母親・佳代と元婚約者との間の金銭トラブルを解決できないうちは、秋篠宮夫妻は結婚を許さない、国民も許してはならないと考えていると報じてきた。

だが、眞子さんが堂々と結婚を宣言し、続いて秋篠宮が2人の結婚を認めるという発言をしたことで、結婚は既定路線になり、週刊新潮は白旗を掲げ、週刊文春は「結婚はパラリンピックが終わる9月5日以降」という日程まで小見出しに掲げた。

万事塞翁が馬、2人に祝福あれと私は思っていたのだが、冒頭の秋篠宮のひと言が憶測を呼び、眞子さんの結婚にやや暗雲が立ち込めてきているようである。

■「多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」

秋篠宮の会見を詳しく見ていこう。これはNHKの「NEWS WEB」(11月30日 2時04分)に掲載された全文を参照した。

結婚を認める発言の後、こういっている。

「これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」

それに続けて、今後の予定や見通しなどは、これから追って考えるとしている。記者から、秋篠宮が以前いっていた「多くの人が納得し喜んでくれる状況」になったかと聞かれ、

「私が多くの人に納得し喜んでもらえるというお話をしたわけですけれども、実のところ多くの人というのを具体的に表すことはなかなか難しいと思います。長女の結婚について反対する人もいますし、賛成する人もいますし、全く関心の無い人もいるでしょう。

どれをもって多くというふうに客観的に言うことができるかというとなかなかそれは難しいわけですけれども、あくまで私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。で、そのことは娘も恐らく同じ気持ちを持っていると考えております」

■対応していることを見える形にするのが必要

回りくどいいい方だが、金銭トラブルが未解決なことについて私は納得しているわけではなく、娘にもそのことはいってあるということだろう。だが、納得する人が多くなくても、娘が結婚するという意志を私は尊重するという意であろう。

その後、関連質問で記者から、結婚するには金銭トラブルを解決することが必要といったが、今はどう考えているのかと聞かれ、

「この間、娘ともいろいろと話す機会がありました。認めるというふうに申しましたのはそういうことの話合いも含めてのことです。また、多くの人が納得し喜んでくれる状況の前提として、今までもあった問題をクリア(するために)相応の対応をする必要があると申しました。

私自身、これは人の家のことですので詳しくは知りませんけれども、じゃ、対応を全くしていないかと言えばそんなことはないと思います。そうですね。ただ一つ言えるのはそれはいろいろな対応をしているとしてもですね、やはりそれが見える形になるというのは必要なことではないかなあというふうに思っております」

■「結婚は尊重する」。しかし…

以前は、娘・眞子さんとは話ができていないといっていたが、コロナ禍で家にいることが多くなり、話し合う機会は増えているようだ。

眞子さんが「お言葉」を発表する時も、当然ながら秋篠宮と母親・紀子さん、天皇皇后、上皇上皇后の了解をもらっている。その上で、

「実際に結婚するという段階になったら、もちろん、今までの経緯とかそういうことも含めてきちんと話すということは、私は大事なことだと思っています」

だが、冒頭の発言が出たのはその後である。

「私は、特に結婚と婚約は違いますから、結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば、それを尊重するべきだと私は思います。これはやはり両性の合意のみに基づくということがある以上、そうでないというふうには私はやはりできないです」

そういった直後に会見は打ち切られた。

日本の結婚登録資料
写真=iStock.com/SAND555
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SAND555

■穏やかではない本音が凝縮されている

これについて週刊新潮は、

「最後の部分は実に意味深でした。これまで納采の儀を迎えるために『それ相応の対応』という課題を小室さんに求めてこられた殿下からすれば、課題は依然クリアされていないというご認識。だからこそ、家同士の行事である納采の儀には進めないというお考えは、いまも強いのだと拝察いたします」(宮内庁関係者)

週刊文春は、ここに秋篠宮の本音が凝縮されていると見ている。

「敢えて秋篠宮さまが婚約に触れられたのは、『結婚は自由だが、皇族として、納采の儀は行えない』という“最後の抵抗”でしょう。秋篠宮さまは、小室さん側とは家と家とのお付き合いはできないと考えておられる。秋篠宮家として正式な婚約者とは認めない、どうしても結婚したいなら縁を切る、と“勘当”するようなお気持ちで、結婚容認を表明されたのです」(秋篠宮に近い人物)

穏やかではない。長い間耐え抜いてきた眞子さんが、決意の文書を書き、両親も承諾してくれたのに、父親が自分の会見で「ちゃぶ台返し」をするなんてことがあるのだろうか。

■「結婚と婚約は違いますから」の真意とは

週刊文春によれば、眞子さんがお気持ちを発表した直後に、宮内庁には抗議の電話が殺到したという。

「結婚するなら、いますぐ皇籍離脱して、一時金も辞退すべきだ」
「皇室はもう終わりだ」

こうした心無い人間はごく一部だと思う。

私にも経験があるが、娘を他の男にとられる父親の心境は複雑なものである。ましてや、週刊誌やワイドショーで悪い噂を洪水のように流された相手となれば、秋篠宮が優柔不断になるのも分からないではない。

そうしたとき、世間の多くの父親は、娘とその結婚相手を呼びつけ、その人物がどういう人間なのか、娘を幸せにすることができる人物なのかを見極め、結婚するにあたっての相手の覚悟のほどを聞き出すはずである。

ましてや、秋篠宮は人間的にも非常に優れた方だと聞いている。週刊誌が書いているようなことを口にするはずがない。

最後の言葉は、「結婚は両性の合意のみに基づくのだから、2人が望んでいるこの結婚を、私は反対はしないし、できるわけはない」と読むのが正しいのではないのか。

■両親も結婚内定まで3年以上かかった

秋篠宮も紀子さんとの結婚までに、いくつもの障害があった。

週刊ポスト(12/18日号)によれば、秋篠宮が紀子さんにプロポーズしたのは1986年6月、秋篠宮が20歳のときだったという。

しかし、婚約内定までに3年以上がかかった。89年1月に昭和天皇が崩御されたこともあったが、もっとも大きかったのは皇室で初めての“自由恋愛”だったことだったそうだ。

「紀子さまのお父様は学習院大学の教授で、川嶋家は校内にある3LDKの教職員住宅が住まいでした。当時、宮内庁関係者の間で“普通のお嬢さんで釣り合いが取れるのか”という声があったのも事実。まだ兄の浩宮さま(現・天皇)がご結婚されていなかったこともあり、懸念を示す声も多かった」(宮内庁担当記者)秋篠宮が、結婚できないのなら皇籍を離脱するという主旨の発言をしたという情報も飛び交った。

自由恋愛、周囲の反対で結婚まで3年以上かかった、皇籍離脱も辞さない。歴史は繰り返す。

今、長女が自分と同じ苦しみを味わっている。そう秋篠宮が考えていると推測することは、私だけの“妄想”ではないはずだ。

秋篠宮発言がとやかく憶測されている中、週刊現代(12/5日号)で、金銭トラブルを週刊誌に売り込んだ張本人である、小室圭の母親・佳代の元婚約者が爆弾発言をしたのである。

なぜこの時期にという大きな疑問がつくが、内容を紹介してみたい。

■「返金を求めることは一切いたしません」

「もう私は小室佳代さんから、400万円は返してもらわなくていいのです。先方と交渉を続けるつもりもありませんし、今後、小室家に対して返金を求めることは一切いたしません」

そう語るのは、これまで1年半以上も沈黙を続けてきたAで、現代の独占取材に応じたのである。

元々Aと小室家との関係は15年近くに及ぶという。当時、Aも小室家も横浜市内の同じマンションに住んでいて、管理組合の会合でAと圭の父親・敏勝が出会ったことがきっかけで意気投合したが、まもなく敏勝は亡くなってしまう。

その後、マンションのエントランスで母親と圭に会った際、「今後もよろしくお願いしますと」いわれ、その後、圭のパソコン修理をしてあげたこともあり、徐々に距離が縮まっていったそうである。

「恋愛感情というより、圭くんの父親代わりになれれば、という思いからでした。敏勝さんがいかに圭くんを大切に思っていたかを聞いていましたから。婚約したといっても、同居もせず、マンションのお互いの部屋を行き来するのも数えるほど。佳代さんとの間に肉体関係もありませんでした」

■夜中に電話がかかってくることも

だが佳代からの金銭援助の依頼が始まったのは婚約直後からだったそうだ。最初は、2010年11月に圭の国際基督教大学の入学金45万3000円を求められ、その後も、生活費など、さまざまな形で要求が続いたという。

「夜中に電話がかかってくることもあり、毎月のように金銭を求められた。圭くんの留学費用として、200万円を振り込んだこともあります」

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写真=iStock.com/Zyabich
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Zyabich

積み重なったカネは約400万円にもなった。佳代側に返済を求めると、「あれは借りたのではなく贈与だ」と返答してきた。その後、週刊誌にAがタレ込んだ金銭トラブルが原因で、2人の婚約は延期になってしまう。

19年1月に小室圭が文章を発表し、この件は「解決済み」だとした。

「一方的に『解決済み』と文章を出されたことにはまったく納得ができず、小室家との交渉に臨むことにしたのです」

19年7月から交渉が始まったが、向こう側の代理人と会ったのは2回だけで、交渉はまったく前に進まなかったそうだ。Aには、経済的な理由から400万円への未練があったことも事実だという。

「ジャガーは私の虎の子の退職金で購入したものです。その車も、横浜市内のマンションも、ローンが支払えなくなり、とうの昔に売り払っています。いまは家賃8万円の木造アパートで一人暮らしをしています。最寄り駅から徒歩30分近くかかるため、71歳の私にとっては毎日の往復は応えます」

■「なんて真っ直ぐな思いなんだろう」

今回、告白を決意したのは、11月13日に眞子さんの「お気持ち」文書を読んだことだったという。

「眞子さまの発表された文章を読み、私は率直に驚いたのです。婚約延期から2年以上が経っても、これだけストレートに圭くんと結婚をしたいという気持ちを持ち続けていらっしゃる。

結婚することは二人にとって『生きていくために必要』で、お互いが『幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在』だと仰られていた。なんて真っ直ぐな思いなんだろうと感じたのです。

かつて私にとって圭くんは息子のような存在でした。こんな関係になってしまいましたが、幸せになってほしいという気持ちが消えることはありません。それは圭くんの大切な人である眞子さまに対しても同じです。眞子さまの文章を読み、はっきりと『自分が二人の結婚の障害になってはならない』と思ったのです。それで、もう返金を求めないということを公表しようと決めたのです」

■2人の心の葛藤に思いを致すことはなかったのか

Aの代理人というのは週刊現代が契約しているフリーランスのベテラン記者だ。その代理人が自分の所属している週刊誌を通じて、この微妙な時期になぜ?

世間はどう考えるだろう。金銭を貸したほうがいらないといっても、やはりそのままにしておくのはいかがなものかという声が、より大きくなるのではないか。

そうなれば、結婚は致し方ないといっている秋篠宮と母親・紀子さんが、再び態度を硬化させてしまうかもしれない。

何としてでもおカネは返しなさい、となるのではないか。それがAの狙いで、最後の賭けに出たと思うのは、私の僻目(ひがめ)だろうか。

3年近くも理不尽な週刊誌や世間の目というバッシングに耐え、愛を育んできた若い2人の心の葛藤や、離れ離れになっていることへの不安に、この男性は思いを致すことはなかったのだろうか。

幸せな2人の前途に、金銭トラブルというスキャンダルを投げ入れ、長きにわたって「離別」の苦しさを味あわせたことを詫びる言葉は、ここにはない。

週刊新潮(12/10日号)で、文化功労者に選ばれたとき、眞子さんに会ったという脚本家の橋田壽賀子はこうコメントしていた。

「眞子さまはあの頃と変わらず凛として、毅然としていらっしゃるようにお見受けしますから、どんな困難も乗り越えられるでしょう。陰ながらお二人の幸せをお祈り申し上げます」

これが大人の対応である。

秋篠宮には、結婚を承諾した以上、2人が幸せになれるよう親としてできる限りのことをするという“覚悟”が求められていると思うのだが。(文中一部敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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