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時短しない飲食店を罰するなら、「会食をやめない政治家」も罰するべきだ

プレジデントオンライン / 2021年1月20日 11時15分

衆院本会議で施政方針演説をする菅義偉首相(壇上)=2021年1月18日、国会内 - 写真=時事通信フォト

■「これは会食ではない」を誰が信じるのか

政治家が緊急事態宣言下でも会食を自粛できないのは、それが「政治家の業」だからである。

菅義偉首相が昨年暮れの12月14日夜、銀座で「高級ステーキ8人会食」が発覚して批判を浴びた。

会食相手が、プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎、タレントのみのもんただったことで、不要不急ではないのか、自粛するべきだったと、さらに批判が広がった。

菅首相は、二階俊博幹事長から誘われたので、行かざるを得なかったとぼやいたらしいが、後の祭りであった。

二階幹事長は「別に8人で会っただけで、会食ではない。飯を食うために集まったのではない」と抗弁したが、誰が信じるというのか。

菅首相はそれ以来、会食自粛はもちろんのこと、日課にしていたホテルでの朝食会も見送っているそうだ。そのため、「自民党内からは、会食自粛でストレスを抱えるだけでなく、『集める情報が減れば、判断に影響しかねない』(ベテラン議員)と懸念する声も出ている」と、読売新聞オンライン(1月15日)が報じた。

会見で「福岡県」を「静岡県」といい間違えたり、記者の質問に対して適切な回答ができなかったりする失態が続くのは、激務と会食自粛によるストレスがあるのではないかというのである。

当然ながら、この記事に対して、国民、中でも医療従事者たちは会食どころか、食事をとる時間や家に帰ることもできない人がいるのにという批判がSNS上で巻き起こった。

■官邸で情報交換すればいいではないか

酒を飲まず、パンケーキを食べながら話をするのなら、高級ステーキ屋ですることはなかろう。

何もコロナ感染の危険のある繁華街で会食せずとも、官邸に人を呼んで情報交換すればいいではないか。

私は招かれたことがないから、官邸の中がどうなっているのかは知らない。

だが、第1回目の緊急事態宣言を出した後、安倍晋三首相(当時)は、毎晩のように官邸で仕出し弁当を取り、1人寂しく食べてから、帰宅していたと報じられた。

また、それ以前にも、安倍と親しい作家、評論家を公邸に呼んで、食事を共にしていたと報じられている。

小さいかもしれないが、食事などをする部屋があるに違いない。感染予防を徹底して、間にはアクリル板を立て、有識者たちに来てもらえばいい。

この非常時に、外で飯を食いながらでなくては情報が得られないというのでは、首相としていかがなものか。

ちなみに朝日新聞の1月15日の「首相動静」にはこうある。

「2時57分、新聞・通信各社の論説委員らと懇談。3時28分、在京民放各社の解説委員らと懇談。55分、内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。(中略)7時40分、報道各社のインタビュー。45分、衆院第2議員会館。8時20分、東京・赤坂の衆院議員宿舎」

官邸で記者たちと懇談しているのである。

■「結婚式に招かれた来賓のスピーチのよう」

多くの人と会うことが好きだと菅首相はいうが、相手のいうことを正しく理解し、自分の言葉にして語るということが、この人には苦手のようだ。

週刊新潮(1/21日号)は、2度目の緊急事態宣言を発出した時の結びの言葉、

「1カ月後には必ず事態を改善させる。そのためにも私自身、内閣総理大臣として、感染拡大を防止するために全力を尽くし、ありとあらゆる方策を講じてまいります。これまでの国民の皆さんの御協力に感謝申し上げるとともに、いま一度、御協力賜りますことをお願いして、私からの挨拶とさせていただきます」

これを「結婚式に招かれた来賓のスピーチのよう」だと政治部デスクが評していて笑ったが、いい得て妙である。

自分の言葉を持たず、ペーパーを棒読みするしかできない菅首相にストレスがあるとすれば、首相という職責に耐えられなくなっているからであろう。

■石破議員も博多で「ふぐ会食」

ポスト菅の有力候補が石破茂元幹事長である。JNNが1月9日、10日に実施した世論調査で、2位の河野太郎行政改革担当相を引き離してトップだった。

石破議員の総裁選でのスローガンは「正直、公正」。本人は「夜の宴会で仲間を増やすより、政策に磨きをかけるのが大事」だといっている。

菅首相の支持率が急落する中、石破への期待が膨らんでいたところに、週刊文春(1/21日号)が、石破を含めた9人の人間が福岡県・博多の高級フグ屋で会食していたと報じたのである。

刺身
写真=iStock.com/sintaro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sintaro

1月7日に東京都など1都3県に「緊急事態宣言」が出されたのに続いて、13日には大阪、兵庫などを含む11都府県に拡大された。

その中には福岡県も含まれている。7日には県議の感染が発覚し、過去最多の388人の感染が確認されていた。

石破議員が会食した1月8日には、会食好きな二階幹事長までが、党所属の全国国会議員に「新型コロナウイルス感染拡大防止について」という文書を出し、「飲食を伴う会合への参加を控える」と要請しているのに、それを嘲笑うかのごとき振る舞いをしていたのである。

週刊文春によれば、その日、地元の機械メーカーの創業記念で石破議員が講演して、その打ち上げのために集まったようである。

メンバーは山崎拓元副総裁、総務副会長の三原朝彦衆院議員、山崎の元秘書で福岡県議の岳康宏、地元の商社グループの社長などだったという。9人中4人が70歳以上だった。

■文春にリークした人間の意図は

石破を応援する博多の会のような趣で、6時頃から始まって、8時には散会している。

石破本人は、文春の取材に対して、体温を計り、消毒もしたし、「抑制の利いた会でした」といっているが、当日居合わせた客は、体温計測も消毒もすすめられなかったと“告白”している。

国民に不要不急の外出を自粛せよと強いておいて、お前たちは9人も集まって一人4万円のフグ三昧か。この会の呼びかけ人である山崎拓が、頑なに「参加していない」といい張っているのも、「こんな時にまずいところを見られた」という意識があるからだろう。

日頃は歯切れがいい石破議員だが、今回については、つじつまが合わない回答に終始している。後から回答した中にこのような文言がある。

「企業における講演後、福岡泊だったので夕食を取らせて頂いた。少人数でのプライベートな食事で、『会食』との認識はない」

何人かが目的をもって一緒に飯を食うのを会食というのではないのか。

誰が週刊文春にリークしたのかは分からないが、菅政権の終わりが見え始めた昨今、石破の動きを牽制しようという意図があるようだ。

石破議員の脇の甘さが、こんなところでも出てしまった。菅の次を本気で狙うなら、ふんどしの紐を締め直したほうがいい。

■会食をやめられない2つの理由

これ以外にも、政治資金集めの大パーティーを開いた政治家、酒を飲んで羽目を外した政治家など、枚挙に暇がない。

自覚がないといってしまえばそれまでだが、なぜ、永田町の人間たちは会食を止められないのだろう。

一つには、勘違いした選良意識がベースにあるように思う。自分たちは選挙で選ばれた人間だから、国民に命じて外出や会食を控えろといえるが、自分たちにはその規範は適用されない特権階級であると考える議員が多くいるのではないか。

二世や三世の世襲議員たちが多数を占めるようになってきて、その傾向はますます強くなってきているように思う。いわゆる頭でっかちで世間知らずの面々である。

今一つは、「待合政治」の伝統がいまだに色濃く残っているため、喫茶店でお茶を飲みながらでは、政治は動かないと“錯覚”している人間が永田町村にはまだいるからである。

2005年に小泉純一郎首相(当時)の「郵政選挙」で当選した杉村太蔵議員が、当選後のインタビューで「料亭に行ってみたい」といったが、当時でも、国会議員といえば料亭というイメージはまだ根強くあった。

■「夜の国会議事堂」赤坂の世界

赤坂は、柳橋や新橋、神楽坂よりも格下ではあったが、永田町から近いという地の利を生かして発展してきて、「夜の国会議事堂」とまでいわれていたのである。

料亭
写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

1955年頃には芸妓が300名、料亭は80軒あったといわれる。私がメディアの世界に入ったのは1970年だが、赤坂の有名料亭の前には黒塗りのハイヤーがズラリと並んでいた。

政治家たちが夜な夜な赤坂の料亭に集って密談を交わす「待合政治」が頻繁に行われていたのである。

料亭が使われたのは料理がうまいとか、芸者がいるからという理由だけではない。

私も何度か行ったことがある「金龍」という名高い料亭があった。残念なことに、2019年に惜しまれて閉店してしまったが、中に入ると小さな小部屋がいくつもあった。

密談をしたいが、マスコミなどに知られたくない人間は、別々に部屋を取る。ここもそうだったと思うが、料亭といっても自分のところで料理人を置いて出すのではなく、多くは仕出しを取るのである。

料理をつまみながら酒を飲んでいるうちに、他の部屋にいた人間が手水を装って入ってくる。ひそひそ話をして、再び自分の部屋にもどって行く。

料亭では、出入りの際、誰とも顔を合わせないように必ず配慮する。料亭を出て、新聞記者から「誰と会っていたのか」と聞かれても、「仲間内で酒を飲んでいただけだ」といい逃れができる。

■「建前」は国会で、「本音」は料亭で

料亭では、酒食だけではなく、麻雀などもできた。各党の国会対策委員会の責任者が集まり麻雀に興じているところへ、自民党の幹事長や官房長官などが顔を出し、半ちゃん程度付き合い、ごっそり負けて、「じゃ、これで」と帰って行く。

麻雀で負けたことにして、多額のカネを他党の人間に配るのである。

また、カネだけではなく、別の部屋に芸者を待たせ、もてなすということも行われていたようだ。

「夜の国会議事堂」といわれた所以である。

そうやって他党にも人脈を広げ、影響力を持つことが、党内での出世につながったのだ。

田中角栄は「千代新」という料亭が好きだった。写真週刊誌FOCUSが、首相当時の角さんが「千代新」から出てくるところを撮った写真が話題になったことがあった。

角栄の愛人の1人は神楽坂の芸者であった。元芸者で、私も時々顔を出していた赤坂の料亭の女将は、三木武夫の彼女で、子供までいた。待合政治華やかな時代だった。

昼間、国会などでのやり取りは「建前」で、「本音」は料亭でという日本的な政治手法が色濃く残っていた。

当時、某新聞の政治部長と親しくなった。一度、神楽坂に行くという彼のハイヤーに乗せてもらったことがあった。

どこへ行くのかと聞くと、「角さんと各社の政治部長たちの集まりが神楽坂の料亭である」といった。政治部と首相の懇親会も料亭で行われていたのである。

■本音で話せる「会食」ができないストレスなのか

そんな待合政治が崩れ、赤坂村の火が消えていったのは、リクルート事件がきっかけだった。自民党単独政権が終わりを告げ、非自民勢力が結集して細川政権ができる。

細川首相は「料亭政治の廃止」を宣言し、自らもホテルを利用するようになる。派閥も力を失っていって、「夜の国会議事堂」は崩壊していくのである。

だが、日本の特殊な政治的慣行である待合政治そのものがなくなったわけではない。場所をホテルや高級和食屋などの個室に移して、酒食を共にして談合し、重要な政治的決定を話し合うことは今なお行われている。

ホテル
写真=iStock.com/Nikada
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nikada

田中角栄的な遺伝子を色濃く持っているであろう菅首相や二階幹事長などは、そうやって人脈を広げ、権力の階段を上ってきたのである。

したがって、本音で話せる「会食」ができないのはストレスがたまることなのであろう。

ストレスがたまりにたまった菅首相は、早期にコロナ感染拡大をストップし、今夏の東京オリンピック・パラリンピックを何としてでも開催しようと、コロナ特措法と感染症法の改正案を成立させようとしている。

その中身は「政治の怠慢や判断の甘さを棚に上げ、国民に責任を転嫁し、ムチで従わせようとしている」(朝日新聞社説、1月16日)ものである。

菅政権の強権的な体質がもろに出ている危険なものといわざるを得ない。

■国会議員が率先して範を垂れるべきだ

緊急事態宣言の発出前でも、「予防的な措置」として知事が事業者や施設に対して、営業時間の変更などを要請・命令できるようにし、応じなければ罰金を科すというものである。

感染症法では、保健所の検査を拒んだり、嘘の回答をしたりする、入院勧告に従わない場合は、懲役刑や罰金刑を科すというのだ。

「だが、いつどこで誰と会ったかはプライバシーに深くかかわる。刑罰で脅せば、市民との信頼関係のうえに成り立ってきた調査が変質し、かえって協力が得られなくなる事態を招きかねない」(同)

その反面、休業や時短に伴う減収分を行政が支援することは、国や自治体の努力義務にとどめるというのである。

新聞などの世論調査では、罰則も仕方ないという声が多いようだが、それは広がり続けるコロナ感染に対する恐怖心からで、冷静にこの政府案を検討すれば、この法案の持つ強権的なやり方に首を傾げ、反対する人のほうが多いはずである。

むしろ特措法に盛り込むべきは、コロナ感染が収まらない中で会食した国会議員の名前を公表し、議員歳費を召し上げる、それでもいうことを聞かない者は議員辞職を求めるようなものではないのか。

国民にこれ以上の自粛を求めるのなら、国会議員自らが率先して範を垂れるべきであるこというまでもない。そうでなくては、国民の不満はますます高まるばかりである。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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