三浪、父の死を超えて…65歳「上皇陛下の執刀医」がメスを置くまでにやり遂げたいこと
プレジデントオンライン / 2021年3月6日 11時15分
※本稿は、天野篤『天職』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「神の手」と称された医師も一人の組織人
振り返れば、ずいぶん長い間、心臓外科医として働いてきました。
私は2002年から勤務してきた順天堂大学医学部の「一教授、一外科医」の立場を、2021年3月を機に区切りをつけることとしました。昨年秋、65歳となったことで、2021年3月末に大学医学部の心臓外科学講座主任教授としての定年を迎えるのです。
当面、学校法人順天堂の理事としての職位や、特任教授という肩書は残るのですが、これで心臓外科医としての私の医者人生が終わるということではありません。むしろ逆で、主任教授として大学運営にかかわっていた時間などが減ることもあり、今後はよりいっそう診療と手術にあてる時間が増えるとさえ思っています。
今後も手術ができる限り、現役の心臓外科医としてメスを持つことにこだわろうと思っています。
そのいっぽうで、かつては正しいと信じて突っ走っていたことも、時の経過のなかでは異なる思いも感じ始めています。一心臓外科医として最後の日まで前進し続けるためにも、自身の歩みをあらためて問い、追い求める医師の姿を整理してみようと、このたび『天職』(プレジデント社)を著(あらわ)しました。
■「三浪」からの人生リベンジ
私が医師になったのは27歳のときです。三浪してようやく入ることができた日本大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格したのですが、ようするに人よりも3年遅れをとったスタートでした。
思えば、私の医師としての歩みは「遅れた3年を取り戻そう」と、がむしゃらに突き進んできた日々といっても過言ではありません。
以来、心臓病の患者さんを9000例近く手術してきたと思います。「思います」というのは、正確に手術数をカウントしていたのは6000例の頃までだったからです。
「心臓外科医は数だよ。どれだけ手術をやるかで腕が決まる」
そんな研修医時代の先輩医師のアドバイスもあり、数を意識していた時期もありました。循環器内科の先生たちに患者さんを回してほしいと、「営業」のようなお願いをして一日に3回手術することもありましたが、この10年というもの、私の気持ちには少しずつ変化が表れてきたのです。
それは、「その手術は本当に患者さんのための手術だったのか──」という自問自答です。患者さんの安全を脅(おびや)かすような手術をしたことは一度もありませんが、心のどこかで、手術数を自慢げに披露(ひろう)していたことも事実だからです。
■心臓外科医が、父を心臓病で亡くす痛恨体験
心臓外科医の道を志したのは、私の父が心臓弁膜症を患(わずら)っていたからです。私が高校2年生の頃から体調がすぐれなかった父は、心臓にある4つの弁のひとつである僧帽弁(そうぼうべん)が本来の働きをせず、心不全を繰り返す状態が起きていました。
医学部2年生のときには、弁を人工弁に取り換える手術を行いましたが、いずれ再手術が必要になることもわかっていました。人工弁は執刀医の判断で生体弁(ブタの弁を加工したもの)が選ばれたため、年月の経過で劣化するからです。
「そのときは、自分の手で父を助けたい……」
そうした気持ちの芽生えが、心臓外科医の道へ向かった最初のきっかけです。けれど、三度目の手術で、66歳だった父は帰らぬ人となりました。
二度目の手術では父をみずから助けたいと思い、第一助手として手術に臨みました。しかし、状態が悪化した三度目の手術のハードルは高く、当時の私の技量では携(たずさ)わる自信もありません。家族として見守るのが精一杯でした。
■上司からの「クビ宣告」が「天職」の道を拓く
大きな喪失感のなかで、私は当時働いていた病院もやめることになりました。技量はまだまだなのに、口だけは一人前、上司から事実上の「クビ」を言い渡されたのです。いいようのない挫折体験でした。
それでもひたすら腕を磨き、心臓外科医として前へ進むことができたのは、手術によって見違えるように元気を取り戻していく患者さんたちの笑顔のおかげでした。
「心臓の詰まるような感覚がなくなって、ちゃんと胸が高まるようになったよ」。そう患者さんに言ってもらえることは素直にうれしいこと。
心臓が元気になるということは、その後の患者さんの人生を快適に変えることにもつながっています。患者さんに寄り添うことの使命感と、患者さんの人生に自分の手術が役立っているという充実感は、「きょうよりも明日は少しでも前進しよう」というモチベーションになりました。
人の役に立つ喜び──心臓外科医はまさに私の天職なのです。
■なぜ上皇陛下の心臓手術をまかされたのか
2012年2月、上皇陛下(当時の天皇陛下)の狭心症(きょうしんしょう)の治療のための手術を執刀いたしました。上皇陛下は冠動脈の太い血管のうち2本が狭(せま)くなっている状態で、滞(とどこお)っている血流の再建のために、体の別の血管をつないで血液がしっかり流れるようにする迂回路(うかいろ)をつくる「冠動脈(かんどうみゃく)バイパス手術」が必要でした。
一介の外科医である私が、なぜ執刀をまかされたかといえば、それは私が心臓を止めずに、人工心肺装置も使わずに冠動脈バイパス手術を行う術式「オフポンプ術」の先頭にいたからでしょう。
父の死と、その直後のクビ宣告を受けてからの私は、「患者さんをより安全な状態で手術し、より確実に回復へ導く手術」を模索していました。そんななかで1996年頃から取り組み始めたのがオフポンプ術でした。
■患者さんの体に負担の少ない新しい術式
従来の心臓手術では血管を人工心肺装置につなぎ、心臓を止めて行っていました。人工心肺装置は医療従事者の間では「ポンプ」と呼ばれています。心臓にかわって血液を送り出すポンプの役割をするからです。
心臓を止める時間が長ければ長いほど、患者さんの体へのダメージも大きくなります。当然、予後にもかかわってきます。いっぽうで、私が手がける冠動脈バイパス手術は心臓を止めずに行うことがほとんどです。
人工心肺装置を使わない「オフポンプ術」では、患者さんの負担が大幅に軽減されます。その結果、それまでは手術をあきらめざるをえなかったご高齢の方々も、安全に早く回復するような手術ができるように変わっていきました。
冠動脈バイパス手術後の上皇陛下が元どおりの元気なお姿でご公務に復帰されたことは、国民のひとりとして大きな喜びであり、術者としてもなによりうれしいことでした。
■自分だから救える患者さんがまだまだ世界中にいる
そんな心臓外科医としての私にも、メスを置く日はいつか必ず訪れます。ですが、その日がくるまで、「本当に自分を必要としている患者さんを探したい」と考えています。大げさな言い方をすれば、「自分だからこそ、命を救える患者さんはまだまだ世界中にいるはずだ」という思いからです。
新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、海外への渡航はまだまだ課題もありますが、今後のひとつの目的地は、中国だと思っています。
これまで、招かれて何度も中国で手術を行ってきました。今や世界第2位の経済大国となった中国では医療も急速に進歩しています。しかし、富裕層には手厚い医療体制が整えられているものの、圧倒的に多い所得水準が低い人々は医療の恩恵を受けられていないのが実情で、心臓にトラブルを抱える患者さんが増え続けているのです。
■「限りある炎」を燃やし尽くしたい…
世界的に見ても整備されている日本の医療体制では、富裕層にも所得水準が低い層にも高水準で手厚い医療が提供されています。また、血管内に挿入する細い管状の医療器具、いわゆるカテーテルを使った治療法の進歩により、外科手術の意義は認めつつも、大きく胸を開く開胸手術自体が減ってきていることも事実です。おのずと私がやるべき仕事は限られてきます。
近年は、ほかの病院では手術を断られてしまうような難易度が高い状態の患者さんを中心に手術を行っていますが、そうした症例はむしろまれで、私が執刀しなくても元気を取り戻せるケースも多いのです。それこそが日本の誇る医療の素晴らしさです。
しかし、中国や、その先のアジア各国は違います。今なら私の手で助けられる命がたくさんあるのです。ですから、ここから先の人生は、日本とアジア各国を行き来しながら心臓病の患者さんと向き合う生き方を実現させたいと考えています。言い換えれば、自分を必要としている患者さんを、こちらから探していきたいのです。
65歳という年齢を考えると、メスを置く「その日」は、けっして遠い先の話ではありません。
だとすれば、天職である心臓外科医としての「限りある炎」を燃やすべき場所はどこなのか。みずから炎を消すならばどこで消すのか。その答えのひとつが中国と、その先のアジア各国にあると感じています。
■「運命の患者さん」と出会いたい
仲間や、先輩、後輩からは、「何もそこまでしなくても……」「もうゆっくりしてもいいのでは……」といった言葉をかけられます。しかし、そう言われると、なおさら「のんびりはしたくない」となるのが私の性分なのです。
少なくとも、生活の基盤は日本に構えつつも、年間の半分くらいは、私を必要とする患者さんのために、世界中どこへでも行きたい気持ちです。私はまだまだ「運命の患者さん」と出会いたいのです。
日本を離れたいと考える理由はもうひとつあります。それがあとに続く外科医のためになるからです。私が手術をしなくなって“ご意見番”のようになったら、若手医師にとってはけむたいだけです。
私が心臓外科医としてどこか遠くにいれば、彼らの邪魔になることはないでしょうし、飛躍の場も広がることでしょう。
■上皇陛下との出会いで、断酒を決めたワケ
「一視同仁(いっしどうじん)」という言葉があります。私の好きな言葉です。唐の時代の中国の文学者、韓愈(かんゆ)(768-824年)が著した『原人』の一文ですが、辞書によればその意味は、「すべての人を差別せず平等に見て、仁愛を施すこと」とあります。そのうえで、自分の仕事に置き換えると、「すべての人を公平に平等に診て、手術で回復してもらう」ということだと理解しています。
上皇陛下の「公平の原則」に心を打たれて少しでも実践したいと決めたときから、「常在緊急対応」の精神で多少は嗜(たしな)んでいた酒をやめました。
海外訪問時など、遠く離れた異国の地にある場合にはお付き合いを最優先として例外にしていますが、国内では心臓外科医である限り、夜間も含めて救急の患者さんがいつ運ばれて来ても対応できるようにしたかったからです。
仮に酒席の夜があれば、おのずと救急対応ができない時間ができてしまいます。もう少し年が若いときならば、それも必要なリラックスのための時間でしたが、残り少ない心臓外科医としての日々を考えると、「かたときも医師としての時間は無駄にはできない」。そういう思いに気持ちは変わっていたのです。
息も苦しく、車いすで入院して来た患者さんが、私たちの手術で元気を取り戻し、背筋を伸ばして退院して行くのを見送るのは、心臓外科医の最高の喜びです。だからこそ、限りある炎を少しでも長く燃やし続けることで、元気を取り戻せる人をひとりでもふたりでも増やしていきたいのです。
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心臓血管外科医
1955年、埼玉県蓮田市に生まれる。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)、新東京病院(千葉県松戸市)などで心臓手術に従事。1997年、新東京病院時代の年間手術症例数が493例となり、冠動脈バイパス手術の症例数も350例で日本一となる。2002年7月より順天堂大学医学部教授。2012年2月、東京大学医学部附属病院で行われた上皇陛下(当時の天皇陛下)の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。心臓を動かした状態で行う「オフポンプ術」の第一人者で、これまでに執刀した手術は9000例に迫り、成功率は99.5%以上。主な著書に、『熱く生きる』『100年を生きる 心臓との付き合い方』(オンデマンド版、講談社ビーシー)、近著に『若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方』(講談社ビーシー/講談社)、『天職』(プレジデント社)がある。
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(心臓血管外科医 天野 篤)
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