執筆を他人に任せた『バカの壁』は、なぜ養老孟司の最大のヒット作になったか
プレジデントオンライン / 2021年3月26日 11時15分
※本稿は、布施英利『養老孟司入門』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
■「この本は私にとって一種の実験なのです」
『バカの壁』の冒頭のページに、いきなりこんなことが書かれる。
「いってみれば、この本は私にとって一種の実験なのです。」(『バカの壁』、3ページ)
いったい、どんな実験がされるというのか。それは本の作り方、文章の書き方に関する実験なのだが、ともあれ、他の本とは作られ方が違う。この『養老孟司入門』では、養老孟司の著作の中で「書き下ろし」で書かれた本を取り上げる、という方法を取っている。
それは、かつて養老先生が『形を読む』を書き上げたとき、先生が口にした「やっぱり、書き下ろしの本は良いな」という言葉が強く記憶に残っており、そんな視点で先生の書き下ろしと他の著作を読み比べてみることにしたのだ。書き下ろしの本には、ひとつの「小宇宙」ともいうべき、体系だった秩序と世界観でまとめあげられた思考がある。
しかし二冊だけ、つまり第二章の『唯脳論』と、この第五章で取り上げる『バカの壁』だけは、別の重要さから選ぶことになった。つまりこの二冊は、書き下ろしではないが、特色ある主張があり、やはり養老孟司を論じるに当たって外せない、と考えたからだ。
とくに『バカの壁』は、養老の著作の中でも桁違いのベストセラーになった。なんといっても代表作だ。しかしそれだけでない。この本には、その作り方に一つの「実験」とも呼べるやり方があって、それもまた重要なことなのだ。
その実験とは、なにか?
■文章を“視覚的”に伝える
養老は、この本を作るにあたって、文章を書かなかったのだ。政治家や実業家が、仕事の忙しさから、ライターに口述して本を作る、というやり方は、よくみられることだ。
『バカの壁』も、簡単にいえば、そうやって作られた。それは養老が多忙だから(たしかに多忙ではあるが)とか、文章を書くのが面倒だから、という理由からだけではない。養老自身が「実験」と呼ぶように、ここには、本を書くということへの、養老なりの新しい試みともいえる姿勢があったのだ。
養老孟司は名文家だ。明快に、独自の思考を伝える文章力を持っている。だから、他人つまりライターに書いてもらうより、養老自身が文章を書いた方が、より養老らしい味が出る。しかし、そういう本は、ずいぶん書いてきた。書き下ろしの本はもちろんだし、雑誌に書いた短文を集めた本でも、養老のウイットに富んだ文章は、われわれを堪能させてくれた。
だから、このあたりで、一つの「実験」をしようと、養老は考えた(あるいはそのような編集部の提案を受け入れた)。
その実験とは、話した内容を編集者に文章にまとめてもらうことだった。長年の付き合いのあるベテラン編集者がその提案をしてきた。その際、文章のまとめ役として連れてきたのが写真週刊誌の編集に長く携わってきた編集者である。
■「バカの壁」は口癖だった
写真週刊誌というのは、文章でなく写真で伝える、というビジュアルな言語の手法を磨き上げたものだ。養老先生はのちに、自らやってきた解剖図に説明を加える作業と、写真に文章を添え、膨大な数の読者に訴える写真週刊誌の記事の作り方は似ていたと言っていた。「実験」とはその技術に賭けてみよう、というものだった。
『バカの壁』の原稿ができた頃、鎌倉の養老先生のご自宅に遊びに行ったことがあった。ちょうど新潮社の編集部の人が二人、やって来ていて、新しい本のゲラを届けに打ち合わせをするという。そのゲラを横目で見ながら、タイトルのところに「バカの壁」とあるのを目にした。
養老先生は、10年以上前から「バカの壁」という言葉を口にしていた。
研究室の机の上に、馬の骨と鹿の骨を並べて、「これが馬鹿の骨だ」と冗談を口にしたりもしていた。自分はそのとき、「あのバカの壁をタイトルにした本ができるのですね」と言っただけで、それ以上のことは言わなかった。思わなかった。
見る人が見たら、そのゲラに「オーラ」を感じたかもしれない。しかし不覚にも、自分は、「また養老先生の新しい本が出るんだ」と思っただけだった。見る目がない。
それから本が発売になって1週間ほど経って、新潮社の編集者の人から、「『バカの壁』がとんでもない売れ方をしている。新潮社でも、これまでなかったことです!」とメールが来た。発売1週間で、そんな状態だった。読者も、その本の存在に何かを感じたのだろう。ベストセラーというのは、そんな感じで世に出ていくものなのかと知った。『バカの壁』は、それから400万部を超えて、日本の戦後を代表するミリオンセラーとなった。
■本が売れても人生は変わらないが…
そんなベストセラーとなっている渦中、とある用事で養老先生と会い、エレベーターの中で二人きりになったことがある。
一瞬沈黙があったが、「先生、本が売れて、人生変わりましたか?」と聞いてみた。養老先生は「もう年寄りだし、何も変わらないよ」と言った。もちろん、何も変わらないはずがない。自分が目にし、耳にする範囲でも、養老先生への世間の眼差しは(輝くほどに)変わった。
しかし、エレベーターの中で口にした「何も変わらないよ」という言葉そのままに、そう言った養老先生は、少しも浮かれたところがなかった。それは謙遜してそう口にしたというより(そもそも、養老先生が自分に対して謙遜する必要もない)、本当にそう思っている雰囲気だった。何も変わらないよ、と。
ただ、エレベーターを出て、外を歩いているとき、ぼそっと、こんなことを口にした。
「子供の頃、母親に言われたんだ。お前は長生きすると、良いことがあるから、長生きするように、と」
そう言った養老先生は、やはり本が売れて嬉しかったんだと思った。本が売れたことは「良いことだった」と思っていたのだ。
■養老先生は上司としては「ノーサイン」の人
そして、養老孟司は、『バカの壁』に続いて、三部作ともいえる『死の壁』、『「自分」の壁』を、『バカの壁』の作り方と同じく、編集者(後藤裕二さんという)に聞き取りで文にしてもらう。
「自分で書いてもいいわけですが、同じ話でも、一度他人の頭を通すと、わかりやすくなることがあります。」(『「自分」の壁』、222ページ)
当たり前のことをさらっと書いているようだが、ここに養老の凄みがある。つまり、その本のタイトル通り、「「自分」の壁」を超えているのだ。
養老先生を横から見ていて、もしかしたら「いい加減」と思われかねないな、と思えることがある。たとえば、ある企画が持ち込まれたとする。それをとくに考えずに引き受ける。本のタイトルを誰か(編集部とか)が決める。それを丸呑みして、とくに意見は述べない。
あるとき、「養老先生は、どんな上司ですか?」と聞かれたことがある。改めて考えてみて、その頃に話題だったイチロー選手と仰木彬監督の関係における、仰木監督に似ているなと思った。イチロー選手のあるインタビューを見ていて「仰木監督は、どんな上司?」という質問に、イチロー選手が一瞬考えて「ノーサインの人です」と言っていた。
つまり監督というのは、試合の状況に応じて、選手に指示を出すのだが、イチローには、一切、サインを送らない。たとえばノーアウト一塁の状況で、送りバントをしろとか、ライト方向にゴロを打てとか、ツーストライクになるまで待てとか、そういうことは一切指示しない。すべてイチローに任せ、ノーサインなのだという。
養老先生を仰木監督に喩えると、自分がイチロー選手に該当することになってしまい、説明の仕方がおかしくなるが、ともかく「上司」のあり方について言えば、養老先生も同じく「ノーサイン」の人なのだ。
■他人に書かせることで「自分」という壁を超えられる
自分(つまり布施)は、ああしなさい、こうしなさい、と言われると、逆にやる気をなくすひねくれた性格の人間で、しかし「なんでも自由にやればいい」と言われると俄然、やる気が出る。人によっては、自由にしていいと言われると怠けてしまうかもしれないし、指揮・アドバイスされないと何をしたらいいのかわからなくなるかもしれない。
実際、東大の研究室でも、大学院生で「養老先生は指導というものをしない」と不満を述べている人もいた。優秀な東大生は、「こうしろ」と言われれば完璧にやり終えるが、自分で考えろ、自分で決めろ、と言われると途方に暮れるタイプも少なくない。
ともあれ、自分にとって、養老先生はノーサインの人で、そういう環境というのは、実はなかなか得られないのではないかとも思った。誰でも、何かひとこと言いたくなる。そこを完全なノーサインの状態のままにするのは、かえって難しいことかもしれない。
ともあれ、養老先生はノーサインの人で、こういう言い方は変なのだが、じつは養老先生は、自分に対してもノーサインなのではないか、と編集者の人への対応などを見ていると思うことがある。
そして、そういうノーサインのあり方こそが、『バカの壁』が大成功した理由だったのではないか。『「自分」の壁』という本も、ご自身で書いてもいいのだが、他人の頭を通すとわかりやすい、というのも、単に噛み砕いた話になるということではなく、そこに「自分」という壁を超える、自分という壁を消す、養老先生だけにできる芸当があったのかもしれないと考えたりもしたものだった。
■人生の意味は自分だけで完結するものではない
「自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」
(『バカの壁』、109ページ)
という『バカの壁』のなかの言葉を読んでも、この「人生の意味は自分だけで完結するものではな」いという言葉を吐く背後の生き様には、そういう「生きる技術」のようなものを感じる。
「他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている。人がいろんなことをして、自分だけ違うことをして、通るわけがない。当たり前の話です。」(同前、70ページ)
「とすれば、日常生活において、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。」(同前、110ページ)
『バカの壁』の制作で、編集者に、そういう言葉を発した養老先生は、その言葉でこだわった「共同体」の中で、大きな成功をおさめたのだ。
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解剖学者、美術批評家
1960年生まれ。群馬県出身。東京芸術大学卒。同大学院博士課程(美術解剖学)修了。博士(学術)。美術解剖学の視点から、古今東西の美術を中心に、幅広く批評を行う。主な著書に『脳の中の美術館』(ちくま学芸文庫)、『子どもに伝える美術解剖学』(ちくま文庫)、『人体5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)、『ダ・ヴィンチ、501年目の旅』(インターナショナル新書)、『洞窟壁画を旅して』(論創作社)、『構図がわかれば絵画がわかる』『色彩がわかれば絵画がわかる』『遠近法がわかれば絵画がわかる』(以上、光文社新書)など、多数。
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(解剖学者、美術批評家 布施 英利)
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