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「五輪開催の意義を語らない選手は不戦敗」産経社説のあまりに理不尽な主張は大問題だ

プレジデントオンライン / 2021年6月4日 11時15分

聖火リレーが中止となり、高岡スポーツコアで行われた点火セレモニーに参加したプロバスケットボール選手の宇都直輝さん(手前)ら=2021年6月2日、富山県高岡市 - 写真=時事通信フォト

■IOCが意地でも実施に向かうのは「放映権料」である

東京オリンピック・パラリンピックの開催まで2カ月を切った。沙鴎一歩は5月19日付の記事で「菅義偉首相は東京五輪を中止すべきだ」と主張したが、その思いは強まるばかりである。

登山でよく指摘されるのが、「引き返す勇気」だ。頂上が目前でも天候が悪化するなど危険が迫っているときにはそれ以上登るのを中止し、下山すべきだという戒めである。目指す山が高ければ高いほど、登山家は下山の決断に苦しむ。ここまで登ってきたのになぜ諦めなければならないのか。これほど悔しく、酷なことはない。だが、一番大切なのは登る勇気よりも、引き返す勇気である。

オリンピックも同じだ。政府や大会組織委員会は中止する勇気を持つべきである。なぜ中止を言い出せないのか。それは五輪開催に巨額のオリンピックマネーが動く商業主義が蔓延っているからだ。

夏の暑い時期に開催するのもオリンピックマネーが関係している。1964年の東京五輪は10月10日から10月24日までだった。ところがこの時期は全米スポーツで1番人気を誇るNFL(アメフト)のシーズン中になる。NFLは9月から始まるので、その前にずらせばIOC(国際オリンピック委員会)がアメリカのテレビ局から巨額の放映権料を得やすい。だから最近の五輪はどれも真夏開催になっているのだ。

■欧米メデイアの多くも「五輪中止」を求めている

欧米のメデイアの多くは、五輪の中止を求めている。

たとえば、アメリカのワシントンポスト紙の電子版は5月5日付で「パンデミック下で国際的な大規模イベントを開催することは、実に不合理だ」と指摘。医療体制が逼迫する日本の現状を書いた後、IOCの姿勢を「利益優先だ」と批判し、「中止は痛みを伴うが、商業主義からの脱皮につながる」と訴えている。

イギリスのガーディアン紙の電子版も7日付で「五輪では多くの選手や関係者らが来日し、当然なことにウイルスも入ってくる」と伝え、「IOCが開催に固執するのは、巨額な金が存在するからだ」と指摘したうえで、「IOCの収益の4分の3は五輪のテレビ放映権料だ。それが無くなる恐怖にIOCは耐えられない」とまで酷評している。

そんななか、アメリカの国務省が5月24日、日本への渡航について4段階の渡航勧告レベルのうち、2番目に厳しい「渡航の再検討を求める」から最も厳しい「渡航の中止を求める勧告」に引き上げた。

引き上げの理由について国務省はCDC(疾病対策センター)の見解を挙げている。CDCは「日本へのすべての旅行を避けるべきだ。現在の日本の状況ではワクチンの接種が完了した旅行者でも、変異ウイルスに感染したり、感染を拡大させたりする危険がある」と忠告している。

■アメリカの公衆衛生の専門家たちも「コロナ対策は不十分」

国務省は世界的な新型コロナの感染拡大を受け、4月から国民向けに出している「各国への渡航の安全度を示した情報」の見直し作業を進め、5月24日に最新版を発表した。

また、アメリカの公衆衛生の専門家グループからも警告の声が出ている。グループは五輪の新型コロナ対策が「不十分で改善が必要だ」との見解をまとめ、5月25日付のアメリカの医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に発表。IOCが感染対策に必要なルールをまとめた「プレーブック」について次のように指摘している。

「競技会場が屋外か屋内か考慮していないなど科学的に厳密なリスク評価がされていない」
「接触状況の追跡に選手が競技中には持たないスマートフォンのアプリを使う前提となっているのは問題だ」

拝金主義のIOCは中止を避けることに懸命で、具体的な感染対策まで頭が回らないのだろう。悲しいかな、日本政府はこのIOCにがんじがらめにされ、その結果、五輪中止に踏み切れないのだと思う。

オリンピックハウス、ローザンヌ、スイス
写真=iStock.com/Bogdan Lazar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bogdan Lazar

■「中止の決断を首相に求める」との朝日社説が議論を呼ぶ

5月26日付の朝日新聞が「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」との主見出しを付けた大きな1本社説を掲載し、冒頭部分でこう訴えている。

「この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ」
「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める」

「理にかなわない」「疑問や懸念」「不信と反発」「中止の決断」という言葉はいずれも重い。オリンピック開催の是非についてここまではっきり主張する新聞社説は、これまでなく、大きな議論を呼んでいる。

朝日社説は指摘する。

「だが何より大切なのは、市民の生命であり、日々のくらしを支え、成り立たせる基盤を維持することだ。五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない」
「まず恐れるのは、言うまでもない、健康への脅威だ」
「この先、感染の拡大が落ち着く保証はなく、むしろ変異株の出現で警戒の度は強まっている」

沙鴎一歩は昨春、「開催できる」と判断していた。新型コロナの感染力がインフルエンザに比べてかなり弱く、空気の流れのある屋外ではウイルス自体も拡散し、「野外競技は問題ない」と考えていた。ところが今春の新型コロナは違う。明らかに感染力の強い変異株が出現し、感染対策が難しくなっている。五輪開催に反対という朝日社説には同意する。

■行動様式や考え方の異なる外国人に「自制」を求められるのか

さらに朝日社説は「『賭け』は許されない」との小見出しを立て、まずこう指摘する。

「選手や競技役員らの行動は、おおむねコントロールできるかもしれない。だが、それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い」
「順守すべき行動ルールも詳細まで決まっておらず、このままではぶっつけ本番で大会を迎えることになる。当初から不安視されてきた酷暑対策との両立も容易な話ではない」

「自制」や「ルール」。日本人だけならともかく、行動様式や考え方、それに文化の異なる外国人にどこまで日本流の自制を求めることができるのか、たしかに疑問である。

■菅首相は来日する各国の首脳との懇談を計画

最後に朝日社説はこう指摘する。

「誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、『コロナに打ち勝った証し』も消えた今、五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる」
「そもそも五輪とは何か。社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない。小池百合子都知事や橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である」

菅義偉首相は五輪外交に躍起である。五輪の開閉会式には各国の首脳が出席する。このため菅首相は来日する各国の首脳との懇談を計画している。菅首相は五輪を成功させ、その勢いに乗って自民党総裁選や衆院総選挙に勝つことを目指している。ワクチン接種のスピードアップの狙いもそこにある。だが、ウイルスなどの病原体は人心の思惑通りにはならないのが常である。

■「開催の努力あきらめるな 菅首相は大会の意義を語れ」と産経社説

5月28日付の産経新聞の社説(主張)は朝日社説に対峙するかのように「東京五輪 開催の努力あきらめるな 菅首相は大会の意義を語れ」との見出しを掲げる。分量も朝日社説と同じ大きな1本社説で、次のように書き出す。

「今夏の東京五輪・パラリンピック開催に向けて政府や東京都、大会組織委員会は努力を続けてほしい。それは新型コロナウイルスの感染を抑え、社会・経済を前に進める上でも大きな一歩になる」

「大きな一歩」とは一体なんだろうか。一歩を踏み出しても、その先がないのであれば、早めに引き返したほうがいいのではないか。

ただし、産経社説はこう書いている。

「政府や組織委が掲げる『安全・安心な大会運営』は、前提であって答えではない。開催意義をあいまいにしたまま『安全・安心』を繰り返しても、国民の理解は広がらない。菅義偉首相にはそこを明確に語ってもらいたい」

これはその通りである。菅首相はこの産経社説の主張に耳を傾けるべきだ。

■「世論の反発を恐れることはアスリートとしての不戦敗に通じる」

そして産経社説はこう訴える。

「アスリートにも同じことを求めたい。それぞれが抱く希望や不安の真情を、自身の言葉で聞かせてほしい。先が見えない中で鍛錬を続ける彼ら彼女らの不安は国民の不安にも通じる。だからこそ日の丸を背負う選手たちには、五輪を通して社会に何を残せるのか、語る責任がある」
「もの言えば唇寒く、時に理不尽な批判を招く風潮は恐ろしい。それでも社会に働きかける努力を続けてほしい。世論の反発を恐れ、口をつぐんだまま開催の可否を受け入れることはアスリートとしての不戦敗に通じる」

選手に「語る責任」を求めているが、これに共感する読者はどれだけいるだろうか。たとえば白血病による長期の治療から見事に返り咲き、五輪代表入りを決めた競泳女子の池江璃花子選手に対してさえ、SNSには代表辞退などを求める誹謗中傷が多数寄せられた。

「世論への恐れ」「口をつぐんだまま」「アスリートとしての不戦敗」との指摘は、あくまで個人として発言することになる選手たちには酷な要求だ。しかも社説には記者の署名は記されない。社説は論説委員の合議で執筆されるからだ。

選手個人には発言を求める一方で、それを求める記者が名乗り出ないというのは不公平ではないか。こうした意見を書くのなら、社説ではなく、論説委員の署名記事とするべきだ。個人として批判を受けない立場から、上から目線で「責任を果たせ」と書いても、それは無責任の謗りを免れない。

産経社説はこうも指摘する。

「国内外のスポーツ界は昨年来、有観客の大規模イベント開催を可能とする知見を集めてきた。これまで、深刻な感染拡大は起こっていない。今夏の東京五輪も感染リスクを極力下げた上で開催することはできるはずだ」

これに対して朝日社説は「IOCや組織委員会は『検査と隔離』で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う」と真っ向から反論している。

どちらが正しいのか。通常の国際大会とオリンピックはその規模が違うことだけは、間違いのない事実である。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)

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