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「おかしいのは結婚相手ではなく皇室制度」眞子さまの結婚でどのメディアも報じない皇族の人権問題

プレジデントオンライン / 2021年10月25日 18時15分

結婚を翌日に控え、上皇ご夫妻にお別れのあいさつをするため、仙洞仮御所を訪問された秋篠宮家の長女眞子さま=2021年10月25日午前、東京都港区 - 写真=時事通信フォト

秋篠宮家の長女、眞子さまと小室圭さんが10月26日に結婚する。弁護士の堀新さんは「婚約内定からの4年にわたる騒動で、眞子さまに結婚相手を選ぶ自由がないことが露呈した。皇室に基本的人権がないことをしっかりと考えなければ、悠仁さまの結婚問題にも影響が出る」という――。

■もし眞子さまが一般国民だったら、誰が結婚に反対するのか

眞子内親王(ここでは「眞子さん」と呼ぶ)と小室圭さんが10月26日に結婚します。ここに至るまで、2人の結婚に否定的な報道が繰り返されてきたことはご存じのとおりです。

この記事では、いろいろなメディアがこれまで論じてきたのとは少々違う切り口で、この結婚問題を見てみましょう。

まず、仮に眞子さんが皇族ではなく一般国民だったとしたら、どうだったでしょうか。

小室さんとの結婚については、家族や知人友人には反対する人も、逆に賛成する人もいたでしょう。しかし見ず知らずの人から文句を言われることはありません。

誰が賛成しようと反対しようと、結婚するにせよしないにせよ、最後は自分たちで決めるだけのことです。

ところが眞子さんの場合はまったく状況が違っていて、賛否が国民的な議論になり、「眞子さまと小室さんの結婚に対して、賛成ですか、反対ですか」などという調査が今に至るまで各メディアで繰り返されてきました。

この記事を読む方も自分なりの考えがあるでしょう。

こういう状況が繰り返されてきたので、私たちの感覚もマヒしてそれが当たり前のように思ってしまっているのですが、ちょっと立ち止まって考え直してみましょう。

■赤の他人の結婚に賛成も反対もない

そもそも他人の結婚に対して、「賛成」とか「反対」という発想をすること自体がおかしいと思いませんか。

これについて一番素朴な説明としては「結婚しても幸せになれるかどうかわからない。自分の家族だったら反対する」というものでしょう。

しかしこの答えが既に矛盾を含んでいます。自分の家族や友人ならまだ賛成・反対を言うのはわからないでもありませんが、眞子さんはわれわれの家族なのでしょうか。

まったくの赤の他人ではありませんか。

■まるで映画『トゥルーマン・ショー』のよう

岸田文雄総理や菅義偉前総理がわれわれの家族でないのと同じように、眞子さんはわれわれの家族でもないし、知人や友人でもありません。眞子さんは私たちのことをまったく知らないのです。

逆に私たちの方はもちろん眞子さんのことを知っていますが、これは眞子さんが映画『トゥルーマン・ショー』のように、生まれたときからメディアを通じて日本中の視線に晒されてきたからにすぎません。

2014年1月2日の一般参賀で日の丸を振る人々
写真=iStock.com/brize99
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/brize99

眞子さんが小室さんと結婚して幸せになれるかどうか、これは本人同士にしかわかりません。

結婚してうまくいけば良し、うまくいかなかったとしても困るのは眞子さんであって、われわれ国民ではありません。

■結婚は公務ではなく私的な行為

結婚に反対する論者たちは、「眞子さまは『公』よりも『私』を優先している」などと言って批判します。こういう言葉をメディアは無批判に垂れ流してきたのも記憶に新しいところです。しかしここでいう「公」とか「私」とは何でしょうか。

皇族の仕事は「公務」と呼ばれて、各種行事に出席したり挨拶したりすることですが、眞子さんは小室さんとの恋愛や結婚に没頭して、このような公務をさぼったのでしょうか。そんな話は聞いたことがありません。

これに対して結婚は公務ではなく、わかりやすくいえば、映画を見たり、食事をしたりするのと同じレベルで、あくまでも私的な行為です。

もっとも男性皇族の場合は、皇位を継承する可能性がありますから、将来の皇后や皇太子妃になる可能性にふさわしい相手を選ぶのが望ましいとされるのもわかりますが、女性皇族は現在の制度によれば、結婚すれば皇族から離脱して一般国民になるだけですから、そのような考慮をする必要もありません。

そうなると、眞子さんが小室さんとの結婚を進めたとしても、「『公』より『私』を優先した」などと非難されるいわれなどないことになります。

■「国民の心に寄り添う」という言葉の本当の意味

これに対しては「小室さんとの結婚には反対や疑問を示す声が世間に多かった。世間の異論を無視して結婚するのはおかしい。皇族は国民の心に寄り添うべきだ」という主張も見られました。

筋が通った意見のように思えるかもしれませんが、これもおかしな話です。

国民がA氏と結婚するなといったらA氏との結婚をやめ、B氏と結婚しろといったらB氏と結婚するのが「国民の心に寄り添う」ことになるのでしょうか。

女性皇族は結婚相手を自由に選ぶこともできず、いちいち国民の「心」とやらにお伺いを立てなければいけないのでしょうか。一見もっともらしい言い方ですが、極めて非人間的な発想に思えます。

これは、現上皇が各地を積極的に訪問され、人々と触れあって声をかけたり挨拶したりしてきたことから「皇室は国民に寄り添うものだ」というイメージが強く形成されたことに関係があるとも言えるでしょう。

しかし、被災地など各地の人々に触れあうことと、結婚に対する国民の賛否にいちいち合わせることとは、まったく別な問題です。

■なぜ皇族には基本的人権がないのか

いずれにしても、今回の一連の騒動によって可視化されたのは、皇族がいかに自由がない生活を強いられているかということでした。

この点について掘り下げたメディアはほとんどなく、大半の報道では、眞子さんが皇室と世間をいかに困らせているかという観点ばかりでした。今にして思えば非常に異様なことです。

ここで「皇族の人権」について少し整理してみます。

皇族の人権が一般国民と同じ扱いでないことは、選挙権・職業選択の自由・居住移転の自由がないことを考えてみればわかるでしょう。

これについては憲法学で二つの考え方があります。

一つは、皇族も国民の一員であって、原則として憲法上の権利を保障されているが、象徴天皇制を憲法が規定していることから、必要最低限の例外扱いが認められているだけだという考え方。

もう一つは、皇族はそもそも国民とは別枠の身分であって、憲法上の権利の保障はなく、単に身分上の特権や義務があるだけだという考え方。

■基本的人権の制約は「最小限」であるべき

どちらも成り立ちうる考え方ではあります。

ただ、前者の説では、皇族の特殊な扱いはあくまでも必要最小限の例外でなければならないことになります。基本的人権は「最大限」に尊重されなければならないのですから、その制約は逆に「最小限」であるべきだからです。

そうなると、場合によっては皇族の自由を制限しすぎる法令や取扱があれば、憲法違反の問題が起こる可能性があるということになります。

一方、後者の説では、国民とはまったくの別身分で人権の保障がないのですから、皇族の自由をどこまで制限したとしても憲法違反の問題はそもそも起こらないという理屈になり、恐ろしく非人間的な結果になる恐れがあります。

どちらの説にしても、皇族は人権という面で一般国民とは異なる扱いになります。ここで忘れていけないことは、皇族の人々はあくまで私たちと同じ、生身の現代の人間だということです。

菊花紋章(アンティークなイラスト)
写真=iStock.com/NSA Digital Archive
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NSA Digital Archive

当たり前の話ですが、眞子さんは、平安朝の皇女でもなければ、明治や大正の宮中に生きる人でもありません。

神話上の神武天皇以来2600年生きているわけでもなく、この現代の日本社会の中に生まれ、その中で30年生きてきただけの人間です。

たまたま過去の天皇の子孫として生を受けただけで、経済的には困ることはなかったかもしれませんが、他の国民であれば保障されるさまざまな自由や権利のない、特別な扱いを受けてきたのです。

■男性皇族に嫁ぐことは人権を捨てることを意味する

ここから深刻な問題が浮かんできます。

女性皇族は男性と結婚して一般国民になるからまだ良いのですが、男性皇族と結婚する女性は、そのまま皇室入りすることになるので、一般国民としての人権の保障を失ってしまうのです。

つまり女性が男性皇族と結婚するということは、人権を捨てることを意味するのですが、そういう人がそもそも現れるのでしょうか。

女性の権利や平等がますます強調されるようになっている現在、逆に人権を捨ててまで男性皇族(もはや一人しかいませんが)と結婚してくれる女性がいるのでしょうか。

このように人権という観点から考えると、皇室制度(天皇制)は、大きな困難と矛盾を抱えているのです。

今回の騒動について「眞子さまの行動のせいで、皇室制度が危機に陥っている」という論者もいましたが、むしろ身も蓋もない言い方をすれば、「皇室制度のせいで、眞子さまの人権が危機に陥ってきた」という方が妥当なのではないでしょうか。

いずれにしても眞子さんは10月26日、結婚して皇族の身分をはずれて私たちと同じ一般国民になり、自由や人権を手にします。

この眞子さんが抜け出した世界、すなわち自分で選んだわけでもないのに生まれつき人権の保障のない特殊な扱いを受ける世界を、いつまで維持できるでしょうか。

政府は有識者会議を設けて、皇位の安定的な継承について議論しているようですが、もっと根本的な問題があるのではないでしょうか。

その答えを出すために、恐らく残された時間はそれほど長いものではありません。

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堀 新(ほり・しん)
弁護士
1963年生まれ。1987年、東京大学教養学部教養学科第三(相関社会科学)卒業。1987年、株式会社東芝入社、主に人事・労務部門で勤務。2001年~2003年、社団法人日本経済調査協議会に出向。2006年、司法試験に合格、2007年、最高裁判所司法研修所にて司法修習。2008年、弁護士登録。「明日の自由を守る若手弁護士の会」会員。主な著書に『13歳からの天皇制』(かもがわ出版)。

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(弁護士 堀 新)

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