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「脳に爆弾を抱えながら3人の老親を看る地獄絵図」50代妻の視線の先には"一切手を貸さずTVを見る夫"

プレジデントオンライン / 2021年11月13日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wildpixel

実親や義親、夫、子供……家族との関係が悪い人生は苦渋にまみれている。関東地方に在住の50代の女性は家族と良好な人間関係構築を目指すが全然うまくいかない。年を重ね病に倒れた親たちを同時に介護しながら、自分も病(脳動脈瘤、狭心症、乳がん、子宮摘出など)と懸命に闘った。だが、夫は「無理はするなよ」と言いつつ、一切手を貸さず、寝転んでのんきにテレビを見て笑っている――(後編/全2回)。
【前編のあらすじ】関東在住の鳥越香さん(50代・既婚)の母親は、家事をほぼせず、育児も放棄。にもかかわらず、服や靴、貴金属を山ほど買って浪費。鳥越さんは高校卒業後、就職した自動車販売会社では上司からセクハラに遭い、結婚した同期入社の夫からはDVを受けた。父親が定年退職すると、母親は家を飛び出して姉の家へ。鳥越さんは、身勝手な母親と絶交した。一方、義父は当初から鳥越さんの学歴や家柄を見下し、義母は鳥越さんを精神的に支配。そんな中、長女が小学校に上がると、鳥越さんはPTAに参加。夫に責められないよう、家事を完璧にし、休息や睡眠時間を削ってPTA活動を続けるうち、鳥越さんは精神的に病み、心療内科に通う。長女が中2になったある日、リストカットしている現場を目撃する——。

■父親と義母の救急搬送

関東在住の鳥越香さん(50代・既婚)が母親(69歳)との連絡を絶ってから約10年の月日が流れていた。自分が小さい頃に一切の育児家事を放棄し、今度は定年した自分の夫までも捨てて逃げ出した母親を許すことができなかったのだ。

そんな2011年9月のこと。突然、鳥越さん宅に70歳の父親が訪ねてきて、「お母さんが、肺がんかもしれない」と言う。

母親が病院でレントゲンを撮ったところ、肺に白い影が写り、医師から「肺がんの可能性がある」と言われてから、ひどく落ち込んでいるという。父親は母親が家出をして、鳥越さんの姉(長女)宅に転がり込んでからもときどき連絡を取っていたようで、「亡くなる前に、会わせてやりたい」と思ったらしい。

それでも鳥越さんは、母親と会うことを拒絶した。

精密検査を受けたところ、母親は肺がんではなかった。「肺は、胸を強くぶつけただけでもレントゲンに白く写ることがある」と医師から説明があったと、あとで父親から聞いた。

しかし、その3年後の2014年。父親が突然倒れ、自分で119番通報した。駆けつけた救急隊員は、長女のところにいる母親に連絡。母親は、自分から出ていった手前、入院する父親の身の回りの世話をすることははばかられると言い、「お父さんの入院手続きをしたり、必要なものを届けてあげたりしてほしい」と、鳥越さんに電話をしてきた。これがきっかけで鳥越さんは、13年以上ぶりに母親との交流を再開することになった。

■義父の世話は“長男の嫁”

脳梗塞を起こしていた父親は、薬で血管内の梗塞した部分を溶かして流すと、1カ月後には後遺症もなく、退院することができた。

2017年10月。82歳の義父から深夜に電話があり、大学生になっていた鳥越さんの次女が出た。どうやら77歳の義母が倒れて救急搬送されたらしいが、電話口で義父は気が動転しており、どこの病院に搬送されたか言わずに電話を切ってしまった。

困った鳥越さん夫婦は、着信履歴に残った電話番号から病院を割り出し、搬送先の病院に問い合わせると、義母はくも膜下出血を起こし、予断を許さない状況で、すぐに開頭手術となるという。

翌朝、鳥越さん夫婦が病院に駆けつけると、義母は開頭手術を受け、ICUに入っていた。容体は安定していたが、3日目に脳梗塞と水頭症を起こし、2度危篤状態に陥った。だが、薬で梗塞を流し、無事生還。ICUで2週間の治療を受けたあと、入院して2カ月間リハビリを行うことに決まる。その間、ひとり暮らし状態になる義父の世話は、“長男の嫁”である鳥越さんに一任された。

義父は、家事といえば掃除機をかけるくらいしかできず、鳥越さんは毎日義実家に通い、洗濯や食事の支度、冷蔵庫の補充、そして、一人残された不安感を訴える義父の話し相手となった。

一方、義母は主治医が舌を巻くほどの驚異的な回復力を見せ、リハビリ専門病院に転院後、2カ月で退院。退院後しばらくは握力が弱かったり、ふらついたりして運動機能の低下が見られたが、徐々に軽快し、現在は一人で庭木の枝打ちができるまでに。

ただ、術後の脳梗塞と水頭症の後遺症は見られ、退院前の検査で、高次脳機能障害と、軽度の認知症と診断された。

記憶が消えていくイメージ
写真=iStock.com/Naeblys
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Naeblys

■下肢静脈瘤、脳動脈瘤、乳がん

翌2018年1月。義母が退院し、鳥越さんは義父の世話から解放されるかと思いきや、ますます“長男の嫁業”に駆り出されることが頻繁になっていった。義母は数年前からネットゲームにハマっていて、家事を鳥越さんに押し付け、自分はゴロゴロしながらゲームに没頭。やるせない思いに駆られた鳥越さんは、数年前から気になっていた、下肢静脈瘤の手術をしようと思い立つ。

「私と同じ嫁の立場の義妹はお客様扱い。ずっと『なぜ私だけ?』と、思っていました。下肢静脈瘤の手術は、生活に支障がなければ必ずしも受ける必要はないのですが、『手術を受ける』と言えば、義母の態度が変わるかと思ったのです」

ところが夫は、「母さんは退院してから日が浅く、まだ回復し切っていないから、ストレスになるようなことは言わないほうがいい」と言って、鳥越さんが手術をすることを義両親に隠すよう言う。鳥越さんはすっかり意気消沈してしまった。

そんなとき、ふと夫が、「母さんみたいに突然倒れると困るから、脳ドックを受けてみよう」と言い出し、夫婦で受診。結果、夫には問題は見つからなかったものの、鳥越さんの内頸動脈と総頸動脈に1つずつ脳動脈瘤が見つかる。

医師に「内頸動脈は失明の危険と、くも膜下出血の危険があります」と説明され、8月末に摘出手術を受けることが決定する。

■左乳首から血混じりのリンパ液がにじみ出た

それと同じ頃、鳥越さんは、左乳首から血混じりのリンパ液のようなものがにじみ出て下着を汚すようになり、セルフチェックをすると、乳房にしこりのようなものが触れる。すぐに隣駅にあった乳腺外科を予約し、検査を受けたところ、乳がんのステージⅠと診断された。

乳がんの自己検診(セルフチェック)
写真=iStock.com/catinsyrup
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/catinsyrup

結局、鳥越さんは、8月末に脳動脈瘤、12月に乳がんの摘出手術を受けることに。

8月末に脳動脈瘤の手術を受け、15日間の入院から帰宅すると、夫は「無理するなよ。食事の支度だけしてくれればいいから」と言った。

「おそらく、脳の手術を受けたと言っても、見た目には何も変わりがなかったため、夫も娘たちもあまり私に関心を持たなかったようです」

長女も次女も、自分の生活のことで精いっぱいだったのだろう。鳥越さんは術後、感音性低音難聴というストレス発作が起き、しばらく通院が必要に。夫は、車の運転ができない鳥越さんの、病院の付き添いだけはしてくれた。

■義父の肺炎と父親の大腿骨骨折

同じ年の10月、今度は義母から、義父が8月の終わり頃から食欲不振で、「6キロも痩せた」と連絡がある。鳥越さんが検査を勧めると、義父は近場の内科を受診。「肺に水がたまっている」と言われ、利尿薬を処方されて帰ってきた。

それを聞いた鳥越さんは、「肺に水がたまる原因を特定せずに、利尿薬だけを処方するのはおかしい」と言い、義父に電車で30分程の埼玉の大学病院を受診させる。すると、義父は極度の脱水状態に陥っていることが分かり、その場で入院が決まる。

一方、当時81歳の父親は、その翌日、趣味のグラウンドゴルフに出かけたところ、ぬかるみで転倒。ゴルフ仲間が「足がありえない方向を向いている!」と言って慌てて救急車を呼んでくれ、救急隊員から鳥越さんに連絡が入った。

父親は、実家からも鳥越さんの家からも近い神奈川の総合病院に搬送された。鳥越さんが駆けつけると、7年ほど前と5年ほど前に脳梗塞と、3年ほど前に心不全を患っていた父親は、血液をサラサラにする薬を服用していたため、「すぐに手術をすることができない」と医師から説明される。

父親の手術は4日後に予定されたが、入院中に父親が隠れて酒を飲んでいたことが発覚すると、結局手術は7日後に延期。無事手術が終わると、3カ月間入院することになった。

義父と父親の着替えなど、入院に必要なものを届けるのは、当たり前のように鳥越さんの役目になった。夫は、平日は仕事で動けず、義母は高次脳機能障害と認知症のため、病院まで一人で行かせることはできない。

母親は90度に腰が曲がり、おぼつかない足取りで、父親の世話を頼める状況ではない。娘たちは、自分たちの生活に一生懸命で、われ関せず。契約社員の姉は、思うように休みが取れないため、母親の世話だけに専念してもらうことに。

だが、8月末に脳動脈瘤の手術を受けたばかりで、体力が完全には戻っていない鳥越さんに、全く方向の違う2つの病院を回る日々は、過酷だった。

「やらなければならない一心でやり抜きましたが、当時、どのようにして2つの病院に通っていたのか、記憶がありません。電車を利用していたことは確かですが、いつも頭の中にピーッと高い音が鳴っていて、感情を失っているような状態でした。夫は『無理するな』とは言いましたが、誰も助けてはくれませんでした」

■乳がん摘出手術と義父の死

12月になると鳥越さんは、かねて予定していた乳がん摘出手術を受けた。その1週間後には退院し、その足で義父の検査結果を聞きに、埼玉の病院へ向かった。

すると義父は、自分の足で歩けないまでに衰え、車いすで現れた。鳥越さんは驚きを隠して診察室に入ると、主治医に「間質性肺炎のグレード4」だと伝えられた。

間質性肺炎は、肺炎とは全く異なる病気だという。肺炎は肺の中で起こる病気だが、間質性肺炎は肺自身が侵される病気だ。間質性肺炎のほうが肺炎より広い範囲で病気が起こり、息切れなどの症状が強く、難治性のケースが多い。グレード4が最も重症で、義父は「息切れがひどく家から出られない、あるいは衣服の着替えをする時にも息切れがある」という状態だった。

主治医から「ここは急性期病院。助かる命を救う病院です。お義父さんには、もはや治療の施しようがありません」と言われ、退院を余儀なくされる。

年末年始は自宅で過ごした義父だったが、あまりに苦しそうな様子だっため、かかりつけの内科を受診したところ、終末期病院にかかるよう、紹介状を渡された。

1月の年始休みが明けると、義父は終末期病院にかかりつつ、在宅介護の準備を開始。義実家に介護ベッドや酸素ボンベを手配し、搬入する。

一方、鳥越さんは通院で、乳がん摘出後の放射線治療がスタート。2月中頃までは、放射線治療を受け、だるい身体にむち打って、義父の介護に向かった。

そのうち鳥越さんは、義父からこっそりSOSを受けた。

鳥越さんは、義両親のために夫と介護食のレシピ本を買いに行き、義母に数冊渡していたが、義母は少しも目を通さず、スーパーで買ってきたカットステーキやハンバーグを「体力が付く」と言って食べさせるため、嚥下(えんげ)が弱ってきていた義父は困り果てていたのだ。

SOSを受けた鳥越さんは、義実家に住み込みで介護を始める。介護食調理や食事介助、清拭や歯みがき、痰取り、着替え介助、マッサージ、服薬管理などを一手に引き受けた。

車椅子を押す女性
写真=iStock.com/kazoka30
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazoka30

はじめは、「楽になる」と喜んでいた義母は、徐々に義父の信頼が鳥越さんに向くと、子どものように拗(す)ね、鳥越さんが作った料理に勝手にシソやキムチを入れて味をおかしくするなど、妨害を始めた。

「義父はやればやっただけ、感謝をしてくれる人でした。嫁に来たばかりの頃は、私の学歴や生まれ育った住まいが団地だったことについて見下されていましたが、最期には『学歴や家で人を判断してはダメだと教えてもらった。自分の過ちだった』と謝ってくれました」

夫は自分の家から通い、義父の生前整理などを進めていたが、弱っていく義父を見ているうちに自分がうつ状態になってしまう。結局夫も義実家に呼び寄せ、鳥越さんは義両親と夫、3人の世話をすることになった。

2019年4月、もがき苦しむ義父を前に立ちすくむ義母と夫を尻目に、救急車を呼ぶ判断をしたのは鳥越さん。救急車に同乗したのも、息子でも妻でもなく、嫁の鳥越さんだった。

「夫は義父の命が尽きることを意識し、うつになりました。『このまま入院させたら、畳の上で死にたいと言っていた父親を裏切ることになる』という責任から夫は逃げ、私に判断させたのです」

鳥越さんが住み込みで介護をし始めてから約2カ月後の4月、義父は亡くなった。84歳だった。

■巨大な子宮を摘出

義父が亡くなった後も、鳥越さんは、83歳の父親と81歳の義母の世話に明け暮れた。

大腿骨骨折後、2019年3月に退院した父親は、要介護3と認定。人工骨頭を入れたため、しゃがむことができず、週2回、ヘルパーに入浴介助と掃除を依頼し、食事は近くのスーパーで総菜などを買っている。だが、父親は他人に生活に介入されることを好まないため、鳥越さんは週に2〜3回は実家へ通い、洗濯や布団干しなど、父親がヘルパーには頼めない身の回りの世話をしなければならなかった。

一方、義母はくも膜下出血を起こしたあと、一時、空間や名称、理性が飛び、子どものようになり、入浴の方法も忘れてしまっていたが、最近は、感情コントロール以外は、ほぼ元通りに。ただ、動くと尿もれがするらしく、大好きなゲームをするため、パソコンデスクの前に座ったまま、ほとんど動かなくなった。

2020年1月。鳥越さんは、甲状腺機能低下症、冠攣縮性狭心症と、次々に病気を発症。中でも冠攣縮性狭心症は、強ストレスで発症するものと医師は説明する。そのことを夫に伝えると、「俺のほうがストレスだ」と逆ギレし、たちまち不機嫌に。鳥越さんは通院と服薬で治療を開始した。

さらに鳥越さんは、2年ほど前から、生理前になると骨盤が広がるような痛みに悩んでいた。経血はだんだん多くなり、昼間でも多い日の夜用の生理用ナプキンを使うように。

「この量はさすがにおかしい」

そう思った鳥越さんは、近くの婦人科を受診。すると8センチほどの大きさの子宮筋腫が見つかる。鳥越さんは医師に、乳がんの治療中であることや脳動脈瘤の手術を受けたこと、両祖母が卵巣がん、子宮がんで亡くなっていることを話すと、総合病院へ行くよう紹介状を書かれた。

子宮のイメージ
写真=iStock.com/mi-viri
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mi-viri

コロナ禍の2021年2月。総合病院を受診すると、主治医となった医師からは、子宮の全摘出を勧められる。

9月。子宮の全摘出手術を受ける1週間前、すべての病気を義母に打ち明け、手術を受けることを伝えた。以降、義母からは「コロナ患者がいる病院に行くなんて!」「息子(夫)の相手はできるのかしら?」などとLINEが入り、一日に何度も携帯に着信がある。鳥越さんはすべてブロックしたが、入院後も着信はやまなかった。

手術は無事終了し、当初入院は4日間の予定だったが、主治医に摘出した子宮を見せてもらった後から、鳥越さんは発熱。睡眠障害と摂食障害を起こし、入院は7日間に延びた。

「お別れのつもりで見たけれど、見なければ良かったと後悔しました。嚢胞も乳がんも、今まで何ともなかったのに。子宮は確かに子の宮の形をしていて(洋梨をさかさまにしたような形の袋状の器官)、目にした時、恨めしげにこちらを見ているように見えました」

以降、鳥越さんの気力は急降下。夜一睡もできなくなり、肉や魚が食べられなくなる。

主治医はこう言って謝罪した。

「うかつに摘出した子宮を見せてしまって申し訳ありませんでした。卵巣を摘出したことで、通常ならば更年期障害が起きるはずですが、鳥越さんにはホットフラッシュが起きていない。その代わりに喪失感がメンタルにきたのではと思います」

鳥越さんは、しばらく安定剤と導眠剤を服用し、退院後は臨床心理士に診てもらうことになった。

■「シェルター」のその先

退院後、鳥越さんは臨床心理士によるカウンセリングを受け始めた。

臨床心理士に幼少期の記憶を語り、「取り出された子宮が恨めしそうに見えた」と話すと、心理士は、「娘2人との関係性、母親との確執、次女の消息。全てが母娘に由来するものです。うまくいかない母娘関係が、子宮を擬人化して見せたのではないでしょうか」と言った。

「放ったらかしで育った私は、娘たちのためによいと思うことは何でもやってきたつもりでした。母を反面教師にして、総菜やレトルトを使わず、おやつも手作りにこだわりました。私は自分が寂しかったから、娘たちには愛情をかけていたつもりでしたが、娘たちは愛情で溺れそうだったのかもしれません」

次女は、2020年3月に就職して家を出てから、音信不通となっていた。

「次女のことは、夫が私に支配的な対応をしたことと、私の娘への過干渉が原因ではないかと思っています。何でも知っている母親でありたいと、踏み込みすぎてしまいました。特に自分の経験上、彼氏とのことに探りを入れすぎてしまったと反省しています」

心理士は、「摘出した子宮に見た“恨めしそうな顔”は、鳥越さんの深層心理。根本にあるのはお母さんだと思います」と言った。

■「私、あの頃いつもお腹をすかせていたんだよね」

子どもの頃の鳥越さんは、母親が喜ぶと思えばピアノを。自慢の子になりたくて学級委員をやり、「母のために必死で生きていた」と振り返る。

しかし、今年82歳になった母親に当時のことを問い詰めると泣き出すため、あまり過去を責められない。一度思い切って、「お母さんって料理嫌いだった? あまり作らなかったよね?」と嫌み混じりに訊ねたが、「嫌いじゃなかったわよ。ただね、あそこじゃ作りたい料理の材料がそろわなかったのよ。何にもない街だったしね」と平然と答えた。

ピアノを弾く少女
写真=iStock.com/MANICO
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MANICO

鳥越さんが、「私、あの頃いつもお腹をすかせていたんだよね」と続けると、「あらそうなの? あんたなんて食が細くて、何か食べるか聞くと必ず『要らない』って言ってたわよ」とあっけらかん。

当時母親は、デパート巡りに出ると必ず食事して帰り、戦利品がないと不機嫌だった。そこに「お腹がすいた」と言えば、なお不機嫌が増す。だから鳥越さんたちは、大量に買い置きしてあったコーラですき腹をごまかした。母親は、何も食べていない子どもの「要らない」を真に受け、何も用意しなかったのだ。

「母は“無自覚”に“育児放棄”をしていたのだとわかりました。いっそ、『あんたが嫌いだから食事を与えなかった』と言ってくれたら、見捨てることができたのに。聞かなければよかったと、とても後悔しました」

鳥越さんが乳がんや子宮摘出で入院することが決まったとき、母親は「精がつくように」と、鰻や牛肉、サプリメントを買って持っていくよう言い、鳥越さんを驚かせた。

「母はモノでしか表現できない人。心配しているジェスチャーなんだと思います……」

■「異常です。どうか、生き抜いてください」

10月。何度目かのカウンセリングで心理士は、鳥越さんにシェルターに入ることを勧めた。

「カウンセリングに通うことさえ理解のないご主人は、この先も変わりません。私もいろいろなパターンの患者さんを見てきましたが、鳥越さんほどつらい人に会ったことがありません。ご主人が鳥越さんを大事に思っているのはわかりますが、異常です。どうか、生き抜いてください」

鳥越さんは面食らい、混乱する頭を抱えて帰宅。夫はごろんと横になり、のんきにテレビを見て笑っている。

「シェルターの先が見えなくて怖いんです。この体で就労を受け入れてくれるところがあるのか。診てくれる病院があるのか。まず、それがわからない限り、勢いだけで飛び出せません。私だけ逃げたら、夫は娘を傷付けるかもしれない。私は帰れる実家がなかったので、娘たちには『お帰り』と迎えてやれる実家を残したい。母と同じまねはできません……」

卵巣・子宮摘出手術後から、体調が安定しない鳥越さん。幸いコロナ禍で、義母に会わなくて済むことが何よりの救いだ。

「(今後)両親や義母のことが終わって、その頃になっても夫が今のままなら、シェルターや離婚も考えると思います」

鳥越さんを待ち受けるのは、さらなる支配か、悲願の解放か。残りの半生をどう生きていくことが自分の幸せにつながるのか。どちらにせよ、選び取るのは鳥越さん自身だ。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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