正規の酒は高くて買えない…怪しい密造ウオッカで中毒死するロシア人が急増している
プレジデントオンライン / 2021年12月3日 10時15分
■今年8月以降、「違法酒」で70人が死亡している
「手で触れるな」の赤いマークにびっくりした。モスクワ都心の「赤の広場」に面する高級スーパーの売り場でのこと。「世界最悪の大量殺戮(さつりく)兵器」との異名を誇る歩兵用自動小銃「カラシニコフ」をかたどったガラスビンに、ウオッカが入っている。
価格は1万2500ルーブル(日本円で約2万5000円)と高価だ。カラシニコフといえば、使いやすさと耐久性に優れており、世界中に普及した銃である。
そこから約2年が経過した2021年、カラシニコフではなくアルコールが凶器となった事件がロシア各地で起きている。読売新聞によると、違法酒による中毒症状で「今年8月以降、少なくとも70人が死亡した」という(読売新聞オンライン11月22日配信)。
いったい、何が起こっているのか。10月7日、「密造ウオッカ」により64人が中毒症状を起こし、35人もの死者が出た事件を見ていきたい。
■燃料に使われるメタノールによる中毒症状
事件現場は、ウラル山脈の南端に広がるオレンブルグ州内の近接する6つの村だ。カザフスタンとの国境にかなり近いところに位置する。
地元当局の発表によれば、被害者の体内からメタノール(別名はメチルアルコール)が検出された。その濃度は致死量の4倍から5倍ほどに達していた。
ロシア国立医療センターのエヴゲーニー・クルピーツキー副所長の診断では、深刻な病状だったらしい。
「患者は失神(完全な意識消失)し、瞳孔は開き、心肺が停止していました。典型的な中毒症状でしたが、アルコール成分としてメタノールが使用されたことは間違いありません。メタノールは体内でホルムアルデヒドに代謝され、ギ酸も生成します。これらの複合化学物質が、身体に重大な障害を引き起こしたのです」(「5TV」公式ウェブサイト10月10日配信)
メタノールがウオッカに混入されるケースはロシア国内で頻発し、大きな事件を繰り返してきた。メタノールは「燃料アルコール」として簡単に入手できる。言うまでもなく、人体に有害な化学物質だ。
■味覚だけでは正規品か違法品か見分けるのは難しい
本来のウオッカは、ほとんどが小麦を原材料としている。材料に含まれるでんぷんを煮立てて発酵させてから、とろみをつけて蒸留し、純度の高いエタノールを得る。
複雑な工程を経て精製されるので、生産コストが高くつく。ウオッカを製造するには地元当局の許可が必要で、工場は定期的な立ち入り検査を受けなければならない。
メタノールで代用すれば、コストが安く、製造も容易だ。さらに密売となれば、ウオッカの価格の63%を占める酒税を免れることができる。
消費者がウオッカの成分としてエタノールとメタノールのどちらが使用されているのか、すぐに味覚で嗅ぎ分けるのは容易ではない。ウオッカはもともと無味無臭であり、同じような酩酊状態が起こる。
ただメタノールを飲むと、翌朝には激しい中毒症状が出て、頭痛や腹痛、目の異常を訴える。単なる二日酔いではないことに気づくことになる。
■困窮を極めるロシア地方部の住民たち
主要チャンネル「ロシア第1チャンネル」では、被害男性の一人が表情をこわばらせながら、インタビューに答えていた。
「ウオッカを飲んでから半日後に気絶し、気づいたら病院に収容されていました。10日間の入院中も、40人もの中毒者が続々と搬送されてきました。院内は戦場のようでした。
村に商店は一つしかなく、最近、ウオッカが激安で販売されているという話が飛び交いました。ウオッカ1本あたり、120ルーブル(約240円)。通常価格の3分の1ほどです。友人の誕生日を前に、私はこの店でウオッカを買ったのです」(「ロシア第1チャンネル」10月19日放送)
オレンブルグ州政府の発表では、州に住む人の平均月給は3万3000ルーブル(約6万6000円)。これはモスクワ市民の平均の約半分である。
州内の求人広告をネットで見ると、月給1万5000ルーブル(約3万円)の数字で埋め尽くされている。困窮を極める住民たちが、少しでも安いウオッカを求めるのも納得できる。
ロシアでは全住民の40%ほどがオレンブルグ州のような貧困状態にあると報じられている。かつて、私はそういった貧困地域を訪ね歩いたことがある。住人は食料を求めて森林に入ったり、川魚を捕るなどして自給自足の生活を強いられていた。ただ、皆一様に酒好きなのは変わらない。ロシアの寒く、長い夜を過ごすのにウオッカは欠かせないのだ。
■逮捕者の中に村役場の人間が含まれている
現在14人が逮捕され、15人が取り調べ中だ。逮捕者の中には村役場に勤務する9人の職員が含まれており、役場ぐるみの組織犯罪の線が強い。
事件が起きた村の一つであるアダーモフカ村にある「ウダーチャ(ロシア語で幸運の意味)」という名前の商店で密造ウオッカを購入した男性はこう皮肉る。
「“幸運”の店でウオッカを買ったら、とんでもないことになりました。店は1軒ですので、私たちの宿命みたいなものでしょうか。経営者は、隣村のムラート・スエンバーエフ村長です。彼はオレンブルグ州では著名な実業家です。店内で密造ウオッカが販売されていることは当然知っていたはずです」(「ロシア第1チャンネル」10月19日放送)
■出稼ぎ労働者が密造ウオッカを運び込む
興味深いのは、ウオッカをアダーモフカ村の配送センターに運び込んだのは、アゼルバイジャンからの3人の出稼ぎ労働者だったという点だ。
2020年のロシア内務省の統計によれば、出稼ぎ労働者は全土で1600万人を数え、人口の11%を占める。アゼルバイジャン出身者も多く、モスクワ市内の工事現場でよく見かける。
ただ欧米諸国の経済制裁に加え、コロナ感染者の増大が重なり、ロシアの景気後退は深刻である。出稼ぎ労働者の多くは祖国に帰還する者もいたが、モスクワからロシア各地に出た者も多くいる。今回の事件は、そうした不況で職にあぶれた出稼ぎ労働者が関与している。
■ロシア社会の闇を映し出した事件
別の村を見てみると、死者が出たオールスク村に開設されている配送センターにはウオッカ入りの1200本のボトルが保管されていた。
地元の4人の失業者がそのウオッカを買い取り、周辺の村に点在する店に売り歩いていたそうだが、そのセンターの経営者は村の副検事だった。
今回オレンブルグ州の6つの村で起きた事件は、貧困ビジネスの結果起きたものといえる。政治家や公務員が社会の裏で違法ビジネスに手を染め、失業者や出稼ぎ労働者を使って、貧困層からお金を巻き上げる構図だ。
低所得者はとにかく安価な物品を買い求める。ロシアの貧困者の絶対数は年々増加しているので、貧困ビジネスは拡大を続ける。
相次ぐ密造酒による死亡事故の背景にはこうした現在ロシア社会が抱える闇があるのだ。
■正規のウオッカの代わりにロシア人が飲んでいるもの
ロシアの主要紙「イズベスチヤ」は、「ロシア連邦アルコール飲料衛生管理庁の報告(2020年第1四半期実施)によれば、酒類販売業免許を得ていない商店で売られたり、エチルアルコール量を含む成分に不正があるなど法律上の瑕疵(かし)が認められたアルコール飲料の売り上げの割合は全体の30~35%に上る」さらに、「管理庁の調査期間中に1万4000件の違法が摘発され、その約56%を占めているのが密造ウオッカだ」と報じている。
驚くべきことに、ロシアでは平然と違法酒がスーパーに並べられているのだ。では、安全な酒はどう選べばいいのか。
ロシア国内で販売されているウオッカの一つに、プーチン大統領に由来する「プーチンカ」という銘柄がある。私のロシア人の友人はこう豪語する。
「プーチンカならば、中毒にかかることはない。国家の体面に関わるからね」
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筑波大学人文社会系教授
1956年生まれ。学習院大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。モスクワ大学、ソ連科学アカデミーに留学。2017年、『シベリア最深紀行』で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。『ロシア市民』『ろくでなしのロシア』などの著作がある。
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(筑波大学人文社会系教授 中村 逸郎)
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