北京五輪の「鳥の巣」はいずれ廃墟になる…"レガシー"になる建物と朽ち果てる建物の決定的な違い
プレジデントオンライン / 2022年1月26日 19時15分
※本稿は、井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■新国立競技場の「ザハ案」には住民投票が必要だった
――1964年の東京オリンピックのレガシーについての議論がありましたが、2020年大会はいかがでしょうか? 新国立競技場の建設では、ザハ・ハディドの案が撤回されるなど、いろんないきさつがありましたけれども、どのようにご覧になっていましたか。
【青木】ザハ・ハディドの案はコンペで選ばれたものですが、そのコンペの開催はそもそも、東京にオリンピックを誘致するためのアピール力のある案が欲しかったからでした。ザハ案は、その点では圧倒的に優れていました。宣伝材料を選んだまでと言えばそれまでですが、選んだ以上は、首相の一存などでは撤回すべきではなかったと思います。
ただ、ザハ案は今の街の成り立ちを暴力的と言っていいくらいに大きく変えるものでした。それに、それをオリンピック後にも維持していくだけのお金が用意できるのか、という都民全体に関わる問題もありました。だからこの問題について槇(まき)文彦(ふみひこ)(1928年~。代表作に幕張メッセなど)さんが書かれた最初の提案通り、住民投票によってコンセンサスを取る必要があったと思います。その上で実現したら、良し悪しは置いておくとして、レガシーになったでしょうね。
■ずっと使われていた結果が「レガシー」になる
【青木】しかしザハ案が破棄され、隈(くま)研吾(けんご)(1954年~)さんのデザインでできあがった新国立競技場(図版1参照)は無難な建築で、これだったら前の国立競技場を建て替える必要があったのかなと思います。結局、今回のオリンピックでは、街を改造して新しいレガシーを生み出すことも、この機会を利用して先輩たちから引き継いだレガシーを次世代につなぐこともできなかったのではないでしょうか。
【井上】1970年の大阪万博で「太陽の塔」(図版2参照)がレガシーになると、当時は誰も思っていなかったでしょう。しかし結局、会場跡地を見たときに付近の人が一番愛したのは、岡本(おかもと)太郎(たろう)のモニュメントだった。
【青木】本当にそうですね。
【井上】何がレガシーになるかというのは、時間が経ってみないとわからないんじゃないでしょうか。
【青木】要らないから壊すというふうにはならず、ずっと使われていた結果がレガシーということですね。
【井上】代々木競技場の第一体育館は、もともと競泳用の施設でした。あと、飛び板飛び込みかな。あそこで、飛び込み台へ上がった選手は、高揚感におそわれたことでしょう。でも、もうプールではなくなっています。当初の目的は消えてしまいました。飛び込み台へ上がって、あの空間を体感することも、今はできません。でもあの空間は捨てるにしのびない、と各方面で思われたんでしょう。今でもバレーボールやバスケ、コンサートなどのイベントで使われていますね。
■今でも増改築を続ける「国立民族学博物館」
【青木】大阪万博のほうは万国博美術館の施設が、国立国際美術館になりましたが、それも老朽化を理由に取り壊され、2004年に大阪の中之島に移転してしまいました。あれはもったいなかった。川崎(かわさき)清(きよし)(1932~2018年)さんがつくった万国博美術館は茫漠としてとりつく島がない空間で、人を流す動線から割り出された、万博じゃないとできない、非常にユニークな空間でした。
【井上】パビリオンだから、ゆるされた企画じゃないかとは思います。
【青木】また、万博公園内には黒川(くろかわ)紀章(きしょう)(1934~2007年)さんの……
【井上】国立民族学博物館がたっています。メタボリズム(1959年に黒川紀章、菊竹(きくたけ)清訓(きよのり)ら日本の建築家・都市計画家らが起こした建築運動。原義は「新陳代謝」。転じて社会や人口の変動に合わせて成長する都市像・建築像を提唱した)の理念が、唯一現実化された例じゃないかと私は思います。今でも増改築しているんです。
【青木】ちゃんと新陳代謝をしているわけですか。また訪ねてみなくては。
■中銀カプセルタワービルは「切断」されている
【井上】黒川さんの中銀(なかぎん)カプセルタワービルは、固まったままじゃないですか。ご存じのように、このビルはさまざまな方向を向いたカプセルを組み合わせてできています。カプセルはコアシャフトにボルトでとめられていたため、住み手が自分の都合に合わせてこれを取り外し、たとえば冬場はスキー場へ持って行くこともできる。そんなコンセプトであれはできています。ところが、実際には住み手のだれ一人としてそんなことをしなかった。ボルトを外すためには鳶職の世話にならなければなりませんし、カプセルを取り外すにはクレーン車だって必要です。そうした作業を銀座8丁目で行うことが、行政に認められるとも思えません。
これは事実上、磯崎(いそざき)新(あらた)(1931年~)さんの「切断」と一緒じゃないですか(「切断」は磯崎新が唱えた「プロセス・プランニング論」におけるキーワード。「プロセス・プランニング」とは経年変化を計画段階で想定して設計を行う方法論であり、そのプロセスが最後に「切断」されることにより、建築物として具現化されると唱えた)。
【青木】レガシーかどうかは時が判定することなんですね。
■武道館はビートルズによって「ミュージシャンの聖地」になった
【井上】はい。これも別の話ですけど、武道館(図版3参照)はもちろん武道でも使われると思います。だけど、1966年にビートルズがコンサートを開いたことによって、ミュージシャンの聖地になっていきました。後世の人がどういう使い方をするかによって、建築は生き残り方が違ってくる。これは当初設計に関わった建築家がどうこうできる問題じゃないと思います。
【青木】たしかに。しかしモダニズムの建築には、機能主義という大きい考えがあるわけですよね。つまり、何のためにつくるのかというときの「何のため」というところが非常に重要でした。だから、明確に目的が決まってつくられているから、目的が変わってしまうと使えなくなってしまう。
でも、もっと昔の建築は、「何のため」の「何」にあまり厳密には対応していない。たとえば教会建築は、この宗教のこの儀式のためにとデザインはされているけれども、基本はもっと漠然と、非日常的で厳かな空間という程度のコンセプトでつくられていたように思えます。そのほうが、違う用途としても使える可能性が高い。
■「使い勝手が良い建物」が残るわけではない
【井上】建築は大きな予算を伴う仕事なので、合理的な説明が求められます。なぜ、この形が導きだされるのか。その点についてクライアントを説得しなければなりません。いまでも「これこれ、こういう用途に役立ちます」という説明をしないと、案が通りにくいのではないでしょうか。
【青木】でも、それは「方便」というものでしょう。
【井上】方便ですよね。じっさい、後世に残る建物は、使い勝手の良さという当初の方便が評価されて延命していくわけじゃありません。そういう用途をこえて、生き残るわけです。結局、理由はわからないけれども、周りに愛された建物が残るとしか言いようがありません。
【青木】そして、地球環境の危機を考えるなら、スクラップ・アンド・ビルドではなく、結果的に長く愛されて使い回されていく建築のほうがいいということもあります。
【井上】ただ難しいのは、結局は愛される建物が残るんだということに開き直って、「愛されよう、愛されよう」という設計の姿勢には、ちょっとあざといものを感じて……。
【青木】愛されようと思って愛されるほど、物事は簡単じゃありませんよね。
■「愛されよう」と思ってつくったものは愛されない
【井上】はい。あれはもう偶然としかいいようがないと思います。
【青木】建築家としては偶然だけではないと思いたいんですけれども……。でもたしかに愛されようと思ってつくられたものは駄目ですね。
【井上】芸能人のスターはなり手がいっぱいいて、芸能事務所はスターをつくる法則を持っていると思います。でも、じっさいに当たるのは数十人、数百人に一人であって、他は死屍累々(ししるいるい)のはず。おそらく本も同じですね。狙ってベストセラーにできるなら、みんなやっている。再版できるかどうかは、編集者の辣腕(らつわん)にかかっている面があると思いますけれども、20万部、30万部、100万部という段階になると、もう計算外だと思います。
【青木】だから従来のマーケティング手法で売れそうなものをつくるのではなく、とりあえず出してみて、反応によって変えていこうとするアジャイルマーケティングと呼ばれる手法が流行していますね。変えやすさを取り込んでいる。でもこれはこれで、ひとつの型にはまってしまいそうですが。
■北京の「鳥の巣」はあまり使われていないらしい
【井上】北京の「鳥の巣」(図版4参照)はオリンピックのレガシーっぽいように見えますが。
【青木】あまり使われていないと聞きますけれど。
【井上】北京の人からあまり愛されていない?
【青木】2008年北京オリンピックの会場はかなり廃墟になっているそうです。
【井上】廃墟ですか。
【青木】ある意味、巨大な舞台セットだったし、それでよかったのかもしれません。当時、川口(かわぐち)衞(まもる)(1932~2019年)さんという構造設計の大家は、構造的に見るとばかげている、とおっしゃっていました。
【井上】本当に「鳥の巣」のような代物なんだ。
【青木】すごい構造体ではあるけれど、支えている物がなく、ただ自分を支えるためだけの構造だと。
【井上】博覧会のパビリオンですね。
【青木】そういうことですね。
【井上】レガシーをそもそも狙っていない。
【青木】ただ、オリンピックの会場とは放送のための舞台セットである、という真理は体現しています。
【井上】それでよしとする建築家ももちろんいらっしゃると思うけれども、多くの建築家からしたら、それは切ないんじゃないかなあ。
【青木】切ないでしょうね。リサイクルをテーマにして、使用後、簡単に解体できるように設計するというのだったら、面白いかもしれませんが。
■将来的には廃墟になる可能性が高い
【井上】「鳥の巣」は、解体もしづらそうですね。
【青木】鋼材で編まれたようにできているので、解体は大変でしょうね。でも8万人も入るスタジアムを日常的に使うのは難しいから、将来的には廃墟になる可能性は高いと思います。
【井上】意外と北京のパルテノン神殿みたいになるかもしれませんよ。いや、スタジアムだから、コロッセオかな。
【青木】それはそれで格好いい。
【井上】建築には壊しづらいから延命してしまうというかたちでの、生き残り方もあるのかもしれないですね。
【青木】22年の冬季オリンピックでも開会式や閉会式はここでやるという話も聞きます。ということは、とりあえずもうしばらくは延命できそうだけど……。
【井上】いずれ朽ち果てるのですね。
【青木】あまり使われないとメンテナンスにばかりお金がかかり、そのうちに立ち入り禁止になって、朽ちていくのではないでしょうか。
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国際日本文化研究センター所長
1955年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター助教授、同教授を経て、2020年より現職。専門の風俗史・意匠論のほか、日本文化や美人論、関西文化論など、研究範囲は多岐にわたる。『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫)サントリー学芸賞受賞、『南蛮幻想』(文藝春秋)芸術選奨文部大臣賞受賞、『京都ぎらい』(朝日新書)新書大賞2016受賞など著書多数。
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建築家・京都市美術館館長
1956年横浜市生まれ。東京大学大学院修士課程を修了。91年青木淳建築計画事務所(現在、AS)を設立。住宅、公共建築、商業施設など作品は多岐に渡る。《潟博物館》で日本建築学会作品賞を受賞。京都市美術館の改修に西澤徹夫とともに携わり、2回目の日本建築学会作品賞を受賞。2019年4月から同館の館長に就任。東京藝術大学教授。著書に『原っぱと遊園地』など。04年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
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(国際日本文化研究センター所長 井上 章一、建築家・京都市美術館館長 青木 淳)
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