「だれがビートルズを日本に呼んだのか」海外スターを来日させる"呼び屋"の怪しすぎる生態
プレジデントオンライン / 2022年1月26日 15時15分
■「呼び屋について教えてください」
ビートルズを呼んだ男、永島達司に会った当時(1996年)、メールで取材の申し込みをするのは一般的ではなかった。電話もしくはファクスで申し込むか、手紙を書くのが主流だったのである。また、単行本は書き下ろしが当たり前だった。雑誌の数は限られていたし、連載ができるのは実力があって売れる作家だけだ。まだ新人だったわたしは時々、雑誌に寄稿しながら、書き下ろし本の取材を進めていくしかなかったのである。ブログもnoteも、むろん登場していない。
わたしはアポイントを取ろうと思って、インタビューに答えないことで知られる、伝説のプロモーター、永島達司に電話した。
要件は「呼び屋について教えてください。特に、神(じん)彰(あきら)さんについて知りたいのです」だった。
あの頃、フリーランスのライターが電話をして「取材です」とか「取材したい」と言うと、たいてい、断られた。政治家、経営者、芸能人にとってフリーランスライターはスキャンダルを書く輩に過ぎない。だから、要件に入る前に「取材? お断りします」だったのである。これが新聞記者、テレビの記者だったら、断られることはなかった。今でもおそらく同じだろうと思うけれど、フリーランスで取材するには大きな壁を乗り越えないといけないのである。
■「取材したい」ではなく「教えてください」と頼む
むろん、わたしも何度も断られた。そこで考えた。それは電話をして、「取材したい」ではなく、「教えてください」と切り出すことだった。
取材を申し込む有名人に向かっては次のように話をすることに変えた。
「わたしはあなたの出た記事をおそらくすべて読んでます。あなたを理解したいと思って話を聞きたいのです。そこで、この点について教えてくださいませんか」
わたしはあなたに物事を教えていただきたいのですという立場で丁寧に電話で話すことにした。
「教えてください」と言うようになってから、「わかった。教えてあげよう」とOKしてくれる人が多くなった。むろん、断られることのほうが多いのだが、事務所に属していない大物芸能人、創業経営者といった人たちは「あなたの申し込み方が面白かったから」とインタビューに出てくれるようになった。
永島さんに対して、わたしは「呼び屋について教えてください」と話しただけなのである。永島さんは「ああ、そう。わかった」と言って、日時を伝えてきた。
■「赤い呼び屋」の異名をもつ神彰
最初、神彰(1922~98年)と「呼び屋」についての本を書こうと決めていた。神さんには会ったこともあり、取材もしていた。永島さんには神さんについてコメントをもらうつもりだったのである。
神彰は「呼び屋」界では永島さんと並ぶスターだった。ドン・コサック合唱団、ボリショイ・バレエ団、ボリショイサーカス、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団といったソ連の芸術家ばかりを呼んできたことから「赤い呼び屋」という異名があり、政治家もソ連の案件では神さんを頼りにするとされていた。
また、女流作家のスター、有吉佐和子さんと結婚したことも話題だった。だが、呼び屋としての時代は意外と短く、興行に失敗して呼び屋を引退した後は居酒屋チェーンの「北の家族」を始めた。同社は株式を店頭公開するが、その後、人手に渡った。有為転変を絵に描いたような人だった。
永島さんがマスコミにも出ないで、自分の存在を消していたのに対して、神さんは「呼び屋」時代はさかんにマスコミに出ていた。だが、居酒屋チェーンの社長になってからは一転して、マスコミには出なくなっていた。
■“日本の興行”を生んだ名だたる呼び屋たち
さて、呼び屋という言葉自体は評論家の大宅壮一がつけたものだ。大宅壮一の頭にあったのはふたりの呼び屋、小谷正一と神彰である。永島達司は大宅壮一にとっては若造の部類だったし、ビートルズ、ローリングストーンズといったロックについてはまったく理解していなかったろう。
小谷は敗戦後、バイオリニストのオイストラフを呼んだ。神はソ連の芸術家を呼んできた。呼び屋のなかでも目立つ存在だったのである。小谷は呼び屋としてだけではなく、作家、井上靖の小説『闘牛』のモデルでもあり、プロ野球のパシフィックリーグを作った男としても知られていた。ホイチョイプロダクションズの馬場康夫氏がもっとも尊敬する男でもある。
わたしは小谷さんにも何度か会ったけれど、紳士でかつ怪人だった。出かける時にはリンカーンコンチネンタルに乗るのだけれど、運転手役の副社長は大柄な人で、スキンヘッドにサングラスである。その人が後部席のドアを開けると華奢な紳士の小谷さんが下りてくる。それだけで、あたりを払うのである。
■来日のオファーから公演、宿舎、観光案内まで…
呼び屋の仕事はふたつの要素から成り立っていた。
ひとつは、海外の芸能人と交渉して来日させること。永島さんのように英語が流暢でかつ土地勘のある人であれば、直接出かけていって、まず現地でショーを見る。見た後、外国人タレントのマネージャーあるいは公演のスケジュールを握っているブッキングエージェンシーと話をして来日を招請する。英語力もなく海外に出かける金銭的余裕のない呼び屋は、手紙あるいは電報で来日公演を請う。
神さんの場合はソ連共産党の幹部とネットワークがあり、党幹部に頼んで合唱団やバレエ団を呼んでいた。
仕事のうち、ふたつめは交渉が成立して来日したタレントの公演を行う仕事で、いわゆる興行だ。タレントと公演内容を打ち合わせ、会場を確保し、切符を売り、宣伝をする。公演の当日を迎えれば会場を管理し、無事に終了するように気を配る。むろん公演に付随するさまざまな雑務も仕事の一部となる。来日したタレントを出迎え、宿舎や練習場も確保する。日本観光のガイド役もやる、食事や土産物の世話もやらなくてはならない。
■たった1500席しか入らない日本にどう呼ぶか
戦後、アメリカのジャズ、ポップスのミュージシャンが日本にやってきたのは当初は駐留基地のクラブにおける慰問公演だった。同胞の将校、下士官、兵隊へ向けて、パフォーマンスを行った後、永島のような呼び屋が大枚のギャラを払って赤坂のナイトクラブでショーを行ったのである。
その後、日本が成長していくにつれ、各国からアーティストがやってくるようになる。それでも、ポップミュージックの公演に貸してくれる会場は少なかった。クラシック音楽の場合は東京文化会館のような1000~2000席の会場があったが、ポップミュージックはもっと少ない。キョードー東京元社長の内野二朗『夢のワルツ』(講談社)によると、1960年代でポップミュージックの公演ができる最大の収容人数を持っていたのはサンケイホールで、せいぜい1500~1600席だった。
今でこそ日本武道館は武道よりも音楽のライブ会場と思われているが、ビートルズが1966年に使うまでは、柔道剣道などの武道を行う神聖な場である。永島が1万数千のキャパシティーを持つ武道館を会場に使用したことはポップミュージック、洋楽の発展に大きな影響を与えたのだった。
■博打のようなビジネスだった
それでも、呼び屋と呼ばれた男たちは永島さん以外はほぼ廃業している。それは海外から新しいタレントを連れてくることはできたが、日本国内で公演を打つ仕事に慣れていないからだった。神さんは手打ち興行といって、自ら会場を手配して切符を売った。一度でも失敗すると、運転資金に窮してしまう。博打のようなビジネスだ。
一方、永島さんはリスクを分散した。手打ち興行だけでなく、来日したタレントをナイトクラブに出演させ、先に手数料を確保していたのだった。
「手打ち興行だけではとてもやっていけないよ」
そう、永島さんは言っていた。
「だって、呼び屋に金を貸す銀行はないからね。僕はポーカーで儲(もう)けては資金を作っていたんだ」
■「怪物」の大豪邸に呼ばれた日
話は神さんに戻る。
わたしが本を書こうと思ったのは、初めて会った時に魅力を感じたからだった。業界の人は「神彰にだまされるな」とか「怪物だ」「悪人だ」と言ったけれど、わたしにとって神さんはチャーミングな人だった。きっかけは最初の本を出した(『キャンティ物語』幻冬舎文庫 1994年)後、突然、かかってきた電話である。
「キミの本、読んだよ。会って話したいから、わたしの自宅にいらっしゃい。食事をしよう」
本を書いたりすると、こうした誘いがある。わたしは好奇心のおもむくまま、誘ってきた人が反社会勢力でもない限り、会いに行く。
訪ねていった神さんの「自宅」は巨大な空母のようだった。住所は渋谷区の松濤。お屋敷街である。それでも神さんの家は周りの家とは比べ物にならないほどバカでかい家だった。
彼はひとり暮らしで、通いのお手伝いさんがいるとのことだった。有吉さんの後も結婚はしていたのだったが、2番目の奥さんにも先立たれていた。
玄関を入ると、ロビーは美術館のようになっていて、絵画や彫刻がずらっと並んでいた。内部はベルサイユ宮殿のような装飾がしてあった。天井が高く、シャンデリアがぶら下がっていた。豪華絢爛(けんらん)であり、オレは金を持っているんだぞと主張しているようなインテリアである。
■「オレ以外は全部、本物なんだ」
お手伝いさんの案内で奥に行くと、テーブルに食事が2人分用意してあった。焼き魚、ステーキ、玉子焼きにご飯とみそ汁である。フランス風の室内には合わない定食屋のようなメニューだったけれど、調理したばかりで、どれもおいしかった。酒は出なかった。
向かい合った神さんは何かを訊(たず)ねてきたわけでもなく、自分の話を始めるのでもなかった。ふたりでご飯を食べただけである。ただ、黙々と食べた。お見合いの食事のようだった。
何か話でもしないと、空気が重くて、いたたまれなかったから、ひとつ質問することにした。
「ロビーにあった唐三彩の置物、あれ、本物ですか?」
神さんは笑い始めた。面白くて仕方がないといった口調で言った。
「あのな、お前。いいか、この家にあるものはな、オレ以外は全部、本物なんだ」
そう言い放って、また笑った。
「オレ以外、全部本物」である。そこまで言える人はなかなかいない。
その時、わたしはこの人のことを書こうと決めたのである。そして、神彰はいい男だと思った。
結局、その日、彼が話したのはこの冗談だけで、食事を終えたら、「じゃあまた」と彼は引っ込んでいった。見送ってくれたのはお手伝いさんである。
その後も彼の自宅へ行ったが、まったく話は弾まず、今に至るも彼のことは書いていない。
■お客にとてつもない夢を見せるいかさま師
永島さんと会った時、「神さんのこと、どう思いますか?」と訊ねた。
「面白い人だよ。僕も何度か会ったことがある。あまりしゃべらない人だから、何を話したのかもよく覚えてない。
でも、野地くん、呼び屋のこと、書いても本にならないよ。だって、この商売は一発当てることはできるけれど、長く続けるのは大変だから。
僕の場合、キョードー東京が長くやっていられたのは臆病だったからですよ。度胸がなかったからやってこられた。あとは、これは僕の功績じゃなくて部下たちが偉かったんじゃないかな。金のこともそうだし、企画でもね。
ベンチャーズやポール・モーリア、ニニ・ロッソの公演をやろうといったのは内野二朗です。彼らは本国じゃそれほどの人気はないけれど、日本じゃコンサートを開くと満員になる。地道な努力をしてそういうタレントを育てたのは部下の功績です。ただ、ベンチャーズのようなタレントだけじゃ会社の名前が有名にならないから、時々大物を連れてきて話題を作らなきゃならない。それが僕の役目だった。
僕らが長く続いたのは大物を呼ぶ仕事じゃなくて、ベンチャーズみたいなタレントを育てたことなんです。神さんがやったようなことが本当の呼び屋の仕事ですよ。
呼び屋の仕事とはお客にとてつもない夢を見せること。それにはまず自らが夢を持っていなくてはならない。1円の価値しかないものを100円で売る。1ドルの値打ちしかないものを100ドル出しても惜しくないと思わせる。それが呼び屋であり、プロモーターで、いわばいかさま師とスレスレの存在と言ってもいい」
呼び屋は裏方だ。スターや有名人と付き合う仕事だけれど、自身がスターになってはいけない。永島さんはそこをちゃんとわかっていた。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著に『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)がある。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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