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お店での飲酒が認められているのに…コロナ禍で「飲み会をする他人」に怒る人の心理

プレジデントオンライン / 2022年2月3日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

なぜコロナ禍の日本では「自粛警察」が現れたのか。早稲田大学文学学術院教授の石田光規さんは「現代は社会や他者に迷惑をかけた人が激しく攻撃される時代だ。この攻撃は、特に“ソト”の人に対して強くなる傾向がある」という――。

※本稿は、石田光規『「人それぞれ」がさみしい「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。

■「禁止されてるわけじゃないから、人それぞれ」

※以下の事例は、お店等での飲酒が認められているときを想定しています。

新型コロナウィルス感染症の流行とともに、世の中には自粛ムードが漂っている。しかし、バッハ(ハンドルネーム)には、ウィルス騒動など、どこ吹く風だ。今日も、飲み会の約束がある。

「いよ~っし! じゃかんぱ~いっと、はいちょっとじっとしてて」

バッハは乾杯の動画を撮り、さっそくSNSにあげる。「おいおい、こんなご時世に、そんな動画あげて大丈夫か?」

コーツ(ハンドルネーム)は周りの反応が少し気になるようだ。「平気平気、おまえらの顔は隠しておいたし、別に禁止されてるわけじゃないんだから、人それぞれじゃね?」

インフルエンサーとして名をはせたバッハにとっては、自粛よりも、動画をもとにした収入のほうがはるかに大事なのだ。「それよりも、この『愛推し』(カクテル名)飲んでみな。色はすごいけど、味はなかなかだぞ。動画でも映えるし」

「本当だ。五色もある。でもうまいな」コーツもコロナのことは忘れて「愛推し」に夢中だ。

数日後、コーツがあわてた様相で連絡をしてきた。何かあったようだ。「お前、ネット見たか?  すげぇことになってるぞ。マじ、やばいって」

言われるまま、ネットを見ると、サイトには飲み会動画を批判する言葉が並んでいる。「こんな時期に飲み会をするヤカラは罰せられるべし」

「われらが社会的に制裁を加えよう」「こういったアホが世の中に迷惑をかける」

自宅の写真までさらされてしまったバッハは、騒動の後、すっかりおとなしくなってしまった。

■「人それぞれ」が許されないゆえに生じる萎縮

私たちは「人それぞれの社会」を生きているといっても、「人それぞれ」に何をやってもよいわけではありません。本書の第三章では、社会的ジレンマについて簡単にふれました。

そのさい、社会的ジレンマを防ぐには、個々人の行動を引き締めるルールが必要になると話しました。しかし、「人それぞれの社会」のルールは、ときに「正義の刃」となり、ルールを破った人を激しく切りつけます。

それゆえ、人びとは「人それぞれの社会」に生きているにもかかわらず、どことなく萎縮した心持ちになる、という矛盾した状況に追いやられます。

この事例は、「人それぞれ」と思って行動した主人公が、一線を越えてしまったために窮地に陥る話です。辛い経験をしたバッハさんは、その後、すっかり萎縮してしまいました。このようなケースは、「人それぞれ」が許されないゆえに生じる萎縮と言えるでしょう。

■「まずはお金を稼ぐこと、無理なら社会保障」という仕組み

他者に危害を加える行為は、「人それぞれの社会」であっても許されません。この点については、ていどの違いはあれども、どの社会でもほぼ共通しています。むしろ、ヨーロッパやアメリカのほうが、ハラスメントや人権問題には敏感でしょう。「人それぞれの社会」で特徴的なのは、「人それぞれ」の行為を「社会への迷惑」というセンサーで監視するシステムを作り上げたことです。

本書の第一章でお話ししたように、かつて、私たちの生活は、身近な人と共同・協力することで成り立ってきました。生活をしていくためには、血縁や地縁と協力することが、何よりも重要でした。

その後、経済的な豊かさを獲得し、一定の資産がない人を救う社会保障制度が整えられると、身近な人と共同する機会は格段に少なくなります。私たちの生活は、身近な人間関係のなかにではなく、お金を使うことで得られる商品・サービスと、行政の社会保障にゆだねられているのです。この点については、つぎのように言い換えることができます。「私たちが生きていくためには、お金を稼ぐことが何よりも重要です。しかし、どうしてもそれができない人は社会保障をお使いください」。私たちの生活は、このような仕組みで成り立っているのです。

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写真=iStock.com/hachiware
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hachiware

■「誰かに頼ること=迷惑」となってしまった

自らお金を稼いで、そのお金を使うことで生活を維持する社会では、誰かに頼ることが難しくなります。というのも、誰かに頼る行為は、お金を稼ぐ努力の放棄や怠慢を意味するからです。つまり、誰かの手を煩わせるということは、本人の怠慢や努力不足による「迷惑」となってしまうのです。

社会や他者に迷惑をかけた人は、激しく攻撃されます。さまざまな行為を「人それぞれ」と容認する社会は、「迷惑」というセンサーで個々人を監視する社会でもあるのです。

さて、この迷惑センサーなのですが、ウチとソトでやや違った働き方をするようです。かつてのさまざまな日本人論では、日本人は仲間ウチでは「甘え」がある一方、ソトに対しては気遣いが少ないと言われています。このような気質は、現代社会でも多少見られます。「人それぞれの社会」では、ウチに属すると思われる友人に対しても、否定的な意見を言わないよう、あるいは迷惑をかけないよう、かなり気を配ってきました。しかしながら、「これはまずいんじゃないかな」、「やらない方がいいんじゃないかな」という行為については、「人それぞれ」ということで、さして諫められることもなく流されてしまうことが多々あります。

■ウチの社会では「迷惑センサー」はあまり働かない

本書の第三章では、「人それぞれの社会」には、それぞれの選択に口を挟まない一方、引き起こされた結果にも関与しない冷たさがあることを見てきました。これは、ウチのなかでは、多少まずそうなことでも「人それぞれ」として流されてしまうことを表しています。この章では、お店での飲酒が認められているものの、自粛ムードが漂う中で飲み会をした様子をSNSにあげたバッハさん(ハンドルネーム)と同席したコーツさん(ハンドルネーム)の事例を紹介しました。その飲み会の場でも、コーツさんはバッハさんに特に強い意見は言いませんでした。ウチの社会では、迷惑センサーはあまり敏感にはたらかないのです。

しかし、ソトの社会はそうではありません。誰かが社会に迷惑をかけていると認定された瞬間、立ち上がる人が少なからずいます。法に触れるような悪事をしたわけではないバッハさんは、ネットでつながったソトの人から迷惑認定をされ、誹謗中傷を受けてしまいました。このような現象は日本社会では頻繁に見られます。

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写真=iStock.com/loveshiba
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/loveshiba

■迷惑センサーの典型「自粛警察」

新型コロナウィルス感染症が流行りだした頃、「自粛警察」という言葉を耳にするようになりました。意味合いは、世の中に迷惑をかけた(かけそうな)人に対する自主的な取り締まり、というところでしょうか。2020年4月には、自主休業していた駄菓子やさんに店を閉めるよう求める張り紙が貼られました。その後も、政府の自粛要請に協力しない人びとを私的に取り締まる動きが見られています。事例のバッハさんも、自粛警察にタップリお灸を据えられてしまいました。自粛警察は、まさに、迷惑センサーの典型とも言える現象です。

2021年の7月は、梅雨が明けると大変な猛暑が襲ってきました。それでも外に出る人は赤い顔をしながら、マスクをつけています。よくよく理由を聞いてみると、コロナウィルスが怖いのではなく、マスクをしないことで、周りからとがめられるのが怖いという人が少なからずいます。屋外に一人でいて、誰かと話すわけでもなく、人との距離もそれほど近くなければ、マスクをしなくてもよいと思うのですが、そうはしません。迷惑センサーの強さを感じます。

■2010年代に増えた「不倫した芸能人の謝罪会見」

芸能人の謝罪会見からも、迷惑センサーのはたらきを読み取ることができます。2010年代半ばあたりから、不倫した芸能人の謝罪会見が増えてきました。本来、不倫は個人的なことであり、家族を含む当事者で話し合えば済むことです。しかし、彼・彼女は、そうはしません。会見する方々は、いったい何に対して謝っているのでしょうか。

会見を見ていると、「お騒がせして申し訳ございませんでした」という言葉をよく耳にします。つまり、会見を開く方々は、自らの行為で世の中を騒がせ、迷惑をかけたことを謝っているのです。有名であるゆえに、個人的なことでもソトから迷惑認定されてしまう。芸能の道を生きるのも大変です。

コンファレンス用マイク
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

■過度な迷惑センサーが社会を「生きづらく」する

世間に迷惑をかけた影響は、意外なほど長く、深刻になることもあります。「キャンセル・カルチャー」という言葉をご存じでしょうか。アメリカ由来の言葉で、問題を起こした人物や企業をキャンセルする――つまり、解雇したり、不買運動を行う文化をさします。

日本でもこのような傾向はみられます。不倫をした芸能人は、露骨に表舞台から排除されますし、世の中に迷惑をかけた人は執拗なまでにたたかれます。

コロナ禍では、国や都道府県、市区町村に勤める公務員がお店で懇親会をするたびに、大手の新聞に掲載されていました。たしかに、お店での飲食を控えるよう要求されているなかでの懇親会はよいことではありません。しかし、それは、組織のなかで処理すればよいことではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。

それをわざわざ、読売や朝日などの大手の新聞で取り上げて、なおかつ、当事者を処罰すべきだと周囲が騒ぎ立てる姿に、私は怖さを感じます。過度な迷惑センサーは、萎縮を生み出し、私たちの社会を却って生きづらくさせてしまっているのではないでしょうか。キャンセル・カルチャーは、本章の前半で扱った多様性の文脈でもたびたび登場します。2021年に行われた東京オリンピックでは、「差別的な発言をした」と判断された人が次々と表舞台を去りました。

■ある表現を許容するかは、時代と文化によって変わる

キャンセル・カルチャーの怖いところは、時間をさかのぼって効果が発揮されることです。

石田光規『「人それぞれ」がさみしい 「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(ちくまプリマー新書)
石田光規『「人それぞれ」がさみしい「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(ちくまプリマー新書)

表現にまつわるリスクは、基本的には、これから発せられる言葉に対してかかります。しかし、キャンセル・カルチャーの網の目が細かくなると、過去のインタビューや表現をもとにしたキャンセルが発生します。たとえば、20年前に問題のある表現をしていたから、今の役職をおろされるといった発動の仕方です。

しかし、ある表現を許容するかどうかは、時代や文化によって変わります。その点を考慮せずに、過去の表現を今のルールに照らして裁き、キャンセルを発動させる社会には、危険性を感じざるを得ません。

そもそも、キャンセルをちらつかせて人を従わせる社会に、あまり良いイメージを抱くことはできません。過去もふくめ、一度の失敗をキャンセルに結びつける社会を、過ごしやすいと言えるのでしょうか。今の世の中で「生きづらさ」という言葉が流行る背景には、このような事情があるのです。

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石田 光規(いしだ・みつのり)
早稲田大学文学学術院教授
1973年生まれ。2007年東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学(社会学博士)。著書に『孤立の社会学――無縁社会の処方箋』『つながりづくりの隘路――地域社会は再生するのか』(勁草書房)、『郊外社会の分断と再編――つくられたまち・多摩ニュータウンのその後』(編著、晃洋書房)、『友人の社会史――1980-2010年代 私たちにとって「親友」とはどのような存在だったのか』(晃洋書房)。

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(早稲田大学文学学術院教授 石田 光規)

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