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遺族の意向を完全無視…ドラマ『新聞記者』の事実歪曲をなぜ望月記者は許しているのか

プレジデントオンライン / 2022年2月2日 11時15分

新聞記者/The Journalist Netflix(ネットフリックス)公式サイトより

■「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

Netflix(ネットフリックス)のドラマ『新聞記者』が論議を呼んでいる。

これは2019年に公開された映画『新聞記者』の連続ドラマ版で、東京新聞の望月衣塑子記者がかかわり、河村光庸プロデューサー、藤井道人監督は映画と同じ布陣である。

参議院選直前に公開された映画は、第43回日本アカデミー賞の最優秀作品賞を含む主要3部門を獲得し、興行収入もこの手の硬派な映画としては珍しい6億円超えと、大いに話題を呼んだ。

映画のラストで、内調(内閣情報調査室)の上司が部下に、「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という決め台詞がよかった。

アカデミー賞受賞後の私のインタビューで河村氏は、「映画の最後の決め台詞がもの足りなかったので、アフレコで私があの言葉を入れたんです」と語った。

「私が描きたかったのは望月さんのような忖度(そんたく)に抗し、権力に立ち向かうジャーナリストの姿を通して今の危機的な政治状況を伝えたかった」ともいっていた。

Netflixのドラマ(シーズン1、エピソード1~6)のほうは、安倍晋三首相(当時)と妻の昭恵氏が深く関与していたといわれる「森友学園国有地売却事件」の闇を、女性記者が追いかけるという設定。もちろん、人物の名前も事件名も変えてはいるが。

■望月記者はこれを見て怒らなかったのか?

追い詰められた首相が突然、もし私と私の妻がこの件に関与していたら、私は首相も議員も辞めると答弁したため、つじつまを合わせるために交渉過程の文書を改竄せざるを得なくなった。

上司から改竄を押し付けられた財務省近畿財務局職員は、国民に奉仕すべき国家公務員が違法なことに手を染めてしまったと悩み、遺書を残して自殺してしまう。

これを見た多くの視聴者は、このドラマはあの事件を題材にして作り上げたドキュメンタリーに近い作品だと思うに違いない。

自殺した赤木俊夫さんの遺書をスクープしたのは、東京新聞の望月記者だったとも。

ドラマ『新聞記者』を見て、私がどう感じたかを書いてみたい。

見終わって最初に、こう考えた。「このドラマを試写で見た東京新聞の望月記者は怒らなかったのか?」

「私失敗しないので」という台詞で有名な米倉涼子が望月記者を彷彿とさせる女性記者を演じている。およそ新聞記者らしくない米倉を配した愚は致し方ないとして、オーバーすぎる表情や、すぐ泣く癖は、記者という仕事には向いていないと思わざるを得なかった。

演技指導はしなかったにしても、望月記者は新聞記者の心構えぐらいは教えなかったのだろうか。

■スクープをいとも簡単にとってくる違和感

それよりも大きな違和感を持ったのが、新聞記者というのは「いとも簡単にスクープが取れる」かのような描き方であった。

データ集めは助手たちに任せ、取材先の役人たちの住所も簡単に割り出す。目ぼしの人間を待ち受けて問いかけるが、相手が拒否すると簡単に引き下がってしまう。「何かあったら電話をください」といって名刺を手渡すだけ。これでは「御用聞き取材」といわれても仕方あるまい。

それでも、取材相手は自ら彼女に電話をかけてくるから不思議だ。文書を改竄したことを苦に自殺した人間の「遺書」を、自分のことを慕って新聞社を志望する若者を介して、いとも簡単に手に入れてしまうのである。

同じテーマを血眼になって追いかけていた新聞記者たちがこれを見れば、「オレたちの苦労がほとんど描かれていない」と思うはずだ。

実際は、NHKにいた相澤冬樹記者が、森友学園疑惑を執拗(しつよう)に追い続け、官邸と近い上層部に疎まれ、記者職から外されてしまった。何としてでも事件の真実を明らかにしたい相澤氏は、NHKを辞めて地方紙に移り、事件を追い続ける。

2018年に『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)を出し、それに感銘を受けた赤木俊夫氏の妻・雅子さんが連絡して信頼関係を築き、夫の遺書を見せ、その内容が週刊文春にスクープ掲載されるという経緯をたどっている。

■弱腰のデスクが東京新聞の人間だと誤解されないか

いかつい新聞記者が主人公では、多くの視聴者が見てくれないと制作側は考えたのであろう。だが、実際の事件をほぼ忠実にトレースしているのに、一番の核心部分をご都合主義で変えてしまったため、つじつま合わせに終始してしまったところに、このドラマが骨太ではなく、女性記者のお涙ちょうだい的ドラマになった決定的な“弱点”があると思う。

この中で一番驚いたのは、米倉が大スクープであるはずの遺書をデスクに見せるシーンだ。デスクは、「これはやらない」というのである。官邸筋から圧力がかかっているから、「オレにはどうしようもない」と顔をゆがめるのだ。

放映前にこれを見て、全面協力した東京新聞は怒らなかったのか、不思議でならない。

望月が東京新聞社会部の記者だということは周知の事実である。とすれば、この間抜けで弱腰のデスクは東京新聞の人間だと、見ている視聴者に誤解される可能性は大いにある。これを見た新聞記者志望の学生たちは、東京新聞だけには行くのをよそうと思うのではないか。

東京新聞の“名声”は地に堕ちる、そうは考えなかったのだろうか。

■文春が「『新聞記者』の悪質改ざん」と報じる

シーズン1を見終わって私は、「薄っぺらな新聞記者ドラマ」だと思わざるを得なかった。プロデューサーや監督は、「政治的なドラマは形だけでいい」と思っているのではないのか。

ドラマならノンフィクションでは描き切れない権力の内側を、想像力も駆使して描いてほしかった。そんなことを考えていたら、週刊文春(2月3日号)が、「森友遺族が悲嘆するドラマ『新聞記者』の悪質改ざん」と報じたのである。

週刊文春によれば、「このドラマが制作過程で迷走を重ね、当事者を傷つけていたことはまったく知られていない」というのだ。

現在はフリーの相澤冬樹氏が、自死した赤木俊夫氏の妻の雅子さんから「遺書」を託され、2020年3月18日に発売された週刊文春で全文を公開したことは書いた。

その数日後、東京新聞の望月記者から雅子さんに封筒が届いたという。そこには、相澤記者の記事を読んで涙が止まらなかったとあり、映画『新聞記者』をプロデュースした河村光庸氏の手紙を同封してあった。

雅子さんは、以前から当時の菅義偉官房長官に鋭く切り込む望月記者には好感を抱いていて、連絡を取り合うようになり、河村氏も一緒にZoom越しに話をする運びになったそうだ。

曇天の国会議事堂
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

■雅子さんが驚いた「子どもの応援動画」

その際、河村氏が、「ドラマ版の『新聞記者』を制作していますが、赤木さん夫妻がモチーフです。雅子さん役は小泉君(小泉今日子)にやってもらいます。新聞記者役は米倉君(米倉涼子)かなあ」といったという。

だが、雅子さんは、河村氏の態度や言動から、何をどうゆがめられるか分からないと考え、協力は断ったそうである。

それでも望月記者は、電話口で涙ながらに、「私を切らないでください」と懇願したため、関係を続けることにしたという。この人の取材テクの得意技は泣き落としのようである。

以来、望月記者から財務省の文書改竄をめぐる連載の下書きを送ってくることもあったという。

さらに、突然送られてきたのが、望月記者の子どもなのだろう、幼さの残る姉弟が小さな拳を振り上げて「雅子さんガンバレ!」と叫ぶ動画だったという。

雅子さんは、森友学園が運営する幼稚園の園児たちが運動会で、「安倍首相、ガンバレ!」と連呼していた姿を思い出して、心が冷えこんだそうだ。

望月記者の子どもから、「裁判をおうえんしています」などと書かれた手紙も送ってきたという。

わが子を使ってまで、相手の懐に飛び込みたいという記者心理は分からないでもない。だが、子どもまで引っ張り出すというのはいかがなものだろう。

■「事実を正しく伝えてほしい」に望月記者は…

読売新聞社会部出身でノンフィクション作家の本田靖春氏は、記者は“家庭”とは距離を置けといっている。

「家のことを顧みないのは、いけないことである。しかし、それは、カタギさんたちの世界の話であって、私たち新聞記者という名の『ヤクザ』にとり、家庭なんか二の次だと思う。だれが何といおうと、そうなのである。だって、自分や家族のことは手抜きになっても、公共のため自己犠牲を厭わない人間が、全体のうちの〇・五パーセントか1パーセント程度いなくては、社会が保たないではないか。そういう気組みのない人間は、新聞社を去ればいいのである」(『我、拗ね者として生涯を閉ず』講談社刊)

本田氏が今いれば、子どもをダシに使って取材先に取り入ろうなんて、記者の風上にも置けないというのではないか。

こうしたトラブルの間にも、Netflixのドラマ制作は進められていた。それを知った雅子さんは、夫の遺書を託した相澤氏と相談して、河村、望月両氏を交えて話し合ったそうだ。

雅子さんは、財務省には散々真実を捻じ曲げられてきたから、登場人物が明らかに私だと分かるのであれば、多少の演出はあるにしても、事実をできる限り正しく伝えてほしいといったという。

ドラマでは当初、赤木夫妻に子どもがいるという設定が考えられていた。これについて望月記者は、「雅子さんに子どもがいたという設定なら、事実と違ってフィクションになるからいいじゃないですか」といったという。

■遺族の哀しみを描くことを疎かにしたという問題点

あまりに無神経な発言である。このドラマ全体が新聞記者の苦労や遺族の哀しみを描くことを疎かにし、ひたすら権力は悪だと決めつけるプロパガンダに固執しすぎているように思える。

子どもがいれば、視聴者はより悲しみ、より権力を憎むのではないかという“安易”な考え方からではないのか。

女性記者を主人公にしたいがために、森友問題を追い続け、遺書を託された相澤記者を排除してしまった。その代わりに、新聞記者志望の雅子さんの甥という大学生を登場させ、彼の仲介で雅子さんと会い、何の苦もなく遺書を手に入れるというストーリーにしてしまったことが、このドラマの最大の問題点である。

望月記者が遺書をスクープすることができなかった腹いせに、自分がスクープしたようにドラマの脚本を“改竄”したのでは? 功名心が罪悪感を払拭(ふっしょく)したのでは、などという批判がツイッターなどに見られる。

このドラマの制作に望月記者が少しでも関わっていたのなら、女性記者が入手したようにする筋書きは相澤氏に失礼だし、自分としても変な誤解を与えたくないからやめてくれと、強く抗議し、事実に則して脚本を変更させるべきではなかったのか。

■小泉今日子氏は「了承を得られていない」と辞退

雅子さんたちとの話し合いの中で、望月記者は多弁を弄して、「多くの人にこの問題を知ってもらうにはドラマは追い風になる」といい、河村氏は、どうしてもというのであれば設定は変えられる、脚本をある段階でお見せすると約束してその場を去ったそうだ。

だが、その後、河村氏からの連絡は途絶え、制作発表直前に、あくまでフィクションなので要望は受け入れずに制作に着手するという「通告」書が来たという。

あれほど連絡を密にしていた望月記者も、以来、雅子さんからの電話、LINEなどにまったく応じなくなったそうだ。

その時期は、「赤木さんが国と佐川宣寿元財務省理財局長に一億円余の賠償を求める裁判の二回目の弁論を翌月に控えた時期だ。本気でこの事件を取材する『新聞記者』ならば、重要な取材対象者である赤木さんとの連絡を自ら断つはずはない」(週刊文春)

さらに同誌は、赤木雅子さん役に内定していた小泉今日子が、スケジュールの都合という理由でドラマへの出演を辞退したのは、河村氏に何度も、「きちんと赤木さんの了承を得てくれ」といっていたのに、それが守られなかった」からだったとも報じている。

河村氏は、筋書きはすでにできていて、米倉をはじめ主要キャストのスケジュールをすでに押さえているため、小泉に「残念ですが、辞退してください」と告げたというのだ。

スタジオでの撮影風景
写真=iStock.com/MadCircles
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MadCircles

■話し合いの場に望月記者は現れず…

そして昨年秋、ドラマの配信間近に、仲介者を通じて雅子さんに河村氏側から連絡があり、12月27日に都内のホテルで、河村氏、相澤氏、仲介者と雅子さんが話し合ったというのである。望月記者は姿を見せなかった。

その席で河村氏はお詫びしたというのだが、雅子さん側は何に謝っているのか分からず、不信感をさらに強めた。望月記者の紹介で始まった話なのに、なぜ彼女は来ないのかとも聞いた。

すると河村氏は、同席を何度も頼んだが、彼女は「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」といったという。

これもおかしな話だと週刊文春は切り込む。映画もドラマでも、東京新聞は撮影場所として社屋の使用許可を出しているではないか。エンドロールにも「特別協力」として名前が出ている。それほどまでに全面協力しておいて、都合が悪くなると関わるなというのでは、ドラマの中に出てくる根性なしのデスクと同じではないか。

■写真や画像、遺書がドラマ制作に使われたのか

週刊文春によれば、雅子さんが望月記者に貸した写真や画像・音声データ、遺書などの一部しか返却してもらっていないという。何度も電話したが応答がないそうである。

ドラマの中では、自死した夫の遺体を妻が抱きしめ、机の上の遺書を見つけるシーンがある。遺書には妻にあてて、「本当にありがとう」と書いてあるが、「り」の字が涙で滲んでいる。これは本物の遺書と同じだという。そのほかにもディテールがそっくりな箇所がいくつもあるそうだ。

推測だが、雅子さんから預かった貴重な「証拠品」を、ドラマの制作に携わる人間に見せた可能性は否定できない。

東京新聞側は週刊文春に対して、「取材で得た情報等を報道目的以外で使用することはありません」と答えているが、望月記者が公の場できちっと説明責任を果たさなくてはならないこと、いうまでもない。

そうでなくては、安倍元首相の数々のこれまでの疑惑について、説明責任を追及することはできまい。

私が望月記者と会ったのは2017年だった。月刊誌のインタビューのためだったが、菅官房長官(当時)を震え上がらせている新聞記者とは思えないほど素敵な女性だった。

私は失礼だが、「菅の会見で、あなたがやっていることは記者としては当然のことで、他の記者たちがだらしなさすぎる」という趣旨のことをいった。彼女はこう答えている。

■自分自身が取材対象になった望月記者の不幸

「こんなことで有名になること自体が恥ずかしい話ですよね。今は会見でどこの記者がどんな質問をしているのか、国民がチェックできるわけですが、そういう自覚は確かに私たちに、ちょっと足りなかったですね。

私自身が遅ればせながら入っていって、あれだけ反響があったということは、国民側が知りたいことを聞いてくれてないという不満を、そうとう持っていたから、私を『がんばれ』という人たちは、同時に『今まで何をやっていたんだ』と思っているのでしょう。

だから政治家にだって舐められますよ。モリカケ問題も、新聞は騒いでいるけど、自分の周辺の記者は言わないし、秘書官が苦言を呈することも、ほとんどないと思うので、本人(安倍首相=筆者注)もこれでいいと思っていたはずです」

彼女の“不幸”は、取材活動や書くもので評価されるのではなく、「美しすぎる新聞記者」としてメディアの寵児になったところにあった。映画だけではなく、彼女の日常を追ったドキュメンタリーもつくられた。

彼女自身が取材対象になってしまったのである。古いノンフィクション・ライターの中には、作品は発表しても顔写真は出さないというのがよくいた。理由は、面が割れると取材がしづらくなるというものだ。今、彼女の取材活動はやりにくくなっていると思う。

■堂々と出てきて説明責任を果たすべき

今回、週刊文春を読む限り、望月記者側に、取材相手に不信感を持たれるような言動があったように思える。

しかし、新聞記者として得難い取材力と行動力を持つ彼女がこんなことで潰れてほしくはない。そのためには、堂々と出てきて説明責任を果たし、赤木雅子さん側と何らかの行き違いがあれば謝罪することである。

取材する人間に間違いはつきものだ。間違ったら誤る、訂正する。そして再び立ち上がり、権力と対峙(たいじ)し、不正を暴くのだ。

積み重ねて置いてある新聞
写真=iStock.com/bernie_photo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bernie_photo

新聞を離れて、いいたいこともいえないテレビのキャスターなどになってはいけない。新聞記者でなければできないことはまだまだある。

本田靖春氏は「ボクは生涯社会部記者だ」といっていた。今の読売新聞ではない、社会部が輝いていた時代の読売を心から愛していた。

「私が職場で常に強調していたのは、自分が現に関わっている身内的問題について、言論の自由を行使できない人間が、社会ないしは国家の重大問題について、主張すべきことをしっかり主張できるか、ということであった」

これは、正力松太郎読売新聞社主(当時)の新聞の私物化に対して、ものをいえない同僚たちに向けていっているのだが、自分の言動に不信感を持たれ、週刊誌で告発されている彼女も、ここで沈黙してしまったら、本田氏は同じような言葉を投げかけると思う。

望月衣塑子記者が、この苦境をどう乗り越えるのか、注目して見ていたい。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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