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既製品は3カ月待ち…医療資材ゼロから「紙製フェイスシールド」を2週間で作った若手医師の機転

プレジデントオンライン / 2022年3月9日 9時15分

紙製フェイスシールド「ORIGAMI」 - 撮影=中村 治

紙製フェイスシールド「ORIGAMI」は、コロナ禍で材料の透明の樹脂が3カ月待ちの中、2週間で世に出た製品だ。一体どのような経緯で完成したのか。考案者の鳥取大学医学部附属病院新規医療研究推進センター助教の藤井政至氏は「商品開発で意識したのは、機能ではなく現場だった」という――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』の一部を再編集したものです。

■「3Dプリンターで製作してほしい」一通のLINEからすべて始まった

2020年4月7日、マスク姿の安倍晋三内閣総理大臣がテレビに大写しとなった。東京都など7都道府県を対象に「緊急事態宣言」が発令されたのだ。

この日、国内の新型コロナウイルス感染者は5000人、死者が100人を超えている。この時点で鳥取県内の感染者は出ていない。それでもひたひたと感染爆発の不気味な足音が聞こえていた。

その3日後、4月10日夕方のことだ。

鳥取大学医学部附属病院新規医療研究推進センター助教の藤井政至のスマートフォンに武蔵野赤十字病院救命救急センターの寺岡麻梨からLINEが入った。

武蔵野赤十字病院救命救急センターは高度な感染症治療を担当する「第二種感染症指定医療機関」として、早くから患者を受け入れていた。寺岡によると、マスクやフェイスシールドが全く足りないというのだ。

「(医療従事者は)空気感染を防ぐためにN95マスクを使用していました。ただこのN95マスクが供給不足になっていた。本来はディスポ(使い捨て)であるはずのN95マスクを繰り返し使うために、飛沫で汚染されないようサージカルマスクをして重ねていた」

空気感染を起こす病原菌は、0.5‌μm以下の飛沫核として空気中を浮遊する。N95マスクは、0.3‌μ‌mの微粒子を95%以上捕集。このN95マスクを保護するため通常のマスクを着用していたのだ。

さらに飛沫から(眼などの)粘膜暴露を防ぐためにフェイスシールドを着用していた。このフェイスシールドも足りない。緊急措置として(文房具の)クリアファイルをフェイスシールドに使いたい。そのためには“つる”が必要である。

“つる”のデータがインターネット上にある。そのデータを使って3Dプリンターで製作してくれないかというのだ。

■材料に必要な透明な樹脂は3カ月待ち

藤井は2016年11月から4カ月間、とりだい病院の救命救急センターに所属していた。そのとき、鳥取大学医学部出身の寺岡と一緒に働いたことがあった。藤井が勤務医と平行して、鳥取大学大学院の博士課程に通っていた時期だ。

駆け出しの臨床医は多忙である。加えて大学院での研究に追われていた。救急救命センターで患者が来ない夜中などを利用して、大学院の研究に使用する実験機器を製作していた。

「夜じゅう、ハンダ付けとかしているわけです。そういう姿を見て、“メカに強いんだね”って言われて。みんなからパソコンで困ったとか相談が来るようになったんです」

人のいい藤井はそうしたトラブルを自分の勉強になるだろうと快く引き受けていた。寺岡が頼ったのも、藤井のそうした性格を知っていたからだった。

寺岡からのLINEを読んだ後、藤井はとりだい病院の感染制御部、救命救急センターなどに足を運んで事情を聞いた。この新型コロナウイルスに特化した防護具はないという。鳥取県でも多数の感染者が出た場合、混乱することになるだろう。

付き合いのある材料業者に連絡を取ると、事態がさらに深刻であることが分かった。

鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』
鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』

「(材料業者は)透明の樹脂などの材料の在庫を持たないようにしているというんです。在庫があるとリスクになるからです。この時点で、フェイスシールドを作るのに必要な透明な樹脂は3カ月待ち。これからどんどん伸びるだろうとも言われました」

寺岡が頼んできた“つる”を3Dプリンターで作ることは難しくない。ただし、一個作成するのに約1時間。一日中、動かし続けたとしても日に24個しか作ることはできない。

「そもそもフェイスシールドに使用する厚手の透明な樹脂部材が手に入らないならば“つる”を作ったとしても、意味がない。手に入る材料を利用してフェイスシールドを作らなければならない」

夜、寺岡と話をしているとき、ある男の顔が頭に浮かんだ。サンパックの会長の森和美である。

■「次世代の内視鏡を作りたい」から医師へ

藤井は87年に鳥取県倉吉市で開業医の長男として生まれた。“機械”が大好きな子どもで、どんな仕組みで動いているんだろうと、片っ端から分解して周囲を困らせたという。

幼稚園のとき、大好きだった曾祖母を亡くした。そこで、人間が死ぬということを感覚的に理解した。

「工作が好きだから工学部に行きたかったんです。でも周りから医者になれ、なれって言われる。ひいおばあちゃんが亡くなったとき、たまたまテレビで人体の特集をやっていたんです。

考えてみたら、世の中で一番難しい“仕組み”って生命、人体。先にどっちに行くべきかって考えて医学部を選んだんです」

父親からは国立大学進学を厳命されていた。科目、偏差値を鑑みて佐賀大学医学部を受験した。

「別に佐賀に行きたいわけではなかった。面接でどうしてうちを選んだのですかと尋ねられて、そのまま答えたら、お前正直な奴だなと。それでも合格させてもらった。6年間佐賀で過ごしたら、第二の故郷になりましたね」

いずれ鳥取に戻るのだ。その前にしばらく都会の病院で働くつもりだった。それでも、地元のとりだい病院は見学しておこうと思った。すると、案内役の医師から、どうして医師になろうと思ったのか尋ねられた。

工作が好きで工学部に行きたいと思っていたこと、そして次世代の内視鏡を作りたいと考えているのだと明かした。すると、男はそんなことを言う人間と初めて会ったと驚いた顔になった。彼も同じようなことを考えていたからだ。

現在、新規医療研究推進センター臨床研究支援部門長であり、医学教育学教授の植木賢である。

人は意識していなくとも、時代から背中を強く押されるものだ。そして、必要な人間と出会うことになる。何かを成し遂げる人間は特にその傾向が強い。

■なぜ日本で手術支援ロボット「ダビンチ」は生まれなかったのか

藤井が佐賀大学医学部を卒業した年、2012年の12月に安倍晋三を総理大臣とした第2次安倍内閣が発足。安倍内閣は〈大胆な金融政策〉〈機動的な財政出動〉〈民間投資を喚起する成長戦略〉という“三本の矢”を掲げた。

翌13年6月に発表された安倍内閣の方針となる「日本再興戦略」には医療品、医療機器、再生医療の医療関連産業の市場規模拡大が含まれていた。

医療に限らず製造業で日本の地位が地盤沈下していた。技術が衰えた、のではない。その技術を使った製品開発が鈍っていたのだ。

その顕著な例が、手術支援ロボットダビンチである。

ダビンチ内部の部品は日本製が少なくない。個別の技術という観点では、日本で開発可能だった。しかし、総体としてダビンチのような製品が生まれなかったのは、イノベーション、つまり技術革新が起きなかったからだ。

この原因は深く、様々な角度で分析可能だろう。その中の一つは管轄官庁が曖昧なことだ。

高度成長期の日本、あるいは近年の中国を例にとるまでもなく、私企業の発展は管轄官庁のバックアップと切り離せない。医療関連産業では、医学と工学分野が交差している。文部科学省、厚生労働省、経済産業省のそれぞれが独自の分析と施策をとっていたのだ。

そこで基礎研究から実用までの医療分野を縦断的に推進する国立研究開発法人日本医療研究開発機構――通称「AMED」設立に向けて動き出した。日本版「NIH(アメリカ国立衛生研究所)」である。

同時期、文部科学省は「未来医療研究人材養成拠点形成事業」を公募している。鳥取大学では、植木が担当していた講座「発明楽」を大学院で発展させることを提案、8月に全国10大学の一つに選ばれた。

■「これからは医療機器やで」

とりだい病院でも“医工連携”、イノベーションに向けて動き出していた。

2013年12月、古賀敦朗が鳥取大学に入職した。古賀は千葉大学理学部生物学科を卒業後、製薬会社を経て、バイオベンチャー企業で創薬、健康食品の臨床研究に携わっていた。

付き合いのあった鳥取大学医学部の医師から、医療関係の“事業化”の面倒を見る人材を探していると誘われたのだ。

「ぼくは創薬や健康食品の臨床研究の仕事をするものだと思っていました。ところが、当時の病院長の北野(博也)先生から、“(研究開発費として莫大な先行投資が必要な)創薬なんて鳥取大学で出来るわけがないだろう、これからは医療機器やで”って言われたんです。

ぼくはポカンとしたんですけれど、とにかくやってみなさいって、植木先生を紹介されました」

大学で人材を涵養する植木と、事業化の古賀の両輪である。

商品開発、発売には民間企業との協業が不可欠である。古賀は鳥取県内の企業に声を掛け、病院内ツアーに参加してもらうことにした。技術者が医療の現場を見ることで気づきがあるはずだと踏んでいたのだ。

2014年、とりだい病院発の産学協同製品第一号として、排水溝がついた漏れにくい大人用、紙おむつ「アテント」が大王製紙から発売された。これは形成外科の中山敏の案に基づいた製品である。

そして翌2015年4月、大学院医学系研究科で植木が中心となった「革新的未来医療創造コース」の第一期が開講した。その中には藤井の顔があった。

植木はこう振り返る。

「藤井政至君を思い浮かべて、彼を育てるためにこんな風に授業をやっていこうと考えたんです」

医学部系大学院では、担当教授と話し合いながら自らの研究に専念する。しかし、革新的未来医療創造コースは少々趣が異なる。4年間かけて“発明楽”のほか、特許作成、知財戦略などの実務を学ぶ。

藤井の場合は、前述のように、とりだい病院の救命救急センター、消化器内科などで勤務しながら、である。

■シリコンバレーで体感した「失敗を許される土壌」

藤井が最も印象に残っているのは、三年目のアメリカ西海岸研修である。半導体関連企業が多数立地しているシリコンバレーで一週間のカリキュラムが組まれていた。

「そのときぼくは(医師として)ペーペーです。一週間休みを取るなんて無理。でもぼくはどうしても行きたかった。土日すべて勤務するので行かせてくださいって頼んだんです。幸い上司が理解のある方で認めてもらえました。

シリコンバレーでは一週間、スケジュールがびっちり。昼飯も夜飯も何らかのミーティングをしながら食べる。観光は一切なし。アップル、グーグル、インテルの本社に行ったり、いろんな有名な企業の方が来て話をしてくださった」

アメリカの起業家を支援する土壌が羨ましかった。

「日本で起業して失敗したら、自己破産、バツがついて終わり。でもアメリカは投資家がいて、起業家の考えに共感すれば、リスクマネーを投じてくれる。きちんと頑張れば、失敗は許される」

リスクマネーとは、ベンチャービジネスなどを対象にリスクを伴う投資資金を意味する。

2019年3月、藤井は博士課程を卒業、12月に植木の所属する新規医療研究推進センター助教となった。

奇しくも新型コロナウイルスが頭をもたげた時期である。

■「もう勘弁してくれ、帰ってくれって言われるまでいました」

話を冒頭の2020年4月10日夜に戻す。

藤井は二人の男に電話を入れた。一人目はサンパックの会長、森和美である。サンパックは倉吉市に本拠地を置く、紙製品の加工を得意とする企業だ。

森はとりだい病院見学に参加、月一回の『看護部ものづくり会議』に参加していた。これは看護の現場に即した商品開発を目的とした会合である。

「我々“紙屋”の立場から言わせてもらうと、病院内では殺菌、洗浄して使い回している製品が多いのが驚きでした。特に感染症対策ではもっと紙の使い捨てにすべきだと考えました」

もう一人はメディビートの代表取締役山岸大輔である。メディビートは前年2019年4月に設立された、主にとりだい病院内の研究成果の製品化をサポートする。

「森会長にはセロファンでも何でもいいので紙にフィルムを貼ったものはできませんかと試作をお願いしました。そのすぐ後に山岸社長に電話しました。いろんな病院になるべく早く届けるルートに乗せてほしいと。

この二人の了解をもらって動き出しました。翌日、森会長が試作品を持ってきてくれた。でもそれはぼくが思い描いていたものとは少し違った」

潜水用のヘルメットのように上からかぶせる形状で、顔の動きに追従しなかった。そのため首を振ると視野が遮られた。救命救急センターで医師として勤務経験がある藤井は寺岡の言葉で現場で何が必要なのかをすぐに理解した。

しかし、森たちは違う。まずはチーム全体で意思統一、優先順位を共有する必要があった。

「直接、寺岡さんから話を聞くのが早い。それですぐに翌日の夜にZoomで繋ぐことにしたんです」

その夜、藤井たちはサンパックの工場内にある会長室に集まった。

サンパックの工場。
撮影=中村 治
サンパックの工場。 - 撮影=中村 治

倉吉市の中心地には江戸時代、明治時代からの建造物が残っており、白壁土蔵群は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。サンパックはその白壁土蔵群から北へ約3.8キロ走った国道38号線沿いにある。

森は寺岡の鬼気迫る表情に感銘を受けたと言う。

「可愛いげな寺岡先生が必死で訴えている。これはなんとかせないかんと、みんなが思ったんじゃないですか」

会長室の端には、緑色のカッターマットが敷いてある木製の作業台が据えられており、接着剤や定規、メジャー、ハサミ、カッターナイフが並べられている。

森はボール紙をカッターナイフで切り、切り込みを器用に組み合わせて、試作品を作った。藤井たちがそれをかぶり、改善点を見つける。この日は日付が変わるまで試行錯誤が続いた。

翌日、藤井は倉吉市の自宅から米子市のとりだい病院に出勤、いつものように消化器内科医として働いた後、サンパックに向かった。サンパックの会長室の真ん中にあるテーブルには、菓子類が置いてあった。

それをつまみながら、森の手から生まれた試作品を、実際に試し続けた。会長室には紙の切れ端、試作品がどんどん積み上がっていった。

「森会長がもう勘弁してくれ、帰ってくれって言われるまでいました」

■必要なのは「新しいもの」ではなく「受け入れられるもの」

当初、藤井が考えたのは、手術用キャップ、マスクの機能を併せ持ったフェイスシールドだった。

「三つの機能を併せ持てば、すごい。でも途中で思い直したんです。ぼくたちがやらなければならないのは、新しいものを作ってすごいと思われることではない。

今すぐに受け入れられるもの、すぐに行き届くもの。既存の物と形状が似ているのだけれど、それらよりも性能が優れているもの」

医師として藤井が出した条件がいくつかあった。まずは、N95マスクと干渉しないこと、そしてマスクをつけた上で口や鼻からの呼気、吸気で曇りにくいこと。頭を締め付けないこと。

「普通に考えれば、(輪ゴムで顔と固定する)お面のようなものを想像しますよね。でもゴムのようなものでずっと締め続けると、頭が痛くなるんです」

また現場で簡単に組み立てられることも重要だった。短期間で製作するには、作業工程を極力減らす必要がある。そのため、ゴムのほか、ホチキスなどを使用しないことも条件に加わった。

3日間で100個以上の試作品を経て、できあがったのが紙製フェイスシールド「ORIGAMI」である。

■企画から販売まで2週間、3万個を出荷する

「鳥取(大学発)だから、トリなんとかっていう名前を考えたんですけれど、“紙”は入れたい。そして商品名で組み立てるだけで使用できることが分かるようにしたかった。それでORIGAMIになりました」

倉吉市の白壁土蔵群にて。左から、鳥取大学医学部附属病院新規医療研究推進センター助教の藤井政至氏、サンパック会長の森和美氏、社長の森貴洋氏。
撮影=中村 治
倉吉市の白壁土蔵群にて。左から、鳥取大学医学部附属病院新規医療研究推進センター助教の藤井政至氏、サンパック会長の森和美氏、社長の森貴洋氏。 - 撮影=中村 治

生産体制に入るとまた問題が生じた。森は「問題だらけ」でしたと頭を振る。

「うちは小さな会社ですし、フィルムを自分のところで貼れない。仲間内で分担してもらいました。切り抜いた部分にフィルムを貼ると、穴が大きすぎたのか、フィルムと紙が引っ張り合って、機械に入れるとうねってしまった。

今の機械はすべて自動調整。だから設定を解除して手動でやるしかない。また、最終工程の“抜き”の工程でも紙が機械に入らなかった。量産しようとするとまた別の問題が出てくる」

生産開始初日は、数百枚を作るのが精一杯だった。

医療製品である以上、品質の担保は大前提である。ORGIAMIのためにサンパック内に検査室を作った。

「虫などが混入しているとかいうのは論外として、傷が入っているものは出荷できません。一枚一枚、きちんと検査した上で梱包して出荷しました」

あのときは、とてもじゃないけれど(報酬を)十倍もらっても合わないなと思ったと、森は笑う。それでも踏ん張ったのは、Zoom会議で見た、寺岡の辛そうな表情が頭にちらついたからだ。

税別、一個120円のORIGAMIは4月25日に3万個を出荷。企画から販売まで異例の速さである。

■病院にいながら起業し、次世代型内視鏡を開発

藤井は現場の反応が気がかりだったという。

「紙なんてって言われないだろうか、あるいはこんなものをつけるのは恥ずかしいと言われないだろうか。他の製品と比較されて駄目だと言われないだろうかって(不安で)押しつぶされそうでした」

寺岡のいる武蔵野赤十字病院には300個を3箱送った。すると――。

「ありがとう。こんな風に使っているという写真がいっぱい来ました。みんなでその写真を見ながら、いい仕事したなぁって言っていました」

初回出荷分の2万個は鳥取県に寄付、鳥取県は1万個を東京都に回した。小池百合子都知事が受け取ったというニュースが全国中に流れた。

メディビートの山岸はその反響を今もよく覚えている。

「うちはベンチャーで小さくて人もいないんです。あのときは一日電話が鳴り止まない状態でした」

ORIGAMIは医療現場への貢献のほか藤井に経験という大きな糧を残した。2020年6月、藤井はとりだい病院に籍を置きながら「アールゼロ」という企業を立ち上げ、次世代型内視鏡の開発を始めた。

そして2021年4月に鳥取大学大学院工学研究科博士後期課程に入学。医学と工学の両立、そしてイノベーション――藤井は子どもの頃、やりたかった道を邁進している。

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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『真説・長州力』『真説佐山サトル』『全身芸人』『ドラヨン』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。(株)カニジル代表取締役。今年8月より東京と米子の二拠点生活中。

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(ノンフィクション作家 田崎 健太)

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