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「ドンキ=ヤンキー・DQN」というイメージはどこから来たのか…現実から離れたメディアの印象操作

プレジデントオンライン / 2022年3月27日 11時15分

ドン・キホーテ手稲店(写真=RJD/PD-self/Wikimedia Commons)

小売店ドン・キホーテは、ネットでは「ヤンキーのたまり場」というイメージで言及されやすい。なぜそうなったのか。ライターの谷頭和希さんは「テレビ番組や人気ロックバンドの楽曲などを通じて、『ドンキの前に溜まったヤンキー』という共通イメージが広がっていった。ただ、それは実状を反映しているとはいえない」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、谷頭和希『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■ドンキは都市のなかでどのような存在だったのか

ドンキを語るうえで欠かせないのは、ドンキとその周りにある場所の関係です。ドンキは都市のなかでは異質であるかのように見えるけれども、じつは周辺の都市を非常に敏感に感じ取り反映しているのではないか(ただし、その多様性は、ドンキが企業として利益を追求する過程で自然に生まれたものです)。

そこで本稿では、これまでの議論から見えてきた「都市のなかのドンキ」というポイントに焦点を絞って話をしていきたいと思います。

そのときに、テーマとしたいのが「ヤンキー」です。ヤンキーとは、不良行為を行う少年少女全般を指します。なぜヤンキーを取り上げるのか。それは、ドンキと結びつけて語られやすい存在だからです。『週刊東洋経済』のドンキ特集号の表紙に書かれた言葉を引いてみましょう。

かつて「ヤンキーのたまり場」でもあったドン・キホーテ。総合スーパーへの居抜き出店などで生鮮食品中心の店舗が急増し、客層は拡大。海外出店も加速中だ。
(『週刊東洋経済』2019年3月30日号)

ここには、ドンキが都市のなかでどう位置づけられていたのか、その変遷がわかりやすくまとめられています。かつてのドンキといえば、「ヤンキーのたまり場」だったのです。実際、ある時期のドンキにヤンキーが多く集まっていたことは事実として指摘できるでしょう。

ドンキが全国に広がり始めたころ、その出店場所の多くは国道沿いでした。ドンキの一つのウリが「深夜営業」です。ドンキのようになんでも揃っていて深夜まで営業している店は当時珍しかったため、夜に車やバイクで集まってきたヤンキーたちが国道に渋滞を作ったというエピソードもあるぐらいです。

これから述べるように、こうしたヤンキーとの結びつきは、現実には年々弱まってきているのですが、現在でもドンキとヤンキーはイメージとして強い結びつきを持っているようです。

■「ドンキの前に溜まったヤンキー」という共通イメージ

それを顕著に表しているのが、兵庫県で結成された人気ロックバンド・キュウソネコカミが2012年にリリースした楽曲「DQNなりたい、40代で死にたい」です。この曲にはドンキの前に溜まったDQNに胸倉を掴まれたという描写があります。

DQNというのは、非常識な人や軽率な人を指すネットスラングで、ここではほとんど「ヤンキー」と同じ意味でとらえていいでしょう。キュウソネコカミは、2010年代に、若者の流行や日常で見かける光景を皮肉るような歌詞で共感を呼んでブレイクし、現在では音楽フェスのメインステージの常連です(ちなみに「DQNなりたい、40代で死にたい」をフェスで演奏すると何万人もの観客が楽曲の後半に登場する「ヤンキーこわい」というフレーズを大合唱します)。

つまり、彼らが歌ったドンキの前にいるDQNに胸倉を掴まれるという光景は、若いリスナーにとって十分にイメージができる状況なのです。それほど「ドンキ=ヤンキー・DQN」というイメージの結びつきは強いものだと言えるでしょう。

■「ドンキ=ヤンキー」というイメージはどこから来たか

さらにヤンキー・DQNとドンキのつながりを詳しく見てみましょう。注目したいのはDQNという言葉の起源です。ヤンキーという言葉は、ドンキが誕生するずっと前から存在している言葉でしたが、DQNになると、少し事情は変わります。

DQNという言葉が誕生したのは、1994年から2002年にテレビ朝日系列で放送されていた「目撃!ドキュン」という番組がきっかけです。この番組は、不良や、とんでもない理由で離婚した夫婦を突撃取材するなど、一般的ではない生きかたをしている人々に注目したヒューマンバラエティです。そこで扱われた人たちが、番組名から派生して「ドキュン」と呼ばれるようになり、それがローマ字に変換されて「DQN」という言葉が誕生しました。

興味深いのは、番組の放送時期。この番組が放送された1994年から2002年までというのは、奇しくもドンキが1号店を繁盛させ、社会的に有名になっていく時期とほとんど同じなのです。

1989年の1号店開店直後は、創業者の安田が現在のドンキに見られるような経営手法を確立できていませんでした。そこから約4年の間、営業方法や経営戦略をめぐって試行錯誤の時期が続きます。そうして店舗運営の裁量権をスタッフに与える「権限委譲」の考えかたを生み出し、1990年代後半から2000年代前半ぐらいにかけて店舗数を増やしていくことができました。

そのとき、先ほども述べたような、ヤンキーが国道沿いに押し寄せたという報道もあり、「ドンキ=ヤンキーのたまり場」的なイメージがだんだんと根付き始めました。そんなタイミングで、この「目撃!ドキュン」が全国ネットで放送されたわけです。つまり、ドンキとヤンキー・DQNが結びついているというイメージは、メディアによって生み出されたのではないでしょうか。

■ヤンキー向けではない「MEGAドンキ」の誕生

「目撃!ドキュン」で取り上げられた人も誇張されていたでしょうし、国道沿いに車が大挙して押し寄せたのはわずかな店舗だっただろうと思います。ヤンキーやDQNと呼ばれる人々の全員がドンキを愛して使っていたかというと非常に怪しいですし、ドンキ自体も2000年代後半あたりからその業態や規模をどんどんと変化・拡大させていきます。

つまり、世間でイメージされるヤンキー・DQNとドンキの結びつきはだんだんと弱まっていくのです。

それが最もわかりやすく表れているのが、ファミリー層向けの新業態「MEGAドン・キホーテ」(以下、MEGA)の開拓です。MEGA業態の登場は2008年。これが、ヤンキー向けだけではないドンキのありかたを象徴しています。

MEGAドン・キホーテ1号店
写真=時事通信フォト
千葉県四街道市に2008年6月13日、オープンした「MEGAドン・キホーテ四街道店」(千葉・四街道市) - 写真=時事通信フォト

MEGAとはなんでしょう。流通コンサルタントである月泉博は、創業者安田隆夫との共著『情熱商人』でこのように記しています。

ドンキとMEGAは同じ「ドン・キホーテ」という名前がついていて、業態分類的にはどちらも総合DS(引用者註:ディスカウントストア)に属するが、両者のターゲットとMD(マーチャンダイジング。引用者註:経営の仕方のこと)、業態構造はまるっきり異なる。(中略)ドンキの主力ターゲットは20〜30代のシングル族やノーキッズカップルで、彼らの夜型パーソナル利用が主体だ。

対するMEGAは、これまでのドンキにはあまり来店しなかったファミリーや中高年層を含むオール世代がターゲットで、どちらかと言えば昼型のファミリー利用に対応している。加えて店舗面積も、ドンキが300〜1000坪に対してMEGAは1000〜3000坪だ。

つまりドンキとMEGAの大きな違いとして「ターゲット層」と「店舗面積」の二つがあることがわかります。

■買収した長崎屋の店舗を利用し、MEGA業態を拡大

ここで注目したいのは前者のターゲット層です。面積が大きいぶん、ヤング層だけではなく、ファミリー層にも対応した、いわゆる「ふつうのスーパー」のような側面も持っているのがMEGAの特徴です。

例えば、渋谷本店は地下1階がスーパーのようになっているのですが、この店舗もMEGA業態です。また、港山下総本店も、スーパーでよく見られるような冷凍食品を格納する什器がずらりと並び、その周りに大量に貼られたポップやけばけばしい張り紙を見なければ、そこがドンキであることを忘れてしまいそうなぐらいです。

MEGAは国道沿線などの郊外やターミナル駅近くに建てられているのですが、ここからもわかるように、その周辺に住んでいるファミリー層の需要を見込んでいるわけです。注目すべきは、その数がどんどん増えていること。すでに全国に100店舗以上はありますが、その原動力は、2007年に「長崎屋」を買収したことにあります。

長崎屋は、かつて日本に多くの店舗を持つ一大スーパーチェーンでしたが、ドンキに買収されてから、長崎屋を居抜く形で多くの店がMEGAに変わっています。もともと、郊外に多く立地しており、店舗面積が広かったこともあって、そのまま居抜けばMEGAのサイズになる店舗が多かったからです。

このようなカラクリで、ヤンキーやDQNに代表されるようなヤング層だけではない、ファミリー層をターゲットに据えたドンキが全国に増えているわけです。

■MEGA業態の拡大で「ドンキ=ヤンキー」は過去のものに

しかも、ドンキ創業者の安田は『情熱商人』のなかで、MEGAについて興味深いことを述べています。安田は「過去の成功の延長に今後の成功はない」という信念のもと、「『従来型ドンキ』の役割は終わりかけている」というのです。

谷頭和希『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)
谷頭和希『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)

その背景には、「ピュア・ドン・キホーテ」と呼ばれる従来型のドンキ業態が安定期に入ってきたことがあります。安定することが、逆に経営を危うくさせるのではないかと予想し、その状況を打開するための戦略として新業態であるMEGAの重要性を説いています。

こうした安田の発言を踏まえると、今後はMEGAのほうに経営の重点が置かれることが予想されます。執筆段階ではドンキの詳しい中長期経営計画はあきらかになっていませんが、ファミリー向けのMEGA業態が拡大していることからもわかるように「ドンキ=ヤンキー・DQN」というイメージは事実としては過去のものとなり、むしろあらゆる人に開かれた業態へと変わりつつあるのです。いうなれば、都市や街のなかに溶け込んできたわけです。

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谷頭 和希(たにがしら・かずき)
ライター
1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。デイリーポータルZ、オモコロ、サンポーなどのウェブメディアにチェーンストア、テーマパーク、都市についての原稿を執筆。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。2017年から2018年に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。

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(ライター 谷頭 和希)

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