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「違うだろ」と怒られた…田中角栄に5時間のインタビューをした田原総一朗が今でも反省していること

プレジデントオンライン / 2022年3月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

相手の本音を引き出すには、どうすればいいのか。ジャーナリストの田原総一朗さんは「それはこちらの本音をぶつけることだ。一流ほど建前やごまかしが通用しない。たとえば田中角栄元首相でのインタビューでは、私のジャーナリストとしての型を決めるほどの経験をした」という――。

※本稿は、田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

■私には嘘をつく能力がない

嘘はつかないとか、本音で勝負するというと、格好良く聞こえるかもしれません。

ですが、本当のことを言うと、私は頭がよくないだけ。嘘を覚えておくことができないだけなのです。嘘をつくと、必ずボロが出てしまいます。

嘘をつき通すには、嘘に矛盾しない言動を取らないといけません。ところが、その能力が私には決定的に欠けているのです。だから、「嘘がつけない」というのが正確です。

スパイは、嘘のつき方を訓練するそうです。たとえば、自分の出身地をごまかしたとしたら、嘘の出身地について徹底的に調べておくのです。

地理的なこと、歴史的なこと、周辺の駅の名称はもちろん、バス停の名前と時間まで、本当に自分の出身地のように頭に刻み込みます。誰に何を聞かれても、「おかしい」と思われないように、調べて記憶するそうです。

田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)
田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)

嘘をつくと、どんどん身の回りに余計なものがくっついてきます。いろいろ処理しなければいけない仕事が増えてくるわけです。

嘘をつかなければ、そういうものがなくなります。だからシンプルで動きやすい。私は不器用だから、シンプルにしておかないと対応できなくなるのは、目に見えているわけなのです。

その意味で、私は不器用でよかったと思っています。

嘘を言うことが人より少ないので、自然とすべてがシンプルになっていく。余計なことにエネルギーを使う必要がないのです。

■本音と建て前を使い分ける「器用さ」がなかった

そもそも私は、自分の気持ちをごまかすことができません。

日本人は本音と建て前を使い分けると言われます。表では相手に賛同したり、賞賛しておきながら、裏では相手を否定したり悪口を言うわけです。

そういうことが、私にはどうも気持ちが悪い。これも正直だというよりも、ある意味での不器用さなのだと思います。

だから、思ったこと、感じたことを素直に相手に伝えてしまう。そうしないと、気持ちが落ち着かなくなるのです。

上手に演技してごまかすことができる人なら、本音を隠して立ち回ることができるでしょう。でも、それができないのです。

もう何十年も前になりますが、ある雑誌で石原慎太郎さんと対談したときのこと。当時、石原さんは衆議院議員として活動を始めた頃でした。作家としての石原慎太郎に対しては、私は大変リスペクトしていました。

私も若かりし頃、作家を目指していました。ところが、石原慎太郎という若い作家の『太陽の季節』という小説を読んで、衝撃を受けました。こんな作品は自分には書けない。

小説家としての才能を悲観し、作家をあきらめたという経緯があったからです。ちなみに石原さんはその作品で芥川賞を受賞しました。

しかし、政治家としての石原慎太郎はどうなのだろうか? 作家の彼ほどに、明確な像を結びません。

「石原さん、私はあなたが政治家として何をやったかよくわからない。作家としてのあなたは認めるが、政治家としての石原慎太郎は認めない」

思ったことをはっきりと言ったら、石原さんはムキになりました。こんなことも、あんなこともやった、と。「知らない方が悪い」と言うのです。

でも、私は「政治家ならもっとわかりやすく、国民に向けて発信しなきゃいけない。私が知らないということは国民だってよくわからないはずだ」と言い返しました。侃々諤々、言い合いになったのです。

ところが雑誌が出た後、石原さんの事務所から連絡が来て、あの対談を今度講演で使いたい、と言うのですね。

私はとても驚きました。石原さんは、本音で話をしたことで実のある対談になったことを、素直に認めたわけです。私は石原慎太郎という人間を「面白い男だな」と見直しました。

それで石原さんと会って、いろいろ話をしました。「自分はタカ派と言われているけれど、じつは自民党のハト派の人たちと真剣に話をしたことがない」と彼は言う。

「田原さん、誰か取り次いでくれないか?」と言うわけです。私はそこで加藤紘一さんとか羽田孜さんを紹介しました。

本音で語り合えば、ぶつかることもあるでしょう。でも、そこからお互いに理解し合い、信用し合うことができるのです。

いまの若い人たちはバランス感覚がいいと思います。お互いが本音でぶつかるのが野暮ったくて、面倒に感じるかもしれません。ただ、不器用な私は、相手と本音でぶつからないと逆に落ち着かない。前に進めないのです。

でも、本音でぶつかって悪い結果になったことは、じつはほとんどありません。

むしろ石原さんのように、理解し合えて関係が深まったことの方がはるかに多いと思っています。

■予定調和が一番つまらない

本当のことだとか本音を言うと、相手が怒ってしまうんじゃないか? 関係がそこで終わってしまったらどうしよう、などと心配する人が多いようです。

とくに相手が目上の人になるほど、ビビってしまって本音が言えなくなるそうです。

私自身、自分は気が強いとは思っていません。むしろ気が小さい人間です。だから、ビビる気持ちもよくわかります。

ただし、気が小さい反面、同時にどこか開き直りがあります。

本音をぶつけても何とかなる。相手が怒ったら、それまで――。

さらに言うなら、本音をぶつけたときに相手がどう出るかを知りたい、ある種の好奇心があるわけです。むしろ、予定調和が一番つまらない。

それは、私がジャーナリストだからというのも大きいでしょう。

ジャーナリストは、真実や事実を知りたいという読者のために、読者に代わって相手に取材をします。そして、それを伝えるのが役割です。けっして相手と仲良くなるために仕事をしているわけではありません。

波風立てず、相手の言うことを頷いて聞いているだけでは、相手は本音を語ってくれません。相手から本音を聞き出すには、こちらも腹を据え、開き直って本音で勝負しなければならないのです。

そういう職業意識が、ふだん気の小さい私を大いに鼓舞し、開き直らせる力になっているということはあるでしょう。

■中曽根さんへの質問「『風見鶏』と言われてどう思うか?」

1982(昭和57)年11月に、中曽根康弘さんが自民党の総裁となり、次いで第71代の内閣総理大臣になりました。

総裁に決まったとき、私は中曽根さんに雑誌のインタビューで、「あなたは世の中から『風見鶏』だって言われているけど、どう思いますか?」といきなり直球の質問をしました。

中曽根さんは機嫌を損ねるどころか、待っていましたとばかり、こう言いました。

「田原さんね、政治なんていうのは、『風』を見なければ危なくてできやしない。風見鶏だからこそ立派な仕事ができるんだよ」

なるほどと思いました。

当時、中曽根康弘という人物は「三角大福中」と呼ばれ、自民党の実力者5人の一人でした。5人の中で彼が総理大臣になるのが一番遅かった。

その間、あるときは福田赳夫と組み、あるときは福田のライバルの田中角栄や大平正芳と手を結び、あるときはハト派の三木武夫とも手を組んだ。

そんな中曽根さんをマスメディアは「風見鶏」と呼んで揶揄(やゆ)したのです。

ですが、そうやって世の中の状況を察知し、機敏に対応することも政治家としては必要な能力です。

それがうまくできずに、力があるのに失脚し、勢いを失う政治家はたしかにたくさんいました。まして当時の自民党の内部は、「三角大福中」がしのぎを削る戦国時代。独りよがりな言動は致命的になります。

中曽根さんは自分自身の政治家としての信念のもとで、あえて風見鶏たらんとしたわけです。

■大物ほど本音をぶつけると喜んで話してくれる

当然ですが、世間の風評は耳に入っていたはずです。でも、それを直接言ってくる人がいないので、こういう理由があるんだとエクスキューズもできなかった。私が率直にぶつけたのは、いま思えば中曽根さんにとっては渡りに船だったのかもしれません。

中曽根さんは最終的には田中角栄の力によって首相になります。でき上がった内閣は「田中曽根内閣」などと叩かれたりしました。それは田中派の幹部を何人も大臣にしたからです。

とくに、ハト派の代表的な存在である後藤田正晴さんを官房長官に据えました。

「なんで後藤田さんを官房長官にしたんですか、だから田中曽根内閣なんて言われるんですよ」と話したら、「ちゃんと理由がある。一つは、後藤田さんは力がある。もう一つは、自分はタカ派と言われるが、彼はハト派で、私と彼とは考え方が正反対だ。だからバランスが取れていいんだよ」と言ったのです。

総理総裁になるくらいの政治家は、器が違うなと思いました。全体を見て人事を考えています。なにより、こちらが本音で向かえば、本音で応えてくれるのです。

シニアビジネスマン
写真=iStock.com/miya227
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miya227

やはり政治家でも、幹事長とか総理総裁になる人は器が大きい。そうじゃなければそこまでなれないわけです。

大物ほど本音をぶつけても怒りません。むしろ、喜んで話してくれることが多い。私の実体験からの結論です。

■一流の人物ほど、ごまかしや建前を見抜く

本音をぶつけたら、機嫌が悪くなるかもしれない、嫌われるかもしれないと恐れるのは、相手をむしろ“馬鹿にしている”ことだと私は考えています。

相手の人間性や器の大きさを認めていないから、本音を言ったら気分を害するんじゃないかと忖度(そんたく)するわけです。相手がそれだけの人物でしかない、と見切りをつけていることに他なりません。

見切りをつける、ということはある意味で馬鹿にしているわけです。

相手を馬鹿にしているから、ビビり、怖くなる。相手を認め信頼しているからこそ、正直になって裸で向き合えるわけでしょう。

相手を馬鹿にしているということ以外にも、ビビってしまうことの原因があります。相手に対して自分をよく見せようとか、本音を隠してごまかそうとしているのです。

自分を大きく見せようというのもごまかしだし、本音を隠すのもごまかしです。ごまかすと人はどこか卑屈になり、自然体でなくなります。そんな人間に対して、誰も本音で向き合いたいとは思いません。

ごまかしや建前ばかりで取り繕う人間を、一流の人物ほど見抜きます。あっという間に底を見透かされてしまうのです。

■田中角栄に本音で話せと叱られた

大物だとか一流の人物には、嘘や建前は一切通じない──。そのことを私に直接教えてくれたのが田中角栄さんでした。そして、本音で勝負するためには何が必要かを教えてくれたのも田中さんでした。

私が初めて田中さんに雑誌の取材でインタビューしたのは、田中さんが失脚して6年目、たしか1980年だったと思います。

午前11時、場所は目白の田中邸。しかし、30分経っても1時間経っても始まりません。そこで、秘書の早坂茂三さんに、なんで始まらないんだと聞きました。

すると、田中さんはいま私に関する資料を、必死で読んでいるというんですね。

なんでも昨日、私の著書などを一貫目集めさせたといいます。一貫といえば4kgぐらいです。それだけの資料というのは相当な量です。

図書館でタブレットと書籍を広げる男性
写真=iStock.com/vm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vm

それで、ようやく田中さんが出てきてインタビューが始まりました。

すっかり私のことが頭に入っていますから、田中さんはこちらの質問に的確に答えてくれます。

そうこうしていると、私の質問に突然、「違うだろ。そんなことには興味ないだろ」と言うのですね。

私という人間と、その仕事をすでに理解している田中さんは、私の建前の質問を見抜いて、お前が本当に聞きたいことを、本音で話せと言ってくれたわけです。

■下調べこそが会話の極意だと教わった

この人には、建前が一切通用しないんだとわかりました。

酸いも甘いもかみ分けて、人情の機微を知り尽くしている人間通の大政治家に、小手先のテクニックなど通用しません。人間対人間、裸になって本音で向き合わなければいけない……。

同時に、相手のことをどれだけしっかり調べているか。どれだけ知っているかで勝負が決まるということがよくわかりました。

田中さんは本来、インタビューされる側です。それが必死になって私の資料を読み込んで、取材に臨んでいるわけです。これには参りました。

お互いが認め合い、本音でぶつかるには、まず徹底的に相手のことを知るということ。相手が驚くぐらい、相手のことを知っていることが、コミュニケーションの大前提であることを教わりました。

おかげでその後は丁々発止のインタビューになりました。

延々5時間、田中さんは大好きなオールド・パーをちびちびと飲みながら、タオルで汗をふきふき熱弁をふるいます。

興が乗るとつい新潟弁になります。私はこれが田中角栄という人間の魅力なのかと、つい引き込まれました。

「田原君、俺は夜中目が覚めたときに、日本地図を眺めるのが好きなんだ。地図を見ていると夢と想像がどんどん膨らむ。ここにダムを作ろうとか、ここに高速道路が走ったら便利だとか、次々アイデアが浮かんでくるんだよ」

■しっかりと準備し本音で相手に飛び込んでいく

日本列島改造論は、田中さんが地図を眺めながらワクワクしながら生まれてきたものだとわかりました。

そして政治の表舞台から去ったのは、決して金権政治への批判によってではなく、甲状腺機能亢進症という病気だったからだということも。

「池田さんも佐藤さんも、大平君もみんな早く逝ってしまった。総理大臣なんてね、そりゃ精気も何も吸い取られる仕事だよ」

田中さんは総理になって2年目の国会中に顔面神経痛を患いました。その話に及ぶと、「俺は気が弱いんだよ」と言っていたのを思い出します。

政治家として毀誉褒貶の激しい人だけれど、強さも弱さも含めて、スケールの大きな魅力的な人物だと知りました。

この田中さんとのインタビューが、私のジャーナリストとしての型を決めたと言っても過言ではありません。

その後、取材やインタビューの際は、相手のことを調べられるだけ調べ、しっかりと準備していく。それをもとに、本音で相手に飛び込んでいく。それが私の基本スタイルになりました。

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗)

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