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田中角栄は常に学歴を気にしていた…田原総一朗が考える「本物の一流と偏差値だけの人間」の決定的な違い

プレジデントオンライン / 2024年4月6日 12時15分

七日会青年部研修会で講演する田中角栄元首相(1984年9月10日、静岡・函南町の富士箱根ランド) - 写真=時事通信フォト

圧倒的な結果を出す人には、どんな特徴があるのか。ジャーナリストの田原総一朗さんは「本物の人間は、自分のコンプレックスと戦っている。闇将軍と呼ばれた田中角栄も自分の学歴をずっと気にしていた。だからこそ猛勉強して『生きた六法全書』と呼ばれるまでになった」という――。(第2回)

※本稿は、田原総一朗『無器用を武器にしよう 自分を裏切らない生き方の流儀』(青春新書インテリジェンス)の一部を再編集したものです。

■「中央工学校卒」にこだわった田中角栄

僕は田中角栄にインタビューしたことがある。ロッキード事件で逮捕されてから初めてマスコミに登場したときで、彼は、闇将軍と恐れられていた。その彼の話を聞いていて、すさまじいコンプレックスの塊だと、僕は思った。

彼は小学校卒業で総理大臣になって、豊臣秀吉の再来、今太閤といわれた男。ところが、「僕は小学校卒業じゃないよ。僕は中央工学校を卒業したんだ」と、こだわる。僕から見れば、中央工学校卒というより小学校卒のほうがはるかに彼にとって勲章だと思うけど、断固として中央工学校卒業を主張して譲らない。さらに、新潟県の西山という、片田舎に生まれて、家はあまり豊かではなかった、と説明すると、彼は断固訂正を求めた。

「西山は、君ね、片田舎じゃないよ。関越自動車道のインターチェンジがあるんだからね」と。自動車道もインターチェンジも、自分で造ったものなんだけどね。

そして、「貧乏だったと伝えられているけど、これは違うんだ。自分の家は決して貧乏じゃないんだよ」と、一所懸命に話すから、かえって総理大臣をやった自民党の当時の最高実力者の、非常にこだわった話しぶりがじつに印象に残った。

さらに驚いたのは、彼は子供の頃、吃音(きつおん)ぎみで口ベタだったと言う。田中角栄といえば雄弁家で、じつに説得力があり、しかも、コンピューター付きブルドーザーと呼ばれていた。アイデアは豊富で、行動力があって、子供の頃とはいえ話すのが苦手な人間だったとはとても思えないでしょう。それじゃ、いつ、どうやって問題を克服したのか?

■コンプレックスがエネルギーになった

人のいないところで六法全書を読んだというんだ。嘘か本当か知りませんよ、本人が言ったんだから。声を出し歌を歌うように全部暗記してしまうほど読んだと。

彼は政界では「生きた六法全書」とまで言われていたし、彼は議員立法をやたらに作った。これは事実です。それは子供の頃、吃音を直そうとして六法全書を読み、丸暗記したから法律に詳しくなった。それが習慣になって、いつも六法全書を抱えて歩いていたというんです。

ある日、保守政界の大御所、吉田茂が、「おかしな男がいる」と、若くして国会議員になったばかりの田中角栄に目をつけた。「あいつは六法全書をいつも抱えている。あれは単なるミエじゃないか」と。それで吉田茂が田中角栄に難問を次々と突きつけた。その質問に田中角栄はポンポンと答えた。それをキッカケに吉田茂に可愛がられて彼は最年少で大臣になったり、異例の出世をしていくんだけど、その原点は子供の頃にあったという。

学歴もないし、閨閥(けいばつ)もない、しかも言葉に対するコンプレックスがあった。しかし、これが田中角栄のエネルギーになったのは間違いない。彼に限らず人間は、コンプレックスの塊だと思う。大きなことをやる人間ていうのは、そのコンプレックスとの戦い、自分との戦いといってもいい、この戦争を必ずといっていいほどやってきているんです。

国会議事堂
写真=iStock.com/nyiragongo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nyiragongo

■コンプレックスを持ちにくい時代になってきている

ところが、今は、コンプレックスを持ちにくい時代になってしまってるね。

女にモテないという悩みも、明らかに減ってきているし、貧乏に苦しんでるというのも見なくなった。学歴だって、そんなに気にしなくても生きていける時代になってきたでしょう。具体的にいえば、これまで女性にもランクがあると思ってたの。ひと昔前でいうなら、吉永小百合が一番で、とか。まるで東大が大学の一番上だと言ってるように。ところが今のアイドルはどんどん個別個性化、「隣のお姉さん化」している。

また一方では、東大を避けるようになってきた。学歴偏重でやるとロクな社員が採れないことがわかったし、会社を滅ぼすと。となるとこれは学歴にコンプレックスを感じる必要はない。ブランド信仰が崩れたのと同じだ。今までは男も女もブランドで相手を選んできたけど、今ごろブランドに凝っている奴は、野暮だと、今やまったく違う基準があるんだ、と。もうそこまで来てる。そういうことに若い人たちが気がつきはじめた。

違うよと。女にモテないと悩むのは間違いだと。自分の好みの女性っていうのがある。むしろ好みの女性を見つけられない男はダメなんだと。こっちが好みがあるのなら、向こうだって好みがある。つまり相性のいい女性、パートナーを見つけられない人間がダメな奴なんだと、みんなわかってきたでしょう。今はそれだけにコンプレックスを持ちにくい時代だと思う。

■自分のことで苦しむことが成長を生む

むしろコンプレックスを持っているのは稀少なことになった。だから逆説的だけど、今はコンプレックスを大事にしなきゃいけない時代なんだと思う。

5分でコンプレックスを治そうなんてハウツーがあるけど、そんなことをやっても意味がない。あるいは、他人にどうせ私はダメな人間だからと、平気で言ったり、簡単に割り切って諦めるのもよくない。つまり、そこに戦いがないでしょう。コンプレックスを持つことの良さは、自分といかに戦うか、いかに苦しむかですよ。まさにそこが大事なんだ。

それを簡単に割り切ったり、5分で克服できたら、そんなのは何のエネルギーも可能性も沸いてこない。自分のことを振り返ってみても、子供のときに野球の選手になろうと思ったり、画家になろうとしたり、作家も目指したけど、みんなダメになるわけ。作家を断念して、まともな就職をしようと思っても、まわりは採用されていくのに、自分は就職試験に落ちる。俺はどうしてこんなにダメなんだろうと、どうして世の中に認められないんだろうと、自信を失う。大挫折だよね。

俺って何だろう。考えれば考えるほど、コンプレックスの塊になっていく。今から見ると大したことないのにね。だけど、当時は、なぜ俺は認められないんだと、そんなことにコンプレックスを感じてしまう。僕はずっとそのことで戦ってきたと思う。

頭を抱えた男
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

■自分はテレビに出る人間だとは思っていなかった

せっかく入った会社もうまくいかなくて次々と転職したり……。テレビに出てしゃべるなんてことは、夢にも思っていなかった。人前でしゃべるなんてことは、僕にはとてもできない。適性がない、と思っていた。

就職試験で僕は、すべて面接で落ちた。なぜかというと、まず声が悪い上に、発音がはっきりしていないから、何を言ってるのかわからない。しかも、言葉に毒があるんだと思う。人相も悪い。明るい顔じゃないから、少なくともテレビに出る人間ではないと思う。

僕はテレビのディレクターをやっていたから、テレビ映りのいい顔、悪い顔はよくわかっている。長い顔よりちょっとポチャッとした丸顔がいいとかね。だから僕がキャスターを選ぶとしたら、絶対に僕を選ばない。ところが、今、僕はなぜかテレビでしゃべってるわけ。テレビに出てしゃべる適性っていうのは、じつは顔、声の良し悪しじゃないんだ。そのことに若い頃は気がつかない、コンプレックスの塊だからね。

じゃ、適性とか才能とは何か? たとえば、僕はとても野球が好きだった。中学、高校のときにやってきて、厚かましくも甲子園大会に出て試合をしたい、なんて思ったこともあった。ところが、肩が弱くて、足が遅くて……。野球が好きなのに、運動的センスでは人より劣っている。でも、今考えてみると、「野球が好きだった」ということ、それ自体が、僕にとっての才能なんだ。

他の人が面白いと思えないことに対しても、僕は面白がれる、そういう見方をすることができる能力がね。

■「読みが上手い」ことが強みだった

たとえば僕にとって、野球の面白さは、“間”にある。動かない、静の時に、次のプレーを読む。バッターは次にピッチャーがどう投げるのか。ピッチャーはバッターがどんな球を待っているのか、そして守備陣もバッターの心理、能力を読んで次のプレーに備える。野球の面白さは読みに尽きるわけ。

ベースを踏む野球選手の足元
写真=iStock.com/kontrymphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kontrymphoto

次、次、次を読んでいく。読まないで野球を見るのは実につまらない。読みのうまい解説者の話を聞いていると面白い。だけど読みのヘタな、はずしてばかりいる解説者はダメでしょう。野球のプレー自体がうまいヘタは関係ない。名選手じゃなくても読みのうまい人はいる。どっちかというと僕はそのクチかな。

偶然ではあるけど、野球を断念して作家になろうと思ったのは、今から思うと、つじつまが合う。俺は読みができる、うまい、だから作家になろうと思ったわけじゃないけど、読みという点では野球と作家には共通点がある。

作家だって誰も面白がらないような日常の出来事を深読みして面白がり、ドラマを作るわけだから。だから今の僕は、その“読み”の面白さをテレビで表現しているんだと思う。声の良さとか顔にこだわる必要なんかなかったのかもしれない。

■創業経営者たちもコンプレックスと戦ってきた

しかし、コンプレックスとの戦いをやってきたことは、僕にはすごくプラスだったと思う。挫折、コンプレックスというのは、ピントはずれ、見当はずれの突進ゆえに生ずるものなんだと思う。自分に合っていないことをやりたいと思ったり、相性の合わない女性に惚れてしまったりとね。

しかし、相性、自分の才能が発揮できるターゲットというのは、じつは見当はずれで突進したすぐそばにある。そういうものなんだ。最初にこれだ、と思ったもののすぐ脇にある。しかしそれを見つけるには、挫折してコンプレックスを感じて、猛烈にあがく必要がある。必死にあがくことで、となりのターゲットが発見できる。必死のあがきをやらないで、いきなり自分の才能にぶち当たれるわけがない。

とりあえず好きなことをやってみる。そこでコンプレックスを感じる。戦う。もがく。その過程、体験の中で自分の進むべき新しい可能性を発見できるんだと僕は思う。いつか、創業経営者10数人取材したことがあるけど、多かれ少なかれ、コンプレックスとの戦い、自分との戦い、この戦争をやっている。しかも、彼らのほとんどが共通して、同じような体験をしているんだ。

自分との戦い、それを克服するために、突破するために、たぶん血みどろの戦いをやって、そして新しい自分の可能性、才能を発見する。それを自分を克服したというんじゃないかな。心が開けたといってもいい。そして強烈なエネルギーが出てくる。その中で決断力、判断力もついてくる。京セラの稲盛和夫さんやヤオハンジャパンの和田一夫会長、彼らは同じような体験をしているんです。

■ギリギリのところで相手に判断をゆだねる

会社創業するでしょう。会社が軌道に乗り始めると必ず労働組合ができた。労組は自分たちの要求を通すためにストライキをやる。しかし、その要求を飲めば会社は潰れてしまう。そういうときにどうするか。

自分はもちろん相手のいうこともわかる。ギリギリの戦いをやってるんですね。このときに稲盛さんも和田さんも同じようなことをやって、克服している。

「もともと企業は経営者だけのものではない。みんなのものだ。みんなが会社が潰れても、自分たちの要求が正当なもので通したいと思うのなら、会社が潰れてもいい。だけど私は嘘を言ってるわけじゃない。会社の内容は私がよく知っている。口で言ってもわかってもらえないこともわかっているから、会社の内容を全部、出す。それをよく見て検討して欲しい。それでも要求を通すというのなら、構わない」と、判断を預けてしまった。これはなかなかできることじゃない。小手先のテクニックじゃないからね。

「腹を割って話せば物事は解決する」という言い方がある。話せばわかる、という言葉があるが、話したってわかるわけがない。ギリギリの所で経営者が自分を突っ放して相手に心を開く。倒産も仕方がないと覚悟して、すべてをオープンにする。これは話し合いというお手軽な妥協を越えたギリギリの選択、戦いでしょう。

そうすれば相手も本気になって、じゃ考えてみようかとなる。この決断をうながすバネになるのは、やっぱりコンプレックスとの戦いを経験し、一度自分を突き放し、新しい自分を発見するという体験が大事だろう。

■挫折を経験していないから失敗できない

俺はどうにもダメな人間だと、ギリギリのとこまで自分と戦う。それは自分を客観的に見つめることになる。その体験が、結局、新しい可能性、新しいエネルギーを生んでいく。逆に、客観的に自分を見つめたことのない人間は心を開けない。

官僚出身の政治家や経営者はギリギリの守りに弱い、といわれるのは、心を開いて相手ととり組むという姿勢がないから。なぜ心を開かないかといえば、コンプレックスとの戦いがなかったからですよ。エリート官僚であればあるほど挫折がない。

田原総一朗『無器用を武器にしよう 自分を裏切らない生き方の流儀』(青春新書インテリジェンス)
田原総一朗『無器用を武器にしよう 自分を裏切らない生き方の流儀』(青春新書インテリジェンス)

成績がよくて、みんなにほめられて東大にスイと入り、また東大をいい成績で出て、キャリア官僚になって、と、挫折のないまま生きてきたわけだから。挫折との戦いがなければ、自分を突破した経験もない。自分を捨てたこともないから、心も開けない、閉じっぱなしで生きてこれたんだ。じつは、自分にコンプレックスがあって、自分との戦いをやって、自分を突破した人間というのは、失敗が怖くない。すでに何度も失敗を経験してるからね。

逆に、コンプレックスと本気で戦ったことのない人間は、やっぱり失敗は怖いでしょう。失敗したら我が人生は終わりじゃないかと思うんだろうね。とても怖がる。で、さらにどんどん閉じていく……。だからこそ挫折感、コンプレックスとの戦いは、とても貴重なんです。だって、自分の本当の可能性を発見するには、避けて通れないものなのだから――。

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗)

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