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卒アルを晒し家族もろとも追い詰める…寿司テロ少年"微罪"を叩きまくる大人たちの行き過ぎ

プレジデントオンライン / 2023年2月10日 11時15分

問題となった動画(SNSよりスクリーンショット)より

回転ずし大手「スシロー」の店内でしょうゆや湯飲みをなめるといった迷惑行為をした人物に対して同社は1日、「刑事、民事の両面から厳正に対処」すると発表した。文筆家の御田寺圭さんは「実行した本人の行為は腹立たしい悪行であり、企業の対処の方針も理解できる。しかし、ネット民が彼の卒業アルバムを晒したり、住所・氏名や家族親族のプライバシーを暴露したりするようなことは正当化できない。法治国家として明らかに度を越した先鋭化した私刑だ」という――。

■「寿司テロ」叩きに沸騰するSNS

「寿司テロ炎上」

2月のインターネットはこの話題で持ちきりだ。

その話題とはほかでもない、大手の回転寿司店でとある客(外見的にはおそらく中高生であると見受けられた)が迷惑行為に及んでいる様子がTikTokなど動画投稿サイトに投稿され、それがツイッターユーザーによって発見されて炎上した事件である。炎上からほどなくして本人の情報がネットで特定され、ついには民事刑事の両面で追及を受ける事態にまで発展した。

回転ずし大手「スシロー」の店内で客が迷惑行為をしている動画がSNS上にアップされた問題について、運営元のあきんどスシローは1日、1月31日に警察に被害届を提出したことを明らかにした。迷惑行為を行った当事者と保護者から連絡があり、直接面会して謝罪を受けたが、「当社としましては、引き続き刑事、民事の両面から厳正に対処してまいります」としている。

問題になっている動画では、客とみられる男性が備え付けのしょうゆや湯飲みをなめたり、指に唾液(だえき)をつけて流れているすしに塗り付けたりする様子が撮影されている。
〔朝日新聞デジタル「お客の迷惑行為でスシローが被害届提出、当事者謝罪も『厳正に対処』」(2023年2月1日)より引用〕

この事件による炎上の勢いはすさまじく、この記事の投稿日である2月9日現在もまったく収拾の兆しが見えていない。家族や関係者や学校に対する「凸」も相次いだこともあってか、ついに当該の少年は高校を自主退学することにもなってしまったようだ(*1)

(*1)【独占続報】スシロー湯呑みペロペロ少年が高校を自主退学 近所では「畑仕事の手伝いもしてくれる素直な子」

■「回転寿司」の脆弱性が露呈した

回転寿司が「客の性善説」に依拠する側面が大きいビジネスモデルだったことは否定しがたい。レーンを回っている寿司をみだりに触ったりしない、皿ごとに料金が決まっているのであればその皿をすり替えたりしない、共用の醤油さしや茶葉にいたずらをしないなど、それらが客によって守られていることを前提としてサービスが提供されていた。

回転寿司店でレーンを回っている寿司
写真=iStock.com/kuremo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuremo

しかしいまネット上で拡散する迷惑動画は、回転寿司店のビジネスの前提となっていた「客の性善説」を根本から否定してしまうものだ。これによって店側が失ってしまった安心感や信頼感は甚大だ。損失は経済的なものでは測り切れないものがあるだろう。

被害にあったスシローは事件がメディアで大きく報じられた直後から株価が急落し、一時には170億円近い時価総額の損失があったという。これを受けてネット上ではますます厳しい論調となり「加害者には億単位の賠償を求めるべき」「見せしめとして人生を棒に振るくらいの制裁を与えるべき」といった声も大きくなっている。

彼のしでかしたことは腹立たしい悪行であることは間違いないだろう。とはいえ、その制裁はいくらなんでも厳しすぎる。彼が不届き者であることには異論の余地はないが、感情論を抜きにしていえばやらかしたこと自体は微罪である。一生償いきれない悪行であるかのように大騒ぎし、自主退学など生ぬるい、家族もろとも徹底的に追い込まれるべき――など、さながら「人民裁判」よろしく盛り上がるSNSは異様な雰囲気に包まれている。

スシローの運営会社は2月10日、「既に発覚している一連の事象に関係する方々への直接的な危害となるような言動はお控えていただくよう伏してお願い申し上げます」とコメント

■「自分が若い頃にSNSがなくて本当によかった」

今回の騒動のさなか、炎上の中心にいる高校生のほかにも次々に「迷惑行為動画」が発見された。その犯人たちのほとんどは中高生であると目されている。この騒動についてネット上では「寿司テロ」と命名され、またかれらが「Z世代」と呼ばれていることをもじって「Z戦士」などと揶揄(やゆ)されてもいる。

しかしながら、かれら若者たちがやっているのは実際には店や業界に社会的打撃を与えるべく企てられたテロ行為ではなく、10代の若者たちが友達と連れ立って回転寿司などの飲食店に行き、そこでチキンレース的な無茶をやって仲間内で盛り上がる、いうなれば“ノリ”でやった悪ふざけであるというのが実際のところスケールだろう。

TikTokに投稿したのも、それは全世界に向けて自分たちの不届きな姿を大々的に発信したいがためではなく、TikTokでつながっている学校や地元のごくごくローカルな友人同士のコミュニケーションのちょっとした「きっかけ」づくりのためだ。

まさか自分たちの友人内における「内輪ノリ」で軽い気持ちで投稿した動画が、自分たちよりずっと上の世代が主なアクティブユーザーで占められている別のSNSで「発見」されて、世間を震撼(しんかん)させる炎上事件に発展してしまうとはまったく予想していなかっただろう。

「迷惑動画」の拡散をきっかけに、中高生年世代に対する厳しい声が苛烈をきわめているわけだが、これを横目に見ながら、いまのようにスマートフォンが普及しておらず、ネットやSNSがなかった時代に中高を過ごせたことによって、ほっと胸を撫でおろしているような人は少なくないはずだ。

いま騒動の渦中にいる若者世代の先輩にあたる各世代もみな中高生のころは年齢相応に愚かであり、仲間といるときにはついつい気が大きくなってチキンレース的な悪ふざけをしてしまった経験が一度や二度はあるはずだ。かれらがそれ以前の世代と決定的に異なるのは「若かりし頃の未熟で短慮で愚かな姿」が全世界にリアルタイムで可視化されうることだ。

仲間と集まり、ふいに気が大きくなり、盛り上がって楽しくなって、そのままの勢いでなにかをやらかしてしまった――若さみなぎるエネルギーを持て余したがゆえの「若気の至り」はだれにだって、どの世代にだって多少なりともあることだ(「そんな経験はない」と断言している人だって、都合よく記憶を消去してしまっているだけで、周囲の大人から煙たがられるような行為をやった経験はゼロであることはまずありえない)。

そのとき自分の手元に、全世界と瞬時につながる情報通信デバイスが握られていたかどうか――そのわずかな差が、命運を大きく分けた。

握り寿司
写真=iStock.com/rai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rai

はっきり言ってしまえば、ネットやスマホが普及するよりも前に中高生の時期を通過することができた世代は、いまあらゆる世代から「こいつらの世代はダメだ」と総スカンを食らっているZ世代とそれほど変わらない日々を過ごしていた。犯罪統計的にいえばむしろ昔の世代の中高生時代の方がよほど素行が悪かったとさえいえる。けれども幸か不幸かそのほとんどは(突出した凶悪犯罪以外は)世間的に可視化されるような可能性もリスクもほとんど存在しなかった。

逆にいえば、いまの時代に中高生として生きる若者たちは「自分たちの未熟で短慮で愚かな姿」を、全世界の不特定多数に向けて否応なしに発信され可視化されるリスクを負いながら、大人に向けて成長していく過程をたどることを余儀なくされている。

年を重ねたことで大量の社会知や経験知や物事の分別を会得した先輩世代は、まるで最初から自分がそのような姿をしていたかのようにふるまい、いま「寿司テロ」をやらかす若者たちの姿を見て眉を顰めたり、厳罰に処すべきだなどと語ったりしている。

だが実際にはそうではないだろう。未熟で短慮で年齢相応の失敗を繰り返しながら少しずつ成長していったその過程が世の中に可視化されないラッキーな時代に「若者」をやれていただけだ。

■「ネット私刑」する人は法治国家のメンバーとして逸脱

一連の騒動の発端となった少年は悪いことをやった。それは間違いない。その点を否定するつもりは私もまったくない。企業からすれば刑事でも民事でも訴えてやりたいと考えるのも妥当だろう。訴えられるなら粛々と法的手続きに応じなければならない。だが、正当な「社会的制裁」のラインはここまでだ。

彼の卒業アルバムを晒したり、在籍しているとされる学校に「凸」をしかけたり、彼の住所氏名や家族親族や交友関係等のプライバシーを暴露したり、動画をSNS上で再度拡散して彼が社会にもたらした「実害」を間接的に大きくするような私刑は正当化されるものではない。いくらなんでも現在のインターネットは、法治国家のメンバーとしては明らかに度を越した「私刑」が先鋭化しすぎている。

海外の回転寿司
写真=iStock.com/franckreporter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/franckreporter

通信デバイスやソーシャルネットワークが飛躍的に発展を遂げた2020年代という時代の偶然によって、たまたま不特定多数に可視化された「若気の至り」であることすら一切斟酌せず、かつての自分たちも多かれ少なかれ似たような愚かしい姿をしていたことすら都合よく忘却し、あたかも最初から一片の曇りのない「立派な大人」をやっていたかのような態度で、未熟な不届き者たちに苛烈な制裁を求めて快哉を叫ぶ人びとの姿には、虚しさを感じずにはいられない。

私たちは日々よき人であろうとするが、しかし十全によき人ではない。

過ちひとつ犯した者は、たちまちこの世で生きるに値しない――そんな世界を堂々と求められるほど、あるいは他者に突きつけられるほど、私たちは清くも美しくもただしくもないはずだ。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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