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恋愛もセックスもしなくていい時代がきた…30歳まで恋愛未経験のフリーライターが感じる日本社会の変化

プレジデントオンライン / 2023年5月31日 19時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/eclipse_images

恋愛は誰もがするべきなのか。フリーライターの鶴見済さんは「日本社会ではセックスを経験しろという“圧”がすさまじい。経験がないと『未熟者』とされる謎の文化もあった。しかし、いまはセックスも恋愛もしなくていい、途中でやめてもいいという社会に変わりつつある」という――。

※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

■「アイ・ラヴ・ユー」なんて自分には無関係だった

30歳くらいまで、異性とつきあったことがなかった。一対一でデートみたいなことをしたことも一度もなかった。

高校から浪人の頃となると、異性と会話をした憶えもあまりない。高校は共学だったので近くにはいたのだろうが、名前を憶えている女子すらほとんどいない。

30歳くらいになってつきあいはじめたのは、書いた本がベストセラーになったので、興味関心が合う異性と格段に出会いやすくなったからだった。そんな特殊な事情がなければ、その後もどうなっていたかわからない。

もともと恋愛には、それほど熱意はなかった。女子にモテようと努力するなんて、そもそも恥ずかしいではないか。「アイ・ラヴ・ユー」なんて、自分には無関係な、歌に出てくるだけの言葉でしかなかった。しかも、誰でもそんなものだろうと思っていた。

■「つきあったことがない」と言えない空気

つきあうだけでなく、そこに告白やセックスが加わるとなると、ますます気が重くなる。そのコース全体には何やら儀式みたいなマナーがあって、マナーを知らないと笑われてしまうそうではないか。

「それ全部やらなきゃいけないの?」と思ってしまう人はおかしいのだろうか?

さらにそこに「他のことが大変でそれどころじゃない」が加わる。

自分のように社交不安障害になってしまった人は皆、恋愛感情を持たないというわけではない。けれども不安障害なのだから、不安や恐怖に向き合っている時間は人一倍長い。

なぜ自分だけがこんな思いをするのかという、運命への恨みもあった。いつも「ふざけんな」と感じているので、「アイ・ラヴ・ユーじゃねえんだよ」という気持ちもベースにある。

そんな毎日ならいとも簡単に、「恋愛なんてやらなくていいか」となってしまう。

自分にとっての恋愛とは、そのようなものだった。

こんなことを表明するのも長年文章を書いてきたのに、つい最近のことだ。そんなに珍しいことではないはずなのに。他の人がこんなことを言っているのも、あまり見かけない。

こういうことが言いづらいことのほうが、大きな問題かもしれない。

恋愛をしろという“圧”は、この社会ではあまりにも強い。強い“圧”の上から何番目かに確実に入る。

この社会がこれが幸せですよと言っている、「結婚」「子ども」「家族」。これらはどれも、まず男女一対一のペアを作らなければ、始まりさえしない。だからこそ、ペアを作ることには強い圧がかかるのだ。

親と子が手をつないで、日当たりの良い緑地を歩く
写真=iStock.com/maruco
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

お見合いはそんなに古くから定着していた習慣ではなく、結婚のための大前提になったのは明治時代からだ。その時代には、お見合いをしろという“圧”は大変なものだった。

恋愛結婚が見合い結婚より多くなったのも意外に最近で、1960年代からのことだ。

恋愛結婚が多くなれば、当然恋愛をせよという“圧”は強くなるのだ。80年代バブル期の恋愛をあおる“圧”は、日本史上最強だったに違いない。

■子どもと結婚が幸せの条件ではなくなった

ただしそれも、結婚することが幸せのすべてを握っている時代の話だ。結婚は、だんだん幸せのすべてとは言えなくなっている。

最近は結婚しない人もすっかり多くなった。結婚しなくてもいいのなら、恋愛だってしなくてもいいではないか。

それでは結婚しない人が増えた原因は何かと言うと、それこそ本当にいろいろある。けれども一番広い目で見てみれば、少し意外だけれども、「もう人間がいっぱいになったから」だろう。

先の記事でも書いたとおり世の中が人間でいっぱいになってくると、我々は「もういっぱいだから増やすのはいいよ」と感じはじめる。結婚する人が減ることも、子どもを産まなくなることも、人間が増えすぎた先進国に共通する傾向だ。

子どもを産まなくてもいいなら、結婚もしなくてもいい。結婚しなくてもいいなら、恋愛もしなくていい。そんなふうに変わりつつあるのではないか。

つまり、恋愛、結婚、家族というこの社会が全員に迫っていた幸せのセットが、丸ごと魅力を失ってきたのだ。

恋愛はしなくてもいいけれども、やりたければもっといいかげんにやってもいい。そんなゆるさも出てきた。途中でやめてもいいし、何度してもいいし、一対一でなくてもいい。

もともとそんなものでよかったのだ。そもそも恋愛をすれば、結婚をすれば幸せになれるなんてことが嘘だったのだから。

「モテないぞ!」とか「私たちは結婚もできないのだ!」といった不満の叫びも、もちろん表に出たほうがいい。

けれどもそれはそれで別の形の、恋愛や結婚に重きを置く姿勢ではある。そうではなくもっと別の形で、恋愛や結婚をやりすごしてしまうことはできないだろうか。

全力で求めるのでも、全力で否定するのでもなく、恋愛をもっと軽く扱ってしまいたい。

■そもそも恋愛をしなくていい

ある調査では、未婚で恋人がいない人の約四割が「恋人が欲しくない」と答えた。

そしてその理由で一番多かったのは、「恋愛が面倒だから」だった(※1)

本当は異性とそんなにつきあいたくない。大変な思いをするくらいなら、どうしてもとは言わない。そんなふうに思う人も、実は多いのではないだろうか?

「異性とどうしてもつきあいたいのに、何かの事情でつきあえない」という悩みなら、それはそれですでに市民権を得ている。けれども、「そんなにつきあいたくないんだけど」という気持ちは、なかなか言うこともできず、ないことになっていたのではないか。

ポップスの歌詞も青春映画のテーマも、ほとんどは恋愛だ。誰もが異性を好きになっているもの、誰もがセックスをしたいもの。そう決めつけることによって、これまでの恋愛文化は成り立ってきたのだ。

けれどもそれも、そろそろ見なおしてもいいのではないか?

■恋愛感情がなかった高校時代

自分は30歳くらいまで、異性とつきあったことはなかったと書いた。そのなかでも特に謎なのは、高校から予備校という10代の後半の時期だ。

異性に恋愛感情を持った記憶がないのだ。

高校時代の日記を見てみると、女子生徒は少なかったものの一応共学だというのに、女子生徒についての記述は何ひとつ出てこない。同性との交友関係については、嫌というほど出てくるけれども。

若い生徒たちは学校の廊下でおしゃべりをする
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urbancow

誰がいい、誰はよくないなどと観察をする視点もなかったので、どんな異性がいたのか記憶にもほとんど残っていない。名前を憶えているのはひとりくらいだ。

ついでに言えば、女性の芸能人やマンガやアニメの女性キャラクターなどにも興味はなかった。好きなロックでも、恋愛の歌ばかりのミュージシャンは低く見えてしまう。

つまりこの頃は、誰にも恋愛感情がなかった。これは確かだ。

その後大学に入ってからも、それほどの恋愛感情があったかどうか怪しい。好感を持つ異性くらいはいたが、つきあうことが難しそうならすぐにあきらめる程度には、意欲に乏しかった。

その後書いた本がベストセラーになると、人づきあいの環境ががらりと変わった。自分が入れ込んでいたマイナーな音楽やマンガの話でもできる相手が見つかるようになったのは、人生における画期的な変化だった。

それ以降、異性ともつきあうようになったのは、すでに書いたとおりだ。

こんな話は、これまでにほとんどしたことがなかった。

周知のとおり、こういうことはとても言いづらい。誰でも自分のなかに、特に悪いことをしたわけではないのに言えないことがいくつもあるはずだ。なぜ言えないのだろう?

それが不当に恥ずかしいこととされているからだ。

つきあったことがない人は、まず好かれない、人気がない人として低く見られる。勇気がない、気が弱いとも思われるだろう。少なくとも人気者で楽しく過ごした若者時代ではなかったに違いない。いきなりそういう扱いになってしまうのだ。

これまで黙っていたことを最近になって言う気になったのは、そんな気持ちを堂々と主張する人が出てきたからだ。

■恋愛をしない性的マイノリティもいる

「恋愛は面倒」という感覚が珍しいものではないことは、冒頭にも書いたとおりだ。

今や20~40代の未婚の人のうちで、恋人がいない人の割合は7割くらい、交際経験がない人の割合は、20代の男性で4割にのぼってしまう(※2)

“アロマンティック”も注目されるようになってきた。“ア”は否定を表す接頭辞で、“ロマンティック”は英語で「恋愛の~」といった意味だ。つまり、恋愛感情がない性的マイノリティを指す。

LGBTに続けて書かれるQIAのなかのAはアセクシャルを指す。アセクシャルは同じように、性的欲求のない人を指していて、アロマンティックと重なる部分が大きい性的マイノリティだ。

両者は混同されることも多い。そして少数と言ってもアセクシャルは1パーセントくらいはいて、これは同性愛者と同じ割合なのだ(※3)

こうしたアロマンティック、アセクシャルも注目され、広く認知されるようになってきた。とてもいい傾向だ。

恋愛なんか、やりたい人がやりたい分だけやっていればいいのだ。無理な時はその気持ちにならないので、あえてやらなくていい。

恋愛は、若者時代の一番の歓びであるかのように言われるけれども、それをまったく経験せずに過ごしてしまった自分は、後悔しているだろうか?

考えてみればこれも後悔はしていないのだ。

もちろん好きな相手がいて、なおかついいつきあいができたなら、もっと楽しかっただろう。けれども、そうではなかったのだからしかたない。

むしろ自分のポリシーを曲げてまでナンパな振る舞いをしたり、好きな相手もいないのに、無理に誰かとつきあったりしたほうが後悔していただろう。

自分がやりたいようにやっていれば、そうそう大きな後悔にはならない。もし嫌な思いをしてしまっても納得がいく。やりたくもないのにやらされることのほうが問題なのだ。

「全員こうするべきだ」とされていることにこそ、疑問の目を向けよう。

若者はしばしばうつ病と悲しみに苦しむ
写真=iStock.com/Milko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milko

■セックスも無理にしなくていい

あるアンケートでは、セックスが「いつも・大体痛い」と答えた女性が18パーセントもいた(※4)。気持ちいいどころか、痛いのをがまんしているわけだ。

セックスは恋愛というストーリーのクライマックスに位置づけられているだけに、素晴らしいものとしてあがめられる度合いもこの上ない。

けれども、そんなにがんばってやらなければいけないものなのだろうか?

特別な位置づけの行為だけあって、セックスをするまでには他とはまったく異なる手順が必要になる。

まずはその気があるなら、相手にさりげなくほのめかして、その後場所を提案して誘導して……、そんな儀式のような手続きを経なければいけない。しかもたいていは男が、それを差し障りなくとり行わねばならない。

「それ全部やらなきゃいけないの?」と言いたくもなるだろう。

セックスそのものにはそこそこ興味があっても、そこに行き着くまでの苦労を考えれば、そこまでの興味はない。そのくらいの人は多いのではないか。自分もそんなひとりだった。

■セックス経験がないと「未熟者」と見なされる謎の文化

セックスはそこまで素晴らしいかというと、これもまた必ずしもそんなことはない。

そもそもうまくいくとは限らない。うまくいかなければ完全に白けてしまう。それが2回でも続けば、気は重くなり、それがまたうまくいかない原因になる。それがあると思うと、かえって会うのが嫌になったりもする。

冒頭に書いたように、うまくいったように見えても実は痛かったということもある。終わった後で、そんなに大したものではないと思った人だって多いはずだ。

けれども特別扱いされている行為だけに、それを経験しろという“圧”もすさまじい。

「おめえ女とやったことねえのかよ」

そんなことを言ってくる男がまだいるだろう。経験がないとなると、いきなり相手を「未熟者」のように見なして、マウントを取ってくる謎の文化がある。

男だけで酒を飲んでいる時に、こうした文化はよく姿を現す。

女性のなかにも、もうセックスやキスを経験したかどうかで騒ぐような文化はあるだろう。ハリウッドの青春映画なんかでもよく見かけるシーンだ。

こんなふうに語られる話題は、セックスだけではない。キス、デート、告白、体の成熟に関することなど様々だ。そのなかでもセックスは、その頂点に位置する話題と言える。

■セックスは、人生の一時期にしか登場しない行為

これももとは、アウトサイダーの文化の一部なのだろう。本来は、きちんと親や先生の言いつけを守る主流の世界に反抗するものだったはずなのだが、これでは主流を補完しているだけだ。

ある調査では、35~39歳の世代でセックスの経験がない人は、男女とも十人にひとりほどだった(※5)。彼らの多くは、一生セックスをしないかもしれない。

決して少なくはないが、それでももっと多くてもおかしくないなと思ってしまう。

セックスレスの夫婦が増えていることがよく話題に上るけれども、そもそも40~50代のカップルなら、そんなに頻繁にはしなくなるのがむしろ普通だ。

こう考えてみればセックスは、人生の一時期にしか登場しない行為だ。子どもを作らない人が増えているのだから、本来は子どもを作るためにやるセックスを一度もやらない人だってもちろん増えているだろう。

■性的欲求を感じない“アセクシャル”は1%

すでに書いたとおり、性的欲求を感じない“アセクシャル”の人も1パーセントいる。

鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)
鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)

セックスとは、そんなに誰にでも魅力的なものではなかったのだ。それを楽しめないのは、とりかえしのつかない損失のように言われるのはおかしかった。

“セックスレス”の定義は「セクシュアル・コンタクトが一カ月以上ない状態」(日本性科学会)で、セクシャル・コンタクトには、キスやペッティングも含まれる。つまり少なくともここでは、“挿入”だけがセックスではないとされている。

これからはセックスの捉え方をもっと広げてもいい。挿入することだけがセックスで、それは最高のもの。それ以外はその前段階でしかない。こんな特別扱いがおかしかった。

恋愛感情を持って仲よく話をするのも、体に触ったりすることも何分の1かのセックス。こんなふうに考えてみるのはどうか。高齢になったらどうせ挿入はしなくなって、できることはスキンシップまでになるのだから。

スキンシップも必要以上に低く見ず、セックスと地続きのものととらえる。そんな見方は、あらゆる垣根が取り払われている今の時代に、とてもよく合っている。

※1 対象は二十~三十代の男女。「結婚・家族形成に関する意識調査」内閣府、二〇一四~一五年
※2 「恋愛・結婚調査」ブライダル総研、二〇一九年
※3 「LGBT意識行動調査2019」LGBT総合研究所
※4 「ジャパン・セックスサーベイ2020」日本家族計画協会
※5 「第15回出生動向基本調査」国立社会保障・人口問題研究所、二〇一五年

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鶴見 済(つるみ・わたる)
フリーライター
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。

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(フリーライター 鶴見 済)

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