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「今日はこのぐらいにして休みます」そう言って堂々と休める社会が訪れない限り、私たちはしっかり休めない

プレジデントオンライン / 2023年6月19日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jay Yuno

上手に休むためにはどうすればいいのか。作家のソン・ヒムチャンさんは「余計な先入観を捨てることだ。休むことに罪悪感を持ってしまう人は、自分自身に必要なことを分かっていない。これでは心が消耗してかえって疲れてしまう」という――。

※本稿は、ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■欲望の多くは他者から押し付けられたもの

誰にでも欲望がある。

欲望は、私たちがなにかに一生懸命取り組むための原動力になり、退屈な日常のくり返しにすぎない人生に生きる意味を与えてくれたりもする。

自分自身が切実に望むことを追求するとき、人生はより豊かになりうる。

しかし、私たちの欲望の多くは、社会や他者から学習したものだ。幼いころから耳にたこができるほど聞かされてきた、親の言うことをよく聞きなさいとか、友達と仲良く過ごしなさいというような規範がそれだ。

さらに、大人になったら安定した職に就き、生活が安定したら結婚して子どもをもうけるべきだという考えに、私たちはとり込まれる。

他人と自分の見た目を絶えず比較し、ふつうとみなされる範囲から外れると自分を責めて苦しむ。

また、芸能人やインフルエンサーのような羨望の対象のようになりたいと思う。社会的な基準に合致する人のことは肯定的にとらえ、そうでない人のことは軽んじる。

■「自分が本当に望んでいること」を考える

このような現象が間違っていると言いたいわけではない。

問題は、他人から押しつけられたもので自分を満たしていると、自分自身の姿はしだいになくなっていき、ついには消えてしまうということだ。

場合によっては、自分が本当に望んでいることがなんなのかも知らないまま、表面上だけ幸せなふりをする人になりかねない。そうやって何年も、何十年も生きていると、後悔するのはほかならぬ自分自身だ。

他人の欲望を受け入れてもかまわない。

でも同時に、自分が本当になにを望んでいるかを考える力を育てよう。人生の主導権を他人に与えるのと、自分自身が自分の人生の主人になるのには違いがある。

自分がつねに世の中という舞台の主役であるわけにはいかない。しかし、自分が望むことを探し、それに意味を感じながら生きていけば、誰もがきっと、自分の人生の主役になれるはずだ。

■「完璧な人になること」が正解とは言えない理由

この世の中で同じ間違いをくり返さないでいられるのは、機械ぐらいしかない。

自分の短所をすっかり補って、以前と変わったという印象を与える人がいるとすれば、それは、あなたの視点が変わったからそう見えている可能性が高い。

つまり、あなたがその人をありのまま受け入れたのであって、その人の性質が180度変わったのではないということだ。

相手の欠点を理解するのと同じく、自分の欠点にもある程度は寛大である必要がある。

他人に被害を与えるような欠点だとしたら、直そうと努力すべきだが、自分の姿がただ気に入らないからといって自分を責めているのなら、そんなに気にしなくてもいい。

私は一時期、完璧な人になろうと努力し、その道こそが正解だと思っていた。しかしあるとき、完璧さに対する自分の基準を相手にも押しつけていると気づいたのだ。

その瞬間、しまった、なにかを間違えていたと思った。

変わることは、この世で最も難しいことであると同時に、簡単なことでもある。

なぜなら、変わろうと心に誓った瞬間、すでに半分は変化しているからだ。そしてなにより、人間は完全に変わることはできなくても、努力を重ねて互いにフィードバックを与え合うことによって自然に成長していく。

だから、自分の人生は手の施しようがないなんて思わないでほしい。もっとよい自分になりたいという気持ちだけを大切にすれば、それで十分だ。

切実に願えば、残りの行動はおのずとついてくる。

■「休息がストレス」なのは自分を知らないから

私は感情の起伏が激しく、理由もなく憂うつになることがある。自分の心をきちんと探ってこなかったせいだ。

折に触れて心を点検しなければ、そのときどきの感情に浸って、周囲の環境に振り回されることになる。

時には他人からの頼みごとを断り、いい人であるのを拒否して利己的に生きなければならない理由はそこにある。

必要以上に他人に合わせていると、自分のなかで感情が消耗しきって、おのずと燃え尽きてしまう。

本来の自分を守りながらも、みずからの限界を把握し、無理をしてはいけない。

余計なことに傾かず、重心を保って進むべき方向をしっかり設定するとき、恐怖は消える。予測できない未来が怖く感じられるのは、自分自身が何者であるかを知らないからだ。

私たちは、自分自身を理解していないために、休んでいるあいだにもなにかをしなければならないような不安にさいなまれる。

自分がどこに向かうべきかを知っていて、なにが好きで、なにが嫌いなのか、なにが必要なのかを知っていれば、休息をとってもストレスを感じることはない。

自分の心を知ることができる人にとって、休息は、底をついたエネルギーを貯めるための時間になる。

■「別の仕事をするのが休息」という社長マインド

中国のベストセラー作家として知られる李尚龍(リー・シャンロン)は、『あなたは努力しているように見えるだけ(你只是看起來很努力)』という著書のなかで、「休息」とはなにかを説明するために、著名な講演家の例を挙げている。

その講演家は、執筆はもちろん、講演、読書、そのほかの対外活動まで、本業と並行しながらさまざまなことをこなしていた。

電子機器でマルチタスク作業を行うビジネスウーマンのオーバーヘッドビュー
写真=iStock.com/AndreyPopov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AndreyPopov

著書を読んだひとりの読者が彼に、1分でも無駄にしないその姿勢について、次のように質問した。

「どうしたら、ひとりでそんなに たくさんの仕事ができるのでしょうか。休んだりしないんですか。あなたは鉄人なのでしょうか?」

と。その質問に対して、その講演家はこう答えた。

「別の仕事に切り替えながら続けることが、一種の休息です」

と。また、李尚龍は著書のなかで次のように語っている。

「“爆睡”といったことは、じつは本当の休息ではない。自分の脳の関心事を切り替えることこそ、本当の休息だ」

■「絶えず動き続ける人」がえらいわけではない

情熱に満ちあふれていた過去の私は、この言葉に積極的に同意した。しかし、現在の私は、李尚龍のような考え方は、すべての条件が整った理想的な環境であっても実践が難しいと思っている。

ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)
ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)

実際には、李尚龍が例に挙げた講演家の1日を誰かが24時間観察したわけではないため、その言葉が事実かどうかを判断するのも難しい。

このような考え方は、いわゆる「社長マインド」なのではないかと、私は思っている。

私が社会に望んでいるのは、誰かが休息をとったり、「ちょっと休む」と言ったりしたときに、余計な先入観をもとにその人を見てほしくないということだ。

つまり、絶えず動いていてこそ誠実な人だという考えや、仕事の手を止めるのは現実に安住している人だという認識をもとに人を判断しないでほしい。

絶えず動いていても、方向も分からないまま走っていては意味がない。時には休みながら、疲れた心を癒やす必要がある。私たちは機械ではなく、それぞれが尊厳のある人間なのだから。

「すみませんが、今日はこのぐらいにして休みます」

いつの日か、誰もが自然にそう言うことができて、それに対して誰も否定的な判断をしない社会になることを願っている。

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ソン・ヒムチャン 作家・コンテンツ会社「マリト」代表
韓国と日本の名前をもつ。日本人の父と韓国人の母のもとに日本で生まれ、12歳で母と渡韓。22歳で作家としてデビューする。現在はコンテンツ会社「マリト」の代表を務め、「コリアコーチングシステム」法人所属コーチとしても活動している。著書に『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)がある。

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(作家・コンテンツ会社「マリト」代表 ソン・ヒムチャン)

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