アベノマスクも一斉休校も「寝耳に水」だった…2020年春に日本政府と専門家会議の間で起きていたこと
プレジデントオンライン / 2023年7月26日 9時15分
※本稿は、牧原出、坂上博『きしむ政治と科学 尾身茂氏との対話』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■2020年2月27日に決定された「一斉休校」
安倍晋三首相は2020年2月27日、全国の小中学校、高校、特別支援学校を一斉に、3月2日から春休みまで臨時休校とするよう要請することを決め、対策本部で表明した。この政府の決定は、与党の事前了承を経ない即断だった。国民への影響が極めて大きいこともあり、与党内にも驚きと困惑が広がった。「感染者が少ない県もあるのに一斉休校にする必要はあるのか」「子どもの面倒をみる親も仕事を休まないといけない」など批判の声もあがった。
――専門家会議は政府から一斉休校について相談があったのでしょうか。
【尾身茂氏(以下、尾身)】一斉休校は「寝耳に水」でした。まったく相談されていません。
09年の新型インフルエンザ流行時は、子どもたちから感染が広がっていったので、地域的な休校は意味がありました。小学校、中学校が(感染拡大を引き起こす)ドライビングフォース(駆動力)だから、効果がありました。この時、我々は強く自治体に勧めました。それによって大阪府や兵庫県では、第1波を起こしたウイルス自体が地域から消滅しました。これは感染症の歴史でも極めてまれなことでした。
■感染拡大が抑制されるエビデンスはなかった
【尾身】しかし、コロナは新型インフルとは違う。子どもたちが通う学校を休校にしても、実効再生産数(1人の感染者が平均して何人に感染させるかを表す値。1以上なら増加傾向、1未満で減少傾向を表す。感染状況を示す指標の一つ)が急に減るようなことはないんですよ。休校にしたら感染拡大が抑制されるというエビデンスはありませんでした。
我々専門家は実は、この時期、学校休校の効果の有無について話し合っており、その結果、休校を勧めるつもりはまったくありませんでした。そのような対策を決めるんなら、半日でもいいから前もって言ってくれれば、よかったと思いました。我々としても、いつも完璧に正しい意見を言えるとは思っていませんが、我々の意見を一応聞いた上で決めていただけたら、と思いました。そのために、政府は専門家助言組織を作ったんですよね。
■根回しなしの安倍首相の政治決断
【一斉休校】
専門家会議だけでなく与党の事前了承も経ない、根回しなしの安倍首相の政治決断だった。「何よりも子どもたちの健康、安全を第一に考え、日常的に長時間集まることによる感染リスクに備える」。安倍首相は2020年2月27日、そう一斉休校の理由を説明したが、あまりに突然の発表で、全国の自治体や学校関係者は困惑した。
休校が始まると児童生徒のいない学校は静まりかえり、学習塾では出勤前の保護者に連れられた小学生や自習に励む高校生の姿が見られた。学習の遅れを心配する子どもたちのために、オンラインで教材を提供する動きが広がった。
共働き家庭やひとり親家庭は、自宅で過ごす子どもをどのように見守り、どのように食事を食べさせるか、頭を悩ませた。子どもを親類に預けることができない場合、学童保育などが受け皿になった。政府は、休校に伴って子どもの面倒をみる従業員が有給休暇を取得できるように企業が環境を整えたら、有休取得者数に応じて企業に助成金を支払う制度を新設した。
3月20~22日に行った読売新聞社の全国世論調査によると、政府が、全国の小中学校や高校などに春休みまでの臨時休校を要請したことが「適切だった」は64%で、「そうは思わない」の28%を上回った。
■アベノマスクも相談はなかった
深刻なマスク不足に日本中が悩まされていたことを受け、安倍首相は2020年4月1日、全国すべての世帯に布マスクを2枚ずつ配布すると表明した。配布の遅れやサイズの小ささなどから、「アベノマスク」とやゆされた布マスクだ。安倍首相は、政権中枢に権力や権限を集中させる「官邸主導の政権運営」を進めており、その中で絶大な力を持ってきた官邸官僚が、アベノマスクの配布を発案したとされる。布マスクが届く頃には、徐々にマスク不足が解消され始め、その必要性の是非が議論された。
――「アベノマスク」の配布の話は事前に聞いていましたか。
【尾身】これについても何も聞いていません。まったく事前相談なしです。
――政府側から「マスクを配ろうと思うが、どのように思うか」と聞いてくれたら良かったとは思いませんか。
【尾身】テクニカルな側面を十分専門家から聞いて、咀嚼(そしゃく)してから、政治が最終判断をしていただけたら一番良いと思いますね。もちろん、結果的には専門家の意見を採用しなくてもいいのです。ただ、その際は、理由を説明していただくことが求められると思います。
■政府と専門家の関係は様々だった
【尾身】政府と専門家の関係はその時々の状況によって様々でした。多くの場合、政府は私たちの意見や提案を採用してくれました。また、我々の意見の一部だけを採用、あるいはちょっと時間がかかってから採用してくれた場合もありました。さらに今回のように我々の意見をまったく聞かずに政府が決めた場合もありました。こうしたそれぞれのパターンは安倍政権だけでなく、菅義偉政権、岸田文雄政権でもありました。
休校やアベノマスク配布のように、明らかに我々の考え方と違う対策を政府が実行することも時々ありました。当時はアベノマスクの配布より、PCR検査体制の拡充に力を入れてくれたら良かったのに、とも思いましたね。
政府が専門家に相談せず決めた背景には、政治家としての責任感というか、この危機に際し、リーダーシップを発揮するという強い思いがあったんだろうと思います。その点については、私は敬意を表したいと思います。政治家は選挙で選ばれたリーダーだから、最終的には、自分たちがリーダーシップを発揮しなくてはいけない、と思われるのは当然ですが、しかしその際、少しでも専門家の意見を聞いた上で最終決断をしていただければよいのではないかと思います。
■「官邸主導の政治」の頂点が第2次安倍政権
【官邸官僚】
首相の側近として各省庁から官邸に引き抜かれた官僚のこと。その代表が「首相秘書官」だ。首相の指示により、政府の各部署や与党、各省庁との調整などを行う。首相秘書官には、政権運営や首相の政治活動など政務全般を取り仕切る「政務首相秘書官(1人ほど)」と、財務省や外務省、経産省、警察庁などから将来の事務次官候補と目されるエリートが任命される「事務首相秘書官(6人ほど)」がいる。
政務首相秘書官は通常、首相の国会議員秘書として長年仕えてきた「懐刀」が選ばれ、「首席秘書官」とも呼ばれる。有名なのは、衆議院議員の小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)元首相の議員秘書を務めてきた飯島勲(いいじまいさお)氏だ。一方、第2次安倍政権では経産省出身の今井尚哉(いまいたかや)氏、岸田政権でも同省出身の嶋田隆(しまだたかし)氏が任命された。
また、官僚トップの官房副長官や国家安全保障局長らも官邸官僚だ。首相秘書官と似た名前の「首相補佐官」は基本的には国会議員がその職に就き、特定の重要政策の企画立案にあたるが、官僚出身者が任命された時には、官邸官僚と呼ばれることもある。
従来、各省庁の官僚や与党の族議員が影響力を行使し、それぞれの権益を重視した政策決定が行われることがあり、国民から批判された。1990年代以降、首相のリーダーシップのもと、官邸主導でトップダウンの指示を出し、政策を実行できるように様々な改革が行われた。この「官邸主導の政治」の頂点に位置したのが第2次安倍政権だ。各省庁の官僚が発言力を弱め、官邸官僚が辣腕を振るった。
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東京大学 先端科学技術研究センター 教授
1967年生まれ。政治学者。専門は政治学・行政学。90年東京大学法学部卒業。同助手、東北大学法学部助教授、同大学院法学研究科教授を経て、現職。2003年『内閣政治と「大蔵省支配」――政治主導の条件』(中公叢書)でサントリー学芸賞を受賞。著書に『行政改革と調整のシステム』(東京大学出版会)、『権力移行』(NHK出版)、『「安倍一強」の謎』(朝日新書)などがある。
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読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員
1964年新潟県生まれ。87年東京工業大学工学部卒業。同年読売新聞東京本社入社。千葉支局、松本支局、医療部などを経て2016年より現職。専門は感染症、難病、薬害、再生医療など医療全般。著書・共著に『再生医療の光と闇』(講談社、2013)、『薬害エイズで逝った兄弟―12歳・命の輝き』(ミネルヴァ書房、2017)、『きちんと知ろう!アレルギー』全3巻(ミネルヴァ書房、2017)、『シリーズ疫病の徹底研究』3巻4巻(講談社、2017)など。
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(東京大学 先端科学技術研究センター 教授 牧原 出、読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員 坂上 博)
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