妻子に加えて愛人母子7人も養っていた…「光の画家」モネがものすごく多作だった知られざる理由
プレジデントオンライン / 2023年7月11日 10時15分
※本稿はナカムラクニオ『こじらせ恋愛美術館』(ホーム社)の一部を再編集したものです。
■穏やかな画風の背後にある壮絶な経験
「光の画家」クロード・モネは、色彩豊かな風景を眺め、その画風と同じように穏やかな人生を過ごした――そんなイメージはないだろうか。
しかし実は、貧困による自殺未遂、愛する妻の早すぎる死、パトロンの夜逃げなど、壮絶な経験をしている。むしろ、その黒歴史や心に潜む深い影こそが、モネの絵具の下地となってキャンバスの絵の具を光らせているのだ。そして、奇妙な大家族を養わなければいけないという、現実的な側面もあった。
パリで画家の活動を始めた26歳のモネは、7歳年下のモデル、カミーユ・ドンシューと恋に落ちた。美しきカミーユは、10代から絵画のモデルとして仕事を始め、ルノワールやマネにも愛されたミューズだった。モネの代表作「散歩、日傘をさす女性」のモデルとなった女性としても知られている。
しかし、身分が違うと両親には猛反対され、生活費の仕送りも断たれてしまう。モネは、とにかく貧乏だった。町の肉屋にまで借金があり、作品を差し押さえられそうになった時は、200点もの作品を自ら切り裂いたという逸話もある。残った50点ほどの作品は、まとめて二束三文で売り払われた。
■ルノワールからパンを恵んでもらいながら…
お金に困ったモネは勝負に出た。当時人気があったマネの「草上の昼食」に大きな影響を受け、彼とそっくりの手法で、背景を真っ黒に塗りつぶした「カミーユ」をサロンへ出品したのだ。そして、絶賛された。しかし、先輩画家のマネに名前が似ていたために、作風を真似している「パクリ画家」だと勘違いされてしまう。
その後、妻カミーユとの間に長男ジャンが生まれるが、経済的にはさらに行き詰まっていく。とうとう、モネは愛するセーヌ川に身を投げた。しかし、死に損なった。
極貧だったが、画家仲間で親友のルノワールからパンを恵んでもらいながら、必死に描き続けた。カミーユとモネは家族からは認められていなかったものの、画家仲間には認められていたようだ。ギュスターヴ・クールベが立会人となり、ささやかながら結婚式も挙げている。
追い討ちをかけるように、モネのパトロンであった富豪エルネスト・オシュデの経営するデパートが経済不況のため潰れた。オシュデは妻アリスと人の子どもたちを置いて、ベルギーへ夜逃げしてしまう。モネは、なんと自身の妻カミーユと子どもに加えて、パトロンの妻アリスと6人の子どもの面倒まで見ることになった。
■夫婦と愛人一家との突然の奇妙な同居生活
しかもこのアリス、実はモネの愛人のような存在だったというから、話はさらにややこしい。夫婦と愛人一家との突然の奇妙な同居生活の始まりだ。妻カミーユは病気がちで、モネは彼女の治療費にあてるためにも、とにかくたくさん絵を売る必要があった。そして、アリスがカミーユの看病をしたという。まるで「大家族」を描いたドラマのように、波瀾(はらん)万丈な展開だ。
■恩人の妻の末子はモネの子という説も
実は、パトロンの妻アリスが産んだ末の男の子はモネの子だという説もある。オシュデが妻子をモネのもとに残して失踪したのには、もしかするとこのような複雑な恋愛関係があったのかもしれない。さらに、最愛の妻カミーユは、次男を出産した1年半後に32歳で亡くなってしまった。死因は結核とも、中絶に失敗したためとも言われている。
40代のモネには、もう画家として成功するしか道がなかった。とにかくたくさん絵を描いて、売りまくるしかなかったのだ。覚悟を決めたモネは、連作を描くようになる。大家族を養うためには、同じモチーフをとにかく描いて、量産するしかなかった。
同じテーマをずらして繰り返し描くというのは、日本の浮世絵や屛風(びょうぶ)絵の影響も大きい。ひとつの画題を様々な天候や季節、異なる時間で表現し、描きわけようと試みたのだ。実際にモネは、浮世絵のコレクターとしても知られているが、歌麿、北斎、広重など292枚も所有していた。構図や色彩だけでなく、北斎漫画などからも「連続性のある絵画表現」を学んでいた。葛飾北斎の「富嶽三十六景」のように「富士山」という同じモチーフを連作する浮世絵の様式がヒントになったのかもしれない。
■ジャポニスムの様式美とターナーの自然美を融合
連作というアイデアには、もうひとつ大きな源流となるきっかけがある。1870年、普仏戦争が始まるとモネは、徴兵を避けるためロンドンへと逃れた。そこで運命の出会いが待っていた。イギリスを代表する画家ターナー(1775~1851)の風景画だった。
ターナーは、霧や大気をぼかして描く独特な描写で知られている。単なる写実ではなく、自然の移ろいゆく光を「感性で描く」スタイルだ。今では印象派の画家に比べると人気は低いが、むしろ、ターナーこそ「誰よりも早い印象派」だったと言っても過言ではない。モネは、ジャポニスムの反復する様式美とターナーの自然美を実験的に融合させようとしたのだ。
■起死回生の「積みわら」、そして睡蓮へ
50歳の時、デュラン=リュエル画廊で開催された個展で「積みわら」の連作を発表する。まるで古いアジアの仏塔のように描かれたわらの塊は、後光が差すように輝いていた。植物や同じモチーフが始まりも終わりもなく連続する絵画の手法は、古くから生命力や再生の意味を持つことが多い。あるいは、千体仏や曼荼羅(まんだら)などはリズミカルに繰り返す表現によって畏敬の念を表している。
この個展は大成功。「反復するモチーフ」「連続する色彩」は、ピサロから商業主義的だと批判されたが、整然と並べられた「積みわら」に、人々は新しい自由な表現を感じた。量産したことで、多くのアメリカ人コレクターを喜ばせることにも成功した。こうして、「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「睡蓮(すいれん)」の成功へと繫(つな)がっていくのだ。
失踪した元パトロンのオシュデが亡くなった翌1892年、51歳のモネはアリスと正式に再婚。モネは画家として、経済的にも精神的にもしだいに安定していく。晩年には、ひたすら睡蓮の連作に取り組み、さらなる芸術の高みを目指した。200枚以上も描き続けた睡蓮の絵は、もはや極楽浄土を祈る僧侶の写経のようだ。
■「私は目が見えなくても絵を描く」
72歳の時には両目が白内障となり、82歳の時、右目はほとんど見えなくなった。左目の視力もわずかとなった時、モネは「ベートーヴェンが耳が聞こえないのに音楽を作曲したように、私は目が見えなくても絵を描く」と語ったという。
モネは、作品が「溶けたアイスクリーム」と批判されても生涯、同じスタイルで描き続けた。巨大なキャンバスには中心がなく、始まりも終わりもない。しかし、リアルな空気が伝わってくる。写実では伝わらないものを伝える、インスタレーション的絵画のはじまりだ。モネの作品は、美術が近代から現代へと移行する時代に、絵画を「意味」から「体験」へと変化させていく橋渡し役となったのだ。
モネは、奇妙な大家族のために作品を量産することで成功した。こうして多くのファンを魅了し、歴史に名を刻むことができたのだった。
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アートディレクター
1971年東京都生まれ。東京・荻窪「6次元」主宰。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。金継ぎ作家としても活動している。著書に『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』(いずれも玄光社)、『洋画家の美術史』(光文社新書)、『こじらせ美術館』(ホーム社)などがある。
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(アートディレクター ナカムラ クニオ)
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