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中国の身勝手な「北極進出」をこのまま許していいのか…アラスカの米国領海まで脅かす中国の横暴さ

プレジデントオンライン / 2023年7月26日 15時15分

砕氷船「雪竜」をバックに北極海の氷の上で集合写真を撮る、中国の第7次北極科学観測隊のメンバー(2016年8月15日) - 写真=Avalon/時事通信フォト

中国が北極進出を加速させている。オバマ大統領が初めてアラスカを訪問していた2015年には、5隻の中国海軍艦艇がベーリング海を航行し、アリューシャン列島の米国領海内を通航した。海上自衛隊幹部学校教官の石原敬浩2等海佐は「この行動は、中国の北極進出の宣言、米国に対する公然たる挑戦状ともいえるものだった」という――。

※本稿は、石原敬浩『北極海 世界争奪戦が始まった』(PHP新書)の一部を編集したものです。

■1993年に世界最大の通常型砕氷船を購入

中国は中華民国時代、1925年にスヴァールバル諸島(ノルウェー領)での経済活動を認める「スピッツベルゲンに関する条約」に加盟したものの、南極、北極といった極地域への本格的な科学調査が始まったのは1984年とされています。当初は南極地域の研究が中心でした。北極に注目が集まったのは、1995年に中国の科学者・ジャーナリスト合同探検隊が北極点に到達してからのことです。

氷のある海域での活動を行うためウクライナから世界最大の通常型砕氷船「雪竜」(Xuelong)を購入したのが1993年のことです。同船は極地研究センター所属となり、南極も含めた極地観測を支援するようになります。

「人民網日本語版」の「中国の北極観測、これまでの歩みを振り返る」(2016年07月13日)によれば、「1999年7月1日から9月9日にかけて、中国は初の北極科学観測を実施した。科学観測船『雪竜号』が北極に向けて上海から出港したことで、中国の北極における科学観測政府活動が幕開けを迎えた」と記載されています。その後、2003年夏に第2次北極科学観測を実施し、「これにより中国の北極現場観測作業はほぼ海外レベルの先進水準に達した」と誇らしげに述べます。

2004年にはノルウェー・スヴァールバル諸島に中国初の北極科学観測基地「黄河基地」を建設します。2008年7月11日から9月24日にかけて、第3次北極科学観測を実施、132カ所の海洋学調査、1カ所の長期拠点の海氷ガス総合観測と8カ所の短期拠点の観測を完了したとされています。

2010年夏には第4次北極科学観測を実施し、「中国北極科学観測隊は、自力で北極点に到達し科学観測を実施するという希望を初めて実現し、歴史的な進展を成し遂げた」とまとめています。

■2010年ごろは中国指導部も慎重だったが…

スウェーデンのSIPRI(ストックホルム国際平和研究所:Stockholm International Peace Research Institute)という、世界でも有数のシンクタンクがあります。紛争、軍備、軍備管理、軍縮等について学術研究を行う、独立した国際研究機関で、『SIPRI年鑑』は特に有名です。

そのSIPRIから、2010年に「中国は氷が融けた北極に備えている」という報告書が出版されます。その報告書では中国のこういった一連の北極への積極的な関与を分析した結果、一部学者からの積極的に参入すべきであるといった意見はあるものの、国家としては、きわめて慎重で沿岸国に配慮したものである、と分析していました。2010年頃はまだ、様子見という認識だったようです(Linda Jakobson,“China Prepares for an Ice-free Arctic”)。

流氷
写真=iStock.com/mlharing
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mlharing

一方、南シナ海や東シナ海における中国の海洋進出ではいくつものトラブルを起こし、インド太平洋地域では注目されていました。ベトナムやフィリピン、地域を管轄する米太平洋軍(当時、いまはインド太平洋軍)では、同軍の音響測定艦インペカブル号へのハラスメント(軍事用語で「不測の事態を招きかねない危険行為」、2009年)に代表される、中国の強引な海洋進出が問題視されていました。そして日本で尖閣諸島周辺領海内での中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突、船長逮捕事件の対応をめぐり、日中関係が緊迫した状況となったのが2010年のことです。

■2011年の全人代で海洋権益の保護・拡大を明確に

こういった海上での強硬姿勢と軌(き)を一(いつ)にするというか、その前提となる外交姿勢でも強気な場面が増えていきます。こういった強硬姿勢に転じた中国情勢を分析した、中国専門家の毛利亜樹先生は、「2010年は中国外交が、鄧小平が『韜光養晦(とうこうようかい)』という言葉で表現した慎重な姿勢を事実上放棄した年として記憶されるかもしれない」と、悪夢の予言のような分析をしていました〔毛利亜樹「『韜光養晦』の終わり――東アジア海洋における中国の対外行動をめぐって――」(『東亜』=East Asia:中国・アジア問題専門誌 2010年11月号)〕。

2011年3月に実施された全国人民代表大会(全人代)においては、第12次5カ年計画が採択され、「海洋経済発展の促進」と題する項目が盛り込まれ、海洋権益の保護と拡大をより一層重要視する姿勢が打ち出されていきます。

■北極評議会のオブザーバー国にもなった

このような全般的な海洋進出強化のトレンドのなか、中国は2012年に第5次北極科学観測を行います。この年は1979年の衛星観測開始以来、北極海の氷が最も少なくなった年でした。

石原敬浩『北極海 世界争奪戦が始まった』(PHP新書)
石原敬浩『北極海 世界争奪戦が始まった』(PHP新書)

砕氷船「雪竜」は往路アイスランドに寄港、復路において、北極海沿岸国以外では初めて北極点付近を横断する北極海中央航路、真っすぐに北極海を横断する最短ルートに挑戦しました。「北極海航路を経由し大西洋と太平洋を往復した。北は北緯87度40分に達し、中国の船舶が高緯度から北極海を航行する先例を築いた」と高らかに宣言し、その成果を誇ります。(「中国の北極観測、これまでの歩みを振り返る(6)」、人民網日本語版2016年07月13日)

2013年には北極評議会(Arctic Council:AC)のオブザーバー国として、日本や韓国等と同時に認定され、北極における発言力強化の足掛かりを得ることとなります。

国家方針に基づき活動を強化する。そして実績を上げ、その結果を前面に国際社会での認知を上げれば、国際的な立場が強化され、国内外での発言力が強化される。そして国家の威信向上に貢献する。その結果、国内における組織・個人の認知、地位向上に繫がる。これは中国における国家中心の官僚主義・成果主義の組織の中では素晴らしい流れです。

■最大の関心は資源開発にあり

中国は2014年には第6次、2016年には第7次観測を成功させました。ここまで2年ごと、偶数年に実施されてきた北極観測ですが、2017年の第8次観測ではカナダ側の北西航路で観測航海を成功させ、「中国は北極の3航路の航行と科学観測のフルカバーを実現した」と報道されるに至ります(「北極3航路の航行を終えた中国、『氷上シルクロード』の建設を促進」、人民網日本語版2017年11月02日)。

国家海洋局は観測隊が10月に帰国した際、記者会見において、2017年からは北極観測の頻度を従来の2年に1回から年1回とし、北極観測態勢を強化すると表明します。同局副局長の林山青は、中国が「近北極圏国」であることを強調しつつ、「中国の北極科学観測は今後、さらに新たな事業分野を切り拓く」と述べ、北極への関与姿勢強化方針を示しました。

これらはすべて「科学調査」と呼ばれる調査・研究ですが、当時から中国の最大の関心は資源開発であり、並行して資源調査も行った模様と報道されていました。

■米国領海内を中国海軍艦艇が通過

2015年9月、5隻の中国海軍艦艇がベーリング海を航行し、アリューシャン列島の米国領海内を通航したというニュースがありました。

中国海軍艦艇
写真=iStock.com/komisar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/komisar

それはオバマ大統領が初めてアラスカを訪問、気候変動に関する国際会議に出席し、以下のような演説をした直後のことでした。「アメリカは北極の国です。これが北極評議会の公式会合ではないにしても、米国は今後2年間、北極評議会の議長国であることを誇りに思っています。私たちは、北極がもたらす機会と課題について、諸外国と協力したいと思っています。誰もが、これらの課題を自分たちだけで解決できるわけではありません。一緒に解決するしかありません」(The White House, Office of the Press Secretary, “Remarks by the President at the GLACIER Conference ― Anchorage, AK.”)

米軍は当時、中国海軍のこの地方での活動は初めてであることを認めるコメントを出しました。艦隊の編成は、3隻の戦闘艦艇、揚陸艦、補給艦、計5隻での行動、中ロ合同の演習後に展開してきた模様です。

■米国への公然たる挑戦状

当時はあまり大きなニュースにならず、この話を記憶している人もわずかでしょう。米国の報道でも、領海には入ったがハラスメント的な行動はなかったとか、大統領のアラスカ訪問と重なったが、不具合はなかったといった、無難な報道で収束しました(Cooper, “In a First, Chinese Navy Sails Off Alaska,” The New York Times, Sept. 2 2015. Branigin,“China sends warships into Bering Sea as Obama concludes Alaska visit,” The Washington Post, Sept.3 2015.)。しかしこの行動は、中国の北極進出の宣言、米国に対する公然たる挑戦状ともいえるものでした。

■米インド太平洋軍司令部はどう分析したか

米軍は世界に地域統合軍を展開しています。インド太平洋にはアメリカインド太平洋軍(USINDOPACOM)、その下に陸海空軍の部隊があり、日本でも有名な第7艦隊はその指揮下にある部隊です。

その司令部が、定期的に雑誌を発行しています。しかも英語のみならず、日本語、中国語、ロシア語、ベトナム語等10カ国語版があり、そして……無料です。インターネットで読み放題です。その雑誌、Indo-Pacific Defense Forumの2019年の44巻には、以下のような記事が掲載されています。(28~30頁)

「中国人民解放軍の北極進出は2015年に実現した。当時のバラク・オバマ米大統領のアラスカ訪問中、中国人民解放軍海軍の艦船5隻がアラスカ沖のベーリング海を航行した。同海域で中国軍艦の航行が確認されたのは史上初めてである。中国軍艦はアラスカ半島から伸びるアリューシャン列島周辺の米国領海12海里内を通航している。……これは明らかに、中国が北極圏シーレーンと中国の経済的利益を確保するために軍事展開を進めることができるということ、そして同国がそれを実施するということを米国と北極沿岸国に知らしめる中国の牽制である」

さらに、記事はこう続きます。

「中国および他のアジア諸国から北極圏への通路となるベーリング海峡周辺を中国軍艦は航行している。この海洋チョークポイントは北極海航路と北西航路両方の終端であり、北極圏を通過するエネルギー輸送船や貿易船はすべて同海峡を通過しなければならない。今回の中国海軍の航行は、海洋における覇権力と同海域を強制的に保護する能力を同国が備えていることを実証するものとなった」

軍艦を派遣して国家としてのメッセージを伝える、昔で言えば砲艦外交、戦略的コミュニケーションの典型と言える行動です。「ペリーが浦賀に1853」、試験のために記憶している人は多いと思います。これが砲艦外交です。

戦略的コミュニケーションについて本格的に勉強したい方には、青井千由紀先生の『戦略的コミュニケーションと国際政治 新しい安全保障政策の論理』(日経BP)がオススメです。無料で、という方には拙稿「戦略的コミュニケーションとFDO」が、海上自衛隊幹部学校のホームページ上で読めます。

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石原 敬浩(いしはら・たかひろ)
海上自衛隊幹部学校教官
2等海佐。1959年、大阪生まれ。防衛大学校(機械工学[船舶])卒業、米海軍大学幕僚課程、青山学院大学大学院修士課程修了(国際政治学)。護衛艦ゆうばり航海長、護衛艦たかつき水雷長、護衛艦あまぎり砲雷長兼副長、練習艦あおくも艦長、第1護衛隊群司令部訓練幕僚、海上幕僚監部広報室などを経て、現職。慶應義塾大学非常勤講師。

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(海上自衛隊幹部学校教官 石原 敬浩)

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