定年前まで"勝ち組"だったのに…元人事部長が再雇用後に同期や部下から受けた「屈辱的な仕打ち」の数々
プレジデントオンライン / 2023年8月12日 15時15分
※本稿は、奥田祥子『シン・男がつらいよ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■気づいたら飛び降りようとしていた60代の男性
2021年秋、定年後の再雇用で建設会社に勤務していた当時61歳の工藤慎次(くどうしんじ)さん(仮名)は、かつて自社が手掛けた関東にある商業施設の屋上にいた。なぜそこを訪れたのか、いまだ記憶があいまいだ。ただ、屋上にたどり着いた瞬間、感情というものを抱く前に、涙が頬をつたったことだけは覚えている。
郊外の街並みを見渡そうとでも思ったのか、フェンスに近づいた。その時、不意に「消えてしまいたい」という衝動に駆られる。1メートルほどの高さのフェンスをよじ登ろうと、上着を脱ぎ棄てて右手と右足をかけた。途端、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が振動し、その拍子にアスファルトの地面に尻から落ちた。勤怠確認のため、職場の庶務担当の女性がかけてきた電話だった。
「電話を受けて我に返った、などと片付けることはできないんです。死んで楽になろうとしていた自分か、つらくても必死に生きようとしていた自分か、どちらが本当かなんて今でもわからないんですから……。ただ、定年退職後の自分のありさまが情けなくて、苦しくて……かなり追い詰められていたことだけは確かです……」
■部下からいじめを受け、同期からはあざ笑われる
新型コロナウイルス感染症の流行が「第7波」に入ったという認識を政府の専門家会議が示し、憂うつな空気が社会に流れ始めた22年夏のインタビューで、工藤さんはそう話し、中指でメガネ中央のブリッジ部分を軽く押し上げた。メガネとマスク越しではあったが、眉間にシワを寄せて苦渋の表情を浮かべているのがわかった。
「かつての部下には恩を仇で返すかのように陰湿ないじめを受け、同期の奴からは『出世競争に敗れたのに、まだ残っているのか』といったあざ笑うような視線を浴びて疎まれ……。つまり、男たちから蔑まれているんです。会社のために一生懸命働いて部長まで務めた。定年前までは『勝ち組』だったのに……この、私が……どうして、こんな目に、遭わなければ、ならないんですか⁉」
怒りと悔しさで声を震わせた。
工藤さんには2012年、従業員の定年後の雇用について、人事部長の立場から話を聞いたのが取材の始まりだった。当時は、希望する従業員全員を65歳まで雇用することを義務付ける改正高年齢者雇用安定法(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(*1))が施行される前年。
08年のリーマン・ショック、さらに11年の東日本大震災で日本経済が打撃を受けるなか、生産性向上や人件費をはじめとする経費削減が喫緊の課題であり、業績回復に逆行しかねない従業員の定年後の雇用に頭を抱える経営者も少なくないのが実態だった。
(*1)2021年施行の改正高年齢者雇用安定法のひとつ前の改正にあたる。この改正では、65歳までの継続雇用制度(再雇用か勤務延長)の導入、65歳までの定年の引き上げ、定年制の廃止のうち、いずれかの高年齢者雇用確保措置が事業主に義務付けられた。また継続雇用制度の対象者を労使協定で限定できるしくみが廃止され、希望者全員が対象となった。
■生き生きと定年後の人材活用を語っているが…
東北出身で地元の公立大学を卒業後、建設会社に就職し、人事・労務畑を歩んできた工藤さんは、こうした経済情勢において、将来予測も含めた綿密な分析で、定年後の人材の有効活用の必要性を主張した。
「従業員の生きがい創出、それから国の未来にとって非常に重要な社会保障政策の面から、定年後の雇用が重要であるという本来の意義を、経営陣が十分に理解できていないのが問題です。長年の経験から蓄えてきた知識やスキルを効果的に生かすべきで、定年までと比べて待遇は低く抑えられるわけですから、生産性向上にきっとつながるはずです。特に、うちの会社では、設計、施工管理など技術職も多いですし、後進に伝えていく役目も担ってもらいたいと考えています」
感情表出を抑え気味の表情ではあるが、メガネの奥の瞳が生き生きとしていて、定年後の人材活用に力を注いでいることがうかがえた。
「希望者全員の継続雇用が義務化されても、人事、総務などバックオフィス部門の人たちの定年後雇用の需要は、低いのではないのでしょうか?」
■再雇用されても短期間で辞めるケースが相次いでいた
質問しながら、人事部長の工藤さんも「需要が低い」と捉えられかねない失礼なことを言ってしまったことに気づく。とほぼ同じタイミングで、彼はこう切り返してきた。
「それは大丈夫ですよ。あっ、奥田さん、私のことはお気遣い無用です。技術職のほか、経営企画、営業などのほうが有利かもしれませんが、人事、総務などを経験してきた者だって希望すれば、働けるようになるんですから。効果的な人材活用策を考えるのが、われわれ人事の役目です。それに……自社での継続雇用にこだわらなければ、バックオフィス部門のほうが一企業の色に染まらず、幅広く培ってきた能力を生かせるという面では、転職も可能だと思います。管理職経験者なら、なおさらプラスだと思いますよ」
長年の人事・労務経験で大勢の社員を見て、人間洞察力を磨いてきたからなのだろうか。こちらの内心を読み取る力に感心しつつも、語りの最後で彼が見せた貼りついたような笑顔が気になったのを鮮明に覚えている。
その後もさらに、人事部長として定年後の継続雇用のスムーズで効果的な推進に力を注いだ。工藤さんが勤める会社では、継続雇用はいったん定年退職した後、再び雇用される再雇用制度を採用し、嘱託社員として週3日の勤務を基本と定めていた。ただ、いずれの部署でも希望者が少ないうえに、再雇用後、1年単位の有期雇用契約の期間満了を待たずに半年など短期間で辞めていくケースが相次いでいた。
■再雇用に失望するも転職活動は難航
定年後の人材の有効活用を一定期間実践したうえで、検証するまでに至らないことに対し、取材でもどかしさや焦りを露(あら)わにする機会が次第に増えていく。そうして、55歳で役職定年を迎えて人事部から労務部に異動する。実はこの時になって初めて、数年前から(初取材の時にはすでに)定年後の自らの身の処し方に悩んでいたことを知る。
役職を解かれてから数カ月過ぎた2015年のインタビューでは、「残念ながら、再雇用では自分の能力を生かせず、会社の役に立てない」と言葉少なに語り、転職を目指し、複数の人材紹介サービスに登録したことを教えてくれた。それから6年の歳月を経て、冒頭のシーンを迎えるのだ。
この間、メールや電話をしても、返信のない状態が続いていた。22年夏のインタビューで激しい憤りを見せてから数分の沈黙を挟み、事の経緯を説明し始めた工藤さんの表情は、まるで人が変わったように淡々としていた。彼によると、転職活動は難航し、人事・労務で磨いてきたノウハウや能力、さらに管理職としての経験も予想していたように有利には働かなかったという。
■「奈落の底に突き落とされたんです」
そこで、定年後の再雇用を選び、週に3日、人事部に嘱託社員として勤務することに。しかし、再雇用で働き始めて1週間ほど経た頃から、部長時代にやる気を買って育て、課長昇進を後押しし、今や人事部次長となったかつての部下に、人事データ処理の遅延など軽微なミスを他の部員がいる前で繰り返し叱責(しっせき)されたり、その部次長の指示によって部員たちから無視されたりするなど、パワハラを受けるようになる。
さらに、同期入社の執行役員からは廊下でのすれ違いざまなどに、蔑むような表情を向けられたのだという。商業施設屋上での出来事から数日後、再雇用で働き出してから半年を待たずに退職を申し出た。
「定年後の再雇用で、私は会社での権力を失い、奈落の底に突き落とされたんです。組織の力関係で支配されるとはこういうことなのか、屈辱的な体験から思い知らされた気がします」感情的な言葉とは裏腹に、乾いた表情が、工藤さんが受けた精神的苦痛の大きさを物語っているようだった。
■「定年後は働く意味を求めてはいけない」
今年秋に63歳の誕生日を迎える工藤さんは今、職に就いていない。2023年春、改めて定年後継続雇用で働いた当時を振り返った。
「転職が難しかったのが大きかったですが、70歳までの従業員の雇用確保が事業主に努力義務(*2)となる前の年でしたから、自分が模範になってやろうという思いも少しはあった。と同時に、70歳まで働くべきという社会的なプレッシャーを感じていたのも確かです。家でゴロゴロしていたら女房に気を遣うし、近所の人にも何と言われるかわかりませんからね。
手塩にかけて育てた部次長からは感謝されていると思っていましたが、小さなミスも厳しく注意する私のやり方にうっ憤がたまっていたのかもしれません。定年後に立場が逆転したら、元部下から怒りや恨みが跳ね返ってきたというわけです。同期のほうは単純で、執行役員の奴は勝者で、私は敗者ですから、冷たい対応は当然ともいえるんです……」
継続雇用を契約期間途中で退職してから、どうしていたのか。
「一定の蓄えはあって経済的にどうしても働かなければならないわけではないので、小学生の登下校の見守りボランティアをしてみたり、陶芸教室に通ってみたりと、何もしていなかったわけではないんですが、どれも長続きしなかった。やっぱり私は働きたいんです。でも、どうしても誰かの役に立ちたい、自分の経験を生かしたいなどと、こだわってしまって、仕事が見つからなくて……。定年後は働く意味を求めてはいけないんです」
あれほど従業員の生きがい創出のため、定年後雇用に尽力した工藤さん自身が発した「働く意味を求めてはいけない」という言葉が、ズシンと胸に響いた。
(*2)2021年4月から、改正高年齢者雇用安定法施行により、70歳までの継続雇用制度の導入、70歳までの定年の引き上げ、定年制の廃止に加え、70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入、70歳まで継続的に、事業主が自ら実施する社会貢献事業、または事業主が委託、出資する団体が行う社会貢献事業に、従事できる制度の導入のいずれかの就業を確保する措置が事業主の努力義務となった。
■定年後に屈辱感や重圧を感じる男性たち
定年後の再雇用で、管理職に出世して上司となったかつての部下や、役員まで上り詰めた同期に蔑まれる、元部長の工藤さんは、かつては「勝ち組だったのに……」と憤り、会社という組織において「権力」を失うことの屈辱感や、定年後も働き続けなければならないという社会的重圧を受ける苦悩を打ち明けた。
改めて、日本では2021年4月から、70歳までの継続雇用制度の導入などが雇用主の努力義務となった。労働者が希望すれば、70歳まで働ける社会へと高年齢者雇用の環境整備が進んでいる。現に厚生労働省の22年「高年齢者の雇用状況等報告」によると、66歳以上まで働ける制度のある企業は40.7%(対前年度比2.4ポイント増)を占め、70歳以上まで働ける制度のある企業も39.1%(同2.5ポイント増)と、いずれも増加している。
努力義務の70歳までの高年齢者就業確保措置については、22年6月の調査時点で実施済みの企業は27.9%(同2.3ポイント増)だった。継続雇用制度には再雇用と勤務延長があるが、大半はいったん退職した後、雇用契約を結ぶ再雇用(多くは1年ごとの雇用契約)となっている。
■65〜69歳の男性の7割以上が非正規雇用
雇用主側は生産性向上が目下の課題である状況下での定年後の従業員の有効活用には頭を抱えるケースが多く、労働者側も継続雇用によって定年前と比べて仕事の質が下がって賃金など待遇も悪化するうえ、長年培ってきた経験や能力を十分に生かせないことで、働く意欲が低下するなどの問題に直面している場合が少なくないのが実情だ。
労働政策研究・研修機構の「60代の雇用・生活調査」(20年公表)では、働く60〜64歳男性の雇用形態は、非正規雇用労働者が58.1%と、「正社員」(37.1%)の1.5倍の高い割合だった(非正規の内訳は、「パート・アルバイト」13.7%、「嘱託」24.0%、「契約社員」18.2%、「派遣労働者」2.2%)。
年齢が65〜69歳に上がると、非正規(76.6%)が正社員(18.8%)の4倍にも上る。
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近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)、『シン・男がつらいよ』(朝日新書)などがある。
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(近畿大学 教授 奥田 祥子)
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