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死ねばあなたもベルトコンベヤー式に病院→葬儀場→火葬場へ…「コスパ・タイパ重視」の葬儀で本当にいいのか

プレジデントオンライン / 2023年8月25日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SAND555

■家族葬や一日葬が増える中、注目集める寺院回帰

かつて日本各地でみられた「寺院葬」を取り戻そうとする動きが、活発化しつつある。主導しているのは、民間企業だ。近年、「葬儀の場」としての寺院は姿を消しつつある。無宗教式の家族葬や一日葬、直葬などの葬送も増えてきている中で、なぜ、あえて「寺院回帰」に向けた取り組みが始まったのか。

旧来の日本におけるムラ社会のなかでの葬儀の場は「寺」や「自宅」であった。多くの人が自宅で看取られて亡くなり、そして地域の中で弔われたのである。戦後、高度成長期ごろまでは、それが当たり前の風景だった。

しかし、1977(昭和52)年を境にして、自宅死と病院死の割合が逆転。現在では、自宅死は17%にまで落ち込んでいる(厚生労働省「人口動態統計」2021年)。

畳の上で亡くなれば、そのまま自宅やムラの菩提寺で葬儀が営まれた。ムラの共同体が葬儀を取り仕切ったのだ。そして、葬送の中心にいて、あれこれ指示を出し、プロデューサー的な立ち位置にいたのが、菩提寺の住職であった。

だが、全国的に葬儀社が広がりをみせていくと、寺は葬儀から遠ざかっていく。一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会の「葬儀に関するアンケート調査」によれば、1990年では自宅で葬儀を実施した割合が48%、寺院葬が15%程度あった。

だが、2000年代に入って急激にそれらの割合は減っていく。2011年以降は自宅葬・寺院葬ともに5%程度と低水準となっている。対して、葬儀会館での実施割合は86%にまで伸びてきている。都市部での葬儀場は、ほぼすべてが葬儀会館に置き換わったとみてよいだろう。

病院死の場合、いったんは遺体を自宅に戻すのが慣例だ。そこに菩提寺の住職がやってきて枕経を営む。その後、遺体を葬儀会館に移して、通夜や葬儀を済ませる流れである。

現在では、自宅に遺体を戻さないことが多くなっている。マンション住まいの人や都会に済む人にとっては、遺体搬入・搬出時の近隣住民の目が気になるところである。

遺体安置から葬儀会場の飾り付け、納棺、進行、火葬手続きまで、完全なパッケージ商品になっている葬儀社に一任するのが、喪主も寺も楽で合理的だ。葬儀会館は、寺に比べて清潔かつ、エレベーターや空調などが完備していて快適だ。

だが他方で、すべてが葬儀社のスタッフ任せになってしまうことの弊害も生まれている。

てらそうそうの寺院葬の風景
写真提供=しゅうごう
てらそうそうの寺院葬の風景 - 写真提供=しゅうごう

■葬儀社への丸投げで起こる弊害

本来、人が亡くなってから1週間ほどは故人と、残された人々とが向き合う時間が流れる。そこに住職が入り、死者と生者の橋渡しをする。死亡直後の枕経から始まり、通夜、葬儀・告別式、火葬、初七日法要……と、住職は慌ただしく動き回る。

一連の宗教者と遺族とのやりとりは、グリーフケア(悲嘆への寄り添い)につながっていた。寺院葬が少なくなってからは、癒やしの作業がなおざりになってきているともいえる。

葬儀社主導の葬儀だと、僧侶は葬儀会場では控え室に籠(こも)ることが多くなる。住職は喪主と挨拶程度の打ち合わせをした後に、読経を済ませると、速やかに自坊に戻っていく。これでは僧侶は、葬儀社がお膳立てした葬儀の歯車のひとつにしかならない。そうした現状を憂いた人物がいた。

「いま、葬儀は『価格は安く』『時間は短く』という、効率重視になっています。本来の寺院葬を取り戻すことこそが、この時代に求められていると考えたのです」

そう語るのは、寺院葬サービス「てらそうそう」を手がける株式会社しゅうごう社長の西本暢さんだ。共同事業パートナーの堀下剛司さんと共に、2021年に立ち上げた。これまで、ふたりは仏教寺院と深い関わりを持ち続けてきた。

しゅうごう社長の西本暢さん
筆者撮影
しゅうごう社長の西本暢さん - 筆者撮影

西本さんは寺の長男に生まれた。自身は出家の道は選ばなかったものの「仏飯を食んできた者として、お寺の役に立ちたい」と考え、終活関連サービス会社の鎌倉新書の常務取締役などを経て、同社を設立した。

一方で、堀下さんはお坊さんの質問サイト「hasunoha(ハスノハ)」を、2012年に立ち上げた人物として知られる。hasunohaは僧侶が人々の絶望や悩みを受け止める相談サイトとして広がりをみせ、現在回答する僧侶が300人、月間100万アクセス、回答累計は8万4000件にも上っている。

共同事業パートナーの堀下剛司さん
筆者撮影
共同事業パートナーの堀下剛司さん - 筆者撮影

そんなふたりが立ち上げたてらそうそうは、僧侶が主体となって、寺院で葬儀を執り行うことを目的とした、寺院支援サービスである。

「hasunohaの相談をみていると、悲しみに誠実に向き合えるお坊さんはとても多い。宗教者だからこそ、発せられる言葉の重みもあります。葬儀は仏法を伝える場であり、檀信徒との関係を強化できる機会でもあります。それだけに、僧侶が脇役になっている現代の葬儀は、とてももったいないことだと思うのです」(堀下さん)

そこで、寺院と葬儀社との役割を逆転させようと考えた。つまり、僧侶が「主」となって葬儀をプロデュースし、寺の本堂が葬儀会場になるというものだ。葬儀の司会も住職自身がやる。つまり、古き良き時代の寺院葬に回帰させる試みだ。

葬儀社は霊柩車やドライアイス、祭壇などの手配はするが、あくまでも住職を前面に立てて裏方に徹する。

■寺院葬ならではの葬式の良さとは

寺院葬では、葬儀会館では難しい演出も可能になる。葬儀会館は縦長の部屋が多い。構造上、参列者は祭壇に向かって、僧侶の背中をみているだけになる。しかし、本堂は横に広がる空間で、導師を囲むように席の配列ができる。そのため、儀式の様子が具(つぶ)さに観察できるのだ。

「例えば、遺体に剃刀(かみそり)を当てて、仏弟子(ぶつでし)になる作法など、その意味を教えてもらいながら、儀式を観察できるのも寺院葬のよいところでしょう。住職と参列者との間に一体感が生まれ、とても感動したという喪主さんは少なくないです」(堀下さん)

寺の本堂での葬儀の場合、花の祭壇は最小限で済み、コストが軽減できることも、大きなメリットだ。寺には本尊を中心とした荘厳な空間が整っているからだ。臨終後の儀式の場として、寺の本堂ほどふさわしい空間はない。また、地域の寺だと、近隣の人が集まりやすい利点がある。

寺院葬の風景
筆者撮影
寺院葬の風景 - 筆者撮影

てらそうそうの寺院葬を取り入れている寺が、埼玉県新座市にある蓮光寺(真言宗智山派)だ。蓮光寺は檀信徒以外でも寺院葬を受け入れる。本堂も比較的新しく、葬儀会館と同等の設備が整っている。

『絶滅する「墓」:日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)
『絶滅する「墓」:日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)

蓮光寺の上田昭憲住職は「葬儀の規模が小さくなってきている今だからこそ、寺と喪主とはより緊密な関係が求められると思って寺院葬を始めました。果たして住職が司会進行までできるのだろうか、との懸念を抱く寺院関係者も多いようですが、回忌法要は住職がひとりでやることがほとんど。葬儀から納骨まで、一対一で檀家さんと接するとコミュニケーションが深まることのメリットは大きいです。寺院葬をもっと広げていきたい」と話す。

西本さんは言う。

「お坊さんが近くにいてくれて心強く、安心したという施主さんの声は少なくないです。寺院を地域と社会に開かれたよりどころにしていくため、今後も寺院を裏方支援していきたい」

当面は、首都圏に限って参画寺院を募集するが、将来的には全国に寺院葬を広げていきたいという。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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