「1万円札は福澤先生のままにしろ」と言い出した…塾高を甲子園優勝に導いた「慶應三田会」の若すぎる血
プレジデントオンライン / 2023年8月30日 11時15分
■「107年ぶり優勝・慶應塾高」甲子園は三田会の会場に
「みんな、ちょっとはしゃぎすぎかな」と話すのは慶應義塾大学の文系教授。「夏の甲子園」で107年ぶりに優勝を果たした慶應義塾高校(通称「塾高」)のOBだ。「自分が一番はしゃいでいるかも」と苦笑する。
決勝戦で、1回表にトップバッターの丸田湊斗選手がいきなりホームランを打つと、甲子園は慶應定番の応援歌「若き血」の大合唱に包まれた。
「テレビの画面を通して、まるで神宮球場にいるような錯覚を覚えた」
と振り返る文系教授は今でも、東京六大学野球の慶早(早慶)戦が行われていると球場に駆けつける。
「横にいるOBと肩を組み、若き血を合唱するのが塾員としての最大の喜びなのです」
気の毒だったのは決勝戦の相手、仙台育英高校の選手たちだ。5回表、慶應2死二、三塁の場面だった。丸田の左中間の打球を追った育英の中堅手と左翼手が交錯。落球し、慶應の勝利を決定づける2点が入った。甲子園を地響きのように揺るがす慶應の大声援の中で選手同士の声がかき消され、エラーを誘発したように見えた。
「ここまでなりふりかまわない声援を聞いたのは久しぶりという気がする。良くも悪くも、今回の塾高の快進撃を後押ししたのは慶應の応援団であるのはいうまでもない」(スポーツ紙記者)
その最大の基盤となったのが慶應の同窓会組織「三田会」である。当日、現役生などが陣取るアルプス席だけでなく内野や外野も関係者が埋め尽くし、甲子園は事実上の三田会会場となった。
■全国津々浦々に張り巡らされた慶應三田会ネットワーク
「3人寄れば三田会」といわれ、OB・OGがいる企業をはじめ、全世界の至るところで結成されている。ライバルの早稲田大学やその系列校でも、慶應出身の教職員たちが集まり「早稲田三田会」なる組織まであるほどだ。
この夏、甲子園に結集したのは地域三田会に区分される団体が中心になっている。三田会の中核組織「三田会連合会」に、近畿地域で登録されているのは16団体。それらをとりまとめる関西合同三田会の関係者は次のように話す。
「登録されている以外にも、関西には数え切れないほどの町内会レベルの三田会がある。これらの組織を通して、ひとつの発信や要請が数珠つなぎのように広がっていき、母校のために頑張ろうという機運が一気に生まれる。もっとも、今回の甲子園のような、これだけの結集は関西では今までなかった。三田会の底力を改めて思い知らされました」
三田会の出発点は慶應が創立してまもない時代までさかのぼる。
学校運営に行き詰まっていた創設者の福澤諭吉は全国各地で塾員たちを相手に講演会を開き、資金集めに奔走した。こうした塾員たちの集まりがそのまま地域三田会に発展していったのである。つまり、三田会の当初の目的は塾員の結束を図りながら、カネ集めにつなげることにあった。
そのパワーを見せつけたのが2008年に創立150年を迎え、学校側が寄付金を募った時だった。法人や個人からの寄付とは別に、各三田会はあっという間に計20億円を集めてみせたのである。
三田会連合会に所属する塾高同窓会(会員数5万3000人)もこの8月、「甲子園出場支援募金」を募った。「すぐに予想以上の額が集まったと聞いています」と話すのは前出の同OBの文系教授だ。
「塾高野球部には『日吉倶楽部』というOB会もあり、普段から資金的に困ることはなかったようです。そうしたバックアップ体制がしっかりできている点も他校に比べ、甲子園に臨むにあたって有利だったといえるかもしれません」
優勝まで行き着いた原動力は三田会の存在や、その結束力だけではない。もうひとつ大きかったのは2003年に始まった推薦入試制度だ。
優秀な選手が野球部に入ってくるようになり、導入からわずか2年後の05年にはセンバツ出場を果たした。43年ぶりの甲子園出場だった。「同制度の導入に対しては反対も少なくなかった」と明かすのは当時、慶應グループの最高意思決定機関「評議員会」で評議員を務めていた人物だ。
「スポーツ推薦のような仕組みを取り入れてしまったら、慶應の名をおとしめることになりはしないかと懸念する声が出てきたのです。したがって、もし入学させるのなら、学力をともなっていなければならない。他の生徒とは別のカリキュラムを組むような特別待遇もしてはならないといった条件をつけ、導入することになった」
その一方で、80代の元教授は「慶應にはこうした制度を進めるのに二の足を踏むトラウマがあった」と証言する。
■慶應大学進学できなかった「怪物・江川卓」と推薦制度
今から50年近くも前の1974年2月のことだ。
のちに読売巨人に入団する“怪物”と称された作新学院(栃木県)のエース・江川卓投手の動向に世間の注目が集まっていた。前年秋のドラフトで阪急から1位指名を受けるも、大学進学を理由に入団拒否。慶應大一本に絞り、商学部、法学部、文学部の入試に臨んだが、すべて不合格だった。
「最初にアプローチしたのは慶應のほうからだといわれています。ところが騒がれすぎて、慶應側が怖気づいてしまった。合格させたら裏取引が疑われかねない状況でした」と話すのは当時、取材にあたった全国紙の社会部記者だ。
結局、江川投手は法政大に入学。同大の入試日程は終了していたため、いったん短期大学部に入学し、その後、法学部に転籍した。
慶應は塾高も含め、以降しばらく、「スポーツ推薦を連想させるような受け入れはできなくなってしまった」(元教授)という。そして30年近くが経ち、「ほとぼりが冷め、実質的には推薦入試制度に名を借りたスポーツ推薦をスタートさせることができた」(同)のだった。
大手学習塾のスタッフは「塾高の偏差値は70台後半と神奈川県最難関。大学も慶應への内部進学がほぼ約束されているとなると、推薦入試のメリットは非常に大きく、今後もそれを目指す受験者は増えていく」と予想する。
その結果、「あまり推薦入試が目立ちすぎると、従来の生徒層と変わってきて塾高ブランドに傷がつきかねない」と話す。このあたりは前出の元評議員の話と合致する。にもかかわらず、懸念の声も次第に消えていったのは「早稲田への強烈な対抗意識」(文系教授)があるからにほかならない。
「早稲田実業高校や早稲田大高等学院でも推薦入試制度を取り入れているのに、こちらが手をこまねいたままでは差が開く一方になる。神宮での慶早戦でもますます分が悪くなって、若き血を歌うチャンスまで減ってしまう。背に腹は代えられなかったのです」
塾員が危機感を募らせるのは対早稲田だけではない。「ストレスが溜まる状況が以前より増している」と文系教授はぼやく。
■「1万円札を福澤諭吉先生から変えてはならぬ」
そのひとつが1万円札の刷新だ。肖像が聖徳太子から福澤諭吉になったのは1984年。2024年上期に40年ぶりに福澤から渋沢栄一に切り替わる。「慶應で先生と呼ばれるのは福澤先生だけなのです。塾員の間でも粗末に扱うなと怒りの声が出ている」(同)という。事実、甲子園でも「1万円札を変えるな」というシュプレヒコールが湧き起こった。
慶應キャンパス内の塾生向けの掲示板に張り出される教職員の名前はすべて「○○君」となっている。ジャニーズ事務所のタレントが先輩の木村拓哉に対して「キムラくん」と呼ぶのと似ているが、意味合いはちょっと違う。福澤諭吉が絶対的な存在で、それ以外の塾員・塾生は全員、福澤の弟子であり、横並びなのだ。
「とはいっても、実際に学生から君付けで呼ばれたことはありません。さん付けはありますが、1対1では○○先生が普通ですね。ずいぶん年下の学生から○○君といわれると、さすがに腹を立てるかもしれないですが」と文系教授は笑う。
三田会の会員同士でも君付けで呼ぶことはあまりないというが、今回の高校野球優勝で「応援の仕方で方々から顰蹙を買いながらも、より結束力が強まったことだけは確か」なようだ。
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ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。教育、医療、企業問題を中心に執筆。著書は『慶應三田会の人脈と実力』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。
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(ジャーナリスト 田中 幾太郎)
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