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勝ち負けだけならジャンケンでいい…ラグビー元日本代表が「スポーツの目的は勝つことではない」というワケ

プレジデントオンライン / 2023年10月8日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tero Vesalainen

サッカーJ1・浦和レッズのサポーターが暴徒化し、チームが来年度の大会の参加資格を剝奪されるなどスポーツ観戦のマナーが問題視されている。ラグビー元日本代表で、神戸親和大学教授の平尾剛さんは「観客も『勝利至上主義』に冒されないよう注意しなければならない。ラグビーW杯イングランド戦のように、負けても楽しかったと思える観戦方法はある」という––。

■なぜイングランド戦は「負けても楽しかった」のか

ラグビーW杯が開催中だ。開催国フランスとの時差で、各試合のキックオフが真夜中および朝方のため寝不足の日々を送っている。

ここまでの日本代表を振り返ると、初戦のチリには42–12で危なげなく勝ち切った。W杯初出場国の勢いに押されて先制トライこそ許したものの、ほどなく逆転し、その後は着実に点数を重ねた。格下相手にその実力を見せつけたといっていい。大会前の不振を払拭するには十分な内容だった。

続くイングランドには12–34で敗れた。点差をみれば完敗だが、試合内容は決して悲観するものではなかった。懸念されたスクラムは互角以上に渡り合い、身体が大きく突破力のあるランナーの前進をことごとく阻んだ。試合終了間際のゴールラインを背にしての懸命なディフェンスには、思わず目が釘付けになった。

■強豪国を追い詰めた戦いぶりに胸が熱くなった

日本代表は、プレーが途切れるたびに全員で円陣を組み、挑戦者らしい真剣な表情で互いにコミュニケーションを取っていた。そうしてチームの一体感と個々の士気を保ち続けたからこそ、後半16分まで勝敗の行方がわからない展開に持ち込めたのだと思う。これとは対照的に、思うようにプレーできないイングランドの選手たちは、一様に焦りの表情を浮かべていた。強豪国を追い詰めた戦いぶりに胸が熱くなった。敗北という結果は悔しいが、実にいい試合だった。

3戦目のベスト8進出を賭けたサモア戦は、28–22で勝利を収めた。最終的な点差こそわずかながら、先制トライを奪ったあとは一度もリードを許さず勝ち切った。劣勢が見込まれたスクラムを五分に持ち込み、サモアが得意とする縦への直進的なアタックを止め続けたディフェンスが、勝因だった。

残るは予選プールの最終戦のアルゼンチン戦だ。互いに決勝トーナメント進出がかかる大一番が、10月8日に行われる。意地と意地のぶつかり合いが、いまから楽しみで仕方がない。

■浦和レッズの「サポーター暴徒化」問題

ラグビーのみならずスポーツ観戦はやはり楽しい。2021年開催の東京五輪を境に、スポーツ大会の裏側に気を取られて以前ほどには楽しめなくなったが、いざ試合を目の当たりにすれば、やはり夢中になる。

8月に行われたバスケットボールのW杯やパリ五輪予選ワールドカップバレーもそうで、結果が伴う日本代表の躍動感あふれる戦いに世間は大いに賑わった。国内に目を移せば、阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝およびオリックス・バファローズの3年連続のリーグ優勝が、関西圏を中心に話題となったのも記憶に新しい。Jリーグもヴィッセル神戸が現在首位で、私の地元神戸では初優勝への期待が沸々と高まっている。

超満員のスタジアムで熱狂する観客たち
写真=iStock.com/efks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/efks

日本代表チームや贔屓(ひいき)チームが勝てば、ファンのみならず世間の耳目はおのずと集まる。私たちは、やはり勝つ試合が観たいと望む。

各競技の躍進が大々的に報じられたこの間だが、それに水を差すかのように暗いニュースが飛び込んできた。サッカーJ1の浦和レッドダイヤモンズが、次年度の天皇杯参加資格を剝奪されたのである。去る8月2日に行われた名古屋グランパスとの試合後に、一部のレッズサポーターが暴力および危険行為に及んだ事態を受けての処分である。問題を起こしたサポーターにも無期限入場禁止などの処分が下された。

■後押しするはずのサポーターが足を引っ張る本末転倒

ファンの声援は選手のハイパフォーマンスを後押しする。時に叱咤(しった)を含みつつも総じて前向きな応援は、スポーツには欠かせない。ファンと選手が共に存立するのがプロスポーツであり、熱心な応援はチームや大会そのものを盛り上げ、存続させるためには必要不可欠である。

とはいえ、暴力的行為に至るような「熱狂的な応援」はいただけない。暴徒化したファンの存在は大会の運営に支障を来し、ひいてはスポーツそのものの存続すら危うくする。過激化するサポーターが観客席を埋める試合に、好き好んで足を運ぶ人はいない。応援が贔屓チームの大会参加機会を奪う事態を引き起こしたのだから、本末転倒も甚だしい。

暴徒化したファンが相手サポーターとの乱闘を演じたこの一件は、明らかに度を越している。チームの存続のみならずサッカーそのものの価値をも貶める愚行である。

レッズサポーターは過去にも数々のトラブルを起こしてきたし、他チームのサポーターに比べて熱狂的だという認識もすでに広がっている。世界的にみれば、そもそもサッカーは応援が過熱する傾向にある。

■観客にも「勝利至上主義」が蔓延している

だが、応援の過熱はサッカーだけの問題ではない。国際政治学者の六辻彰二氏によれば、ヨーロッパのラグビーリーグでは、フィールドに花火を投げ込んで乱入する、相手チームのファンと乱闘をするなどといった問題が起きているという。その背景には社会に不満を持つ若者の存在があると指摘する。

比較的温和なラグビーにおいても応援の過熱が見られるようになったのには驚きを隠せないが、社会のありようと連動してスポーツの応援が過熱するという六辻氏の指摘を真摯(しんし)に受け止めれば、いずれの競技においても過熱化を予防するための思索を講じなければならない。

スポーツの応援が過熱する理由については本欄で以前にも書いたし、先日発売された拙著『スポーツ3.0』(ミシマ社)にも詳述した。そこから抜粋すると、応援の過熱は「勝利効果」やミラーニューロンなどの身体的な反応およびファンと選手の非対称性が原因だ。さらに付け加えれば、「応援の過熱」とは、ファンや観客など観る者のあいだにも勝利至上主義が蔓延していることの表れともいえる。勝利がもたらす興奮を得られるかどうか。それだけを追いかける態度は、まさに勝利至上主義といえよう。

■見応えが「負けた悔しさ」を上回る試合はたくさんある

スポーツ観戦がもたらす喜びとはなにか。これをよくよく考えれば、私たちスポーツを観る者は勝利だけを望んでいるわけではないことがわかる。

勝った試合を観れば満足するのは当然だ。だが、たとえ贔屓チームが負けたとしても、気迫がこもった戦いぶりを見せてくれればそれなりに満足しているのではないか。負けた悔しさを凌駕するほどに見どころのある試合だったのなら、多くの人は充実感を胸に試合会場をあとにできるだろう。

先に述べたラグビーW杯のイングランド戦が、まさにそうだった。

ラグビー発祥国であり、過去一度も勝ったことのない相手に肉薄したその内容は秀逸だった。互角以上に渡り合ったスクラム、PGをすべて決めたSO松田力也選手の集中力と勝負強さ、SH流大選手の意表をつく背面キック、WTB松島幸太郎選手の卓越したランニングなど、思わず拳を握り締める場面はたくさんあった。なにより終盤まで勝敗の行方がわからないほどの拮抗(きっこう)した展開に、観戦後はこの上なく高揚した。

負けたのだからもちろん悔しい。勝ってほしかったのはいわずもがなである。だからそれなりのわだかまりもあるし、名残惜しくもある。でも、それ以上に見応えがあった。

笑いながら「惜しかったなあ」と口にできる余裕が、試合後の私の心にはあった。あのイングランド戦を観たファンのほとんどは、おそらくそう感じていたはずだ。少なくとも私の周りには、互角だったスクラムや松田選手のキックなどの場面について、明るい表情で語る人ばかりだった。

負けても十分に試合を楽しめるのだ。

■「勝利の喜び」だけを求めるのならジャンケンでもいい

これとは反対に、勝っても不満が残る試合もある。ミスばかりで思うようなプレーができない場面ばかりの試合は、フラストレーションが溜まる。ラグビーなら、ノックオンの連続、ダイレクトタッチなどのキックミス、ここぞというシチュエーションで相手にジャッカルを許す、ゴールキックを外しまくるなどのミスが続く試合は、流れが途切れるから観ていてつまらない。集中力の欠如や気概が感じられない試合は、たとえ勝ったとしても消化不良の余韻を残す。

相手のミスに助けられ、かろうじて勝っただけの中身に乏しい試合と、負けたけれど見どころが多く内容が充実した試合。あなたはどちらを観たいと望むだろう。一概には答えられない難しい問いかけではあるし、ビギナーとコアなファンでは答えが分かれることも容易に想像がつく。両者のあいだに明確な線引きをするのは意外にも難しい。

ちなみに私は、負けても内容が充実した試合を迷いなく選ぶ。勝ってほしいのはいわずもがなだが、たとえ負けたとしても「いい試合」が観たい。思わず身を乗り出す場面が散りばめられた試合の方が断然いい。

勝利がもたらす喜びだけを求めるのなら、くじ引きをすればいい。あるいはジャンケンでもかまわない。プロセスをすっ飛ばし、瞬間的に勝敗が決まるのだから手っ取り早い。極論すれば、勝利至上主義とは、くじ引きやジャンケン的な勝負を好む心性である。あたりまえだが、すべてのスポーツには勝利に至るまでのプロセスがある。それを楽しまずしてなにを楽しむというのだろう。まずはプロセスがあり、次いで勝利がある。

じゃんけん
写真=iStock.com/SasinParaksas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SasinParaksas

■負けようとして試合をしている選手はいない

現役時代を振り返れば、いまでもすぐに思い出せるほど脳裏に焼きついた悔しい試合がある。2002年に行われた第39回日本ラグビーフットボール選手権大会の決勝戦だ。前年度の優勝チームとして連覇がかかったこの試合は、ほとんどキックをせずボールをつなぎまくるランニングラグビーのサントリーに17–28で敗れた。

プレースキッカーを務めたものの3本中1本しか決めることができず、グラウンド中央からの比較的イージーなキックすらも外した。ペナルティからのタッチキックもインゴールタッチになり、好機を逸した。トライを奪うのが役割のウイングなのにノースコアで、その他のプレーもミスばかりだった。おまけに後半途中にはタックルした際に脳震盪を起こし、それ以降の記憶はいまでも途切れている。

懸命にプレーしながらも結果が伴わないもどかしさ、「こんなはずではない」という焦りはパフォーマンスを低下させ、まるでゼリー状の空間に包まれたかのようにからだが重くなる。

試合終了のホイッスルが鳴ったあとは、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。チームメイトの顔を直視できなかったし、観客には頭を垂れるしかなかった。「戦犯」にされても仕方がないと腹を括っていたにもかかわらず、チームメイトは面と向かって私を責め立てなかったし、観客からも直接的には罵倒を浴びせられなかった。自分で自分を叱責し続けたものの、敬意を持って接してくれたチームメイトや観客のお陰で救われた。捲土重来を果たすべく次の試合に向けての意欲はむしろ高まった。

現役を引退してひとりの観客となったいまも、この経験は忘れられない。だから私は、その試合のみで選手を評価しない。たとえこちらの期待を裏切るプレーを目の当たりにしても、その次の試合や、そのまた次の試合を注視する。過去の悔しさは、プレーの一挙手一投足に宿り、観る者にもそれは伝わるからだ。

あの試合はサントリーにしてやられた。対戦相手が一枚上手だった。ただそれだけだ。どの選手も、どのチームも、負けようとして試合をしているわけではないのである。

■「やるせなさ」は成熟した大人なら抑えるべき

そうはいっても、なかにはプロセスが空虚な敗戦という、目も当てられない試合があるのも事実だ。見るべき場面がほとんどない負け試合なら、入場料を返してほしい気持ちにもなる。やるせない気持ちになり、怒りが暴発しそうになる気持ちはわからないでもない。だがそこは、成熟した大人であれば抑制すべきだろう。

当事者としての選手やスタッフもまた、気が抜けた試合をしたことに反省すべきであることは論をまたない。プロスポーツである以上、どの試合も、どのプレーも手を抜いてはならない。勝敗が決するほど点差が開いた状況でも諦めず最後までプレーするなど、負けてもファンが納得できる場面をひとつでも多く創出する。選手やスタッフは、常にこれを心がけなければならない。

勝利を目指しながら、観る者が思わず目を奪われる場面を選手は創出する。ファンはその一つひとつに目を凝らす。勝敗以外のところでスポーツを観る目をともに養い、そして互いに敬意を払う。そうすればファンの暴徒化が防げるとともに、スポーツが内包する文化的な価値を守ることができると私は思う。

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平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。

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(神戸親和大教授 平尾 剛)

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