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47都道府県の「旧制一中」の栄枯盛衰…地元トップを維持する名門22校と凋落した元名門17校の全リスト

プレジデントオンライン / 2023年12月25日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yoshitaka Naoi

47都道府県につくられた「旧制第一中学」は、現在はどんな学校になっているのか。『日本の高校ベスト100』(啓文社書房)などの著書がある評論家の八幡和郎さんは「2023年度の東大・京大合格者数をみてみると、47校のうち22校は現在でも地元トップに輝いている」という――。

■日本には各都道府県に名門高校がある

日本の初等中等教育は、世界トップクラスと言えるだろう。近代日本において、全国のどこで生まれても、地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは、国力の源泉となってきた。

江戸時代の教育制度が、近代化の礎になったというのはまったくの俗説だ。江戸時代の学校制度は西洋と比べてもだが、中国のような「科挙」がなかったこともあり、お粗末だった。天保年間(1831~45年)になってようやく藩校が出そろったが、漢学の基礎を教えていただけで、上級武士以外が学べる中等教育機関はほとんどなかった。

明治新政府は、なにもないところに、西洋でも最新式の学校制度をつくり上げようとし、まず、全国津々浦々に小学校を設置した。

大学レベルは、海外へ留学生を送ることが主眼で、その準備の語学教育をする中等教育機関が各地の実情に応じて生まれた。そのほか、小学校の先生を養成する師範学校は、比較的まんべんなく各地に生まれ、旧制中学も師範学校特別科としてスタートしたものが多い。

■中学校令で「尋常中学47校」が誕生

明治期中ごろになると、帰国した留学生が大学で教えるようになり、そこを受験するための中学校が乱立した。そこで、1886年になって第一次中学校令が出され、各府県一校ずつの尋常中学に集約した。

このときは、「○○県尋常中学校」という名称だったわけだが、徐々に二番目の中学ができてくると、「○○県第一中学」と呼ばれることが多くなった。どこの府県でもナンバースクール的な呼び名が採用されたわけでなく、たとえば、兵庫県尋常中学は1886年に神戸に二番目の尋常中学ができたことにより、兵庫県姫路尋常中学校と改称した。現在の姫路西高校である。

ただ、この1886年に県尋常中学校として設立された学校が原則、どの都道府県にもあるわけで、それが一中的なものであることは間違いない(北海道や沖縄などは遅れ、北海道には現在の札幌南と函館中部が同時に設立された)。

そして、その多くが現在も名門校として、国内外で活躍したり地域社会の中核となる人材を供給しているのだ。

■ノーベル賞受賞者を2人輩出した洛北高校

28人の日本人ノーベル賞受賞者(米国籍取得者を含む)を見てみると、25人が公立高校出身で、そのうち7人が旧一中の卒業生だ。旧京都一中だった洛北は日本人ノーベル賞受賞者第一号の湯川秀樹、第二号の朝永振一郎を輩出した。

あとは、山口(山口)が佐藤栄作、日比谷(東京)が利根川進、松山東(愛媛)が大江健三郎、藤島(福井)が南部陽一郎、北野(大阪)が吉野彰である。

公立高校以外では、国立の大阪教育大学附属から山中伸弥。私立は同志社の江崎玲於奈と灘の野依良治だけで、受験に特化した教育の弊害だと思う。

■合併、統合、独立を経て現在の高校へ

旧制一中は基本的に県庁所在地に設立されたが、これにも例外もある。

弘前(青森)、安積(福島)、松本深志(長野)、彦根東(滋賀)、郡山(奈良)、姫路西(兵庫)、首里(沖縄)がそうだが、郡山市にある安積高校以外はいずれも城下町である。

江戸時代には、上級武士の子弟のみが入れる藩校以外に中等教育校はなく、庶民は家庭教師や私塾で例外的に中等教育レベルの教育を受けるしかなかった。

その名残で、明治中頃の段階では、尋常中学で学ぼうという若者はほぼ士族に限られていた。その後、平民でも中等教育を受けたいという人が増加し、滋賀県の場合は、一中は彦根東だが、1898年になって、二中として現在の膳所高校が創立された。

私の祖父は二中の八期生だ。その少し年の離れた兄は中等教育を受けていなかったが、祖父は通学圏内に中学ができたので、二中から無料で学べる陸軍士官学校、さらには陸軍大学へ進んだ。

戦後は、近在のさまざまな公立中等教育機関が新制高校として合併させられた。例えば、膳所中学(二中が改称)もふたつの高等女学校と商業学校の計4校と統合して大津高校になったが、マンモス校となり高校進学希望者数も増えたので、もとの学校ごとに独立していった。

この過程で、系譜を壊すような統合や分割の仕方をしたケースもある。大阪の北野高校と旧女学校である大手前高校は、いったん先生も生徒も半分ずつ入れ替えをしている。

■現在も地元トップの旧制一中は22校

地元の名門校という旧制一中の立場にも、変化が起こった。受験戦争の激化を防ぐために、小学区や総合選抜、学校群などの制度を導入して学校格差をなくす試みが長い間、続いた。その結果、東京大学など難関大学合格者が分散したり、難関大学を目指す生徒は私立高校に集中したりしたのだ。

かつては東京大学合格者全国トップだった東京の日比谷高校は、一桁にまで凋落し、京都の洛北高校は京大合格者がほぼゼロになった。

しかし、1990年代前後から自由化がトレンドになり、通学区域が広められ、理系コース、中高一貫校が設けられた。その中で復活してきた旧制一中もあるし、ほかの公立高校が重点校になってますます旧制一中が凋落してしまった県もある。

図表1は、そうした現在の実力を評価して一覧表にしたものだ。2023年入試における旧制一中の東京大学と京都大学合格者合計数を出し(同数の場合は東大合格者が多い方を優先)、各都道府県内でトップである高校を◎、公立ではトップである高校を○。どちらも2位以下の高校を×としてみた。その結果は、◎が22、○が8、×が17である。

【図表】旧制一中の2023年度東大・京大合格者数
筆者作成

■宮城では仙台第一と仙台第二がライバル関係

ここからは、47都道府県ごとの情勢を見てみよう。文中で最初に校名が書いているのが、いわゆる旧制一中とされる学校である。

【北海道・東北】

北海道では、札幌南がトップだが、北海道大学については、キャンパスが地理的にも近い札幌北が優勢だ。

青森県では城下町である弘前に国立大学も一中もあったのだが、人口が少なく、現在は八戸(二中)や青森(三中)がやや優位。

岩手県では、宮沢賢治や石川啄木の母校である盛岡第一が県内でダントツの存在。

宮城県では仙台第一も健闘しているが、通学区域が下町であり、インテリ層が多いイメージの仙台第二が優位。

秋田県は秋田がトップ。ほかの東北の県と同様、かなりの卒業生が東北大に進学する。

山形県では、早い時期から山形東にてこ入れをしていて、一定の成果を上げている。

福島では、郡山市にある安積が一中で、磐城が二中、福島が三中(安積は郡名)。安積と福島が競うが、福島がやや優位。

■修学旅行のルーツは現・宇都宮高校の東京見学

【関東】

茨城県では水戸城三の丸跡にある水戸第一と、筑波研究学園都市などで成長した土浦第一が競っている。

栃木県では宇都宮が優位。栃木県第一中学校が1881年に東京・上野で行われた第2回勧業博覧会を見学に行ったのが、修学旅行のルーツともいわれている。

群馬県では前橋と高崎がライバルで、前高(まえたか)・高高(たかたか)の定期戦が各種競技で開かれる。

埼玉県では浦和が全国の公立の雄。ノーベル物理学賞受賞の梶田隆章が出た川越は三中。

千葉県の千葉も公立の雄だが、トップは私立の渋谷幕張に譲っている。

東京都の日比谷は、1950~60年代は東大合格者数で日本一だったが、1967年に「日比谷潰し」と呼ばれた学校群が導入され、翌年には灘に抜かれた(灘は132人、日比谷は131人)。2014年以降、公立としてはトップに復活した。

都立日比谷高校通用門と校舎、東京都千代田区永田町
都立日比谷高校通用門と校舎、東京都千代田区永田町(写真=Rs1421/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)

岸田首相の母校・開成は、1977年から東大合格者数トップ。筑波大学附属駒場が質的には優位ともいわれる。悠仁さまは旧高等師範系の筑波大学附属。美智子上皇后の父上の母校でもある。

神奈川県の一中は希望ヶ丘だが、中心部から保土ケ谷に移転し凋落。石原慎太郎が卒業した湘南が優位だったが、現在は横浜翠嵐。私立では栄光学園に代わって聖光学院がトップに。いずれもカトリック系。

■山梨は甲府第一が低迷し、群雄割拠

【中部】

新潟県では新潟が圧倒的優位。二中は雅子皇后の祖父が校長を務めていた高田。

富山県では富山、富山中部、高岡が御三家だが、富山中部が交通便利で富山大学附属中に近いこともあって優位。

石川県では金沢泉丘が安定しているが、国立の金沢大学附属も健闘。高等師範が1944年に開校したので設立された(旧師範系の附属は中学までが原則)。

福井県は歌人の俵万智を輩出した藤島が優位だが、中高一貫のコースを持つ高志も健闘。

山梨県の甲府第一は低迷し、甲府南、吉田が健闘していたが、最近は、単位制・講座選択制を採り入れた甲陵高校が実績を重ねている。

長野県は松本深志が一中。長野と競うが長野がやや優位。

静岡県では静岡と浜松北がほぼ同等の実績。東大より京大のほうが多い。

愛知県では旧制時代から公立の雄だった旭丘が健在だが、学校群制度のために圧倒的優位ではない。岡崎も東大合格者数で全国有数。私立では浄土宗系の東海が強い。

岐阜県では岐阜が他校を圧するが、愛知の私立などにも流出。

三重県では津よりも四日市が優位。浄土真宗高田派の本山があり高田高校も健闘。

■通学区域の自由化で明暗が分かれる

【近畿】

滋賀県は彦根東が一中だが、膳所が全国有数の京大合格者数で優位に立つ。

京都府では総合選抜で洛北など公立が凋落し、東寺系の洛南、カトリックの洛星が優位。しかし、京都市立の堀川が受験校を目指して短期間で大成功。一中だった洛北も中高一貫が成功して復活。

大阪府は北野が全国の公立で最高水準の実績。天王寺や大手前も有名校。私立ではカトリック系の大阪星光がトップだが、隣接府県の私立にも流出。

兵庫県は姫路西が一中的存在だが、二中である神戸が兵庫県立神戸一中(神戸市内の一中という意味)と称して紛らわしい。灘は東大合格者数では開成、筑波大学附属駒場に続き、理Ⅲについては全国トップ。公立では神戸、長田、姫路西が拮抗している。

奈良県は一中だった郡山より奈良が躍進。私立では東大寺がトップだったが、西大和が京大で健闘し始め、いまは東大への進学でベストテンに入る。大阪の私立がいまひとつなので奈良の私立に流入しているようだ。

和歌山県では桐蔭も盛り返しているが、私立の智弁学園和歌山が大阪府南部からも生徒を集めて優位。高校野球でも全国有数の名門だ。

■夏目漱石が教鞭をとった松山東が復活

【中国・四国】

鳥取県では鳥取西がダントツだが、数としてはそれほどでもない。

島根県では松江北が優位を保つ。かつては松江南も健闘していた。

岡山県では岡山朝日が通学区域の自由化で復活。それに次ぐのが私立の岡山白陵高校。

広島県では、広島国泰寺が一中だが公立高校の総合選抜制で進学校としては無力化。カトリック系の広島学院や修道など私立や広島大学附属、同福山高校が優位。

山口県は山口が優位で、ユニクロの柳井正がOBの宇部がそれに次ぐ。

徳島県では城南が一中だが通学区域自由化後も県が強化策を図らず城東がトップに。徳島文理、徳島市立も健闘。

香川県では、菊池寛や三原脩がOBの高松が県下一を維持し、丸亀がそれに次ぐ。

愛媛県は学区制が緩和されて夏目漱石が教鞭をとった松山東が復活しているものの、私立のカトリック系の愛光がトップ。

高知県は総合選抜制で高知追手前が見る影もなくなり、甲子園でも活躍する土佐など私立が優位。

■沖縄は一中も二中も低調のまま

【九州】

福岡県では福岡市内の修猷館、福岡、筑紫丘が健在だが、孫正義を輩出した久留米大学附設がトップ。

佐賀県では佐賀西がトップを維持。雅子皇后の高祖父はここの用務員だった。

長崎県では語学伝習所の系譜を引く長崎西が公立トップだが、私立の青雲に押され気味。

熊本県では済々黌が一中だが、進学校としては熊本が優位。

大分県は大分上野丘が優位だが私立の大分東明がそれに次ぐ。

宮崎県では、福島瑞穂が卒業生の宮崎大宮と宮崎西が競う。

鹿児島県では鶴丸が公立ではトップだが、カトリック系のラ・サールが全国的な進学校。

沖縄県では、首里が一中で那覇が二中だが進学校としてはいずれも低調。昭和薬科大学附属がナンバーワン。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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