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国内最後の定期夜行列車「サンライズ」は生き残れるのか…快適性を追求した「21世紀の寝台列車」の現在地

プレジデントオンライン / 2024年1月27日 7時15分

日本で唯一の定期夜行列車「サンライズ瀬戸・出雲」 - 筆者撮影

1998年にデビューした「サンライズ瀬戸・出雲」は日本で唯一の定期夜行列車だ。ブルートレインなど往年の名列車が続々と引退する中、どこまで生き残れるのか。松本典久さんの著書『夜行列車盛衰史』(平凡社新書)より、一部を紹介しよう――。

■鉄道車両は20~30年でリニューアル

1990年代に入ってブルートレインが次々と整理されていったのは、必ずしも利用不振といった理由だけではなかった。そこでは車両の老朽化などの問題も抱えていたのだ。

当時のブルートレインの主力となっていた14系客車および24系客車は、車両グループとしては1971(昭和46)年および1973(昭和48)年に誕生したものだ。数年にわたって製造されているが、民営化時点ですでに約20年近く使用されていたのである。

鉄道車両の耐用命数はさまざまな計算方法があり、車種によっても異なるが、新幹線車両では15〜20年、一般車両では20〜30年ぐらいが目安となっている。陳腐的な老朽化の場合、適当なインターバルでリニューアル整備が行われている。個室寝台の導入が進んだのも、多くはこうしたリニューアルのタイミングに合わせていたのだ。

しかし、約20年ともなると物理的な老朽化もあり、大がかりな整備も必要になってくる。そこで新たな経費をかけるより、編成の縮小や列車の削減などで補うという考え方もなされるようになった。

■速度の出ない邪魔者扱いされたブルートレイン

また、ブルートレインの運転は機関車が牽引するといった方式だ。機関車を交換すれば電化・非電化にかかわらずどこでも運行できるのが強みではあったが、加減速性能のいい電車や気動車が台頭してくると性能の差がネックとなってくる。加減速性能が違えば列車間隔をあけなければならず、結果として線路容量が減ってしまうのだ。

特に都市部の朝夕は通勤・通学ラッシュで輸送需要が高く、輸送力の減少は大きな問題となる。いくら強力タイプのEF66形であっても電車のように走ることはできず、最高速度は時速110キロ止まり。ブルートレインは邪魔者扱いされるようになっていたのだ。

■寝台電車「サンライズ瀬戸・出雲」の登場

こうした2つの問題の解決策として、寝台電車による運行が再評価されることになった。寝台電車は国鉄時代に581系および583系が開発され、その一部は当時も使用されていた。国鉄の寝台電車は昼夜兼行で効率的な運行をめざしていたが、新たな寝台電車では夜行列車に特化し、寝台などの居住性のよさと運転性能を追求することになった。

寝台電車化の対象となったのはJR西日本の車両で運行されていた「出雲3・2号」「瀬戸」だった。両列車はJR東海の管轄区間(東海道本線熱海〜米原間)も通行し、その距離も相応に長い。そうしたことから新型寝台電車はJR東海とJR西日本の共同開発となり、285系寝台電車が誕生したのである。

1998(平成10)年7月10日、285系電車は寝台特急「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」としてデビューした。車両は指定席料金で利用できるカーペット方式の「ノビノビ座席」を除き、すべて個室寝台で編成され、その設備も住宅メーカーの協力を得て、これまでにない魅力を秘めたものとなった。

サンライズのシングルデラックスの室内
筆者撮影
サンライズのシングルデラックスの室内 - 筆者撮影

また、食堂車はつくられなかったが、「あさかぜ」や「瀬戸」での活用が始まっていたシャワールームも用意され、21世紀に向かう夜行列車としてJRの意気込みを感じさせるものだった。

サンライズのシャワールーム
筆者撮影
サンライズのシャワールーム - 筆者撮影

■285系の導入で所要時間が大幅に短縮

運転時刻は「出雲3・2号」東京21時10分発→出雲市翌日10時46分着/出雲市16時55分発→東京翌朝6時27分着が、「サンライズ出雲」では東京22時00分発→出雲市翌日9時59分着/出雲市19時06分発→東京翌朝7時12分着となった。

また、「瀬戸」は東京20時50分発→高松翌朝7時35分着/高松20時37分発→東京翌朝7時12分着が、「サンライズ瀬戸」では東京22時00分発→高松翌朝7時27分着/高松21時26分発→東京翌朝7時12分着となった。

両列車とも所要時間が大幅に短縮され、最高時速130キロ、加減速性能も優れた285系電車の性能をいかんなく発揮したのだ。

なお、「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」の東京発着時刻は同一だが、実は東京〜岡山間は両列車を併結するかたちで運転されている。需要を鑑みた施策でもあるが、列車密度の高い区間は1本の列車として走行することで、ほかの列車への影響を小さくしたのだ。

岡山駅で出雲行と高松行に切り離されるサンライズ
筆者撮影
岡山駅で出雲行と高松行に切り離されるサンライズ - 筆者撮影

■ビジネス需要ではなく、移動を楽しんでもらう

また、翌1999(平成11)年には「北斗星」のサービスアップというかたちで「カシオペア」が誕生した。こちらはJR東日本が新たに開発したE26系客車を使用している。

JR東日本の「カシオペア」用寝台客車E26系、スロネフE26側
JR東日本の「カシオペア」用寝台客車E26系、スロネフE26側。尾久―上野(日暮里―鶯谷)間にて。(写真=Sui-setz/PD-self/Wikimedia Commons)

JR東日本では将来の寝台車を模索するため、1989(平成元)年に寝台車・食堂車・ロビーカーの3両を試作している。車体の基本的な構造や台車・ブレーキなどの走行機器は「北斗星」などに使われていた24系客車に合わせ、車両形式も24系を名乗った。3両は「夢空間」と命名、「北斗星」編成に組み入れ「北斗星トマムスキー号」「夢空間北斗星」などとして運行されている。

E26系客車は新規に開発されたものだが、そこに込められたコンセプトは「夢空間」の運用経験が活かされたものと思われる。例えば、すべてA個室寝台で、しかもすべて2人用(一部、エキストラベッドにより3人でも使用可能)だった。ビジネス向けの利用は一掃し、汽車旅を楽しむ人に特化したサービスに徹したものとなっている。

ペアスイートから見える景色
筆者撮影
ペアスイートから見える景色 - 筆者撮影
食堂車
筆者撮影
食堂車 - 筆者撮影

■夜行列車史上最も多彩なサービスを展開

車体構造も吟味され、従来の鋼製からステンレス製軽量車体となった。ただし、編成両端の車両はデザイン的な制約から一部が鋼製となっている。車内サービス用の電源は20系客車や24系客車と同じく電源車方式としているが、機器室を下層に収め、上層はフリースペースの「ラウンジカー」となった。

ロビーカーの内装
筆者撮影
ロビーカーの内装 - 筆者撮影
松本典久『夜行列車盛衰史』(平凡社新書)
松本典久『夜行列車盛衰史』(平凡社新書)

1999年7月16日から上野〜札幌間を結ぶ寝台特急「カシオペア」として運行を開始したが、E26系客車は12両編成1本しか製造されなかったため、毎日運転はできず、2016(平成28)年の定期的な運行終了まで終始臨時列車の扱いだった。なお、「カシオペア」の運転開始に合わせて「北斗星」は3往復から2往復へと減便されている。

この285系電車、E26系客車という新型車両では、これまでにない個室寝台も導入された。新しい寝台としては「サンライズツイン」「シングル」「カシオペアスイート」などが登場しているが、料金もそれぞれで設定され、寝台の名称や料金区分は複雑を極めた。

このほか、先述の285系電車「ノビノビ座席」、あるいはこの時代「あかつき」に連結されていた「レガートシート」、急行「はまなす」の「カーペットカー」「ドリームカー」などもあり、日本の夜行列車史上最も多彩なサービスを展開していたことになる。

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松本 典久(まつもと・のりひさ)
鉄道ジャーナリスト
1955年、東京生まれ。東海大学海洋学部卒。幼少期から鉄道好きで、出版社勤務後、フリーランスライターとして鉄道をテーマに著作活動をしている。乗り鉄だけでなく鉄道模型や廃線などにも造詣が深い。著書に『夜行列車の記憶』『60歳からの青春18きっぷ入門増補改訂版』『軽便鉄道入門』(以上、天夢人)、『どう変わったか? 平成の鉄道』『ブルートレインはなぜ愛されたのか?』(以上、交通新聞社新書)、『紙の上のタイムトラベル 鉄道と時刻表の150年』(東京書籍)など多数。

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(鉄道ジャーナリスト 松本 典久)

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