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「なぜ私を産んで捨てた?」復縁模索する30代娘の4つの質問に"サイコパス母"の怖すぎる回答で生涯絶縁確定

プレジデントオンライン / 2024年1月27日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Koldunov

育児放棄のろくでなしの母親に代わり祖母に育てられた女性は、中学時代からそううつの症状に苦しみながらも大学を卒業。IT企業に就職すると25歳で結婚した。ある日、がんに罹患した祖母から「私が死んだらママと復縁してあげて」と懇願された女性は、母親に4つの質問をした。それに対して返ってきた言葉とは――。

前編はこちら

■大きくなる嫌悪感

関東地方在住の猫田奈理子さん(仮名・30代・既婚)の両親は猫田さんが産まれてすぐ離婚。母親は親権を得たが育児というものを一切せず、外で男と遊んでいた。絶望した猫田さんは中学生になる頃、母親の番号を着信拒否。その後、いったん着拒を解消したが、会うのは年に1〜2回にとどめた。

猫田さんは勉強に専念し、高校は進学校に合格することができた。

担任の教師から三者面談の前に、「お母さんがいるならお母さんに来てもらってください。共働きの方でも皆さん何とか都合をつけてもらって、両親のどちらかに来ていただいてるのでお願いします」と言われる。

やむなく電話で頼むと母親(当時37 歳)は渋々了承した。

ところが、三者面談の当日、約束の時間を過ぎても母親は現れない。携帯電話に連絡すると、怒った調子で「今向かってる!」と言い、やって来るなり怒鳴り散らされた。

「あんたの三者面談のために会社(IT系に派遣社員として勤務)を中抜けしようと思ったら、上司とけんかになって会社辞めることになったわよ! 会社辞めてまで来てやったんだから、急かさないでくれる?」

20代の初めから腎臓病を患っていた母親は、通院や海外旅行で有休を使いすぎて休みが取りづらくなっていた。三者面談のために中抜けしようとしたところを上司に咎められ、カッとなった母親は、「だったら辞めてやるわ!」とたんかを切って出てきたのだった。

「三者面談のことは何カ月も前からお願いしていましたし、通院は仕方がないとしても、休みが取りづらくなるほど有休を使って旅行に行くのをやめたらいいだけなのにと思いました」

これを機に母親は本当に会社を辞めてしまい、八つ当たりのメールを祖母に送り付けてきた。一連の行為に対して母親に怒りを覚えた猫田さんは、母親に電話をかけるとこう言った。

「あんた、お祖母ちゃんに逆ギレして頭おかしんじゃないの? もう私大きくなったし、あんたのことは必要ないから二度と会わなくていい!」

面食らった様子の母親は祖母を悪者にして反論していたが、猫田さんは「頭のおかしい人が何か言ってるわ」と思い、容赦なく電話を切った。

■母親に会いたくない

大学に推薦で入学することができた猫田さんは、「大学からは親が必要な行事がないから、親のことでもう悩むことないね」と言って祖母と喜んだ。

しかし、成人式の前撮りの日。祖母と着付けに行った猫田さんは、約3年ぶりに母親と再会。どうやら成人した猫田さんを母親に見せてあげようと気を回した祖母が、猫田さんの了承を得ずに母親を呼んだらしい。

「もう会いたくない」と思っていた猫田さんは、「何で勝手に呼ぶの?」と思い、その後3人で食事に行ったが、早く帰りたいとさえ思っていた。

やがて大学を卒業した猫田さんは、IT系の会社に就職。就職前に祖母と母親と3人で食事をしようということになったが、猫田さんは乗り気でなかった。それでも、「ママもIT系の仕事をしているのだから、少しは参考になるかもしれない」と思い、渋々参加。

しかし成人式の前撮り以来の母親は、同棲中の彼氏ののろけ話ばかり。うんざりした猫田さんは、祖母に「早く帰ろう」と耳打ちして早めに退散した。

同じ年、友達の結婚式に出席した猫田さんは、友達が涙ながらに読み上げた両親に向けての感謝のメッセージを聞き、育った家庭環境の違いを突きつけられた。

「私も彼女のような“普通の家庭”に産まれたかった。うちの母のような女の元に産まれてきたくなかったと思い、孤独感に打ちのめされました」

ブランコに乗る少女の影
写真=iStock.com/AlexLinch
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch

■結婚と再婚

社会人2年目の春に異動があり、9歳年上の男性と知り合った。彼は成人後に両親を亡くしており、お互いに両親がいないという共通点もあり互いにひかれていった。約1年後に結婚が決まったが、目立つことが嫌いな2人は結婚式はせず、猫田さんは母親に結婚の報告をしなかった。

だが、祖母が母親に結婚したことを伝えると、間髪入れずに自分も長年同棲していた彼氏と再婚。理由を聞くと、「本当はもっと早くに再婚したかったが、自分ばかり幸せになるのは悪いので、奈理子が結婚するまで待ってやった」とのこと。さらに、彼氏からは長年子どもをつくろうと提案されていたが、猫田さんに遠慮してつくらなかったと言い放つ。

「母には子どもは育てられないからつくらなかっただけだと思います。恩着せがましく言われましたが、私の結婚に対するお祝いの言葉も御祝儀もありません。私はこれまで、入学祝いも成人祝いも就職祝いも、母からお祝いの言葉はもちろん、金品をもらったことは一度もありませんでした」

■社会人3年目の休職と母親とのバトル

社会人3年目。猫田さんは職場の人間関係に悩み始めたことがきっかけで体調を崩し、心療内科を受診した。医師は、「産まれてから現在までのこと、おおよそでいいので話してもらえますか」と言う。

猫田さんは幼少期のことや母親のことなどを話し、実は中学生くらいの頃からそううつのような症状があることを伝える。

すると医師は、「あなたが精神的に不安定になりやすかったり、そううつのような症状が出たりするのは、幼少期の生育環境やストレスが関係していると思います」と言った。

医師は、「適応障害」の診断書を書き、猫田さんは、3カ月間の休職と異動が決まる。3カ月後、職場に復帰してしばらくすると、祖母から曾祖母が亡くなったという知らせを受ける。

夫とともに葬儀に参列した猫田さんは、会場で母親と顔を合わせた。

「はじめまして。何もしていない母親です」

母親はそう言って猫田さんの夫に挨拶。猫田さんから話を聞いていた夫は、一瞬絶句した後、挨拶を返した。葬儀が終わり、会食が始まると、母親は親戚たちに、「今度私の夫をみんなに紹介するわね」と求められてもいないのに夫の話をし始める。

「おそらく私が夫を連れてきたので、対抗したのだと思われます。母は昔から誰に対しても負けず嫌いでした……」

毒母の多くは娘に対抗心を燃やす。猫田さんの母親も例外ではなかった。

■祖母のがんと母親との復縁

復職から1年半後、激務に耐えられなくなった猫田さんは27歳で退職し、アルバイトを始めた。

73歳になっていた祖母は、猫田さんが社会人になった年に初期の大腸がんが見つかり、すぐに手術したため完治していた。しかしその後の定期検診の胸部CTで、肺にがんらしき影が見つかり、再検査となる。

それを聞いた猫田さんは、食べ物も喉を通らないほどに心配し、体重が落ちていく。そんな中、祖母は言った。

「まだ確定じゃないけど、お祖母ちゃん、近いうちに死んじゃうかもしれない。もしお祖母ちゃんが死んじゃったら、難しいかもしれないけど、ママのことを許してあげて……」

大切な祖母の頼みを無下にできなかった猫田さんは、母親(当時50歳)との関係を修復できるかどうか判断するために、2年ぶりに電話してみることにした。

電話に出た母親は、再検査になった祖母のことを多少は心配している様子。そして本題を切り出す。

「お祖母ちゃんからあなたとの関係を修復してほしいと言われたので、今日はそれができるか判断するために電話しました。質問をするので答えてください」

猫田さんが長年聞きかったことを全部伝えた。質問と母親からの答えは以下のようなものだった。

・なぜ育児放棄したのか?
回答:若気の至り。(育児放棄の自分を見て)祖父母が出て行けと怒ったから仕方なく出て行った

・2回目の離婚をした後、祖母に「みんなで私を育てよう」と提案されたのになぜ出ていったのか?
回答:祖母と性格が合わないので、一緒に暮らしたくないし、育児もしたくなかった

・今まで好きなことだけして生きてきて楽しかったか?
回答:楽しかったが奈理子に悪いことをしたとは思っている。反省しているのでこれからは仲良くしたい

・奈理子に悪いことをしたと気付いたのはいつか?
回答:水商売を辞めてIT系の会社で派遣として働き始めた30代前半の頃。同年代の同僚が働きながら一生懸命子育てをしているのを知り、自分がしたことの重大さに初めて気付いた

ここまで聞いた猫田さんは、「この人と復縁することは無理だ」と思った。

机の上に置かれた受話器
写真=iStock.com/kudou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kudou

「50代になり、多少はまともになった気がしましたが、自分の非を認めないところや言い訳ばかりするところは変わっていません。でも母は、私に許してもらって仲良くしたい様子だったので、祖母のためにもいったんは表面上だけ仲良くするフリをし、いつか復讐のために、今度は私のほうから母を捨ててやろうと思いました」

猫田さんが「復縁できるか検討します」と言って電話を切り上げようとすると、母親は、「今日の電話で納得できなかったら、納得できるまで何度でも電話してきていいからね。私はいくら責められても構わないし、いくらでも話を聞くよ」と言った。

■猫田家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

テレクラで出会い、中絶するしないでもめ、デキ婚をした挙げ句、結婚から5カ月で離婚した猫田さんの両親は、短絡的思考極まりないと言わざるを得ない。

その後母親は育児放棄し、父親は養育費を振り込まなくなり、猫田さんは祖父母に育てられるわけだが、若い祖父母とはいえ、やはり親ではない。幼稚園の時は他のお母さんたちの集まりに入れてもらえず、学校に上がってからは親がいないせいで猫田さんは肩身の狭い思いをした。三者面談の際には「親がいるなら親に来てもらってください」と言われ、祖母はとても苦労していたし、猫田さん自身は深い傷を負った。“親がいない”というだけで、猫田家は社会から浮いた存在になっていた。

また、これまで猫田さんの話を聞いていて、祖父母は常識的で愛情深い人たちのように思えるが、どうして母親はこうも自己中心的で非常識な性格になってしまったのか不思議だった。たずねると、猫田さんはこう答えた。

「母の兄、私にとっての伯父は、私から見ても祖母似で、母は祖父似です。実は祖父母は若い頃から仲が良くなく、祖父は母の兄である伯父には厳しく接し、時には暴力もふるっていたそうですが、母のことはとてもかわいがっていたそうです。まだ母と伯父が子どもの頃、夫婦げんかをした後、祖母は思わず腹いせに、『あんたはお父さんに似てかわいくないけど、お兄ちゃんは私に似てかわいいわ!』と言ってしまったことがあり、祖母はとても反省しているのですが、母はそれ以降、ずっと祖母を恨んでいるようです」

そうなると祖父に暴力をふるわれていた伯父もその後、悩みやトラブルを抱えてもおかしくなかったが、そうはならなかったようだ。猫田さんは言った。

「母は、サイコパスなのだと思います。母自身も、『自分は普通の感覚がないサイコパスなんだと思う』と言っていました」

では、家庭にタブーが生まれる3つめの要素と考えられる「羞恥心」はどうか。

■母親の正体

幸いなことに、祖母の肺の影は、がんではなかった。

猫田さんは安心するとともに、祖母が元気なうちにひ孫を見せてあげたいと思い始める。やがて妊活、不妊治療を経て、コロナ禍に妊娠。無事息子を出産した。

「産後、母から『今まで何もしてあげられなかった分、赤ちゃんのお世話のお手伝いなどいろいろしてあげたいと思っています』というLINEが来ましたが、かけがえのない大切な息子のお世話を、子育て経験も責任感もない母に任せるなんてことは、とてもじゃないけどできないと思いました」

そして案の定、出産祝いはなかった。「お金がない、お金がない」と口癖のように言う割には、コロナ禍でも構わず、年中旅行に出かけていた。

祖母のがんの疑いも晴れ、自分が母親になったことにより、より強く自分の母親が“毒母”だったということを実感し始めていた猫田さんは、息子が2歳になろうとしていた頃、母親との絶縁を決意する。

母親に電話をかけると、中学の頃からそううつ病を患っていたこと、自分が母親になったことで実感した母親の“クズっぷり”など、これまで三十数年間ずっとため込んできたことを一気にぶちまけた。

すると母親は、意外にも自分がクズであることを認め、「実の娘や両親、親族全員に縁を切られて孫にも一度も会えず、腎臓病が進行し、心臓もやられ、旅行どころか仕事にも行けなくなり、在宅で何とかやっているが、今絶望の中にいてとても反省している」と答えた。

そこで猫田さんは畳みかけるように言う。

「自分が悪いことをしてきたと本当に反省しているなら、私の養育費を全く払わず祖父母に出させた分、お金がある時でいいから孫のために入れてほしい」

それを聞いた母親は、始めはうなずいて反省の弁を述べていた。しかし徐々に様子がおかしくなり、

「孫にお金を入れろって脅迫よ。裁判所からの命令なら払うから、私の育児放棄のせいで精神病になったって言って訴訟しなさいよ!」

と数分前とは真逆のことを言い出した。

猫田さんは唖然としつつも、「今は息子の成長にとって重要な時期だから育児に注力する。時間ができたら絶対に訴訟する」と言って電話を切った。

外した仮面の下にも仮面をつけている人
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

「母は人の血が通わない“サイコパス”であり、頭もチンパンジーより多少マシなレベルなのでまともな会話をすることは不可能であると判断し、“お猿さん”に時間や労力を使うより、かけがえのない息子の成長をしっかり見守ることにしました。両親に捨てられた私を実の娘のように引き取り、愛情を持って育て、大学まで行かせてくれた祖父母にはとても感謝しています。これからは、心の病の治療と大切な息子の子育てに専念して、前を向いて生きていこうと思います」

■幸せな家庭を築くことが育児放棄した母親への一番の復讐

このとき猫田さんは完全に母親を見限った。いつしか「ママ」と呼ばれなくなった母親は、最終的には“お猿さん”とみなされた。娘が母親を捨てたのだ。そこには「羞恥心」を超えて、強烈な「嫌悪」や「憎悪」の念が感じられる。

猫田さんは、祖父母がいなかったら乳児の頃に命を落としていただろう。そもそも、猫田さんの両親のように短絡的で責任感のない人間が子どもをもうけるべきではなかったのだ。猫田さんが母親を恨む気持ちは分かるが、一方で母親と離婚後、猫田さんに会おうとしなかった父親の在り方にも疑問を感じる。

旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)
旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)

日本では昔から、離婚調停ではよほどのことがない限り母親が親権を取り、子育てに問題が生じれば、両親がそろっていても母親ばかりが責められる。だが、子どもは母親だけで産まれるものではない。女子高生が人知れず出産し、嬰児を死なせてしまう事件も然り。相手の男性が罪に問われないのはおかしい。両親の婚姻や親権の有無にかかわらず、自分の子が成人するまでは、父親も母親も同等の責任と養育する義務を負い続けるべきではないだろうか。

現在、30代前半となった猫田さんは、そううつの症状と向き合い、心療内科に通いながら「子育てを楽しんでいる」という。昨年からは、過去と決別し、前に進むために、Xとブログに半生を綴り始めた。

毒親本人に恨みや怒りをぶつけることは、毒親育ちの人が毒親の呪縛から解き放たれるためにとても有効な方法だと言われている。猫田さんが親の呪縛から解き放たれ、夫と息子に囲まれた幸せな家庭を築くことこそが、育児放棄した母親への一番の復讐(ふくしゅう)となるのではないだろうか。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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