なぜ日本にはCIAのような「情報機関」がないのか…日本のインテリジェンスが立ち遅れた根本原因
プレジデントオンライン / 2024年3月8日 7時15分
■「日本版CIA」が誕生していたかもしれない
戦後の日本で最初に政府直属の情報“部門”が作られたのは、1952(昭和27)年のこと。
第3次吉田茂内閣で発足した「総理大臣官房調査室」だ。しかし、それを発展して内閣官房直属に独立した情報機関を作ろうとした人物がいた。緒方竹虎・自由党総裁である。
緒方はもともと朝日新聞の幹部記者で、戦前に主筆を長く務めたが、退職後、大戦中に国務大臣兼情報局総裁に就任。終戦後は公職追放を経て政治家になり、吉田茂政権で内閣官房長官、副総理を歴任した。
緒方は官房調査室設立にも関わっていたが、吉田政権で要職を得たことで、日本版CIA設立構想をいっきに進めようとしたが、国民世論の反発が大きく、頓挫する。緒方は吉田退陣後の自由党総裁になり、保守合同後に総理就任の予定だったが、直前に病死した。もしも緒方が政権に就いていたら、日本版CIAが誕生していた可能性もある。
■世論は政府が「裏の組織」を作ることに大反発
いずれにせよ緒方が生前に進めようとしていた日本版CIA構想が実現しなかったのは、国会(野党)とメディア、つまり世論の大きな反発があったからである。当時はまだ戦前・戦中の記憶が新しく、政府内に強力な「裏の組織」を作ることに反対論が大きかったのだ。また、旧内務官僚中心の構想には、外務省の反発もあった。
その後、1957(昭和32)年に岸信介政権が「内閣調査室」を設立するが、規模はきわめて小さいものに留まり、独立した情報機関と呼べるものではなかった。冷戦時代、左翼系野党やメディアの力は強く、情報機関設立の機運は高まらなかった。
その代わりに日本では、防諜を担当する警察庁が情報部門を主導した。内閣調査室長は警察官僚ポストであり、同室の国際部門主幹も警察官僚が押さえた。防衛省(当時は防衛庁)の通信傍受機関である陸幕調査部別室(現在の情報本部)の電波部長も警察官僚が押さえた。警察庁では警備局から外事部門の要員を警備官や書記官として在外公館に派遣するとともに、日本赤軍などの国際テロリストを追う要員を、警備局調査官室から長期出張の形式で国外に派遣したりもした。
■情報活動の重要性を認識していた2人の首相
他方、外務省と防衛庁(当時)は、人的インテリジェンス(ヒューミント)のような活動はほとんど行ってこなかった。また、日本政府の情報部門としては、法務府特別審査局(特審局)を改組した公安調査庁があり、旧軍の憲兵隊や特務機関のOB、あるいは内務省の特高警察のOBなども参加したが、日本政府内ではあくまで旧内務官僚主導の警察庁の権限が強く、公安庁は傍流扱いされた。
このように、戦後日本のインテリジェンスは警察主導で、あくまで防諜がメインだったが、冷戦が終盤に入ると、それまでの左翼陣営の力が国内でも弱まってきたこともあり、政府の情報機能の強化がときおり行われるようになった。なかでも大きな動きは、中曽根康弘政権の時だ。1986(昭和61)年、各省庁の情報部門の定例会である合同情報会議が作られた。内閣調査室も現在の内閣情報調査室に改編されている。
ただし、中曽根政権が終わると、情報機構改革の動きもほとんど止まる。次に動きがあったのは、その10年後の1996年から1998年の橋本龍太郎政権時で、内閣情報調査室に内閣情報集約センターが設置されたり、合同会議の上部機構として次官級の内閣情報会議の設置が決まったりと、情報活動の強化が図られた。これらはいずれも、中曽根首相と橋本首相が自ら、政府の情報活動の重要性を認識していたから実現したことだ。
■安倍首相も対外情報機関の設立を目指した
その後、情報活動の強化に取り組んだのが、2006年に発足した第1次安倍晋三政権である。こうしてみると、日本政府の情報部門の改革は、まさに10年ごとに動くということが繰り返されてきたことがわかる。それは逆に言えば、たまたま情報を重視する政治家が首相ポストに就任し、改革を進めても、その後の10年は進まないということでもある。
第1次安倍政権では、官邸に情報機能強化検討会議やカウンターインテリジェンス推進会議が設置され、前者の中間報告では「対外情報機関の設立」が盛り込まれた。
安倍首相の辞任を受けて発足した福田康夫政権は情報機関設立路線を取り下げたが、それでも2008年に内調に内閣情報分析官を新設したり、カウンターインテリジェンス・センターを設置したりした。福田政権時にこの安倍路線を引き継いだのは、同政権の町村信孝官房長官である。町村氏も、情報の重要性を指摘してきた数少ない有力政治家だった。
■外務省と内閣官房に2つの組織が同時創設
その後、2012年に発足して長期政権となった第2次安倍政権は、政治的に難しい情報機関創設には手を付けなかったが、情報活動の強化を進めた。2013年には機密情報を保全するための特定秘密保護法を成立させ、翌年、施行した。
2015年には内閣情報官の統括下に内閣官房国際テロ情報集約室、外務省に国際テロ情報収集ユニットを創設し、2018年には国際テロ情報集約室に国際テロ対策等情報共有センターを創設した。
このように安倍政権では、いろいろと面倒な手順が必要な独立組織の新設は後回しにし、それより既存の制度の積み増しで実質的な情報機能強化を実現した。2021年4月、首相を退いた安倍氏がYouTube番組に出演した際に「情報機関を作るべき」と提案したのは、こうした経緯のうえでの発言だった。
2015年12月に同時に創設された外務省の国際テロ情報収集ユニットと、内閣官房の国際テロ情報集約室は、まさに日本の情報機関の萌芽のような組織でもある。その意味では日本政府の情報機構改革では画期的なことでもあった。これも振り返れば、前回の第1次安倍政権での情報機構強化改革のスタートから10年弱後のことだ。
■最も情報機関に近い「国際テロ情報収集ユニット」
内閣官房の国際テロ情報集約室は、官邸幹部や各省庁、諸外国との調整などを統括するが、実際には、情報の集約と分析は外務省総合外交政策局の国際テロ情報収集ユニットが行う。ところが、実は同ユニットのスタッフは内閣官房テロ情報集約室員の身分も兼務しており、実際には首相官邸が直轄している。
内閣官房テロ情報集約室員の建前上の室長は内閣官房副長官だが、実質的には室長代理である内閣情報官が統括している。つまり、内閣官房の内閣情報調査室が中心になって、組織上は外務省に置かれた新規の情報セクションを動かしているのだ。
この国際テロ情報収集ユニットは、2014年にシリアで日本人2名が拉致された事件を契機に、イスラム系テロの脅威が日本国内でも注目されたことがきっかけで、2016年の伊勢志摩サミットや2020年予定だった東京五輪への警戒が至上命題とされたなかで創設された。
それまでの日本政府には、米国CIAなどのような長年のパートナーの場合は内閣情報官とのルートもあるが、テロ情報は米国からのものだけでは不充分だ。とくにテロ容疑者が活動している中東や南アジアなどの国々の情報機関と関係を作れば、米国経由以外の情報も入手できる。その価値は非常に大きい。
■内部では外務省と警察庁の主導権争い
同ユニットは「中東班」「南アジア班」「東南アジア班」「北・西アフリカ班」の4つの班で発足し、後に「欧州班」が追加された。それぞれ在外の日本大使館にスタッフを常駐させ、出先国の情報機関との接触を日常的に図るととともに、日本の本部でも国際テロの情報を総括的に分析している。
ただ、日本の「霞が関」の面倒なところは、政府内に新たな組織を編成する時に、しばしば省庁間で主導権争いになることだ。この国際テロ情報収集ユニットは約90名の陣容で発足したが、メンバーをみると、外務省と警察庁がそれぞれ約4割を出し、残りを内閣情報調査室プロパー、防衛省、公安調査庁、海上保安庁、出入国在留管理庁が出している。
また、同ユニットから在外公館に派遣される要員も、警察庁と外務省でほぼ同数を割り振り、残りを他省庁出向者で分けるように調整されているようだ。このように、明らかに外務省と警察庁の主導権争いの構造になっているのである。
結局、同ユニットは外務省総合外交政策局に置くが、ユニット長は警察官僚ポストとなった。そして、実際には内閣情報官の統括で、内閣官房が指揮する。つまり警察庁と外務省のバランスが配慮された組織になったのだ。今後、もしも新たな情報機関設置の議論が進んだとしても、この省庁間の主導権をめぐる問題はついて回るだろう。
■強い政治的リーダーシップが必要だが…
なぜ日本では情報機関を作ることできないのか、を考えてみたい。
ひとつには、前述したように、各省庁の主導権をめぐる問題がある。冷戦時代から政府の対外情報活動をめぐっては、外務省、警察庁、防衛省(防衛庁)、公安調査庁の確執があった。新たな活動を始める時、新たな組織や部門を作る時、どこが主導権を握るかで互いに牽制し合うのだ。
そうした省庁間バランスの問題は国際テロ情報収集ユニットの件でもみられたように、現在も残っている。政府に新たな組織を作るとなれば、もちろん大きな予算編成も必要で、そこは財務省を中心に抵抗もあるだろう。
筆者は日本政府の安全保障やインテリジェンス部門の関係者とこうした議論をしたことが何度かあるが、情報機構の強化にはほぼ誰もが賛成するが、それをどうやるかでは各人の考えはかなり違うという印象を持っている。
実際には、そうした省庁間の垣根を取り払う強い政治的リーダーシップが必要になるが、それもあまり期待できない。そのため、専門の情報機関の創設は日本では「どうせ無理だろう」と考えている人は、筆者の知るかぎりでも、多い。
■中国の脅威が高まる中、逆風は弱まっている
政治家サイドでも、熱心な議員は少ない。これまでみてきたように、情報機構の改革は、中曽根康弘、橋本龍太郎、町村信孝、安倍晋三といった、情報の重要性を認識してきた政治家が要職に就いて初めて前進してきた。
しかし、そうした政策は議員個人にとってみれば、地元での得票に結び付くわけでもなく、旨味がほとんどない。それどころか、霞が関の官僚の反感を買う可能性もあるし、さらに地元で旧来の反権力サイドからの批判が高まることも考えられる。政治的にリスクが高いのだ。
ただ、情報機関の新設は難しくても、とくに中国の脅威が高まっているなかで、情報機構の強化をさらに進めることの必要性は広く認識されている。メディアや国民世論の一部には、国家権力の強化に反対する声もあるが、かつてほどではなくなっている。
秘密の活動を行う以上、すべての情報を公開することはできず、100%の透明性担保は不可能だが、その懸念を減らすチェック機能を整備することを前提に、情報活動の強化は必要だ。
■政府の秘密活動を暴走させないアイデア
単に政府に反対ということになれば、安全保障が犠牲にされることになりかねない。
もちろん日本は中国や北朝鮮やロシアのような国ではないので、情報保全にしろ、政府の情報活動にしろ、政権の権力維持の道具に使うのは許されない。したがって、政府の秘密活動にも、暴走させないように監視する仕組みは欠かせない。
米国では、上下両院の情報特別委員会などがその役割を担っており、機密情報については非公開での審議も行われる。日本でも当然、そうした監察制度をしっかりと構築すべきだろう。
たとえば国会にチェック機能を持たせるとか、司法による監察の仕組みを導入するとか、現場の暴走を防止するために政府内での監督を厳格化するとか、すぐには難しいかもしれないが、さまざまな案を持ち寄って議論することは有意義だろう。
また、これは筆者の思い付きレベルの私案だが、後々の責任追及が可能なように秘密活動の立案・許可の経緯と担当の責任者名を記録に残すことを義務付けるのはどうだろうか。筆者のこれまでの取材経験では、国家機関の権力乱用を牽制するのに、個人の責任を明確にするのはきわめて有効だと思う。
■まずは国際テロ情報収集ユニットの強化を
いずれにせよ、今般の東アジア情勢を鑑みるに、日本の情報力強化は急務だろう。霞が関の組織文化からすれば、既存のシステムの積み増しがたしかに現実的かもしれないが、日本だけが専門の情報機関を持たないというのは、やはり制度的な欠点であり、弱点である。
もちろん賛否両論あってしかるべきだが、日本の情報機構の強化について、さらなる議論を望みたい。なお、内閣情報調査室を大幅に拡充して新たに日本版CIAができたらそれに越したことはないが、前述したように日本の官僚制度では急な実現は難しいので、黒井案として以下の2つを提起したい。
①内閣官房直属で形式的には外務省総合外交政策局の下という建付で創設された国際テロ情報収集ユニットを、現在の100名弱から倍増し、権限強化し、実質的な対外情報収集組織とする。
②法務省外局の公安調査庁から国内公安情報部門を撤廃し、対外情報分析専門の組織とする。
以上は単なる私案だが、ウクライナや中東で起きていることは対岸の火事ではない。さまざまなレベルでの議論を切に希望する。
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軍事ジャーナリスト
1963年生まれ。横浜市立大学卒業。週刊誌編集者、フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(特にイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。著書に『イスラム国の正体』(KKベストセラーズ)、『イスラムのテロリスト』『日本の情報機関』(以上、講談社)、『インテリジェンスの極意!』(宝島社)、『本当はすごかった大日本帝国の諜報機関』(扶桑社)他多数。近著に『プーチンの正体』(宝島社新書)がある。
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(軍事ジャーナリスト 黒井 文太郎)
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