還暦すぎて雑務忙殺で体はヘトヘトボロボロ…キツイ仕事を引き受けた63歳の心が晴れ渡り希望に満ちる理由
プレジデントオンライン / 2024年3月16日 11時15分
■なぜ、縁の下の力持ちの63歳が胴上げされたのか?
日本体育大学(以下、日体大)ラグビー部部長、松瀬学(63歳)は涙腺が緩んだ。
2023年12月17日、埼玉県熊谷ラグビー場。関東大学対抗戦グループの1、2部入れ替え戦で日体大は成蹊大を破って1部復帰を果たした。
勝利の後、グラウンドに降りたら真っ先に胴上げされた。「勝って涙を流したことはなかったけど、あの時は……」
その後もしばらく歓喜の輪は解けることはなかった。
松瀬は福岡の修猷館高校から早稲田大学に入学。ラグビー部でも活躍し、卒業後は共同通信の記者としてオリンピックはじめ多くの種目を取材した。2002年に退社した後はノンフィクション作家としてスポーツ界の問題点をえぐる著作を発表している。その功績に目をつけたのが、日体大だった。
2018年、スポーツマネジメント学部ができたときにラグビーワールドカップ組織委員会の広報戦略部長を辞して、同学部の専任の准教授(のちに教授)になった。
早稲田ラグビー部の現役だった時は、日体大はいわば、ライバル。倒すべき相手だった。当時は強豪だった。大学日本一になったこともあるし、綿井永寿という後に学長にまでなったカリスマ指導者がいた。
ラグビーは楽しいものだ。松瀬にとってラグビーはそれ以外にない。
「現役の時、毎日の練習はつらかったですよ。スクラムはきついし、タックルも痛い。でも、勝てばすべてが楽しかった記憶になるんですよ」
早稲田が大学日本一になったときだけに歌うことが許される歌がある。「荒ぶる」という部歌だ。早稲田ラグビーは、と尋ねたときにこう話した。
「クレイジー・フォー・ビクトリーだと思ってるんですね。クレイジー、荒ぶる、です。勝利のためにとことん考えて、とことん練習し努力する。倫理を備えた狂気なんです」
勝利への執着心にほかならない。
■日体大ラグビー部再建に早稲田、慶應、東大OBが手を差し伸べた
その勝利の追及は日体大も変わらないはず。しかし、今の日体大のラグビー部員にそうした熱い気持ちはあるのか。屈辱の2部落ちをした1年前(2022年シーズン)、部員に聞くと「楽しくないです。下部落ちで雰囲気も悪い」と話した。日体ラグビーは明らかに苦境に立っていた。伝統あるチームは崩壊寸前だった。
ちょうどその頃、学内人事異動でラグビー部長が変わるタイミングで松瀬に白羽の矢が立った。
「ラグビーが好きなら受けてくれないか」
クラブを統括する学友会(体育会)の会長の依頼だった。しかし一方では“松瀬さん、大変だから引き受けないほうがいい”という声も何人かの部長仲間から届いていた。多くの人がチーム再建は困難という見方だったわけだ。
「まさに青天の霹靂でした。2度、お断りしました。それまでは日体大のラグビーとは距離を置いていましたから」
日体大の部長の仕事は渉外対応、リクルーティング、予算の執行、学生の就職のフォローなど多岐にわたっていて、しかもボランティアだ。はたから見ても、それは明らかに雑務であり激務である。日常の教授としての研究や講義の準備の時間も削られるし、ジャーナリスト活動もわきに追いやられる。
帝京大の岩出雅之総監督、関東学院大の春口廣元監督ら著名な日体大OBに相談した。
「松瀬さんだからこそ、やってくれ。ジャーナリストでいろんなシーンを見てるだろうし、多くの人とのつながりもあるだろうし。そんな経験が生きる。再建をするのには向いていると思いますよ」
ラグビー界の大先輩らはそう言って手を差し伸べた。早稲田のラグビー部OB会長、豊山京一にもざっくばらんに電話をかけた。
「そりゃ、受けたほうがいいよ。ラグビー界のために松が頑張るのは早稲田にとっても名誉なこと。やったらいいんじゃないの」
同郷の先輩にも背中を力強く押され受ける決断をした。学生時代に散々タックルを見舞ってきたライバルチームの責任者に就く。伝統校のOBが別の伝統チームの部長になるということは大学ラグビー界ではふつうはありえない話だ。
日体大関係者もすんなり受け入れられることではなかったのだろう。ある時、年輩の日体大のOBが部長室に来て言った。
「松瀬部長は日体のこと知ってますか」
現役時代、試合はしたがそれ以外は知る由もない。
「知らないなら黙って1、2年、観察してください」
余計なことを何もしないでくれということだろう。だが、3年もしたら教授の定年になる。たとえその間、現状維持だったとしてもそれは後退を意味する。それがスポーツの世界というものだ。このチームで何もしなければ、さらに沈んでいくだけだろう。
早稲田のOBに任せなきゃいけないなんて……という長老OBの嘆きは理解できる。しかし、とにかくできることから手を付けた。
「部長のミッションの根本は安心安全な活動環境作りですよね。学生たちのウェル・ビーイング。心身の健康ですよ。ここの改善に徹しようと」
現場の技術指導は監督、コーチに任せて環境改善をやる、と心に決めた。学生のウェル・ビーイングのための優先順位、初夏にまず取りかかったのは寮のリフォームだ。
狭くて古い建物全体の壁の塗り替えをするなど共有部分をきれいにした。高校生が進学先の候補として見に来ても、親がちょっと、ここでは、と敬遠する人もいたらしい。そんな寮はスポーツ以前の問題だ。大家にも賛同をもらってお金をかけて、4人部屋20室、住みやすいきれいな寮にした。
■しんどい下働きが「僕のメンタリティに合ってるんですよ」
前の年の試合のビデオを見ると、信じられないくらい弱いことを認識させられた。帝京、早稲田、明治、慶應などとの試合で取ったトライは全部でたった7本だったが、取られたトライは100本ほどあった。松瀬は「あれじゃあ学生がかわいそうだ。ワンサイドばかりで、選手はつらかっただろうな」と思ったという。
最近の日体大には致命的な弱点があった。ラグビーの基本であるタックルができていないのだ。相手選手が猛スピードで、もしくは華麗なステップで突進してくる。その腰や太もも、膝あたりに両手で突っ込み、倒す。走ってそれを何度もやる。それはキツイ作業だが、勇気も求められる。タックルしなければ、簡単にトライを許すことになる。
弱点はもうひとつ。体力のなさだ。実はけが人が多かった。その数、1シーズンでのべ百何十人にのぼる。95人の部員を上回る数字だった。
「ケガが多いのは、体が弱いということ。今のラグビーの流れはフィジカルバトルになっている。からだ作りは、筋トレに加えて睡眠。それに朝昼晩の3食が重要です」
丈夫な体を作ることが急務だ。松瀬が学生に聞き取り調査をすると、昼食を食べていないこともあることが判明した。朝と夜はラグビー部が大学の食堂での有料提供をしているが、昼は各自に任せている。ところが、お金や時間にゆとりがないからコンビニのカップ麺で済まさざるをえないといった理由で昼食がおろそかになっていた。
「こんな状況じゃ戦える体にはならないな。栄養ある昼飯を食わせたろうと」
部で昼食を無料提供できないか。そんなことを考えたが、金がない。予算が厳しい。寄付を募れないだろうか。試しに一部のOBにお願いをしたら、猛反発を食らった。
「(学生は)金は他に使ってるんだろう、昼飯ぐらい、自分たちで払わせろ」
そういう見方もあるだろう。しかし、金がないんだから昼飯が食えない、という物理的な問題だ。OBの反対を押し切って、寄付金集めを決行した。
すると保護者たちは協力してくれた。説明を尽くしたことで日体OBも納得して寄付してくれた。また苦労を聞きつけた早稲田の同期、前後の世代のOBや慶應、東大の友人からも届いた。他の大学の関係者が日体大の昼食代を出すという珍しい結果だが、300万円ほど集まった。昼食予算を確保することができた。
入れ替え戦で勝って1部に戻れた時、松瀬はホームページの日記にこう書いた。
<ふっきメシ(1部復帰必勝メシ)>
このスタミナ昼食が部員の体力を確実に向上させ、けが人も減った。2部に落ちた昨シーズンは体重を測ると公式戦当初と終わりとでは平均で2、3キロ落ちていた。今シーズンは2キロぐらいアップしていて、効果が見られた。
■なぜ、2部に落ちた日体大ラグビー部が即1部復帰できたか
他にもレスリング部との合同トレーニングやトレーナーをつけて科学的に分析してやるなど、練習内容も見直した。練習試合の数も増やした。
2023年、最大の目標だった一部復帰を果たした入れ替え戦の懇親会でキャプテンを含む部員は、「今年は楽しかったです」と言った。松瀬にとって走り切った一年間への最高の労いの言葉だった。自分が学生時代に宿敵・明治に勝った時とはまた違った種類の感動を覚えた。
現役時代の早稲田の同期には当時の大学ラグビーの人気絶頂期のスター選手がいた。その中で自身のポジションはフォワードのプロップ。スクラムの重責を担う屋台骨だが、チームの中では圧倒的に地味な存在だ。
部長という立場も裏方だ。戦術を練ることもない、技術指導もしない。ひたすら激務をこなす。還暦もとうに過ぎて、しんどい下働きをすることを厭う向きは多いはずだ。だが、松瀬は自分に言い聞かせるように言うのだ。
「僕のメンタリティに合ってるんですよ」
世田谷キャンパスのエントランスに「チャンスの像」と名付けられた銅像がある。ラグビー選手がパスを出そうとする瞬間を切りとったものだ。
「この像にはトライゲッターより、チャンスメーカーたれ、という言葉が重ねられていて、ラグビーだけではなくて、日体大の全体のアイデンティティを表しています」
この精神も自分に当てはまる、と松瀬は言うのだ。
24年度は週に10コマの講義を受け持ち、各20人の3、4年生のゼミも担当する。マスコミ経験者という人脈を生かし、ゼミは就活にも有利と評判で人気があるという。
教授という本職がありながら、「時間の9割がラグビー部の部長の仕事に割かれて、へとへとボロボロ。この1年で体重は10キロほど落ちた」と笑う。
だが本心は、リタイアする同期も多い中、新しいポジションに迎えられ、新しい出会いがあって新鮮な感動を味わっている。自分を頼ってくれる若者たちになんとか報いたい。
新シーズンの目標は大学選手権初戦突破だ。まずは同選手権出場。そのためには対抗戦グループで5位以内に入る必要がある。地力のある筑波大か慶応大に勝たないと難しい。
「一歩ずつ、上がっていけたら」
地道にサポートに徹したその先にある夢を勝手に想像してみる……それは帝京大と並ぶ超強豪である母校・早稲田を倒すこと、だろう。(文中敬称略)
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フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーランスライター 清水 岳志)
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