300棟以上の湾岸タワマンが傾き続けている…ブラジルで大量発生中の「傾きマンション」という厄介な問題
プレジデントオンライン / 2024年3月25日 10時15分
■展望の美しい海岸沿いに立ち並ぶタワマン群
南米最大の港湾施設のあるサントス市は、ブラジル有数の商業都市サンパウロのベッドタウンだ。サンパウロまではバスやマイカーで約1時間半。住民に占めるマンション/アパート居住者の割合は63.45%とブラジルでもっとも高い。
大西洋を望む砂浜は、週末には缶ビール片手に日光浴を楽しむグループや子供連れなどの訪問者でにぎわう。この街は、コーヒー豆積み出し量世界ナンバーワンのサントス港のほか、ペレやネイマールといった一流サッカー選手が在籍した名門クラブのサントスFCでも知られている。
■多くのマンションがはっきりと傾いている
サントスのビーチ沿いには1950~70年代の建設ラッシュで建てられた古い高級マンションが並ぶ。その時期に建てられた物件はおおむね10階建てから18階建てだ。
日本では一般的に20階建て以上で、高さ60メートルを超えるものを「タワマン(タワーマンション)」と呼ぶ。サントスのマンション群は、日本のタワマンよりやや小ぶりだが、所有者たちのステータスシンボルとしてビーチ沿いにそびえる姿は、日本のタワマンと同等の印象だ。
そんなマンション群を眺めると、ある違和感を覚える。どこまでも均一であるはずのマンションとマンションの狭間が、視線を上へとスライドさせるに従い、より広く、あるいはより狭くなっているのだ。事情を知らない人は「まさか!」と、一度こすった眼で見直したくなるに違いない。
実は、海岸沿いの多くの建物がてんでばらばらの方向に傾斜しているのだ。そして、驚くべきことに、この傾いたマンションでは住民が普通に生活しているのだ。
サントスのこの問題はブラジル国内では古くから知られている。2023年9月、サントス市インフラ・建物局が、市内に傾いた建物が合計319棟あると発表したことで、改めてこの問題に注目が集まった。
■傾きの原因は「土壌と不十分な基礎工事」
「かつての情報から100棟程度だと思っていましたが、300以上あるとは!」
サンパウロ市で土木事務所「マフェイ土木工業」を経営するカルロス・マフェイ氏(82)は驚く。
マフェイ土木工業はサントスでマンションの傾き修正工事を手掛けた業者だ。当時築33年だったマンション「ヌンシオ・マルゾーニ」を約1年2カ月の工期で修復した実績を持つ。この修復は、ブラジル初の傾き修正工事として注目された。
傾きの問題はサントスの土壌にある。地表から約7メートルは砂地だが、その下は30〜40メートルまで柔らかい粘土層となっており、本来なら50メートル以上の基礎杭を打つ必要があった。ところが建設ラッシュの当時、地質の調査が適正に行われなかったために、マンションのほとんどは、基礎杭が地下4~5メートル程度しか打たれなかったのだ。
■修復工事をしたのはわずか1棟だけ
マフェイ土木工業にとって初めての傾き修正工事は、他社による傾き抑制工事の失敗を経験したヌンシオ・マルゾーニの管理人から依頼されて行われたものだった。
「1フロア1世帯のマンションで住民が全16世帯と少ないながらも、彼らの意見をまとめ、各世帯から約9万レアル(現在のレートで約270万円)の工事費を徴収できた管理人の力量によって工事ができたんです」とマフェイ氏は裏話を語ってくれた。
ブラジルでは完成から5年以内に起きた構造上の問題は建設会社が補償するが、以後の修繕は住民と管理者に委ねられている。古いマンションの傾きに対する賠償金は一切ない。
電気、ガス、上下水道等を長時間止めずに、住民に“普通の生活”を送ってもらいながら行われたブラジル初の傾き修正工事は、土木における成功事例として学会で取り上げられることも少なくない。
しかし、サントスでこれまでに傾き修正工事が行われたのはこのマンションだけだった。
なぜほかのマンションは傾きを直さないのか。
そこには金銭的負担の大きさに加えて、住民たちのメンタリティも影響しているようだ。
■めまいや頭痛を引き起こすほどの傾き
傾き物件319棟のうち、著しく傾いた65棟は海岸沿いに立つ。浜辺から小型ドローンを飛ばし、可能な限り水平に撮影すると、ビルの不規則な傾きがはっきりと確認できた。見ているだけで不安を覚えるほどだ。
日本建築学会のホームページに掲載された「建物の傾きによる健康障害」によると、0.29度で「傾斜を感じる」、0.46度で「傾斜に対して強い意識、苦情の多発」、1.3度で「牽引(けんいん)感、ふらふら感、浮動感などの自覚症状が見られる」、2~3度で「めまい、頭痛、はきけ、食欲不振などの比較的重い症状」と紹介されている。
モニター上で測ると、多くの建物が2度以上傾いている。
めまいや頭痛を引き起こすほどの傾きの中、一体住民はどのように“普通の生活”を送っているのか。傾きマンションの一つ「エクセルシオール」の呼び鈴を鳴らした。
■水平線が水平に見えない
エクセルシオールの代表者に伴われ、10階に到達したエレベーターから足を踏み出すと、一瞬で著しい傾きを体感できた。マンションのエントランスで傾きを感じなかったのは、1階には床を水平にする修繕が施されていたからだった。
今回私が訪れたのは、定年退職した夫婦が暮らす一室。フレンドリーに迎えてくれた夫のジョゼ・カルロス・ペリンさん(77)は、「今日は曇っているけど、いい眺めだろ?」と早速、自慢のオーシャンビューをベランダのガラスドアを開放して見せてくれた。
「水平線と手すりを見比べてごらん」とペリンさんに促されて見てみると、なるほど、その角度の差は身体で感じている傾きを明瞭に示していた。
「他にも面白いものを見せてあげよう」とペリンさんはスーパーボールを廊下の床面で手放した。すると、球体は重力に従い、加速して転がった。
■ベッドには「下駄」が履かせてあった
こんなに傾いていて健康面に問題はないのだろうか。
エクセルシオールの傾きは日本建築学会が規定する「めまい、頭痛、はきけ、食欲不振などの比較的重い症状」をきたす範囲の度数だ。
「父が1976年にこのマンションの別の部屋をセカンドハウスとして購入し、私は学生時代から週末ごとにエクセルシオールを訪れていました。私のこの物件は2008年4月に購入しました。傾きには慣れているので全く気になりません」とペリン氏の笑顔に陰りはない。
1970年完成のエクセルシオールは、その建設途中から地盤沈下が生じており、ペリンさんの父はそれを承知で物件を購入したそうだ。当時の地盤沈下は5年間で1メートルと著しく、1977年には住民が一時避難したこともあった。
「もう一つお見せしましょう」と夫婦の寝室に案内された。キングサイズベッドの足側の2脚が「下駄」を履かされ、水平に就寝できるよう角度調整が施されていた。
「慣れている」とはいえ、就寝中ばかりは心も身体も安らぎを求めているようだ。
■毎年2センチ以上も沈み続けるタワマン
「このマンションは、すぐ脇を通る水路側に1.8メートルほど沈下しているんです」
こう語るのは、19年からエクセルシオール住民代表を務めるマリア・イネス・シェディッドさん(59)だ。シェディッドさんは幼少期から50年以上このマンションに暮らしており、建物の沈下度合いを市に報告し続けている。
「エクセルシオールは今も1年で平均して2.2センチのペースで傾き続けているんです」というから驚きだ。
傾きの進行はまるで、やがて訪れる“その時”までゆっくりと時を刻んでいるかのようだ。
昨年傾き物件数を発表したサントス市役所は、倒壊の危険はないとしながらも、物件に対して2年ごとに地盤沈下の調書を提出することを義務付けている。
「市役所からは修復工事をするようにちょくちょく言われています。実はこのまま放置しては危ないと考えているのでしょう。にもかかわらず銀行も市役所もまったく融資してくれません」とシェディッドさんの語調はやや強い。
■修復か、存続か…住民の意見は割れている
エクセルシオールは海側のAブロックとその裏のBブロックを合わせて合計100室。空き部屋は3室のみで、6割の世帯が常住している。傾きながらも、いかに海辺のマンションが人気かがうかがい知れる。
自らも傾きには慣れているというシェディッドさんだが、問題は低い不動産価格にあるのだという。
「このマンションはリフォームされていない物件で、25万レアル(約740万円)、リフォームされたもので40万レアル(約1200万円)は下りません。もしマンションが水平だったら現在の4、5割増の価格がついているでしょう」
エクセルシオールの住民からも、ヌンシオ・マルゾーニと同様に修復工事を望む声が上がっている。主な理由は不動産価格上昇を望むためだそうだ。
しかし住民の中には、1階エントランスと同じように、個別に部屋の床を水平に直した世帯が1割程度おり、こうした人たちが修復工事に反対しているという。
■50年後の日本のタワマンは大丈夫か
かつてサンパウロから移り住んだシェディッドさんは、ペリン夫妻と同様に不動産価格が上がろうとも引っ越す意思はないと夫妻と口をそろえる。
「サントスはサンパウロに比べると治安が良いうえに、大気汚染がありません。このマンションの眺めは素晴らしく、周りには生活に必要な施設が整っています。ブラジルは日本と違って地震がないですしね。やっかいなのはマンションが傾いていることだけなんですよ」
やはり傾きが問題であるということは認識しているようだ。
日本では全国各地でタワマンが増えている。ブラジルの築50年以上のタワマンとは比較にならないだろうが、実際に年月がたたなければわからないこともあるだろう。もし傾いてしまったとき、一体どうなるのだろうか。
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ブラジル・サンパウロ在住フォトグラファー/ライター
ブラジル在住25年。写真作品の発表を主な活動としながら、日本メディアの撮影・執筆を行う。主な掲載媒体は『Pen』(CCCメディアハウス)、『美術手帖』(美術出版社)、『JCB The Premium』(JTBパブリッシング)、『Beyond The West』(gestalten)、『Parques Urbanos de São Paulo』(BEĨ)など。共著に『ブラジル・カルチャー図鑑』がある。
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(ブラジル・サンパウロ在住フォトグラファー/ライター 仁尾 帯刀)
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